Menu14.給仕の価値 その2
王都ナタシャにおける主たる交通手段としては、徒歩の他に馬や馬車、そして、力車が存在する。
車夫の手によって引かれる力車の利点は、何といっても、操作の精密性にあるといえるだろう。
いかに、巧者ならば人馬一体足り得るとはいえ、馬というものは動物であり、想定外の挙動をする事態というのは、ままあった。
その点、人間が自ら引く力車であるならば操作性に問題はなく、歩行者が多くなるような場所……例えば、夜の飲み屋街のような場所であっても、通行が許されるのだ。
とはいえ、あくまでも許されるというだけであって、実際にこれを利用する人間は少ない。
離れた場所から急ぎ参ずるならば、馬で駆けつけ最寄りの預かり馬房にこれを託せばよいし、それほど急ぎではなく、また遠方から足を運ぶのでなければ、徒歩で訪れればよい。
要するに、何ともどっちつかずな立ち位置の乗り物であり、あえて飲み屋街でこれを使うのは、己の権力や財力を誇示したいか、あるいは純粋に足腰の弱い者なのである。
そして、今宵、シュロスに力車で訪れた人物こそは、まさしく前者であった。
「少し騒がしいので、様子を見てきます」
夜の飲み屋街というのは、昼間のそれとは比べ物にならないくらい騒がしくなるものであるが、シュロスが存在するような片隅になると、さすがに静かなものである。
それが、にわかに騒がしくなったとなると、表の様子が気になるのは当然であった。
何しろ、フロレンティアとホースオーガ仮面はすでに来店し、料理を楽しんでいる最中であり…。
彼女ら以外で道行く者たちを騒がせる存在など、これは心当たりがないのだ。
ゆえに、ドアを開け、表の様子を見てみたのだが……。
そこに停まっていた力車を見て、硬直する。
シュロスの前に停まっている力車……。
これは、一般的な造りのそれではない。
通常、王都で商売している力車は、それぞれが所属する商会ごとに特徴的な意匠や塗装を施されている。
だが、これなる力車には、それら商会運営の力車に存在する特徴が一つとしてなく……。
代わって、さる貴族家の家紋が大きく描かれているのであった。
そして、マルガレーテはこの力車にも、これを引いてきた車夫にも、見覚えというものがあったのである。
――ざわ。
――ざわ。
シュロスの前に野次馬が集まってきたのは、物珍しさのみが理由ではない。
何しろ、今現在も店を開いている他店舗の店主までもが、駆けつけているのだ。
きっと、彼らは力車の家紋を目にしたに違いない。
何しろ、王国に貴族家は数あれど……。
この家紋を掲げし貴族家は、国内で最も有名な……それでいて、有力な貴族家の一つなのである。
しかも、シュロスの店主であるアウレリアが、つい先日まで籍を置いていた実家なのであった。
――ハンベルク公爵家。
この力車は、かつて奉公していた貴族家保有のそれである。
また、公爵家において、この乗り物を好んで使用していた人物といえば……。
「……お出迎え、ご苦労様。
このような場所で働くようになっても、当家で受けた教育は生きているようですね」
力車の中……。
雨よけの覆いに隠された客席から、聞き慣れた少女の声が響く。
それを受けて、護衛も兼ねている車夫が、きびきびとした動きで覆いを跳ね上げた。
顕わになった、客席の少女……。
彼女は、実にかわいらしい貴族令嬢である。
本来ならば肩口まで垂れる長さの金髪は、後頭部で馬の尾がごとく結い上げられており、それが、十代半ばにふさわしい活動的な愛らしさを演出していた。
身にまとった装束は、初夏へと移行しつつある季節を反映してか、やや薄手の布地を使ったそれだ。
だが、造りに手を抜いている箇所は一切なく、軽装気味ではあれど、公爵家令嬢らしい華やかさと豪華さが同居している。
顔の造作も、可憐の一言。
しかし、かわいらしい少女には目のないマルガレーテが反応しないのは、その表情や目つきが、どうにもとらえどころのない……。
