Menu10.ヴァルターとアサリ 後編
その夕方……。
シュロスの店先は、普段の静謐な空気とは打って変わった賑やかさとなった。
何しろ、レデラー公爵家の一団やロンデンが率いる一党など、潮干狩りに足を運んだ面子のことごとくが押し寄せる形となったのだ。
シュロスは、外観から内装に至るまでをこだわった造りとなっており、そのしわ寄せとして、客を収める収容力に関しては心許ない。
結果、苦肉の策として、店の前に空の樽などを設置し、簡易な椅子として対応することになったのである。
とはいえ、今日は誰もが休む安息日であり、この宴会は、店への発注というよりは、同じ時間を過ごした者たちによる打ち上げの側面が強い。
よって、いつもは格式高くもてなされる客たちも、今日は一丸となってにわかな野外宴会場の設営に協力し……。
潮干狩りの成果が、美味な料理となって生まれ変わるのを、ビール片手に待ちわびたのであった。
余談だが……。
この中で唯一の子供であるヨハンは、フロレンティアの担ぎ手を務める黒騎士や、ロンデンの手下である若い衆から存外にかわいがられ、皆でボウリングなどを遊んでいたものである。
父親であるゲルトは、レデラー家のとんちき集団や、裏社会の人間に接することを好ましく思っていないようであったが、あちら側も一線は引いている対応であったことだし、これも良き経験であろう。
「よし!
ストライクだ!」
ヴァルター自身もこれに混ざり、石畳の凹凸を見切った一投が決まり、ぐっと拳を掲げてみせた。
貧民街の浮浪児にとって、遊戯の選択肢などそう多くはない。
適当な玉とピンさえあれば楽しめるこのボウリングというのは、そういった数少ない遊戯の一つであり、ヴァルターも幼い頃から仲間とやり込んだものである。
「社長さん、やるなあ」
「ゲルトさんも、子供にいいところ見せてやらなきゃあ」
順番待ち……あるいは、観戦を決め込んでいた者たちが、そう言ってビール片手に騒ぐ。
だが、次の一投へ手番が回ることはなかった。
ヴァルターがピンを並べ直している間に、アウレリアの料理が完成したからだ。
「皆様、大変お待たせしました」
「こちら、アサリの酒蒸しとなります」
いつものシュロスならば、マルガレーテが給仕へ徹するのだが、今日ばかりはアウレリアもそれに加わり、全員へ料理を供していく。
「おーほっほっほ!
もう香りだけでたまりませんわ!
皆さん、アウレリアさんと、食器を貸してくれた周辺のお店に感謝し、とくと味わってくださいませ!」
……なぜか、それにフロレンティアも加わっていたが、まあ、今日は何でもありということだろう。
「どうぞ、ヴァルター様」
「ありがとう。
自分たちで獲った食材だと思うと、また格別だな」
アウレリアから深皿を受け取り、そこに盛り付けられた料理を見た。
さながら……。
それは一つの湾であり、入り江である。
深皿の中には、熱々の酒汁が入れられており……。
その中では、たっぷりのアサリと細切りにされたネギが泳がされているのだ。
――それにしても……。
――この、かぐわしさ。
やはり、最初に意識を持っていくのは、なんといってもこの香りであろう。
湯気と共に、立ち昇る香気……。
この酒蒸しは、ウィスキーを使っているらしく、樽の中で熟成された蒸留酒の豊満な香りが、何ともいえず鼻孔をくすぐる。
しかも、これは単なる酒精の香りではなく、その中にアサリの……潮の匂いも溶け込んでいるのだ。
――真に完成された蒸し料理というものは、まず湯気を食わせる。
そのことを痛感しながらも、まずはアサリの一つにフォークを突き入れた。
シルバー越しに伝わるぷりりとした感触が、実に心地良い。
一体、こやつらが何を食べて成長しているのか……。
学者たちの間でも、諸説があると聞く。
確かなのは、何かは分からないが……よほどに、滋養のあるものを取り込んでいるということだ。
そうでなければ、こうもぷりぷりとした身が付くことはないだろう。
そんなことを考えながら、行儀悪く手も使って殻から身を剥がす。
往生際悪く貝殻にしがみつこうとする貝ひもも、逃すわけにはいかない。
全てが、滋味の固まりなのである。
剥がした身を――食す。
――嗚呼。
素材が良いというのは、もちろんあるだろう。
獲れたてのアサリというものは、この時期にしか食すことのできない美味なのだから。
