Menu09.師に届けしエビフライ 前編
誰の人生においても、黄金の期間と呼べるものは存在するものだが……。
それが二度にも渡って訪れたゲンノは、果報者といって相違ないだろう。
一度目の黄金期は、言うまでもない……。
今は遠い故郷となった、ヤマカイ国での日々だ。
――武家の家に生まれど、武芸の技はてんで駄目。
――しかれど、包丁を使わせれば、その腕前は天下一なり。
お館様はゲンノを差してそう称し、料理人として召し抱えてくれた。
そして、あくまでも武士として戦場に未練を懷いていた若き日の自分に、こう言ってくれたのだ。
――ゲンノよ。
――わしは、何故この国を背負ってると思う?
さて、その問いかけには、どう答えたものだったか……。
やれ、人徳の賜物だの、戦場での采配が見事だからだのと、とにかく見え見えの世辞を述べた気がする。
まあ、ことお館様に関しては、事実を羅列すると、世辞のごとくなってしまうという問題もあるが……。
ともかく、そんな自分に対し、お館様は杯片手にこう言ったのだ。
――きっと、それらの要素もあるのだろう。
――だが、それらはあくまで、わしが今現在も国を背負えている理由でしかない。
――もっと、根本的な……なぜ国を統べる立場になったかについては、どう考える?
そこまで具体的に聞かれると、返すべき言葉は一つとなる。
すなわち……。
――お館様が、カイ家の嫡男としてお生まれになったからです。
このことであった。
長幼の序は、武家の習い。
正室との嫡男として生まれ、能力も優秀だったお館様を跡継ぎとすることには、家臣の誰一人として否定意見を述べず、世代交代はとんとん拍子で進んだと聞いていたのである。
お館様は、そう答えた自分に大きくうなずいた。
――そうだ。わしはカイ家の嫡男として生まれた。ゆえに、今、お前たちの長としてふんぞり返っている。
――要するに、運命であるな。
――生まれた時から、この立場になることを定められていたのだ。
――わしはこのことを、何も特別なものとは考えていない。
――むしろ、誰にでも存在する……ごく当たり前の因果であると思っている。
ヤマカイ国を大いに発展させ、戦国一とも称される騎馬軍団を編成するに至っている……。
偉大と言えば、あまりに偉大な武将が、己の立場をして当たり前の因果と言ってのけたことに、若きゲンノは大きく驚いたものだ。
そんな自分へ、お館様はにやりと笑いながら告げたのである。
――だって、そうではないか?
――人には、生まれつきの得手不得手というものがある。
――弓が得意な者、槍が得意な者、馬術が得意な者……。
――そして、料理が得意な者。
――無論、後天的な努力によるところ大であるが、そもそもの素養に関しては天の采配であり、本人が望んでそう生まれたわけではない。
――重要なのは、本人がそれを受け入れるか否かだ。
――お前、侍の家に生まれながら、武芸の才はなかった自分が嫌いか?
戦国一の大名に問われてしまえば、嘘など述べられるはずもなく……。
自分は、素直にうなずいたものだ。
嘘を交えなかったことに満足したのか、お館様は大きくうなずいた。
うなずいて、こう告げたのである。
――だが、わしはそんなお前が気に入っている。
――何しろ、もしお前が武芸の才に秀でて生まれたなら、この料理は食べられなかったからな。
そう言って、お館様が箸で摘まみ上げた料理……。
それは、ゲンノの得意料理――天ぷらであった。
山菜の天ぷらにちょんと塩を付けてやると、お館様は実に美味そうな顔でこれを食べたものだ。
――美味い。
――誠に、美味い。
――頼むから己を卑下するな。
――お前がこうやって美味な料理を作ってくれるから、わしは元気に政へ励めるのだ。
――天命を受け入れ、寄り添い歩んだ末に辿り着いた場所はそう悪いものではないと……そう思え。
お館様が大病を患い死去したのは、それから一年ほど経ってのことであった。
ゲンノはそのような立場にあらず、人づてに聞いただけであるが……。
見事な、最期であったという。
死の病に侵されたことを不幸と嘆かず、病床から適切に今後へ向けた差配を行い、最後には自分を取り囲んだ家族や重臣へ別れを告げ、眠るように逝ったらしい。
大黒柱を失い、家中は悲しみに包まれながらも新たな一歩を踏み出そうとしていたが、ゲンノはそれと別にある密命を背負っていた。
お館様が、農民娘との間に残していた隠し子……。
その保護と、養育である。
自分のごとき下っ端にそんな重大な任を命じたのは、料理の腕前を通じてそれだけ気に入っていたからか……。
あるいは、己が亡き後、カイ家が辿る顛末を予想していたのかもしれない。
お館様の存命中から、天下に最も近き場所まで上り詰めていた大敵――オノ家は、精神的支柱が失われたカイ家との決戦に臨み、これを破ったのだ。
敗北すれば、全てを失うのは戦国の定め……。
カイ家は血族のことごとくが切腹を命じられ、あるいは出家を命じられた。
逆らえば、待っているのは死、のみ……。
戦国最強の武将家は、オノ家という昇り龍に全てを食われ、奪われたのである。
ゲンノも、いずれは養子としていた隠し子の秘密が露見するのではないかと恐れ、気が気ではない日々を過ごしていたが……。
そんな中へ訪れたのが、西方からの稀人――ハンベルク公爵であった。
東方遠征最後の地としてヒイヅルを選んだ彼は、かなりの食道楽であり……。
これを迎えるために、オノ家はカイ家料理人として会食の場などを通じ名が知られていたゲンノに白羽の矢を立てたのである。
到底、断れる要請ではなく、ゲンノは心づくしの料理を作り、西からの賓客をもてなした。
ハンベルク公爵はそれらの料理をいたく気に入り、オノ家に頼んで自分と一対一で話す場を設けたのである。
いや、正確には、通訳となる者がいたために二対一か……。
亡きお館様と似た雰囲気を持つ冒険家は、ゲンノが心中に心配事を抱えていると即座に見抜いた。
その上で、絶対の秘密にするからと打ち明けることを勧め……。
ゲンノは初めて、養子の秘密を他者に明かしたのである。
その後、ハンベルク公爵が見せた行動は迅速であった。
大豆や菜種といったヒイヅルの農作物が有用であるため、祖国に持ち帰りたい。
ひいては、それを円滑に栽培するため、ヒイヅル人を連れ帰りたい。
彼らに満足いく食事を提供するため、先日の料理人もそこに加えたい。
……と、オノ家にこう申し出たのである。
引き換えに提示したのは、ハンベルク公爵が遠征の途上で手に入れた様々な財宝……。
大豆や菜種に大した価値がないのは、言うに及ばず。
人間に関しても、しょせんは乱取りで得られた二束三文の労働力だ。
ゲンノにしても、打ち倒した国に仕えていた料理人に過ぎない。
オノ家はこれを快諾し、ゲンノたちは遥か西の彼方へと旅立つことになった。
一見すれば、世にありふれた奴隷売買……。
だが、実際のところ、それはハンベルク公爵が一晩にして友情を感じた友と、その預かりものを保護すべく考えた偽装工作だったのである。
そうして、公爵に連れられた異郷の地で……。
ゲンノは、二度目の黄金期を迎えることになった。




