Menu13.謎の大豆料理と謎の仮面 その1
――まるで、国中の人間が集結したかのような。
王都ナタシャ郊外に存在する中央競馬場の賑わいは、後世にまで語り継がれるだろうと確信できるものであった。
何しろ、一部の者たちは前日から競馬場前に待機し、その場で夜を明かしながら待機していたほどであり……。
場内は満員御礼……のみならず、収容しきれない人間を収めるため、内馬場すらも開放するほどの有様だ。
軍馬養成という国家的事業の資金を集めるためため、王家はこの賭博を手厚く保護し、盛り立ててきたものだが……。
この光景は、まさにそれが実を結んだ結果であるといえるだろう。
競馬場に押し寄せた王国民たち……。
彼ら彼女らの目当ては、たった今、眼下で繰り広げられているような二勝級の馬による競争ではない。
無論、そこでも金は賭けられており、格の低い馬たちによる競争ゆえ発生する波乱を楽しむ者多数であったが……。
しょせん、そこに投じられるのはスッたところで惜しくないはした金であり、向けられる声援の熱も、どこか抑えたものとなっている。
この日に向けて用意した軍資金も、応援の熱量も、全てはこの後に行われる十一番目の競争に向けて温存されているのだ。
――王国優駿。
四歳馬たちによって行われる、世代の頂点を決める競争である。
距離は二四〇〇メートル。
これは、競走馬の速さ、持久力、精神面全てが問われる距離であり、まさに、頂点を決めるにふさわしい競争であるといえた。
特筆すべきは、その賞金額。
先代の王によって王国競馬が現在の形に整備された当初から存在する重賞であり、現在においても、あらゆる重賞の中で最大の賞金額を誇る。
競馬界において、賞金額の多寡は、そのまま栄誉に直結するものだ。
何しろ、それだけ多くの賭け金が投入され、多数の観客が押し寄せるというわけであり、王国優駿において勝利することは、戦場で百の敵兵を屠るに等しい名誉なのであった。
戦なき時代における最大の栄誉……。
そこに最も近いと言われている馬は、三頭いる。
競馬場内の場立ちに収まり、声を張り上げている予想屋たちがこぞってその名を口にしているのが、その三頭であった。
「さあ、まず注目するべきは、レデラー公爵家が保有するフォリヤーだ!
鞍上は同公爵が率いる黒騎士団の若手、シブ・ネベン!
前走のギニー杯を制したことで、実力は証明されているぞ!」
また、別の予想屋はこう叫ぶ。
「東への海路を制した男が、陸においても栄冠を掴むか!
東方貿易会社の社長ヴァルターが保有するパクトも忘れてはいけない!
しかも、騎乗するのは数々の名勝負を制してきた天才騎手ライシだ!
ギニー杯を回避したのは、この王国優駿に狙いを定めていたから!
関係者を集めての公開調教でも、名伯楽ギードによる完全な調整がうかがえたぞ!」
そして、予想屋たちが告げる三強最後の一角。
その馬を保有するのは……。
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「ふうん……。
見ろ、オスヴァルトよ。
これだけの人が集まる光景など、そうお目にかかれるものではないぞ」
王族のため、この中央競馬場に用意された特別な一室……。
そこでワインをくゆらせつつ、陶酔した口ぶりでクリストフはそう漏らした。
「集めれば、集まるものですね。
一体、今日一日で、どれだけの金が動くものなんでしょうか……」
隣の席に座った弟が、兄とは違い茶をすすりながらそうこぼす。
その感想は、先日、バカな散財をして少しばかり懐の寂しくなったこやつらしいものといえるだろう。
――あのようなバカをするから、貴様には多額の金を与えられんのだ。
それを口には出さず、ただ横目で弟を見やる。
いやしくも王族の身であるのだから、本来なら、キャベツごとき山と買ったところで、痛くも痒くもない額の小遣いを与えてもよかろうものだ。
しかし、父王や兄王子がそれをしないのは、下の弟がどうにも愚かであることを見抜いているからであった。
「さてな……。
まあ、金の流れに関しては、算用官たちががんばって算出することだろうさ。
それが、あやつらの仕事であり、それを果たさせるために、厳しい試験を課しているのだからな。
とはいえ、投じられる金が過去最高のものであろうというくらいは、わざわざ細かな計算をせずとも分かる。
今年の観客数は、過去最高のものだ」
時に、馬狂いとも称されるクリストフであり、当然ながら、毎年この王国優駿には足を運び、同じこの席から場内全体を見渡している。
その経験からすれば、観客たちの数が例年以上のものであることは、一目瞭然であった。
「とはいえ、だ……。
ここに押し寄せた観客たちの誰よりも、私は熱い勝負を楽しむことができる。
これこそ、馬を保有することの喜びよ」
――熱い勝負。
一般的な意味でいけば、誰が勝つか誰にも分からない、好勝負を差す言葉であろう。
しかし、今、クリストフが口にしたこれは、若干意味が異なった。
三強と目される他の二頭……。
そやつらが勝負を盛り上げ、その上で己の持ち馬が勝利を手にする……。
そういった意味で、口にしたのだ。
そう、クリストフは勝利を確信している。
「……ギニー杯を回避せざるを得なかったのは、残念でした。
もし、出走していたのならば、兄上の馬は間違いなく一冠目を手にし、今日この日に二冠目を手にしていたことでしょう」
「怪我で鼻血が出てしまったのだ。致し方あるまい。
だが、この王国優駿は万全の状態で挑むことができた」
俗に三冠とも呼ばれる競争の一つ、ギニー杯の出走回避について、自分でも意外なほど冷静にそう語った。
そう、重要なのは、この王国優駿だ。
馬というものに手を出したのが十五歳の時。
今年は、馬主生活十年の節目に当たる。
その十年で、王国優駿を制した経験は、一度としてない。
だが、くやしさに拳を握るのは今日で終わりとなる。
ここで自分の馬は最も栄誉ある賞を制し、国民たちにも、優駿を制するほどの馬を保持する王子として称えられるのだ。
「……勝てますか?
レデラーめの保有する馬はもちろん、あの成り上がり者……ヴァルターが保有する馬も、恐ろしき強豪と聞きますが?」
恐る恐るという態度で、弟が話しかけてくる。
そんな愚弟に、にやりと笑みを浮かべながらこう返してやった。
「ふふん……。
貴様が気になっているのは、ヴァルターの方のみであろう?
以前、やり込まれたのを相当根に持っているようだな?」
「それは……」
「まあ、聞け。
我が馬アーサーズビッグは、西方競馬を席巻した父に、我が国の重賞を七勝した母を持つ超良血……。
騎手を任せるのも、偉大な名騎手を父に持つ天才ラック・エバーだ。
はっきりと言おう……」
そこで一口、ワインを挟む。
己を酔わせるのは、この酒か。はたまた、近しき未来に掴み取る栄光か……。
これこそ――王者の余裕!
「にわかは相手にならぬよ」
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その後……。
クリストフが目にしたのは、まったく、信じられない光景であった。
直線を進む馬群の中、自身の持ち馬アーサーズビッグは、前二頭から完全に進路を塞がれた死に体であり……。
その実力を発揮する余地など、どこにも存在しなかったのである。
まさに……。
まさにこれは――前が壁!
「ふくながあああああっ!
――じゃなかった。
ラック・エバアアアアアッ!」
クリストフの悲鳴が、王族用の特別室に響き渡った。
(元ネタは違うレースだけど)許さんぞ。
許さんぞ。




