Menu15.出汁の深み その5
王都ナタシャが誇る市場というものは、常に活気で溢れており、まして早朝の今時ともなれば、絶え間なく人と物とが行き交い、経験のない者が立ち入れば、大げさではなく命の危険が伴うほどである。
かような状況であるから、訪れた人々は常にせかせかと動き回っており、まるで回遊魚かと見紛うほどなのだが、そんな彼らが、珍しくも足を止めている一角が存在した。
他でもない……。
東方貿易会社が、最近になって買い上げ、改装した新店舗である。
出入り口以外を書き割りにするという大胆な手法により、王都の市場内でありながら遥か異国の商家を再現するに至ったそこは、一見では、何を扱う店なのか分からない。
ならば、看板を見てみればどうかと思えば、そこに書かれているのは、『カツオブシ』『コンブ』という聞き慣れぬ単語であるのだ。
――一体、それは何なのか?
数日前まで、好奇心と共に店を覗いた客が得たものは、失望の二文字であった。
「これなるは、ヒイヅルより持ち込まれし魔法の食材!
ちょいと削り取って、あるいは切ってやって、お湯に放り込む……。
すると、あら不思議! 上等なスープの出来上がりだ!」
そう言いながら、雇われ店主が手にしていたのは、奇妙な木片のごとき品と、すっかり水気というものの失われた海藻だったのである。
――とてもではないが、食べ物には見えない。
王国人の感性からすれば、嫌悪感すら抱く見た目の商品に眉をひそめ、足早に立ち去ったものであった。
今、そんな彼らが、同じ店舗の前に足を止め、興味深げに立ち見客となっている。
その理由は、二つあった。
一つ目は、今、店の入り口で客たちに呼びかけているのが、それぞれ系統が異なる三人の美女美少女であったからだ。
見ただけで高貴さが伝わる金髪の美女は、胸元が大きく開いた民族衣装――ディアンドルに身を包んでおり、あらゆる意味で男たちの視線を奪う。
侍女服に身を包んだ素朴な少女は、一挙一投足が実に洗練されており、彼女に声をかけられると、まるで貴族にでもなったかのような気分が味わえた。
最後に……最も異彩を放っているのは、黒髪の少女である。
おそらくは――異国の出身。
王国人のそれとは少々色合いの異なる黒髪は、見事に艶めいていて、いかな上等な生地にも劣らぬ魅力を感じられた。
身の振る舞いや声音は、他二人に比べると品格というものに欠けているきらいはあったが、その分、太陽のごとくはつらつとしており、腕や足が大胆に露わとなった装束がよく似合っている。
総じて、掃き溜めに舞い降りた天使と称すべき三人であり……。
日夜、熱き衝動と共に売り買いをしている男たちが足を止めるのは、至極当然のことなのであった。
理由の二つ目は、店の入り口へ設営された簡素な調理場にある。
いや、これを調理場といって、よいものか……。
ただ、机を並べ、携帯用の焜炉を設置しただけの代物なのだ。
「みなさーん!
どうか、ほんのちょっとでいいので、足を止めていって下さい!
ここで扱う品々、知らぬは損損!
今日は、東の国からやってきた、とっても便利で美味しい食材をご紹介します!」
黒髪の少女が、元気に声を張り上げる。
ただ、おそらく商売などの経験はないのだろう。
その頬は、衆目を前に大声を上げるという行為への羞恥心に赤く染まっており、それがかえってかわいらしく思え、男たちの足を止めさせること成功していた。
「こちらのお店で扱いますは、こちら――カツオブシと、コンブです。
こうして見ると、何とも不気味といいますか……食べ物には見えませんね?」
次いで、侍女服の娘がそう告げると、立ち止まった者たちの間からくすりとした笑いが漏れる。
自分たちが扱う商品に対する、あけすけな言葉……。
しかし、それは男たちからすればまったくの同感であったので、共感の笑いが出たのだ。
「ですが、その身に秘めた味は決して侮れません。
まず、このカツオブシ……。
このように、削り出しまして」
最後に、金髪の美女がそう言いながら、見事な手さばきでナイフを扱う。
鋭く研ぎ澄まされた刃は、カツオブシとやらを極薄に削り取っていき、用意した器へと溜まっていく……。
やがて、十分な量に達したかとみると、彼女が鍋を取り出した。
この、鍋……。
よくよく見れば、単に水を張っているだけではなく、中に切り出したコンブとやらが沈められている。
「そして、こちらはあらかじめコンブを漬けておいたお鍋です。
時間にして、半刻といったところでしょうか?