しかしながら、やはり、これを調理したアウレリアの技術を無視することはできない。
まさに――絶好の機。
身に秘められた旨味が完全に抜け切る直前のところで火から離し、供した結果、噛めば噛むほどに潮の味わいが広がっていくのだ。
しかも、ウィスキーの香気をまとうことにより磯臭さは消え去り、香りと格調高さを得ているのである。
――美味いだけではない。
――磯遊びで疲れた体に、染み入っていくかのようだ。
同じ麦から作った酒である、ウィスキーを使い蒸しているからだろう……。
ビールとの相性も抜群であり、性質が異なる酒の香りが混ざり合い、口の中で重奏を奏でているかのようであった。
身を味わって、満足しているわけにはいかない。
やはり、酒蒸しという料理は汁を味わってこそだろう。
スプーンで一口すくい、口に運ぶ。
――これは、海だ。
――海の旨味が、濃縮されているのだ。
アサリから溶け出した出汁の、なんと濃厚で味わい深いことか……。
まるで、偉大なる海から美味なる要素だけを抽出し、ここに顕現させているかのようなのである。
そして、これも身と同様に蒸留酒の香気で磯臭さが消され、嗅いだものを魅了してやまない品格が備わっているのだ。
上等な酒を飲むのではなく、あえて調理に用いるというのは、見ようによっては暴挙であろう。
だが、その乱暴な行為によって、こうも気品に溢れた味が生まれるというのは、世の不思議という他になかった。
最後に……そして、おろそかにできないのが、細切りで入れられたリーキだ。
この根菜……密かな香味で、酒蒸しを下支えしているのは、もちろんだが……。
真価は、この出汁汁を吸い込むことにあった。
いまだしゃきりとした食感が残るこれを――噛む。
すると、そのまま飲んでも美味な出汁汁が、リーキのキレがある香味やほのかな甘みと合わさり、口中へ余韻を残しながら消え去っていくのである。
一見すれば、添え物や彩り。
その実、真に主役であるのがこの野菜なのであった。
かようにして、己らの狩りが生み出した美味を味わっているとだ……。
「どうでしょう?
お口に合いましたか?」
あらかた供し終えたのだろう。
アウレリアが、自分の深皿を手にしながら、歩み寄ってきた。
「合うとも。
この上ない、馳走だ」
心からの言葉を、口にする。
そんな自分にほほ笑みながら、アウレリアは隣の空樽へ腰かけた。
「自分で採った食材を調理し、皆で食べる……。
それは、これほどの味を生み出すものなのですね」
「それも、調理したアウレリア殿の手腕あってです」
「まあ、お上手」
――ただの事実なのだがな。
苦笑を浮かべながら、しかし、その言葉は胸にしまっておく。
「そういえば……」
すると、アウレリアは自分も酒蒸しを味わいながら、ふと、思い出したように口を開いたのだ。
「本日は、どうして潮干狩りへ誘って下さったのですか?」
「ああ……」
そういえば、理由を告げていなかったことを思い出す。
だからヴァルターは……過ぎ去った過去に思いを馳せながら、それを口にしたのである。
「何者でもなく、誰にもかえりみられなかった子供の頃……。
唯一、口にできたご馳走がアサリだった。
もっとも、こんなきちんとした料理ではなく、ただ茹でただけのものだったがな……。
あれは、私が初めて口にしたスープ……だったと思う」
それが酒ではなく、ただの水だったとしても……。
アサリという食材が、芳醇な出汁を出すのは同じ。
ろくな調味料も得られなかった浮浪児にとって、あれはこの時期にのみ口にできるちゃんとした料理――だったのだ。
「私という男が、そのような人間であることを知ってもらいたいと……そう思ったのだ」
「そうでしたか……」
アウレリアは、どんなことを言えばいいのか、考え込んでいるようだったが……。
「なら、これからは、たくさん美味しいものを食べないとですね」
そう言って、うなずいてくれたのである。
「アウレリア殿。
それは違うな」
だが、ヴァルターはそんな彼女に否定の言葉を返した。
なぜならば……。
「これからも、美味しいものを食べていくのだ」
アウレリアは、どこか気恥ずかしそうな……。
しかし、確かな嬉しさが感じられる笑みを向けてくれたのである。
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