Menu14.給仕の価値 その4
まるで、嵐が過ぎ去ったかのような……。
カーヤ・ハンベルクが退店した後、シュロスに残った常連たちが抱いたのは、そのような気持ちであった。
「――まったく、もう!
なんなんですの!」
最初に口を開いたのは、フロレンティアである。
いついかなる時も、ある種超然とした余裕を持つ彼女であるが、今日ばかりは苛立たしげに拳を握っていた。
「まさか、今更になって……。
それも、マルガレーテ殿に的を絞ってくるとはな」
ヴァルターも、それにうなずく。
いつか……。
いつか、アウレリアの元実家であるハンベルク公爵家が、何らかの物言いをつけてくる日はあるかもしれないと、思ってはいた。
しかし、それはこのシュロスという店が、アウレリアの小遣い――言ってしまえば、公爵家の金を無断で使用し開かられた店であるからで、文句を言ってくるならば、そこであると考えていたのである。
ヴァルターとしては、もし、そのようなことがあったならば、アウレリアが開業に使った金を堂々と……それも上乗せした上で、公爵家に渡すつもりであった。
アウレリアが自分に借金を負う形とはなるが、利息を取るつもりはないし、少しずつ気長に返してもらえば良し。
要するに、金で解決できる手合であると、タカをくくっていたのである。
が、実際はこのように、思わぬ切り口から手を出してきたわけだ。
甘く見ていたわけではない。
おそらく、これは現ハンベルク公爵ではなく、あのカーヤという少女が主体となって動いている。
思わぬ伏兵が、いたということだ。
「あのカーヤという娘……。
姉とも、そして父母とも似ていないな。
何やら、ひどく独特なものの考え方をする娘だ」
謎の仮面戦士――ホースオーガ仮面が、がしゃりと鎧を鳴らしながら腕を組む。
……この人、現ハンベルク公爵家夫妻と知り合いなのだろうか?
「だが、屁理屈じみてはいるが、理屈は通っている。
貴族家の内情に明るい奉公人が辞めるというならば、相応の手続きというものが必要だ。
もし、訴えでもされたら……。
退けるのは、難しいかもしれん」
「当の本人が辞めたいと言っているのに、神判を務める神官たちはそれを認めないと言うんですの?
この国の法は、どうなっているのです!」
ホースオーガ仮面の言葉に、フロレンティアがそう言って噛みつく。
だが、こればかりは仕方がないことなのだ。
「例えば、手足を縛った上で水に放り込み、浮かんでくるかどうかで罪を見定める……。
そのような、理も何もない野蛮な神判が廃止され、現在の神判法が制定されたのは、ほんの百年ほど前でしかない。
そして、当時この制定に関わったのは、ミロス教のみならず、隆盛を誇っていた王家と貴族家だ。
法というものは、往々にして、制定した側が優位になるよう作られるもの……。
神ならぬ人間が作る以上、万民に平等な法などありえず、こればかりは受け入れる他にあるまい」
かつての冒険で、渡り歩いた諸国……。
それら国々で目にした、様々な裁きの形態を思い出しながら語った。
王侯貴族に優位な形とはいえ、きちんと法が整備されているだけ、ハイデルバッハ王国は先進的な部類だ。
何もかもが、権限を持たされた者の裁量次第……。
あるいは、何らかの儀式に、咎があるか否かを託す。
そのような国は、決して珍しくない――むしろ、多数派なのである。
「だが、売り言葉に買い言葉という形ではあったが、フロレンティア殿のおかげで、料理を用いて判断させるという形になった。
問題は、給仕によって料理が昇華されると、客観的に証明するという点だが……」
そこで、今回の当事者――マルガレーテと、その主アウレリアに目を向けた。
「何か、妙案はあるだろうか?」
いつも、思いもよらぬ発想で美味なる料理を生み出すアウレリアのことだ。
今回も、何か意外な着想を持っているのではないかと、期待したが……。
「……正直に申しますと、何も思いつくところがありません。
マルガレーテは給仕としてよく働いてくれていますし、これ以上の働きを、しかも、誰が見ても納得いく形でとなると……」
「あたしも、これといって考えは……」
主従揃って、困った顔になりながら答える。
「ふぅーむ……」
こうなると、打つ手というものが思いつかない。
「ひとまず、マルガレーテと二人で考えてみます。
それと、フロレンティアさん。
審査をして下さる方なのですが……」
「おーほっほっほ!
ご安心あそばせ!
すでに、ぴったりの人物が思い浮かんでおりますわ!
間違いなく来て下さるでしょうし、公明正大さにかけては、万人が認めてくれることでしょう!」
アウレリアの言葉に、フロレンティアが力強く請け負う。
それで、ひとまずは解散ということになり……。
ヴァルターたちは、店を後にしたのである。
--
客たちが帰ってしまうと、店内に残るのは自分とアウレアだけであり……。
小さな店の中が、重苦しい沈黙に包まれた。
「……とりあえず、ご飯にしましょうか!
お腹が膨れれば、何か良い案が思い浮かぶかもしれないわ!」
そう言って、アウレリアが手早く作ってくれたまかない……。
それは、クリームパスタであった。
特徴的なのは、何といっても乗せられた生ハムであろう。
まるで、花が咲くかのように……。
キャベツを具材としたクリームパスタの上へ、生ハムが美しく盛り付けられているのである。
「アウレリア様、これは……」
「こういう時にこそ、美味しいものを食べて力をつけなくちゃ」
「……ありがとうございます」
主人の気遣いに感謝して、二人でテーブル席に着く。
このクリームパスタは、ただ豪華な食材を使った馳走というだけではなく、主従にとって特別な品であった。
何故ならば……。
「こうして、このお料理を食べていると、小さな頃のことを思い出すわね。
マルガレーテったら、厨房のハムが余ってるからって持ってきて、わたしのお皿にどっさりと盛り付けてしまうんですもの」
「あれは……。
何といいますか、美味しいものをたくさん乗せたら、それだけ味も増すと思ったといいますか……」
幼き頃の不明に、赤面しながら答える。
無論、何事にも程度というものがあるわけであり……。
「ふふ……。
わたしが慌てて、『もうやめて!』と言った時には遅くて、クリームパスタというよりは、ほとんどただの生ハム盛り合わせになってしまったのよね。
パスタの役割は、ハムの付け汁」
「もう、本当にいじめないで下さい……。
あの時は、本当に悪いことをしてしまったと思っているんですから……」
主からのからかい……。
それは、実に心地の良いものであった。
自分のせいで、この店に……ひいては、アウレリアへ迷惑をかけてしまったこと。
それに対して、気にすることはないと言外に告げ、気分を変えさせてもくれているのである。
「あら? そんなに気にする必要はないのよ?
あの時、『美味しい』と言ったのは、何もあなたを気遣ったわけではなく、本当に……」
その時……。
フォークを扱うアウレリアの手が、止まった。
「アウレリア様……?」
「しっ……!」
尋ねる自分に、尊敬すべき女主人が人差し指を立てて制する。
まるで、今、何か会話をすれば、脳裏に浮かんでいた種火が消えてしまうかのような……。
これは、そういった態度であり、考え込むアウレリアの顔は、真剣そのものであった。
やがて、考えがまとまったのだろう。
アウレリアは、顔を上げるとこう言ったのである。
「マルガレーテ……。
幼き日の失敗が、今のあなたを救うかもしれないわ」
「あの時の失敗が……?」
問いかける侍女に女主人が見せた笑みは、強い自信を感じさせるものであった。