どこか作り物めいた、無機質な代物だからであった。
「あなたは、ここに待機していなさい」
少女に手を貸し、力車から降ろしてやった車夫が、無言のままにうなずく。
そうして地に降り立ったご令嬢は、野次馬として集まった人々へ振り向き、優雅な一礼と共にこう告げたのだ。
「ご機嫌よう。
皆様をお騒がせしまして、誠に申し訳ありません。
ですが、ご安心下さい。
決して、何か揉め事や厄介事を起こしに来たわけではないこと……。
カーヤ・ハンベルクの名において、誓わせて頂きます」
少女――カーヤは、そう言うとマルガレーテの方に振り向いた。
「それでは、マルガレーテ。
お姉様の所に、案内してもらおうかしら?」
まるで、それが当然のことであるかのような……。
有無というものを、言わせぬ口調であったのである。
--
事情を知らぬ野次馬たちも……。
あるいは、アウレリアの出自を知っていて、実家が何か因縁をつけに来たのかと心配して駆けつけた者たちも、ひとまずは解散し……。
マルガレーテは、カーヤを店内へと案内することになった。
「カーヤ……!」
妹の顔を一目見たアウレリアの反応は、複雑なものである。
それもそうであろう。
この妹が、シュロスについて第三王子に密告したからこそ、親愛なる女主人は実家から追放処分を受けるに至ったのだ。
それが、わざわざ自分からこの店に姿を現した……。
そこに、何らかのよからぬ企みを汲み取れぬ者など、いようはずもない。
「あら、カーヤじゃないの?」
「む……ハンベルク公爵家の次女か」
すでに食事を終え、食後のお茶を楽しんでいたフロレンティアとホースオーガ仮面が、入り口を見てそう漏らす。
……フロレンティアは当然として、この怪人物もカーヤの顔を知っているのだろうか?
「フロレンティア様……と、見知らぬ戦士様。
お食事中、失礼いたします。
何分、当家の事情が絡む事柄ゆえ、しばし、騒がしくすることをどうかお許しください」
トンチキ二人を前にしても動じることなく、カーヤが優雅なお辞儀をしてみせる。
何を見ても、何に対しても動揺するということがない。
それが、カーヤという少女の一種不気味な点であった。
「カーヤ、一体どうしてここに……?」
「まあ、ここがお姉様がお爺様の遺言を叶えるために作ったお店ですのね。
まるで、当家や王城の食堂を、そのまま持ち込んだみたい……。
とても、素敵です」
姉の質問には対えず、カーヤがにっこりとした笑みを浮かべてそう告げる。
この少女は、アウレリアに対してのみは年頃の少女らしい表情を見せるものであり、かつては、それがほほ笑ましくも思えたものだ。
今は、違う。
カーヤの笑みに、マルガレーテはどうにも不吉なものを感じ取ったのであった。
「お姉様……まずは、お詫びをさせて下さい。
この、お姉様が作り上げた夢のお店……。
そのことについて、あたしが口を滑らせなければ、お姉様が家を追い出されることはありませんでした」
――ぬけぬけと。
そう思っても、口には出さない。
何しろ、尊敬すべき主人でありアウレリアは、純真そのものな人柄であり……。
「……まあ、そうだったの」
妹の言葉を受けて、心底からほっとしたような……おだやかな笑みを浮かべていたのである。
「でも、気にすることはないわ。
色々あったけど、わたしはどうにかここでやっていけている……。
今、とても幸せなのよ」
「お姉様……それを聞いて、カーヤは心より安心しました」
言葉通り、ほっとしたような笑みを浮かべて、カーヤが姉に告げた。
そのまま、続けて口を開く。
「その上で、お願いしたきことがございます」
「お願いしたいこと……?
一体、何かしら?」
カウンター越しにアウレリアが尋ねると、カーヤがちらりとこちらを見る。
そして、目線を姉に戻し、こう言ったのだ。
「ここで働いているマルガレーテを、公爵家に戻して頂きたく思います。
当家は、彼女が離職することを認めておりません」