これを、弱い火にかけていきます」
言いながら、美女が焜炉の上に鍋を置く。
炭の火が、しばし、鍋とその内部を加熱していき……。
男たちが見守っていると、沸騰の兆候を見せ始めた。
「……沸騰する直前に、コンブは取り出します。
そして、沸騰したならば火から離し……」
言葉通り、美女が敷き物の上に鍋を移す。
そして、その中に、先ほど削り出したカツオブシとやらを投入したのである。
「こうしてカツオブシを入れ、鍋底に沈むまでそっと見守ります。
そして、沈んだならば……」
侍女服の娘が、布が被せられたボウルを差し出す。
金髪の美女は、そのボウルへ、そっと……実に密やかな手つきで、鍋を傾けたのであった。
「……こうして、そっと漉してあげます。
これで、スープの完成。
あとは、好みの野菜などを入れてもいいでしょう」
「これで、スープが?」
「本当にか?」
見ていた男たちが、互いを見交わしながら、そのような言葉を漏らす。
今、見たもの……。
それは、何ならば子供にもできそうなほど簡単で……あっさりとした手順であったのだ。
「さあ! 見ているだけなんてつまらない!
どうか、皆さん! これを味わってみて下さい!」
黒髪の少女が、そう言いながら味見用の小皿に完成したスープをすくった。
何枚も用意された小皿は、男たち全員が味見するに十分な枚数である。
「よし、なら俺が」
たまたま訪れていた旅商の一人が、挙手して前に踏み出す。
「さあ、どうぞ」
「ああ……」
そして、少女から受け取った小皿の中身を――舐めた。
瞬間……。
旅商の口内を満たしたのは、カッと目を見開いてしまうほどに、濃密な旨味の奔流である。
どこまでも純粋に、研ぎ澄まされた魚の旨味……。
それが、もう一つのやわらかな……それでいて、劣らぬ力強さを持つ旨味に下支えされ、共に交わり合うことで、さらなる高みに昇華しているのだ。
「……美味い」
そう、言うしかない。
「どれ、俺も」
「こっちにもくれ」
こうなると、他の男たちも黙ってはいられない。
鍋の前へと殺到し、次々と試食をしていく。
そして、誰もがこの……野菜の切れ端すら浮かんでいないスープが持つ味わいに圧倒され、感心したのである。
そこに、出汁を取るため使われた食材への嫌悪感は、もはやない。
代わりに見い出だしたのは――逃せぬ商機。
「この、カツオブシとコンブとやら……。
――十だ!
十ずつくれ!」
「こっちにもだ!」
「見たところ、乾物だし、相当に日持ちするんだろう?」
男たちの内、特に遠方へ商いに出る者たちが、こぞってこれを買い求めた。
内陸部へ持っていく商品として、鉄板なのは棒ダラなど魚介の干物であったが……。
このカツオブシとコンブは、それに劣らぬ魅力が秘められていると直感したのだ。
一つあたりの値段はなかなかのものだが、十分な利益が見込めるに違いない。
「はい、お買い上げありがとうございます」
「出汁の取り方も、合わせて伝えてあげてくださいね」
娘たちが、次々と男たちにこれを売り抜いていく。
こうなると、人が人を呼ぶもので……。
昨日まで閑古鳥が鳴いていた店は、たちまち繁盛したのである。
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「このような売り方があったのだな……」
やや離れた場所から見守っていたヴァルターは、目にした光景に深く感嘆し、腕を組んだ。
「え、へへ……。
故郷で、ガマの油なんかを売っていたやつらがよくやっていた手でね。
こう、軽く腕を切って、そこに塗ってやることで効力のほどを見せる。
こいつは、その応用でさ」
隣に立つヒイヅルの老人――ゲンノが、そう言ってしてやったりという笑みを浮かべる。
「出汁に売り方……。
今回は、東方のやり方に関する見識が深まったな。
あなたには、どうお礼をすればいいか……」
「なあに、礼ならもうもらってます」
尋ねる自分に返ってきたのは、意外な言葉だった。
「何しろ、うちの孫はせっかく買ったかわいい服を、ちっとも着ようとしねえんだから。
今回は、よい機会でしたよ」
「なるほど……。
上手く、ダシに使われたわけだ」
老人のしたたかさには、肩をすくめる他なかったのである。
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