Menu15.5.ある日のヒイヅル村
麦、米、蕎麦、とうもろこし、芋……。
ハイデルバッハ王国における穀物は実に多種多様で、王国に暮らす人々は、どれか一つを特定の主食とみなすのではなく、手に入ったいずれか――あるいは、自らが栽培している穀物――を食卓の一品として食するのが一般的である。
これは、貧しき土地から植民してきたヒイヅル村の第一世代にとっては、驚嘆すべき事柄であった。
何しろ、雑穀などで飢えをしのぐ必要がなく、この地に来てから生産してきた油――無論、年貢として収めた残りだ――との交換によって、必要十分な穀物を得られるのである。
ゲンノを中心とする識者が見たところによれば、まず、土の質というものが異なり……。
次いで、他国との国境ともなっているトニプル川の存在が大きいとのことだ。
遥か北方の丘陵地帯を水源としているこの川は、ハイデルバッハ王国のみならず、周辺諸国に大いなる水の恵みをもたらし、土質の良さとも相まって、人々に豊かな恵みをもたらしてくれているのであった。
そのような事情もあって、どんな穀物を食べるも自由な立場にあるヒイヅル村の人々であったが……。
実際のところ、食卓へ上る機会が多いのは圧倒的に米であり、これは入植した第一世代が、この穀物に抱いている想いを反映しているといえる。
遥か東の故国において、米とは全ての規範そのもの……。
年貢として取り立てられるのもそれであり、しばしば通貨のごとくも扱われ、かの国に生きる人々の多くは、米の世話をしながら生き、死んでいくのであった。
従って、その日、ヒイヅル村で暮らす人々の食卓へ上ったのも、茶碗――これは自作したものだ――によそわれた白米であったが、もう一つ……入植してから生まれた世代には、馴染みのない汁物も存在する。
木製の碗に注がれた汁……。
これなるは、遠き故郷の代表的汁物――味噌汁であった。
「ああ……この香り」
「間違いなく、これは味噌汁じゃ……」
「また、これが食べられるなんて……何とありがたき巡り合わせよ」
祖父世代や一部の親世代たちが浮かべた感動の表情に、この地で生まれ育った世代の者たちは、皆、いぶかしげな顔となったものである。
「間違いなく味噌汁っつったって、いつも味噌汁は食べてるじゃねえか?」
ある若者が、そう問いかけたように……。
このヒイヅル村において、味噌汁というのは馴染み深い料理であった。
運よく、肉や魚介が手に入った時は、それらを煮込み……。
そうでないなら、野菜の切れ端などを煮込んでスープとするのである。
だから、まさかボケでも始まったかと懸念してしまうのも、無理なきことであったが……。
「そうではねえ……。
今まで、お前らに食わせていたのは、味噌汁であって味噌汁でなきものよ」
「何しろ、かつお節も昆布もなかったからなあ」
「ちゃんとした出汁があるのとないのとでは、雲泥の差があるものよ」
入植第一世代の者たちは、各家庭でそのように語ったものであった。
「そんなものなのかねえ……」
孫やその味を知らぬ息子たちは、半信半疑といった表情で椀に口を付けたが……。
すぐに、目を見開くこととなる。
その理由は、至極単純。
「――美味え!」
慣れ親しんだはずの汁物が、まったく思いもよらぬほどに、美味な品へと変わっていたからだ。
味噌を溶かし込んでいる以上、当然ながら、主体となるのはその風味である。
だが、今までのそれは……特に、肉や魚介を煮込んでいたわけではないそれは、味噌の味ばかりが独り歩きする、まさに『汁』と呼ぶしかない代物であった。
対して、これはどうか……。
かつお節が持つ、純粋にして力強い魚の旨味……。
さらには、それを昆布の奥深い旨味が下支えし絡み合うことによって、ただ味噌が溶け込んだだけのお湯ではない――スープへと昇華させているのである。
多くの家庭では、これに実として野菜の切れ端や、あるいは豆腐……場合によって納豆などを入れていた。
ただ、それだけの、実に簡素な具材……。
これが、驚くほど米を盗む。
それぞれの具材は、味噌と出汁の味をよく吸い込み、あるいはまとっており、これを食すると、どうしようもなく米がかき込みたくなるのである。
――ズズ。
――カッ! カッ!
いずれの家庭でも、いつの間にか各々が無言となり、ひたすらに汁をすするか、あるいは飯を頬張った。
そうする内、どこの家においても、入植を果たした第一世代の者たちに変化が起きたのである。
「うっ……くっ……」
「親父……」
「爺ちゃん……泣いてるの?」
長き旅を経て、この地に根付くことへ成功した者たち……。
普段はそのことに堂々たる誇りを抱き、次世代の者たちを半端者として扱うこともままある彼らの頬に流れたのは、熱いものであった。
「これが……泣かずにいられるか」
「故郷の……故郷の味がここにある」
「持ち帰ってくれたゲンノさんには、感謝するしかねえ」
厳密にいえば、これは故国の味ではない。
まず、米の品種からして異なり、水田を用いぬ陸稲は細長く、記憶にある故郷の米と比べれば、粘りなどが物足りなく感じられた。
また、家庭によっては味噌汁の実として浮かんでいるキャベツなども、故郷には存在しなかった野菜である。
だが、これは――懐かしき味だ。
どうしようもなく、魂の奥深くに刻み込まれ、しかして、二度と会うことはないだろうと諦めていた味なのだ。
「くっ……うっ……」
やがて……。
子も孫も、何も言わず見守るだけとなった。
かくして、この日、ヒイヅル村の年長者たちが口にした味噌汁は、ややしょっぱく……。
そして、終生忘れることのない味となったのである。
いずれ描写しますが、とうもろこしやじゃがいもが存在するのは、新大陸に該当する大陸と、惑星北部で地続きになっているからです。




