Menu06.5.東からきたモノたち
広大な大地で延々と伸びゆくのは、緑の線であり……。
まだまだこの先、やらねばならないことは数多いものの、この光景を見ると作業的にも、心理的にも一区切りがつく。
緑の線を形作るもの……。
それは、植物の苗である。
もし、踏んでしまったのなら、たちまち潰れてしまいそうなくらいに頼りなく、幼い苗たち……。
彼らは、自分たちと同じく、遠き東方世界からこの地へ辿り着き、文字通り根付いた同胞であった。
――大豆。
春前から苦心して土作りしてきた畑に植えられたこの苗たちは、成長することで、軍馬育成に欠かせぬ実を宿すのである。
「毎度、壮観な光景だべなあ……」
背後からかけられた声に、振り向く。
すっかりひん曲がった腰で、それでも力強く大地を踏み締めているのは、このヒイヅル村で村長を務める老人……。
自分の祖父であった。
「爺ちゃんは、いっつもおんなじこと言うよねえ。
そんなに、故郷の土地は狭かったの?」
何しろ、自分にとっては生まれた時から触れている言語であり……。
祖父のそれに比べれば、遥かに流ちょうな王国語でそう尋ねる。
「んだ」
すると、祖父は遠い過去を見るような眼差しになりながら、はっきりとうなずいてみせた。
「他の所はどうだか知らんけどな……。
おらたちん国は、山と森ばっかりで、土地も細くてなあ……。
おまけに、川はいっつも大荒れしていて、お館様が苦心して堤をこさえるまで、しんどい思いばさせられてきたもんだあ」
「そんな思い入れのある場所なのに、この国までやって来たんだね?」
何となくしゃがみ込み、苗の具合を確かめてやりながら、そんなことを口にする。
祖父たちにとってみれば、確かにあった現実なのだろうが……。
この王国で生まれた身からすれば、どうにも実感の湧かない話であった。
何しろ、自分が知っている世界は、このヒイヅル村とごく狭い範囲だけであり……。
祖父たちが語る極東の島国が、本当に存在するのかどうかすら、怪しく思えてしまうのである。
「ひっひひ……。
それは、しょうがねえ。
戦を仕掛けて負けちまったんだからなあ。
生かすも殺すも、相手次第……。
売られて海の向こうへ行けと言われたって、文句なんか言いようがねえさ」
「世知辛いもんだねえ……」
苗を撫でてやりながら、他人事そのものという口調でそう漏らす。
当時の祖父たちは、さぞかし屈辱にまみれた思いでいたのだろうが……。
実際、自分たち世代からすれば、それは他人事でしかないのだ。
戦勝国に対し、敗戦国が賠償として奴隷を差し出すのは、ままある話であるが……。
そこへいくと、自分たちの暮らしは豊かそのものであり、身分としても通常の領民として扱われていた。
そんな暮らしの中で、敗北した国の末裔として自覚を持とうとしても、それは無理がある話だろう。
「おうおう、完全に他人事じゃねえか」
「そりゃあ、爺ちゃんたちとちがって、あたいたちは王国生まれの王国暮らしだもの。
そりゃ、生粋の王国人に比べれば、髪とか目の色とか、ああ違う人種なんだな……って思うこともあるけどさ。
東洋から来た自覚を持てって言われても、難しいよ」
胸中で思い描いていたことを、そのまま口にする。
「かーっ! なっさけねえこと言うなあ」
すると祖父は、あえて大げさに顔をしかめながら、いつもの台詞を口にしたのであった。
「ここだけの話だがな……。
お前のおっかあは、亡きお館様がお手つきして生まれたんだ。
んだから、お前は本当なら、あちらでお姫様やってたっておかしかないんだぞ。
それこそ、アウレリア様みたいになあ。
さしずめ、シズル姫だあ」
「アウレリア様みたいにって、言われてもねえ……」
祖父にそう言われ……。
