Menu22.夏野菜のカレー 後編
「いらっしゃいませ。
ようこそ、お越し下さいました」
言葉としては、たったそれだけ。
加えて、お辞儀に要する時間も、さほど長いものではない。
だが、短い言葉……小さな所作の、何と美しく、洗練されていることだろうか。
例えば、ゲルトが真似をしてみたところで、とてもこのようにはいかないだろう。
それは、年齢や性別……加えて見目の問題だけではない。
眼前でお辞儀するマルガレーテという少女は、何百回も……あるいは、何千何万回とこの礼を繰り返すことによって、一連の動作を芸術めいた美しさへと昇華させているのだ。
――まったく。
胸中で、感嘆の言葉を吐き出す。
まだ、品書きすら出されていない段階から、何というもてなしか。
「マルガレーテねーちゃん! きたよー!」
「ふふ、ようこそおいでなさいました。ヨハン君」
幼子であるヨハンに対しては、妙に構えることなく、当たり前なお姉さんとして接する。
これは、決してヨハンのことを侮って考えているわけではないだろう。
ただ、この方が幼い男児にとって親しみやすく、その後の料理がより美味しくなるから……。
人間というのは、一つの仕事に慣れてしまうと、いかなるやり方においても同じ方法を押し通してしまいがちな生き物だ。
そうでなく、相手に合わせ柔軟な対応ができるのは、彼女が真に客のことを考え、もてなしてくれていることの証左であった。
息子は……ヨハンは、今はまだ、その素晴らしさを理解できる年齢ではない。
だが、いずれ成長し、行儀というものを本格的に教える年齢となったなら……。
この店へ幼い頃から通った経験は、きっと役に立つはずだ。
そうして、礼法を学んでいけば、父やヴァルターとはまた違った道での立身出世というものも、見えてくるのである。
――なんてな。
――気が早いか。
まだ、匙を持つ手つきすらたどたどしい息子の未来へ思いを馳せた自分に、苦笑いを浮かべた。
そもそも、今は、家族三人で外食をしようという時だ。
家長である自分自らが、余分を持ち込もうなどというのは、無粋の極みといえるだろう。
「では、本日もこちらのテーブル席をご利用下さい」
この店……シュロスへ訪れる客の多くは一人で食事を楽しむが、中には、卓を囲んで楽しみたいという者もいる。
そんな要望へ応えるため、小さな店の中には、二つだけテーブル席が存在した。
もっとも、このところは名が売れてきているシュロスなので、今日、待つことなく三人でテーブル席を利用できたのは、なかなかの幸運であろう。
「こちら、本日のお品書きになります」
手早く水やおしぼりの給仕を終えたマルガレーテが、妻と自分――二人分の紙片をそっと置く。
息子の分は、ゲルトなり妻なりが読んでやればいいからだが……。
そもそも、自分たち一家がここで食べるメニューといえば一つなのだから、結局、品書きの必要性そのものがなかった。
「カレーライスを三つくれ」
妻や息子とうなずき合い、代表して注文を告げる。
「かしこまりました」
マルガレーテは、そう言って下がり……。
しばらく、他に訪れていた客の相手などを挟んでから、目当ての料理を運んできてくれたのであった。
提供が早いのは、カレーライスという料理の長所であるといえるだろう。
「お待たせ致しました。
――カレーライスです」
そう言って、マルガレーテが優雅な仕草で料理とシルバーとを供していく。
眼下の料理――カレーライス。
刺激的な香りこそ初回に食べた時と同じであったが、しかし、見た目においては随分と異なる。
「すごーい!
おやさいが、そのままのってる!」
「いやいや、こいつはそのまま乗せてるわけじゃない。
こう、先に油で素揚げしてあるんだ」
はしゃぐ息子の勘違いを、苦笑いしながら訂正してやった。
「それにしても、きれい……。
このカレーっていう料理は、見た目だけがちょっと難に思えてたけど……。
こうすると、すごく鮮やかになるのね」
うっとりしながら吐き出された妻の言葉には、同意するしかない。
カレールウの中へ具材として入れられているのは、挽き肉のみ……。
そして、あえてルウそのものの具材としては用いず、カットして素揚げした夏野菜……ナス、ししとう、赤パプリカ、かぼちゃが上へと乗せられているのだ。
その効能たるや、一目瞭然たり。
当然ながら、それぞれの野菜からは瑞々しさが失われているが、しかし、素揚げしたことにより、色味に関してはより強まっている。
結果、宝石のように輝くこれらをトッピングしているのだから、実に色彩豊かで……茶一色だったカレーに、見た目の美しさを付与していた。
「たべよう! たべよう!」
「ああ、頂こうか」
「ええ」
夫婦二人、はしゃぐ息子の姿へ笑みを浮かべながら、食事の開始を宣言する。
まずは……ルウのみを米にかけ、食す。
――なるほど。
――こいつは、ルウの具というより、ルウそのものだな。
そうして感じられるのは、ルウと豚挽き肉との圧倒的な一体感だ。
季節が変わる前に出されていたカレーライスは、ごろりと切った具材が特徴的な逸品だった。
だが、こちらの場合、ルウそのものへ仕込まれているのは挽き肉のみ……。
それを逆手に取り、あえて挽いた肉にすることで、満遍なく肉を散らしているのである。
このカレーを食すと、香辛料の刺激的かつ、魅惑的な香りに加えて、必ず肉の旨味と肉汁とが得られた。
固まりではなく、散らす……。
そのことによって、かえって肉の存在感が増すというのは、ちょっとした発見であろう。
――さて。
まずは、ルウとそれを受け止めたライスの味わいを楽しんだ。
ならば、次に挑むべきは、この余りにも目を引くトッピング――素揚げされた夏野菜であろう。
まずは、かぼちゃを食す。
――ほお。
それで気づいたのは、カレーという料理が、揚げ物と好相性であるという事実である。
揚げ物特有の香ばしさに、香辛料由来の刺激的な香りが加わって、様々な角度から鼻腔を楽しませてくれるのであった。
また、素揚げという調理法は、野菜が奥底に秘めた甘みを引き出す。
それは、かぼちゃや赤パプリカのように、元から甘い野菜のみではない。
本来なら独特な苦みを持つナスやししとうまで、ほのかな甘さが感じられるのである。
これら夏の野菜は、夏の暑さを力に変えて、実を大きくするものであり……。
どうやら、その過程でへそくりのごとく蓄えた糖が、油を通すことで顔を出したようだった。
甘く、香ばしく、さわやかな苦みの走る揚げ野菜……。
これをカレールウに絡めると、欠けていた最後の要素がぴたりと埋まったのを感じられる。
ルウには備わっていなかった甘さなどが加わり、全方位死角なく、味覚を楽しませてくれるのだ。
そして、後乗せのこれが見た目も美しくするのは、先に述べた通り……。
――まるで、こいつは。
「とーちゃん、おいしいね!」
自分という男の人生へ後から加わった息子が、そう言って笑う。
「ああ……。
本当に、美味い」
ゲルトもまた、笑顔で答えたのであった。
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