Menu15.出汁の深み その4
「さすがは、アウレリア様がお考えになった店だ。
小さいながらも、必要なもんをきちりと揃えてらっしゃる」
そう言って、シュロスの厨房を見回した後……。
久しぶりに顔を合わせた師――ゲンノが見せたのは、実に意外な……あっけないとすら思える技法の数々であった。
沸騰させた鍋の火を止め、削ったカツオブシを入れ、しばし放置する。
そして、それを漉すことによって出汁が完成してしまうのだ。
「大切なのは、漉す時に絞ったりしちまわないことです。
欲しいのは、あくまで純な旨味……。
雑味というものは、必要がない」
ゲンノが、そう言ったように……。
完成したこれを試食すると、口の中へ広がったのは、あまりに純粋な――それでいて、奥深い旨味の奔流である。
味付けに、塩すら用いていない。
だというのに、かつおという魚の肉に眠っていた旨味が、これでもかというほど濃密に引き出されており……。
ただこれだけで、一つのスープとして完成しているとすら思えるのだ。
コンブの方は、もっと驚きである。
しばらく……感覚としては、半刻ほどか。
それだけ鍋の中でコンブを水漬けにした後、火にかける。
そして、沸騰しそうになったところでコンブを取り出せば、完成だ。
あるいは、火にかけた鍋の中へ、軽くコンブをくぐらせるだけなのであった。
それでいて、いざこれを実食してみると、やはり、しっかりとした旨味が抽出されているのである。
こちらは、カツオブシのものに比べると、やや貞淑で奥ゆかしい……。
しかしながら、しっかりと舌に根を張り、料理の味を下支えすると思える旨味であった。
「……わたしが作ったミソスープは、不要な雑味までを大いに出してしまっていたのですね」
試食が終わり、匙を置いてから、溜め息混じりにそうつぶやく。
「こいつは、おらたちヒイヅルの人間が長い時をかけて、これぞと見い出した技法です。
そうと知らぬ人間が辿り着くには、それこそ生涯をかけるくらいの時間か、あるいは類稀なる発想の転換が必要かと」
ゲンノが、そう言いながらカカと笑う。
ヒイヅルの料理人であった彼にとって、これら食材は慣れ親しんだものであり、あるいは、醤油や味噌などと並んで、料理体験の根幹であったに違いない。
それを褒められ、感心されるというのは、きっと、自分自身がそうされたかのように誇らしいのだろう。
「でも、本当に驚きです。
普通、ちゃんとしたスープを作るには、たくさんの食材と長い手間が必要なものなのに……」
つぶやくマルガレーテが連想しているのは、例えば、コンソメスープなどだろうか……。
かのスープは、実に様々な食材を煮込み、三日はかけて完成させる。
どこまでも澄み切った味が広がる琥珀色のスープに、今食したただの出汁汁は……劣っていない。
と、いうよりも、肉や骨の旨味を引き出す王国式のそれとは優劣付けがたく、並び立っていると感じられるのだ。
「確かに、調理場でかける手間は、あっけないくらいに簡単なものです。
ですが、このかつお節も昆布も、この形で完成させるまでには、実に様々な手間がかかる。
言ってしまえば、苦労の先取りをしているわけですな」
「何で爺ちゃんが誇らしげなのさ」
目を細め、これら食材の作り方へ思いを馳せる老人に、孫娘が白い目を向けながらつっこむ。
こういったやり取りを見ていると、祖父に連れられて料理を学んだ幼き日へ、回帰したかのようだった。
「これで、カツオブシとコンブの扱い方は分かった。
と、いっても、今日教わったのは、本当に初歩の初歩。
チェスでいうなら、最初にクイーンとピショップの利き筋を開くようなものでしょうけど」
そう言った自分に、東方料理の師がうなずく。
「まだまだ、出汁の取り方というものは様々に存在します。
このゲンノ……知り得る限りの全てを、アウレリア様にご教授いたしますぞ」
「ありがとうございます。
……ですが、問題はこれを、どうやって売るかなのです」
「これを……」
「売る……?」
自分の言葉に、ゲンノとシズルが顔を見合わせた。
そんな彼らに、先日の一件を話したのだが……。
ゲンノは、いまいち納得がいかないような顔となり……。
対して、シズルの方は、大いに納得したという顔になったのである。
「それは、確かにそうでしょうね。
アウレリア様たちの前だから顔には出さなかったけど、あたいも初見では、かなり不気味な品に思えましたし」
「そ、そうなのか?」
孫の言葉に、ゲンノがうろたえる。
おそらく、故国の誇りともいえる食材が、このような方向からけなされるとは、思いもよらなかったに違いない。
「ですが、実際に出汁を取ってみれば、これは何とも奥深い食材……。
これほどの品が、実際に世へ出る機会を得ているというのに、人々に良さが伝わらぬまま埋もれてしまうというのは、何とももったいのない話です。
わたしは、是非、この味を広く人々に伝えたい……。
また、それでこそ、食文化の普及を願った亡き祖父の願いを叶えることにつながりましょう」
決然と言い放つと、三人の顔が引き締まった。
マルガレーテは元より……。
ゲンノにしても亡き祖父は大恩ある人物であり、あまり面識のないシズルも、ヒイヅル村の人々を救った恩人であることは、よくよくわきまえているのである。
「ですが、問題はどうやってこの良さを知ってもらうかですね。
見た目は少し異彩を放っていても、実際にこの味を知り、便利さが分かってしまえば、きっと売れると思うのですが……」
マルガレーテの言葉に、シズル共々腕を組む。
せめて、一口……。
この出汁を味わってもらえば、必ず第一印象の悪さは払拭され、購入につながるはずだ。
しかし、その一口を飲んでもらうことの、何と難しきことか……。
そのようにして、娘三人で悩む一方……。
ゲンノのみは、何か考え事をしているようだった。
「あの手……使えるかもしれねえ」
そして、そう独り言を漏らしたのである。
「アウレリア様……。
おらが故郷で、商売人がよくやっていた手が、この場合は使えるかもしれませぬ」
上げられた彼の顔には、はっきりと光明が差していた。




