Menu20.青年と枝豆 前編
この暑い中、馬で急いでくれたのだろう。
久々に会ったシズルは滝のような汗を流しており、見ているこちらが心配するほどである。
だが、その顔色は極めて健やかであり……。
十分な水気を得た上で、それを順次汗として流している人間に特有の、健康的な美しさがあった。
また、日頃の野良仕事によるものだろう……。
剥き出しとなっている二の腕は小麦色に焼けており、アウレリアの目にはそれが、太陽の恵みを得て咲き誇る夏の花がごとく映る。
「ごめんなさいね。
シズルたちも忙しいでしょうに、わたしのわがままで届け物をさせてしまって」
「いえいえいえ、とんでもありません!」
自分の言葉に、シズルがぶんぶんと首を振った。
そうすると、今日は頭頂部で馬の尾がごとく結い上げている黒髪が、それこそ尾のように激しく動き回り……。
その様子が、何だかほほ笑ましい。
「アウレリア様のお役に立てるなら、それこそ、火の中水の中です!
それに、これが食べたいっていうアウレリア様の気持ち、あたいも分かりますから」
そう言って、シズルが背にくくりつけた荷物を振り返る。
彼女は、藁で包まれた何らかの荷を背負っており……。
その中身こそが、アウレリアの熱望する食材なのだ。
「やっぱり、夏といったらこれですよね。
麦茶と一緒におやつにしたってよし!
ビールのおつまみにしたってよし!」
「あら?
わたしたちには、まだお酒は早いんじゃないかしら?」
「え、えへへ……」
問いかけると、曖昧な笑みを浮かべながら頭をかくことで返された。
……この様子だと、どうやら、酒の道というものに関しては、先輩であるのかもしれない。
「ともかく、本当にありがとう。
今日はご馳走するから、是非、泊まっていってね?」
「やた! アウレリア様の手料理が食べられる!
一体、どんなのを作ってくれるんですか?」
「ふふ……トマトを使った料理よ」
「トマト! いいですね!」
自分の言葉に、ヒイヅル娘は目を輝かせる。
シズルや彼女の祖父ゲンノは、アウレリアたちのトマト食いを知る数少ない人物の一人だ。
生前、祖父はヒイヅル村を訪れる際、手土産としてこれを持参しており……。
ミロス教とは別の宗教を信仰する彼女らは、特に抵抗なく受け入れ、その味に取り憑かれたのである。
今では、ヒイヅル村内でも栽培をしており、夏の味覚として楽しんでいるということだ。
「うちじゃいつも、味噌汁の実にしたり、やっこの上に乗せたりで、アウレリア様が作る料理みたいな華がないんだよなあ……。
だから、今日は楽しみです!
ミロス教を信じる人たちも、あの味を知れたらいいのに……」
「あら?
それなら、この前にちょっとした事件があってね。
今、王都の人たちも、少しずつトマトを食用にし始めているのよ?」
「ええ!? そうなんですか!?
一体、どんなことがあって!?」
「そうねえ……。
長くなるから、持ってきてくれたそれを塩茹でにして、おやつにしながら話しましょうか。
麦茶も用意してあるのよ。
それとも、ビールの方がいいかしら?」
「い、いや……あはは……。
アウレリア様の前で、それはちょっと……」
またも曖昧な笑みのシズルを、店に誘ってやる。
使いに出ていたマルガレーテも、後から加わり……。
開店前の休憩は、楽しい語らいの場となった。
--
「ここが、ゲルトさんの言っていたシュロスかあ……」
筋骨隆々とした肉体は、陽光と海風に晒され続けた結果、赤銅色に染め上がっており……。
いかにも典型的な、港で働く男といった風情の姿を作り出している。
その青年――トビアスは、いかにも垢抜けていない顔で、問題の店を見つめていた。
――シュロス。
一肉体労働者に過ぎないトビアスであるが、そこは王都者だ。
文字の読み書きくらいは習得しており、この屋号が何を意味するかも当然理解している。
その意味は……城。
そして、石造りの佇まいは、こんな飲み屋街の片隅にあって、名前負けしていないものだと思えた。
我知らず、腰が引けてしまう。
たいまつではなく、ランタンで照らされた入り口は、いかにも洒落た雰囲気を漂わせており……。
トビアスのような若者には、そのきらびやかな光が、結界のごとく作用するのだ。
ふと、先日告白し、見事にふられた女のことを思い出す。
――嫌よ、あんたなんかと。
――だって、あんた汗臭いし、全然お洒落じゃないんだもの。
痛恨の一撃とは、まさにこのこと。
トビアスにとって、日々の労働で流す汗は一つの自慢であった。
また、こういうことを言うのも何であるが……所属する東方貿易会社からは十分な給金を得ており、稼ぎという面においては、同年代の男より頭一つ抜けているはずである。
だが、結果は玉砕。そう、玉砕だ。
男らしさや稼ぎのみでは通用しない世界というものが、この世には存在するらしいのであった。
故に、このシュロスである。
彼がここまで足を運んだのは、上司であるゲルトの助言あってのことであった。
上司といっても、香辛料部門の部長である彼と、そこの人足に過ぎない自分とでは、随分と地位の隔たりがある。
しかし、面倒見の良い元冒険者は、休憩中に自分の顔色が悪いことへ気づき、気さくに相談へ乗ってくれたのだ。
――はっはっは! そんな女はこっちから願い下げだと思いな!
――とはいえ、そう簡単に割り切れるものでもないか。
――……だったら、文字通り、洒落た雰囲気を味わうのも面白いかもな。
――なに、いい店を知っているんだ。
――おれも家族を連れて行ったらな? 女房に惚れ直されちまったよ。
尊敬するゲルトが言うのならば、間違いはない。
――ただし、美味い食事に他ではないもてなしがある分、料金は高いぞ?
その脅し文句も、何のその。
トビアスは、財布を握り締めてここに馳せ参じたのであった。
故に、臆している場合ではない。
「――やっていますか!?」
決意と共に、高価なガラスが用いられたドアを開く。
すると、トビアスの目に飛び込んできたのは、別世界かと見紛うような光景であった。
天井からは、小さなシャンデリアが吊るされ、高貴な光で店内を照らし出しており……。
壁には、絵画や盾などが飾られ、重厚な雰囲気を生み出している。
カウンターやテーブルなどの調度も、これは、選び抜いたものを使っていることが、素人目にも明らかであった。
そして、そんな店の中で食事を楽しんでいたのは、明らかに上等な……それでいて、ややカタギから外れた雰囲気の装束を身にまとった男性や、騒がしさで有名な公爵家ご令嬢などである。
しかも、働かせてもらっている東方貿易会社の社長――ヴァルターもその中に加わっているのだ。
明らかな場違い感に、足がすくむのを感じてしまう。
しかし、そんな自分にうやうやしく近づき、頭を下げてくる者が一人……。
貴族家に仕える侍女のごとき姿をした少女は、うやうやしい仕草でこう言ったのだ。
「いらっしゃいませ。
カウンター席へのご案内で、よろしいでしょうか?」
「あ……。
はは、はい!」
緊張のあまり、どもった声で返してしまう。
そして、返してしまったからには、もう遅い。
トビアスは、今夜ここで食事を楽しむ以外の道がなくなったのであった。




