Menu13.謎の大豆料理と謎の仮面 その3
平和な時代となって久しい昨今であるが、さりとて、油断をすればたちまち他国に食われるのが世の習いである。
国家間に真の友情というものは決して存在せず、その付き合いというものは、常に裏切りを前提としたものでなければならないのだ。
それゆえ、このハイデルバッハ王国においても、平時でありながら常に戦い続けている者たちが存在した。
――間諜。
……である。
彼らの働きが表に出ることは決してなく、従って、騎士が手にするような栄誉を掴むこともまた、決してない。
しかし、常に内外の動向を探り、災いを未然に摘み取る彼らの存在あってこそ、王国の民たちは平和を享受できているのだ。
「……やはり、アウレリア嬢が開いたという店であったか」
そんな間諜の一人……。
大急ぎで呼び出され、ヴァルターたちの行き先を特定してきた女の報告を自室で受けながら、クリストフはそうつぶやいた。
女は、場内で立ち働く侍女たちと同様の侍女服を身にまとっているが、しかして、その顔を普段城内で見かけることは決してない。
で、ありながらも、ここにいることが当然のような……まるで何年も城内で働いているような雰囲気をかもし出せているのは、さすがという他にないだろう。
「突然、呼び出して東方貿易会社の社長を尾行させるとは……。
しかも、特定したその行き先は、かつて弟君の婚約者であったアウレリア嬢の開いた店……。
恐れながら、一体、何が起ころうとしているのですか?」
緊迫に満ちた声音で、女間諜がそう尋ねてくる。
それで、ただ尾行してこいとだけ告げ、尾行させた目的自体は告げていないことに気づいた。
「ん? いや、ただ彼らがどこで食事をするのかだけ、知りたかったのだ」
「は……?」
女間諜が、がく然とした表情になる。
――あんた、そんなことのために忙しいあたしらを動かしたのか?
その顔からは、そんな感情をありありと読み取ることができ……。
ゆえに、クリストフも苦笑いを浮かべながら金子を取り出したのであった。
「済まなかったな。
まさか、王族自らが尾行などするわけにもいかず、さりとて、当人たちに聞くのもはばかられる状態だったのだ。
愚弟の行いによって、ヴァルターと王家は少しばかり折り合いが悪いのでな」
その愚弟――オスヴァルトは、王国優駿が終わるなり、一足先にこの城へと帰っている。
考えるに、自分が念願の優駿優勝を果たせず、不機嫌になると思ったのだろう。
まったくもって、浅慮なことであった。
そして、その浅慮な弟によって、自分は少しばかり困った事態に直面しているのである。
「これは、今回の働きに対する礼だ。
遠慮なく取っておけ」
「これは……ありがたく頂戴いたします」
手づからに渡した金を、女間諜がうやうやしく受け取った。
現在、王家の財政はひっ迫しており、クリストフとて、自由に動かせる金はそう多くない。
だが、私事で動かした以上、こういった心づけは必要不可欠であると心得ていた。
「さて、問題の料理を出すのがどこの店かは、これで分かった。
分かった、が、どうしたものかな……。
オスヴァルトめが無用に敵対してくれたおかげで、その店には入りづらい」
あごに手を当て、考え込む。
弟の不始末は兄の不始末であり、オスヴァルトが散々に喧嘩を売っている以上、のこのこと顔を出すのははばかられる。
だが、クリストフの好奇心は、どうしてもヴァルターらが語っていた料理を目にしたい、食べてみたいと訴えていた。
「む……?」
ふと、部屋の片隅を見やる。
そこに飾られていたのは、クリストフの身体にぴたりと合うよう調整された鎧だ。
さる貴族家から誕生祝いに贈られたものの、あまりに攻めすぎた意匠の品であるため、部屋を賑やかせるに留めていたが……。
「これを使うか……」
「正気ですか……?」
つぶやいた自分を、女間諜が若干引いた目で見つめた。
