Menu09.師に届けしエビフライ 中編
海を越え、陸路を辿り、はるばる二年ほどかけて歩む……。
ヒイヅルという小さな島国の、しかも、ヤマカイ周辺地域しか知らなかったゲンノとヒイヅル人一党にとって、それは長く過酷な旅路であった。
それで、病気や怪我などによる脱落者や死人が出なかったのは、運に恵まれたところも大であるが、何より指揮官であるハンベルク公爵の差配が見事であったからだろう。
道中、立ち寄った国の人々には、礼儀正しさと人徳で信頼を勝ち得ており、交易品として持参した遠方の品々を交換することで、つつがなく補給を完了させていく……。
道行きに関しても、旅団を構成する人馬全てにくまなく目を光らせており、決して無理をさせることはなかった。
天候が大荒れとなった際は、三日三晩も同じ場所に留まり雨風をしのぎ続けたものであるが、そのような忍耐強さがあったからこそ、ゲンノのごとき腕不足でも生き残ることができたに違いない。
かくして、無事に異郷の地を踏むに至ったゲンノたちであったが、そこからの日々も苦難と苦心の連続であった。
ハンベルク公爵が功績を認められ、新たな領地を与えられたことにより、ヒイヅル人ひとまとまりで暮らせることになったのは良かったが……。
何しろ、問題の領地はまだまだ開発の及んでいない未開地である。
王都からさほどの距離がない点は好条件であったが、逆にいうならば、そのような場所で開拓が行われていなかったのは、森林の切り開きや湿地帯の埋め立てなど、多大な労力が必要となるからだったのだ。
これに対応できたのは、遠征先から様々な品を持ち込むことによって、ハンベルク公爵の懐が大いに潤っていたからに他ならない。
あるいは、潤った懐から財を流出させようという政治的駆け引きもあったのだろう。
ともかく、先代公爵は得られた財産を惜しみなく消費し、強力に開拓を進めた。
結果、未開の土地はヒイヅル村と呼ばれる入植地になり……。
恩義を返すべく奮起したゲンノたちは、大豆や菜種の栽培による飼料生産や油の生産によって、公爵に報いたのである。
ハイデルバッハ王国に根付いてから、二十年ばかりの月日が流れただろうか……。
その頃になると、最初は試行錯誤を重ねていた新天地での暮らしも安定し、村で結ばれた男女の中から、新しい世代も生まれてきた。
シズルも、その一人である。
――初孫というものが、こうもかわいいものだとは。
それは、ゲンノにとって感動とも呼べる体験だった。
無論、シズルの母はお館様からの預かりものであり、彼女と自分の間に血の繋がりはない。
だが、義理の娘とは、すでに実の親子といって相違ない精神的結び付きがあり……。
彼女の産んだ子であるのだから、これはもう、自分の孫と呼んで問題ないのである。
何より、母となった娘自身が、お産直後に抱いてあげるよう頼んできたのだ。
初孫という宝を得ていたのは、ゲンノのみではない。
ハンベルク公爵もまた、同様であった。
シズルより三歳年上の娘はアウレリアと名付けられ、祖父譲りの聡明さを見せていたものだ。
そして、アウレリアが祖父より受け継いだのは、その器量のみではない。
食というものに対する情熱もまた、受け継いでいたのである。
何しろ、遠征の際には専属の料理人を連れ回し、各地で様々な料理を習得させた公爵だ。
必然、公爵家で日々供される料理もまた、他家のそれに比べて豊かなものとなった。
アウレリアは、それらをよく味わっていたが……。
ついには、味わうだけでは満足できなくなった。
自ら厨房に立ち、包丁を振るいたいと祖父に熱望したのである。
庶民ならば、いざ知らず……。
貴族家の令嬢にとって、料理というのは自らがすべきことではない。
そのような家事は使用人に任せ、自らは芸事などに力を入れるのが、ハイデルバッハ王国の貴族令嬢というものだった。
ゆえに、通常ならば、アウレリアの願いは却下されるべきもの……。
だが、初孫がかわいかったからか、あるいはその才能を見抜いていたのか、ともかく、先代公爵はその願いを受け入れたのである。
結果、アウレリアは、師匠となった料理人の技術を、貪欲に吸収していく。
そして、それだけに留まらず、ゲンノが身につけたヒイヅル料理の技術をも欲したのだ。
前々から、祖父に連れられてヒイヅル村を来訪していた彼女であり、その度に天ぷらや焼き豆腐など、故郷の料理を再現しもてなしてきたゲンノであるが……。
まさか、自分でも作れるようになりたいと言い出すとは思わず、これには大層驚いたものだった。
これが、第二の黄金期だ。
請われれば、各家の嫁たちに包丁の扱いというものを教えてきたゲンノであり、その意味においては、ヒイヅル村の女全員が己の弟子であるといえる。
だが、真の意味で料理の技術と心構えを受け継いでくれたのは、やはり、アウレリアのみであろう。
半生をかけて磨いてきた技術を、真綿が水を吸うがごとき速さで吸収されていく……。
男として、これに勝る喜びはない。
培ってきたものは、確かに受け継がれ、また次なる世代へと受け継がれていくだろうと、確信できたのである。
それは、職人と呼ばれる者たちが終生かけて求め、しかし、得られるかどうかは運任せというものなのだから、ゲンノはやはり幸運に恵まれているのであった。
東方の様々な料理……。
また、ゲンノ自身が自分の好みに合うよう工夫した料理の数々を、アウレリアはことごとく習得し、十五歳を迎える頃には、剣でいうところの免許皆伝に達したものだ。
――これまで、先生には様々な技法を教わり、なんとお礼を言ったものか……。
自分のごとき男を先生と呼んでくれる彼女は、いつかそんなことを言ったものである。
ゲンノからすれば、当時すでに亡くなっていた先代公爵への恩義を返したに過ぎず、何も礼など必要ないと言ったのだが……。
しかし、こういった時の強情さは祖父譲りなアウレリアであり、必ず何か恩を返すと言って譲らない。
仕方がないので、ゲンノはこう言ったのだ。
――ならば。
――教えた料理に、いつか自分なりの工夫を加えて、もっと美味くして下さい。
――それが、何よりの恩返しです。
アウレリアはそれにうなずき、必ずと約束したのである。
それから、しばらく経ち……。
たまにヒイヅル村を訪れるものの、まだそれは思いついていないと彼女は言っていた。
だが、今日……。
王都へ行かせた孫に持たせる土産として、彼女はついにそれを見い出したのである。
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「これが、その料理か……」
こればかりは、王国の流儀に染まらずヒイヅル流で建てた家屋の中で、ゲンノはそうつぶやいた。
「感謝してよね。
二日かけてもいいところを、これのために一日で強行してきたんだから」
いつも通りの格好で囲炉裏を挟んだシズルが、腕を組みながらそう告げる。
「おうおう、ありがとうよ。
それじゃ、さっそく頂こうかね」
そう言って、ゲンノは眼前のバスケットへ――手を付けない。
代わりに立ち上がって、いそいそとビールの用意を始めたのだ。
「なんだい?
せっかくの料理を、純粋に味わわないの?」
「馬鹿言うな。
アウレリア様が心を込めてくれた料理だからこそ、酒がないんじゃ無作法だ」
「わっかんないなー」
そう言いながら、シズルはだらしなく手足を伸ばす。
――お館様は酒を愛しておられた。
――その内、こいつも酒の味を解するようになるかね。
そのようなことを考えつつ、ゲンノは酒の準備を進めたのである。