あらためて、シズルは自分の全身を見回す。
つぎはぎだらけの装束を身にまとい、頭にはほっかむりを被ったその姿は、どこからどう見ても王国の農民そのものである。
「んだ。
おらは、お姫様方の姿をよーっく、覚えてるがな。
お前の顔立ちは、そっくりだぞ」
その言葉に、今度はほっかむりを外し、水やりのために持ってきていた水桶を覗き込んだ。
なるほど、清らかな水面に映し出されているのは、美少女といって間違いはない。
長く伸ばされた黒髪には、枝毛一つなく……。
顔立ちには、敬愛するアウレリアのような、血に宿る気品というものが感じられるのである。
まあ、そうは言っても、中身は単なる農民であるし……。
祖父の言葉通りなら、より直接的に姫であるはずの母は、今朝も太った腹をさすってげははと笑っていたが……。
「……やっぱり、全然そんな感じしないなあ。
大体、その話が本当なら、爺ちゃんは爺ちゃんじゃないじゃん?」
これも、いつも言っている言葉を返す。
本当に母がお館様とやらの娘なら、その父であるはずのあんたは誰なんだという話であった。
「おうよ。おらあ、育ての親であり、義理の祖父に過ぎねえ。
おらあ、生まれつき、てんで腕っぷしが立たなかったからよ。
料理人として、お仕えすることしかできなかった。
だが、そんなおらを、お館様は重用してくださった。
自分が元気でいられるのは、お前たちのような人間が、よく働いてくれているからだってな。
それで、敗戦の際には、密かに自分の隠し子を預けてくれたんだ。
おらあ、それを守り育て、この西方までやって来たってわけよ。
ここなら、にっくきオノ方の手も絶対に届かねえからな」
「あんまり意味ない気がするけどね。
それが本当だとして、別にこの国で再起できるわけでもないし。
まあ、そうしてくれなきゃ、あたいは生まれてないから、その点には感謝だけどさ」
「かっかっか……。
血を残すことが大事なんだ。血をな」
快活に笑う祖父をよそに、ほっかむりを被りなおす。
「やっぱり、何度言われてもよく分かんねえなあ。
あたいにとって、お姫様はアウレリア様だけだ」
「そうそう、そのアウレリア様だがよ」
と、そこで本題を思い出したのか、祖父がぽんと手を打つ。
どうやら、腰が悪いくせにこんな所までうろうろしてきたのは、ボケて徘徊していたからではないらしい。
「苗の植え付けも終わったことだし、お前、王都まで行って醤油と味噌を届けてこい」
「醤油と味噌を?
別にいいけど、いつも通り、公爵家の騎士様に頼んで、お屋敷に持って行ってもらうんじゃ駄目なの?」
「それが、駄目な理由ができちまったんだ」
それから、祖父が語ったこと……。
ハンベルク公爵家に仕える騎士から聞いたという話は、衝撃的な内容であった。
「家を追放って……アウレリア様が?」
「んだ。
今のご当主様も、むごいことをなさる」
我がことのようにくやしがりながら、祖父がうなずく。
祖父は、アウレリアに包丁の使い方というものを教えた料理人の一人であり……。
彼からすれば、かのご令嬢は弟子であり、先代公爵亡き今は、真に仕えている主なのである。
「まあ、ヴァルターなにがしという後援者を得られたようで、存外、元気にやってらっしゃるようだ。
ただ、醤油と味噌はこちらから届けてやらねえと、手に入れる手段がないからなあ」
「それで、あたいが持って行くってわけだね。
いいよ。アウレリア様のためなら、お安い御用さ」
敬愛するアウレリアの、役に立つ時がきた。
そのことに奮起しながら、うなずく。
「ついでに、小遣いさやるから、王都でなんぞ服でも見繕ってこい。
そうすりゃ、お前もちっとは自覚が湧くだろ」
そんな自分に、祖父は相変わらずなことをのたまったのである。