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遥か東方でよく食されているという、大豆を使った料理……。
それは、物珍しくも大変に美味なもので、激走の後で疲れ果てたライシを大いに満足させるものだったのである。
「いや、最初に見た時は驚きましたが……。
これは、実に美味いですね。
大豆というのが、飼料や油に使うだけでなく、料理に用いてもこんなに美味いものであることを、僕は初めて知りました」
普段は節制のため、あまり酒は飲まないライシであるが……。
今日ばかりはそれを解禁し、ガラスジョッキ片手に感想を漏らす。
「いや、はや……まったくその通り。
あの豆に対する、ものの見方が変わってきますな。
これだけ美味いとなると、馬ばかりに食わせていてはもったいない」
自身と同じく勝利の立役者であるギードが、やはりジョッキを掲げなからそう言った。
「ふふん……。
実はですな。これまでハンベルク公爵家の独占事業であった大豆の栽培を、弊社の方でも請け負うという企画を考えています。
新たに東からの入植者も募り、王家から譲り受けた土地でもってこれを栽培する。
そのようにして生産量そのものを底上げすれば、いずれ、この食べ物が当たり前のように王国民の食卓へ並ぶかもしれない」
「となると、今日の賞金も?」
「ないならないで、どうにかしましたが……。
まあ、その頭金に足すでしょうな」
自分の問いかけに、若き実業家はにやりと笑いながら答える。
一つ野望を叶えたならば、すぐまた別の野望へとそれを繋いでいく……。
ヴァルター・ゲーベルスという男の道行きに途切れというものはなく、そうであるからこそ、この若さでこれほどの成功を収めているのだと思えた。
そんな風に、一同で今日の勝利を祝いつつ、新たな展望の話に花を咲かせていた時のことである。
「――失礼する」
ドアを開く音と共に、一人の客が姿を現した。
「いらっしゃいま……せ……」
それを出迎えたマルガレーテという名の侍女が、笑顔を凍りつかせたのも無理はあるまい。
シュロスという、この洒落た店に姿を現した者……。
それは、まさしく珍客と呼ぶにふさわしい装いであったのだ。
全身は、漆黒の鎧に包まれているのだが、その意匠があまりに……あまりに独自的なものである。
まず、肩部の装甲には、馬の頭部を模した飾りが施されており……。
当然のように、フルフェイスの兜も馬をかたどったそれであった。
どれだけ馬が好きなんだとツッコミたくなるが、特徴的なのはそれだけではない。
各部……鎧の下地となっている服には、人体を巡る血管のごとく、金糸の刺繍が施されており……。
それがまた、珍奇さとド派手さを際立たせているのである。
あまりに……。
あまりに異常な装いの戦士……。
彼は、仮面の下に隠れているのだろう口を開くと、こう言ったのであった。
「我が名はホースオーガ仮面!
ここで、大豆を使った珍しい料理が味わえると聞いて参った!」
――ホースオーガ仮面!
突然の怪人物来訪に、店内の空気が凍りく。
「な……あ……」
かつて、東に至る海を制し、その過程で様々な危険を乗り越えたヴァルターですらあ然としているのだから、その異常性が推して知れる。
――どうする?
――大声で周囲の人を呼ぶか?
――あるいは、俺たちでどうにか立ち向かうか?
店内には自分たちのみならず、何人かの男客もおり……。
皆で目線を交わし、意思を伝え合う。
――だが、問題はアウレリア殿がどうするかだ。
やがて、自然と全員の視線は店主――アウレリア嬢へと集まった。
玄関口には、トンチキな鎧をまとった怪人が佇んでおり……。
今か今かと、席への案内を待っている。
アウレリア嬢は、しばし逡巡したが……。
決断を下し、マルガレーテに目配せしたのであった。
「……大変、失礼いたしました。
どうか、こちらの席にお着き下さい」
――アリなんだ。
……全員、心の中でそう思ったに違いない。




