97.運命との決戦
エルが告げる。
「これ以上、無用な争いは不要ね。すべて決したわ。……フフン……大人しくしなさい」
アビスは跪き、その場にうずくまると顔を床に向けた。
「観念したのかしら? あれ? 本当に?」
女王は拍子抜けだ。
聖女プリムがじっと視線を向ける。先にはアビス……ではなく、ワイン商人の姿があった。
「……チェーンちゃん。あれは誰なのかしら?」
「アビスの御用聞きだろ。前に一度、面会に来たじゃねぇか」
「今はまるで別人みたいでちょっと……怖いかも……」
神託はチェーンのスキルで、プリムにはもしかしたらスキルそのものが無いかもしれない。
けど、聖女には不思議な直感力があると思う。
ヴィリエへの警戒レベルはマックスだ。
ワイン商人がアビスの肩に手を添えた。
「閣下。霊薬が効き始めましたね」
「お、お前……いったい……何を……治癒霊薬じゃねぇのかよ?」
「副作用がありまして、傷が治るのは生命力の暴走とでもいいましょうか。最終的には理性を失わせて人を化け物に変えてしまう類いの薬です。気兼ねなくご乱心ください」
「なんてものを飲ませやがる! うっ……ぐっ……ぐああああ!」
「意識があるうちにお伝えできて幸いです。ああ、これが真に絶望した顔。積み上げた権力の座から転げ落ちた哀れな人間の表情なのですね」
アビスが白目を剥いた。同時に広背筋が肥大化し、内部から服を破って腕が生える。
肌は青白く変色し赤い髪が背中を隠すほどに伸びて広がった。
侯爵だったものは口からよだれを垂らして、エルに襲いかかる。
僕は拳を握り込んだ。
「陛下はお下がりください」
アビスを無力化するために「戻す」意識で高速拳打を叩き込む。
けど――
顎に突き刺さった僕の打撃に多腕の化け物はびくともしない。
時間を戻しても戻らない!?
ワイン商人が口元を隠して笑う。
「ふふふ……なるほど。どうやら本当に時間を戻しているようですね。修復士ではなく時間調律士……といったところでしょうか」
「どうしてアビスは戻せないんですか?」
「霊薬というくらいですから、魂の形そのものを永続的に変質させてしまうのですよ。まあ、獣魔族の巫術系統の技術なので、詳しいことは私にもわかりかねますが」
僕の身体がひょいっと後方に投げ飛ばされた。
メイの触手ツインテールに引っ張られたんだ。僕が立っていた場所をアビスの腕がなぎ払う。
地面がえぐれた。とんでもない膂力だ。
チェーンが言う。
「プリムとエルは任せろ。テメェら気合い入れてかかれよ!」
エルは「責任者としてこの場を離れるわけにはいかないわよ!」と抗議したが、プリムに「セツナちゃんたちの負担になるのはだ~め」と、手を引かれて聖堂裏口へ。
正直、助かった。守るべき対象が多すぎると、身動きがとれなくなる。
シャチ子も「チェーンはよくわかっているな」と納得しきりだ。
衛兵たちもチェーンの退路を固める。
メイが告げた。
「ここはシャチ子と先生と、メイに任せて避難誘導してくださいどうぞ!」
女王陛下の退席までがっちり守った衛兵たちを、クラゲ少女は外に出す。
聖堂に残ったのは僕ら三人と化け物アビス。
そして――
ワイン商人(?)だけになった。
「寂しいものですね。さて、ここから先は部外者の閲覧を禁じましょうか」
ワイン商人が指先で弾くようにすると、聖堂内に設置されていた中継用の魔導水晶体が一瞬にして、粉々に砕け散った。
「やはり通真珠と同じようなものでしたね。特定の波長で共振させれば破壊できるようです」
いったい何者なんだこの商人は。
「さあ、閣下。疲れたでしょう。すべてを忘れてご自身を解放なさってください」
アビスが動く者に反応するように襲いかかる。
まず標的になったのはクラゲ少女だ。
いや、違う。メイが触手ツインテールを揺らしてアビスを呼び込んだ。
が触手で攪乱し、シャチ子が隙を見て月光で斬りつける。
が、傷は見る間に塞がってしまった。
僕は腰の業物を抜き、構える。
相手はヴィリエだ。
「あなたはいったい何者なんですか?」
「ただのワイン好きな海運業者……ではいけませんかね」
「真面目に応えてください」
「いいでしょう。直接お目に掛かるのは初めてになります」
ヴィリエの顔の形がぐにゃりと歪む。
体表の色味も変わり、服装そのものまで変化していった。
シャチ子が吠える。
「高度な擬態能力……貴様、海魔族か!?」
「気づいてくださらないので寂しかったですよ。オルカ・マ・イールカ」
みるまにヴィリエは神官服へと転じた。
僕にも見覚えがある姿だ。
メイが震える。
「ど、ど、ど、どうしてここにいますか!?」
「お久しぶりです。魔王の『器』よ」
僕らがワイン商人だと思っていた相手は――
海魔族の過激派を束ねる神官エビルだった。
通真珠の幻影体ではなく、本人だ。
そういえば――
アビス邸を訪れた時、刺客のウニ男ガンガーゼが敗北間際、エビルに通真珠で呼びかけたんだ。
神官は姿を現さなかった。
僕らの前に本体がいたからだ。
今更だけど、名前だってつながりを感じる。
ヴィリエとエビル。アナグラムっぽい。
こいつは要所要所で僕らを監視してたのか?
