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Menu19.弾劾トマト その10

 パスタのソースに用いれば、その鮮烈な赤と濃密な旨味でもってこちらを魅了し……。

 生のままスライスし、水牛のチーズと合わせてサラダにすれば、実に含まれた甘みと酸味がチーズと絶妙なマリアージュを生み出し、飽くことなく食べ続けられる。


 誠、トマトという食材は千変万化で、これらの料理を生み出したアウレリアの手腕もさることながら、食材そのものの実力に対しても、感嘆の念を抱かざるを得なかった。


 そして、調理の仕方次第、食べ方次第で大きく性質を変化させるというのは、まさしく、此度(こたび)の一件を象徴するような性質なのである。

 何となれば……。


「ミロス教……いえ、おそらくは、他の教義においてもでしょう。

 宗教というものは、先人が遺した教えをいかに解釈するかで、大きくその性質を変化させるものです。

 時には、今回のように……。

 後付けの解釈が加わることで、先人の教えが歪んだ形で広められるというのも、あるということでしょう」


 逆転し、無罪を勝ち取った弾劾裁判の後……。

 シュロスへ、今度は招かれる形で祖父と来訪し、トマト料理でもてなされたハンネは、美味なる料理を楽しみながら、そう語った。


「解釈次第で、か……。

 私を含め、多くの者は教義が絶対にして不変であると考えている。

 しかし、実のところとしては、こう……ふわりとしているというか……」


「そう……誠にふわりとしている。

 私自身、説法をする機会は多いですが、その度、自分自身へ問いかけるのですよ。

 『果たして、今、伝えている内容は正しいのか?』『主の御心を、曲解して伝えてはいないか?』

 ……とね」


 ヴァルターの言葉を引き継いだのは、他でもない……祖父である教皇その人である。

 国教最高位の僧が漏らした、弱気といえば、あまりに弱気な言葉……。

 これには、料理を楽しんでいた人々も、押し黙る他ない。


「ですが、これはどんなことに対しても言えるのです」


 そんな彼らに、祖父がおだやかな笑みを浮かべながら続ける。

 きっと、今、この瞬間も、彼は自分自身へ問い続けているに違いない。

 だからこそ、教皇という要職を任されているのだ。


「我々人間が、他者に対して自分の気持ちや考えを伝える手段は、あまりに少なく、限られている……。

 そして、ただ一つ確かなのは、主が我々をそのようにお作りになられたという事実です。

 私はこれを、人間という生き物に課した試練であると解釈しています」


 一人一人の目を見ながら、ゆっくりと祖父が語りかけた。


「血を分けた親子であっても、どうしても分かり合うことができず、排斥するということもあるでしょう。

 あるいは、その功績があまりに輝かし過ぎて、やっかみを受けるということもあるでしょう。

 その他、自身に対して他者が思わぬ感情を向けてくるということは、枚挙に暇がありません」


 アウレリアが……。

 ヴァルターが……。

 そして、他の人々が、思い思いに過去へ頭を巡らせる。

 この場に集うのは、皆、何がしかの理由によって顔と名が知られている人物であり、それに比例して、祖父が語ったような出来事も経験しているのだと思えた。


「自分ならぬ誰かに、本意を理解してもらうというのは、それほど難しきこと……。

 ですが、そこで諦めて、歩みを止めてはいけません。

 それぞれ、心が命じるままに……。

 自分という人間を理解してもらうための努力を続けることこそが、肝要なのです。

 それは苦しいことかもしれませんが、そうやって努力をし続けられるように、主は我らをお作りになったのですから……」


 それで、祖父が説法を終える。

 シュロスの客たちは、皆一様に神妙な顔をしており……。

 その視線は、じっと祖父に向けて注がれていた。

 祖父は今、他者の意思を理解することの難しさを説いたが……。

 きっと、今、この場にいる人々の意思は、一つとなっているに違いない。

 ハンネもまた、祖父の姿を見ることで、それを確信できたのだ。


「ほっほっほ……。

 このような会席の場で、つまらぬ説法をしてしまいました。

 今はただ、フロレンティア殿がもたらしてくれたトマトと、それを調理したアウレリア殿の手腕に感謝して、この美味しい料理を頂くとしましょう。

 私は、このミートソースとやらをかけたパスタが好きですな。

 これは、実に美味しい」


 一つになったこの場の意思……。

 それを、明らかに曲解している祖父が、にこやかに笑ってパスタを食す。

 だが、祖父が言う通り……。

 この、ミートソースというのをかけたパスタは、驚くほどに――美味い。


 具材として用いられているのは、たっぷりの挽き肉と刻んだ玉ねぎであり……。

 それが、トマトを加えてソースの形になっている。


 これが、麺へ実によく絡み、フォークを突き立ててくるりと回してやると、麺とソースが渾然一体の有り様となった。

 そして、一体となっているのは、見た目の上だけではなく……。

 味もまた、見事な合一を成している。


 口の中に入れると、トマトの濃密な旨味、挽き肉の肉汁、玉ねぎの香味が一度に溢れ出し……。

 絶妙な茹で加減の麺が、小麦の味でこれらを受け止めるのだ。

 しかも、挽き肉や玉ねぎのそれに加え、芯をわずかに残した麺のパツリと切れる歯応えすらも、一度に楽しめるのだった。


 何とも新しく、それでいて王道を感じる味……。

 トマトというものが衆人に認められた今、この料理が広まれば、パスタというものの王として即座に君臨するだろうと、そう確信できる一皿である。


「削ったチーズをかけても美味しゅうございますが、お試しになられますか?」


 マルガレーテという名前の侍女が、そう言いながら下ろし金とチーズを手に取る。


「ほう……。

 それは、何とも魅力的な。

 是非、お願いしようかな?」


 祖父が、大真面目な顔でそう言ったのが、効いてしまったのだろう。


「――ぷふっ!?」


 マルガレーテが、盛大に吹き出す。

 こうなると、他の者にも連鎖していくものであり……。


「――くふっ!?」


「くっく……」


「ほほほっ……」


 シュロスに集まった者たちは、それぞれなりの笑い声を漏らしたのであった。


「い、一体……どうされたかな?」


 うろたえる祖父に、アウレリアも笑いをこらえながら答える。


「ふふっ……申し訳ありません、猊下(げいか)

 ですが、お召し物に……」


「私の服に?」


 まだ気づいていない祖父の胸に、指を差してやった。


「お爺様……。

 お召し物にも、料理を食べさせてしまっています」


 そう……。

 教皇という地位にふさわしい純白の装束は、胸の辺りに赤い汚れが付いてしまっていたのである。

 つまるところ、祖父はそんな姿で、大変によい話をされていたというわけだ。


 国教最高位の僧は、顔をトマトのごとく赤く染め上げた。


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