Menu23.東方使節をもてなすスシ その1
いつの時代においても、旅人や来訪者というのは歓迎されるべき存在であり、それはここ、王都ナタシャにおいても変わらない。
多くの人間は生まれた土地に根付き、そこで成長し、生涯を終えていくものであり……。
そんな彼らにとって、自分たちの生活圏から離れた場所の話を聞くというのは、何物にも勝る娯楽であるからだ。
また、娯楽性を抜きにしても、旅人を迎え、話を聞くというのは、貴重極まりない情報収集の機会であり、よほどの理由がなければ、出来る限りの歓迎をするというのが、ハイデルバッハ王国における習わしであった。
で、あるのだが……。
本日、王都ナタシャに訪れた旅人を出迎える人々の数というものは、桁外れであるといえるだろう。
何しろ、出迎えに訪れた王都民ですれ違うことも困難な有り様となっており、王家からの要請を受け出動した黒騎士団により、通行人の整理と誘導すらされているほどなのだ。
もう一つ普通でないのが、人々の手にした国旗である。
手旗であったり、両手で広げられる大きさであったり、形態こそまちまちであるが、ここがハイデルバッハ王国であること……。
そして、その王都ナタシャであるということを、訪れた者に全身全霊で伝えようという人々の意思が、そこからは伝わってきた。
通常、旅人を出迎えるにあたって、そのような品は持ち出さない。
訪れた地がどこであるかくらい、よほどの事情がなければ把握しているものだからだ。
では、何故、王都の人々がそのようなことをしているのか……。
その理由は、旅人を出迎える場所にある。
彼らが集っているのは、ナタシャが誇る城壁の入り口部でも、目抜き通りでもない。
遥か外洋に向けた玄関口である、港湾部であった。
そう……。
広々としたナタシャの港湾部を、出迎えに参じた王都の民が埋め尽くしているのだ。
となると、今、彼らが迎えようとしている来訪者が、どこから向かって来ているかは、語るまでもないだろう。
来訪者が使っているのは、海路なのだ。
あらかじめ、東方貿易会社の先触れが伝えていた通り……。
大海原のかなたに、いくつかの点が見え始める。
――ワッ!
その段階で、すでに押しかけていた人々は大盛り上がりし、手にしていた国旗を掲げ、あるいは振り回す。
熱烈な歓迎は、止むことがなく……。
むしろ、出迎える対象――異国からはるばる訪れた船舶の影が大きくなるにつれ、ますます熱気を増していった。
それにしても……。
徐々に徐々にと、港へ近づき、船影が大きくなってくると、船団の中央――迎えるべき船舶の異彩さへと気づく。
全体的なシルエットは、ハイデルバッハ王国で造船された帆船のものを踏襲している。
しかし、細部……船を彩る艤装に関しては別で、知識のある者が見れば、これは漆塗りなど、東方はヒイヅルにおける建築技術が応用されているのだと知れた。
そう……。
大海原を超え、ここテーゼ海へと訪れたのは、東方からの賓客であるのだ。
「いいぞーっ!」
「王国へようこそーっ!」
「ハイデルバッハ王国万歳ーっ!
ヒイヅル万歳ーっ!」
いよいよ船団が近づいてくると、王都の民たちは国旗を振り回すのに加え、歓声を上げ始める。
今日は、まぎれもなく記念の日……。
王国史に、刻まれる日なのだ。
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遥か故郷を離れ、未知なる大海に乗り出しての旅路……。
東方貿易会社という優秀な先導者たちがいたとはいえ、その道程は、苦難の連続であったという他にない。
何しろ、ヒイヅル人にとって、初となる外洋の旅路であり……。
全てにおいて、手さぐりしながら進めていく他なかったのだ。
まして、女の……それも、姫君の身であるスミレにとって、どれほどの過酷さであったかは、語るべくもないだろう。
それでも、そのことごとくを乗り越え、目的地たる港までやって来れたのは、船員として選抜されたのが、忠義厚き精鋭たちであったこと……。
何より、この胸を焦がすほどの想いがあったからこそだろう。
「ヴァルター様……」
蒸し暑い船室の中、想い人の名をつぶやく。
姫君が過ごす部屋の中というだけあって、この部屋は調度から何から全てが特別なこしらえとなっており、床材として敷き詰められているのも畳である。
そして、文机の上に広げられているのは、東方貿易会社によって幾度ももたらされた、想い人からの手紙であった。
文を重ねるごとに上達してはいるものの、どこか硬質さが感じられるヒイヅル語による手紙……。
これを繰り返し読むごとに、自身の胸で育んだ熱情がますます大きくなるのを感じたものだ。
それが、今、結実しようとしている……。
「姫様、港の方で、王国の方々が熱烈に歓迎してくれております」
女官の手によって開かれた扉から姿を表した船長――ヒョウマが、うやうやしく頭を下げながらそう告げた。
長い船旅を経ても、その月代はいささかも乱れることなく、結い上げたまげもまた、見事なもの……。
航海中ということもあり、動きやすいよう紐でまとめた小袖に股引きという簡易な出で立ちであったが、腰に大小を差すことは忘れない。
まさに――侍。
武士の中の武士というべきこの男がいなければ、航海の成功はなかったことであろう。
「ええ、聞こえております。
この声に応えぬは、無作法というものですね」
文机の前で正座していたスミレが、立ち上がる。
ヒョウマが侍の中の侍であるとするならば、スミレこそは姫君の中の姫君であろう。
年齢は、十九。
艷やかな……まさしく、鴉の濡れ羽がごとき黒髪は枝毛一つなく、まっすぐに腰まで落とされていた。
すらりとした肢体には、一切の無駄な肉がないことを、薄手の着物越しに知ることができる。
顔立ちは――まさしく、凛として楚々。
生来の気品に加えて、清らかなかわいらしさまでもが同居しているのだ。
何より、立ち振る舞いが――美しい。
ほんの少し、立ち上がり、歩いただけであるというのに、まるで演舞のような……見る者を魅了してやまない所作の美しさがそこにはあった。
生来の資質を、さらに研ぎ澄ませ、磨き上げた……。
スミレはもう、かつての未熟な小娘ではない。
愛する男のために、一人の成熟した――完璧な女となって、はるばる異郷の地までやって来たのだ。
また、その覚悟と努力を知っているからこそ、父たる将軍は今日に至るまであらゆる縁談を断り、此度の渡航についても許可してくれたのである。
――果たして。
――群衆の中に、ヴァルター様を見つけられるかしら?
来ているかどうかを、疑うことはしない。
彼の立場を考えれば、来ていないはずもなく、となれば、後は見つける側である己次第なのだ。
ヒョウマや女官を従え、甲板に上がる。
――ワッ!
港に押し寄せていた人々は、異国の姫君が登場したことで興奮し、ますます騒ぎを大きくしていたが……。
恋する乙女は、その中に、愛する男の姿を見つけられたのである。