自分が刺客となって油断している隙にメイを殺すこともできたかもしれないのに。
わからないことだらけだ。
エビルは目を細める。
「あと少しで人間からスキルという力そのものを奪うことができたのですが……誠に残念です。しかし、おかげでようやくあなたのスキルについて理解できましたよ。時間調律士のセツナさん」
「ここで貴男を倒せばすべて終わらせられますよね?」
一瞬触れればいい。
時間を戻しまくってエビルがこの世に生を受ける瞬間まで遡れば、倒すのは容易だ。
「おっと、できますか貴男に?」
「僕は……お前に対しての罪悪感は持ち合わせてない」
メイを狙う過激派のトップ。鉄道脱線事故を起こして乗客を危険にさらしても「人間が何人死のうが関係ない」と言ってのけた男。
エビルは身構えようともせず棒立ちだ。
隙だらけ。まるで誘うように。
「私に触れて無力化をするというなら、どちらが正解かよく考えるべきですね」
進めることで老衰させる?
海魔族の寿命がわからない。それに、進めることで成長し強化されるパターンも考えられた。
一方、若返ることで全盛期に戻ろうとしているのも考えられる。
シャチ子にエビルの情報を確認する余裕がない。
メイとともにアビスに応戦するので手一杯だ。
「早くしないと二人が閣下に負けてしまいますよ?」
「なら……」
スキルを使わず剣で斬る。
すでに海魔族の刺客を手に掛けたこともある。僕の手は血に汚れているんだ。
「残念ですがお時間です。転移魔法の錬成が完了しましてね。では、またお会い出来る日を楽しみにしております」
「なっ! 転移ってまさかッ」
慎重さが躊躇になって、剣を振るうことを即決できなかった。
考える「間」があると迷うのは、僕の明確な弱点だ。
進めるか戻すかの選択肢を提示された時点で、読み合いに負けていた。
エビルの足下に魔法陣が輝いて身体を一瞬でどこかへと消し去った。光の粒子だけが残る。
――逃げられた。
時間スキルを使う僕が言っても説得力皆無だけど、瞬間移動なんて反則だ。
「先生! 今は目の前の敵に集中ですからッ!」
「そうだねメイ」
残るはアビス侯爵だったモノ。
僕の時間スキルで戻すことはできなかった。
もはや倒すしかない。
「二人とも僕にチャンスを!」
メイとシャチ子が同時に頷く。
「お膳立てですねわかります!」
「斬っても斬ってもキリがない! 頼むぞセツナ様ッ!!」
クラゲ少女の触手がアビスの足を掬い、体勢が崩れたところでシャチ子がアビスの腕の健を断つ。
裂傷はすぐに塞がるが、今なら頭部ががら空きだ。
僕は――
「朽ち果てろ……アビス」
握った拳に時間が「進む」力を込めて、巨漢を額に打ち込んだ。
一撃で十年進める。
と、アビスの肉体はグズグズに溶けて崩れ去った。
骨すら残さない。あくまで感覚的なものだけど、たぶん霊薬を飲んでから一日も持たなかったんだと思う。
十年を耐えられるわけがなかった。
人を殺めた。時間スキルで。
出来損ないのスキル奴隷として殺されかけたんだ。
復讐を果たした。
気分は……よくわからない。すっきりするとかしないとかでもない。
ただ、アビスという人間を哀しいと思った。
きっとヴィリエ……エビルに利用されていたんだ。
もしかしたらアビス自身、ただの商人じゃないと気づいていたけど、乗り続けていたのかもしれない。
今となってはもう、本心を語ることもできない。骸さえ残らない、こんな結末になったのは野心家の自業自得だったと思うけど。
「先生? だいじょぶ……ですか?」
「メイこそ怪我はないかい?」
「メイは元気ですよ! シャチ子もですね!」
「わ、私は背びれが……いや、命に別状はないから概ね元気だな。それよりも、避難したエル女王に報告せねばなるまい」
シャチ子が月光を振るって風圧で血を拭う。
「エビル……逃がしちゃいました」
「先生はよくやりましたですとも! 転移魔法なんて完成させている、あの神官が悪いんですし!」
織り込み済みで退路も用意していたんだ。
まいったな。
エビルに僕のスキルを把握されてしまった。
対策を練られる前に、メイの望みを叶えないといけない。
集中力が途切れた瞬間――
無理な力を使いすぎたツケを払わされるように、視界が暗転した。
ああ、このまま気絶するんだろうな。
遠のく意識の向こう側で、かすかに声が聞こえた。
『スキルレベルが70になりました。時間指定範囲が拡大しました』
この声。
そういえば少しだけ、エルに似ている気がした。
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