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82.音を楽しむと書いて……

 その日はもう遅いこともあって、僕らは王城に泊まることになった。

 客として逗留を許された形だ。


 客室は二つ。僕は一人、ベッドに背中から沈み込んだ。

 天井の魔力灯を見上げる。

 静かな夜だった。隣室のメイとシャチ子はもう、寝入ったんだろうか。


 そろそろ僕も休もう。気を張りすぎても身が持たない。


 心配していた海魔族過激派の襲撃は……無かった。

 城の警備の厳重さは折り紙付きだ。


 アビス邸の襲撃は自作自演の可能性もあるし、刺客が単独で城に潜入すること自体、難易度が高い。


 シャチ子曰く「例外はあるが戦闘力の高い海魔族ほど、人間からみれば異形に近い姿となる」とか。


 シャチ子自身はといえば、イールカ家の男はシャチ族の特徴が出やすいのだが、女性はあまり出にくい「例外」なのだそうだ。


 メイも触手ツインテール以外は普通の女の子だった。


 本気で戦おうとしたら、クラゲ少女の姿はどうなってしまうんだろう。

 ピンチになった時、海魔王の片鱗を見せることがしばしばあった。


 人間になれば心配もしなくていい。

 がんばろう……明日からも……。



 夢を見た。

 また、奴隷船から逃がされる夢だ。

 名前も知らないあの子に見送られて、僕を乗せた小舟が波に翻弄される。


 いくら手を伸ばしても、彼女には届かない。

 メイを救っても、僕は一生この夢を見続けるんだろうか。


 眠り続けるニュクス女王は、夢を見ているんだろうか。


 

 一晩明けて――


 早朝の太陽がステンドグラスを照らした。


 王城内の聖堂。高い天井に天使の歌声が反響する。

 シャチ子がオルガンを静かに奏でた。メイの歌声の邪魔にならないよう、響きだけを足していく。


 祭壇をステージに見立てて、メイが海魔族語で歌い続ける。


 降り注ぐ色とりどりの光。千変万化の音色を奏でる少女の姿は、ただただ美しくて圧倒された。


 歌い終えるとメイはエルの元に歩み寄り、手を取って登壇を促す。


「お手本はここまで。次はエルちゃん様のド下手くそなお歌を聴きましょう」

「ちょ! いきなり刺すのなんなの?」

「メイはクラゲちゃんですから、チクリともしますとも」

「ド下手って! チクチクすぎない?」

「激うまと紹介されるより、気持ちが軽くなるところですが?」

「ハードルの下げ方に問題ありよ……まったくもぉ事実陳列罪じゃない!」

「歌わないですか?」

「……いいわよ。こうなったらやけっぱちなんだから。耳をかっぽじって拝聴なさい」


 咳払いを挟んでエルが歌い始める。

 曲名は知らないけど、歌詞の内容は聖祖ルシフを讃えるものだ。


 シャチ子がオルガンの鍵盤に指を踊らせた。即興で伴奏する。


 エル皇女の声はいい。間違いなく美声で人の耳を引きつける魅力があった。演説をすれば誰もが足を止めてしまうと思う。


 だけど、なのに――


 歌になると音程とリズムがバラバラだ。

 あまりに「合わない」ので、気持ち悪くなってくる。


 だんだんエルの声はか細くなり、苦しげで呼吸が乱れていった。


 ついにはシャチ子の演奏が止まる。一曲歌いきれなかった。


 肩を落として皇女は力なく笑う。


「フフン……ほら、ね。言わんこっちゃなでしょ」


 コメントしづらいな。


 メイが胸を張った。


「すっごい下手! 想像以上でしたね! エルちゃん様!」

「ちょ……やめてよぉ」

「もはや伸び代しかない」

「はい?」

「メイにはわかります。民を想い国を護ろうという高潔さ。けど、それってプレッシャー。義務感。歌を歌わなきゃいけないという気持ち」

「それはそうでしょう? 儀式を成功させなきゃいけないもの」


 メイは全身をふにゃふにゃとさせた。ワカメか昆布の形態模写だ。


「メイがなぜ茎ワカメの真似をしないかわかりますか? お姫様」

「茎ワカメ? っていうか、ワカメ?」

「芯は大切だけど、海の草は陸の樹木ほどしっかりしていなくても、海中でふわふわゆらゆらするのです。エルちゃん様は一人じゃないから。きっと、国中の人が知ってます。愛されてます。みんなが海の水みたいになって、支えてくれます」


 翻訳が必要そうだ。と、僕が仲介に入ろうとした瞬間――

 

 シャチ子に肩を掴まれた。


 女剣士はじっと僕を見つめる。ここは王の器同士、任せて欲しいとでも言いたげだ。

 見守ることにした。


 エルは困惑しっぱなしだ。


「みんなが水で支えてくれるって言われても……」

「全部独りで抱え込まなくてもいいんです。メイもずっとそうでしたけど、先生にお助けいただいてからというもの、人と人とのつながりを感じるようになりました。みんな海のように繋がっていますから。エルちゃん様の声はきっと届きます。先祖にすらも」

「下手な歌よ。そんなものを届けられても、みんな納得はしないわ」

「それはエルちゃん様の思い込みですね。わかります。わかりますとも。みんなって誰だ!? この場に引っ立ててきてください。そんな人、エルちゃん様の心の中にしかいない、幻想でしょうぞ?」


 たどたどしい言葉を積み重ねてメイは自分の考えと気持ちを伝えるのに必死だ。

 人間語としては下手だった。


 けど、エルには伝わったみたいだ。


「私の思い込み……って、こと?」

「音を楽しむから音楽なのです。歌うのは義務ですか? いいえ違いますね。歌は心の泉より湧き出て止まらぬ想いが溢れこぼれたもの。人は楽しいから歌います。人は哀しいから歌います。人に心がある限り、歌は滅びないのです」

「歌いたいから……歌う……か。そんなこと、国中のどの音楽家も言わなかったわ。技術的なことは教えてくれたけど……そうね。これまでの先生たちが悪いんじゃないわ。私の心持ち一つだったのね」


 姿勢を正して皇女は再び壇上に立ち、天を仰いだ。

 シャチ子がそっとオルガンの椅子に座り直す。


「歌うわ。私……フフン。驚きなさい。メイの心に届くように、歌いたいという気持ちを五線譜に乗せて、私という楽器をかき鳴らして見せるから!」


 最初とは目つきも顔つきも別人の凜々しさだ。


 エルは喉を開いて歌い始めた。




 すっごく――



 下手だった。

お読みいただき、ありがとうございます!


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