Menu17.風物釣り 前編
ハイデルバッハ王国の王都ナタシャといえば、母なるテーゼ海を抱く港湾都市であり、それはすなわち、釣り人人口の多さを意味する。
凝ってしまえば際限を持たぬのがこの趣味ではあるが、凝ろうと思わねば簡素な道具だけで行えるものであり、王都の民は子供から大人まで、幅広くこれを楽しんでいるのだった。
だが、堤防部にずらりと人が並び、一様に釣り竿を垂らす今の光景は、この時期にしか見れぬものである。
何しろ、堤防内で人が行き来するだけでも苦労するほどであり、王都の民全てがここに集結しているのではと思えるほどなのだ。
これだけの人が集まり、一体、何を狙っているのか……。
それは、しばし見ていれば、簡単に分かる。
ある場所では、小さな子供が、堤防から落ちぬよう父親に抱えられながらこれを釣り上げ……。
また、別の場所では、大物がかかれば海に引きずり込まれそうなほど痩せ細った老人が、見事に同じ魚を釣り、小さな笑みを浮かべていた。
かように非力な者たちでも、たやすく釣り上げていることから分かる通り、かかった魚は実に――小さい。
何しろ、個体によっては、手のひらへすぽりと収まってしまうほどなのだ。
やや青みがかった背と、銀色の腹を持つこの魚は、いわし――それもカタクチと呼ばれる種類のそれである。
もし、海中に潜ったなら……。
群れを成したこのいわし共が、竜巻のようにうなりを上げながら泳ぎ回る神秘的な光景を目にできるだろう。
果たして、いかなる理由あってのことかは分からぬが……。
この時期になると、こやつらはこのように群れを成し、湾岸地帯で回遊する。
それを見た人間たちは、このように港へ集結し、こぞって釣り糸を垂らすというわけだ。
そこに、身分の貴賤は関係ない。
さすがに、貧民街の浮浪者などは白い目で見られることを恐れて近寄らぬが、それ以外の……正規に民として見られている者は、ほぼ全ての階級がここに集結しているのであった。
だが、すでに蒸し暑くなってきているこの時期に、布地がふんだんに使われた真紅のドレスを身に着け、これに混ざっている貴族令嬢などは、そうそうお目にかかれるものではないだろう。
そのご令嬢……。
「おーほっほっほ!
釣れた!
初めてだけど、釣れましたわ!」
レデラー公爵家の息女フロレンティアは、いわしがかかった釣り糸を片手で持ち上げつつ、高笑いを上げてみせた。
「――お見事!」
「――お見事にございまする!」
すると、ハイモを始めとする彼女のお供たち……レデラー公爵家の誇る黒騎士たちが、こぞってこれを褒め称える。
「おーほっほっほ!
案ずるより産むが易し!
やってみれば、案外、簡単なものでしたわ!」
それにますます気を良くし、フロレンティアは高笑いの声量を増すのであった。
「わたくし、もしかしたら、釣りの才能があるのかもしれませんわ!」
だが、この言葉には、彼女を崇拝してやまない黒騎士たちも、さすがに苦笑いを浮かべる。
何しろ、このいわしという魚は食い意地が張っている上に、警戒心というものがまるでなく……。
極端な話をすれば、餌を付けて糸を垂らしさえすれば、食いついてきてしまうのであった。
釣りというものは誠に奥深く、魚との様々な駆け引きが存在するのであるが、この堤防いわし釣りというのはそれらが廃されており、ただ、釣り上げる喜びのみが抽出されているのである。
ただ、そこは宮仕えの悲しさ……。
何より、敬愛するフロレンティアがイイ気になっているところへ、あえて水を差すような黒騎士たちではなかったが……。
「きぞくのおねーちゃん!
てんさいっていうなら、あたしのほうがずっとてんさいだもんねー!」
周囲で釣り糸を垂らしていた子供たちまでがそうするはずもなく、一人の女の子が、そう言って自分の釣り上げたいわしを掲げてみせたのであった。
「こ、これ……!」
見るからに身分の高そうなご令嬢に対する、幼さゆえの挑戦状……。
これを見た女の子の父親が、慌ててこれを叱ろうとする。
だが、ハイモたち黒騎士は、手ぶりでその必要がないことを告げた。
元より、主君であるレデラー公爵も、その娘であるフロレンティアも、子供の言葉で腹を立てるほど狭量ではなく……。
そして、いかなる形であれど、挑戦に対しては正々堂々と迎え撃つことをよしとする正確なのである。
従って、フロレンティアが見せた反応も、予想通りのものだったのだ。
「おーほっほっほ!
このわたくしに対する宣戦布告、しかと受け取りましたわ!
そこなお嬢さん! どちらがより多く釣り上げるか、勝負しましてよ!」
フロレンティアが、高笑いと共にそう告げれば……。
「おーほっほっほ!
そのしょうぶ、うけてたちますわ!」
女の子までが真似して高笑いを返す。
こうなると、騒ぎの大好きな周囲の王国民たちも、乗っからぬはずがない。
「おお! 何だ? 釣り勝負か!?」
「あの派手なお嬢さんと、ちっこい女の子でどちらが多く釣るか勝負だってよ!」
「こいつあ、面白くなってきやがった!」
そのように、好き勝手なことを言ってははやし立て、人によっては、賭け事の対象とさえし始めたのであった。
「おーほっほっほ!」
「おーほっほっほ!」
堂に入った高笑いと、幼い高笑いとが、釣り場と化した堤防に響く。
かくして始まった、勝負の行方は……。
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「おーほっほっほ!
勝負は引き分けに終わったけど、それも、お互い数えるのが面倒なくらい釣り上げた結果!
終わってみれば、互いに十分な釣果を得られた良い勝負でしたわ!」
レデラー公爵家への帰り道……。
びくを抱えた騎士たちに向かい、フロレンティアは高らかに宣言したものだ。
騎士たちが手にするびくには、おびただしい量のいわしが収まっており、もはや漁師かと見紛うほどである。
これは、何もフロレンティアだけの釣果ではなく……。
あの女の子が釣った分も含まれており、その理由は、彼女の家庭では消化しきれないからであった。
干物や塩漬けにするなど対応策はあるが、何事にも程度というのは存在するのだ。
余談だが、普段のみこしを使わず歩いているのは、あれだけ人の多い所に乗っていくと、邪魔を通り越して危ないからである。
「おーほっほっほ!
あなたたちは、それを持って寮にお帰りなさい!
今夜は、いわし料理で英気を養うといいですわ!」
「ははっ!」
フロレンティアに命じられた騎士たちが、きびきびと応じてみせた。
「それから、ハイモはこのままわたくしのお供をなさい!
寄っていく場所ができましたわ!」
「――はっ!
……寄っていく場所、ですか?」
びくを抱えたハイモが尋ねると、フロレンティアが何故か豊満な胸を反らす。
そして、当然のようにこう言ったのだ。
「無論、アウレリアさんたちの所ですわ!
せっかくの釣果、お友達にお裾分けいたしましてよ!」
「承知しました!」
主の命に、忠実なる黒騎士は背を正して答える。
――今日、シュロスは定休日では?
その言葉を、心中でのみつぶやきながら……。




