Menu12.飲み屋街のアウレリア その3
陽が昇ると共に……いや、その前から動き出し、人々が朝の支度を始める頃には、最盛を迎える。
市場の朝というものは、見知った王都の中にありながら別世界のごときものであり、何事においても人より物が優先される中においては、王城勤めの騎士といえども、我が物顔で歩くことはできない。
まして、部下たちと共にキャベツが満載された荷車を引いて慣れぬ中を歩いているのだから、この精神的疲労は、行軍訓練のそれよりも大きかった。
「また、あなたですか……」
しかも、辿り着いたその青果問屋では、面倒臭さと厄介さがにじみ出た声で店主がそう言い放ったのである。
「う、うむ……。
先日は、すまなかったな」
やや目を逸らしながら、そう答えた。
本来、平民が誇りある騎士にこのような口の利き方をするなど許されないし、こちらが下手に出る必要はない。
だが、どう考えても非はこちら側にあるため、騎士としてもこのような対応をする他になかった。
しかも、自分の背後で部下たちに任せた荷車では、新たに押し付けようとしている厄介事が山となっているのだ。
「それで、あのように強引な買い付けを行った後で、大変に心苦しい願いなのだが……」
自分の言葉を受けて、青果商がいぶかしげな眼差しを向けてくる。
と、そこで、自分の背後にある荷車へ気づいたのだろう。
彼の顔が、引きつった。
「あの、もしやと思いますが……その背後にあるキャベツの山は?」
「うむ……。
実は、先日に買い付けたキャベツなのだ」
「へ、返品は受け付けませんよ!」
そこからは、戦場で降る矢のごとき勢いだ。
青果商は必死の形相で、こちらが口を挟む余地もなく、次々と言葉を吐き出してきたのである。
「そもそも、ミロス教の催事に使うものだっていうのに、難癖つけて強引に買い取ったのはそっちじゃないですか!?
しかも、あれからもう二日も経ってるんですよ!?
分かりますか? 野菜っていうのは、根から切り離したその瞬間に死ぬんです。
恐れながら、騎士様は死んでから二日……いいや、ここへ仕入れる前を含めたら、それ以上だ。
それだけの長さを放置されたら、どうなりますか!?」
青果商の顔は、真剣勝負に挑む闘士もかくやというものだった。
それも当然だろう。
彼らは、キャベツ一玉でいくら、玉ねぎ一つでいくらという世界で商売をし、利益を得ているのである。
そこへ、大量の……しかも、見るからに鮮度の落ちた野菜を持ち込んで返品してくれなど、受け入れられるはずもない。
だが、騎士にこのことを命じたエルンストもそれは分かっており、今回、この青果商に頼むのは、厄介ではあれど無体な案件ではなかったのであった。
「いや、落ち着いて聞いてほしい。
別に、物を戻すから金を返して欲しいとか、そういう話ではないのだ」
「え、そうなんですか?」
青果商から、ようやく興奮が抜け落ちていく。
確か、先代のハンベルク公爵が東から持ち帰った言葉に、窮鼠猫を噛むというのがあったか……。
弱き者でも、追い詰められれば強者に牙を剥き、思わぬ手傷を負わせるという含蓄ある言葉であり、騎士の教えにも組み込まれている。
つい今の今までの自分は、まさに窮鼠を相手取った猫であり、彼がただのネズミへ戻ったことで、ようやく一息をつくことができた。
とはいえ、やはり厄介事を押し付けようとはしているのだが……。
「実はな……。
この大量にあるキャベツの扱いに困っていて……。
金はいらない。
いらないが、引き取ってもらいたいのだ」
「えー……」
自分の言葉に、いかにも嫌そうな顔で青果商が応じる。
ゆえに、こちらも伝家の宝刀を引き抜いたのだ。
「――第三王子オスヴァルト殿下の……。
ひいては、王家の命である」
--
「で、山ほどのキャベツが余っちまったってわけか」
飲み屋街の中心地……。
古くからここで営まれている酒場の前で、店主がそう言いながら腕組みをした。
ロンデンが裏の顔役だとすれば、こちらは表のそれであり、ひと声かけかければ他の店主たちも続々とここに集結してくる。
その際、忘れずにシュロスへ立ち寄り、アウレリアたちにも声をかけてくれたのは、仲間として認めてくれた証拠であり、嬉しくもなったが……。
そこに青果商が持ち込んだものは、全然嬉しくない代物であった。
「これは……かなり傷んでいますね。
生で食べるのは控えた方がいいでしょうし、火を通すにしても今日中が限度でしょう」
「ええ、根っこのところが真っ赤です」
キャベツの様子を確かめていると、マルガレーテもそう言ってうなずく。
この、キャベツたち……。
外側の葉は見るからにしなびており、根口の部分は充血した眼球がごとき色合いであった。
「正直、婚約を破棄されたこと……。
公爵家からの追放処分を受けたことに関しては、わたし自身にも一定の非があると思ってる。
もし、バレたなら、大きな問題になると分かった上で行動していたのだから……」
「アウレリア様……」
述懐する自分に、マルガレーテが痛ましそうな眼差しを向ける。
そんな彼女に、アウレリアははっきりとした意思を宿してこう告げたのだ。
「でも、農民の方々が丹精込めて育て上げたお野菜を、こんな風に傷ませてしまう……。
それは、絶対に許せないわ。
そんなことをする殿方と結婚しなくて良くなったのは、幸いね」
「アウレリア様……!」
マルガレーテが、ぱあっと顔を輝かせて自分を見た。
公爵家からの追放処分……。
そのことに、彼女がある種、自分以上の痛みを抱いていたことへ、気づかぬアウレリアではない。
これは、その巡りが不幸ではないこと……。
いや、むしろ、幸運に導かれたものであることを示す、絶好の機会だったのである。
「そうですね。
無体なことばかりして、こうやってその尻ぬぐいまで他者に押し付けて……。
そんな殿方は、アウレリア様にふさわしくありません」
「ふふ、ありがとう」
見つめ合う主従……。
その間へ割って入ったのは、飲み屋街の店主たちであった。
「その尻ぬぐい……。
もちろん、俺たちも手伝わせてもらうぜ」
「ああ、そもそも、あちらはアウレリアさんだけでなく、この飲み屋街そのものを巻き込んで喧嘩を売ってきやがったんだ」
「ロンデンさんも言ってた通り、面と向かって歯向かうわけにはいかねえがな……」
「てめえの無理難題なんざ、屁でもねえって見せつけてやるのは、悪かねえぜ」
「皆さん……」
この場所で出会った、素晴らしき隣人たちと顔を見合わせる。
まさに、万の味方を得た気分……。
貴族社会の中では、どうにも息苦しく過ごしていたアウレリアにとって、これは初めての経験であった。
「どうか、お力をお貸しください……。
いいえ……。
皆で力を合わせて、このキャベツを美味しく調理しましょう」
――おう!
男たちは、力強く応じてくれたのである。




