73.朝はまだ遠く
聖祖ルシフ――
人間たちの国――王国を興したとされる伝説の存在だ。
人の姿を借りて世界を巡り、救いの手を差し伸べ続けたという。
聖人とあがめられ、人間の女性と結ばれた。
千年間、王国は代々女王の統治のもと発展、繁栄を続けてきた。
エル皇女はあくまで「次」の女王だ。
彼女の母親――現女王ニュクスは今、病床にある。
一年前、ニュクスは目覚めることの無い眠りについた。
呪いか病か……判別すらできない状況だったという。
王国中のランクA。中でも限られた最上級治癒士が手を尽くしたが、ニュクスは目覚めない。
公務はエルが引き継ぎ、世間的にはエル皇女の「修行」と称して、ニュクス女王はしばらく休養ということになっていた。
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僕らは王城の最上階に通された。
厳重に警備が敷かれた女王の寝所。近衛兵すら人払いされる。
見ず知らずの僕らが、国の最重要機密の中枢に足を踏み入れたのも、チェーンとプリムの紹介あってのことだ。
薄暗い部屋に天蓋付きの豪奢なベッド。
ぼんやり光る魔道具のライトが女王を優しく包んで照らす。
髪色も顔つきもエルとそっくりだ。皇女が大人になり美しく成長すれば、きっと女王のようになるのだろう。
一つ違うところがあるとすれば――
「先生またお胸チェックですか?」
「し、してないよ」
「エルよりお母さんの方がおっきいですね!」
「あっ……そ、そうだね」
すかさず皇女がメイを睨む。
「ちょっとちょっとちょっと! あんまりじゃない? いきなり刺してくるなんて。そっちこそ、私よりちっちゃいじゃない? フフン……勝ったわ」
「な、なにをおおおお! く、悔しいです!」
お互いに起伏の穏やかな胸を文字通り「張り合って」いる。
シャチ子とチェーンはやれやれ顔だ。持たざる者の気持ちはきっと、この二人には永遠に理解できないんだと思う。
って、僕は何を考察しているんだろうか。
皇女が僕の顔を指さした。
「見せて貰おうじゃないの? 君の能力とやらをね」
「わかりました。やってみます」
女王は一年間眠りっぱなし。
普通なら衰弱死しているはずなのに、彼女の見た目は変わらない。
汗も掻かず、汚い話になるけど排泄もせず、食事なんてもちろん摂っていない。
呼吸も心音もなく、まるで人形が横たわっているみたいだ。
「僕のスキルは触れることが必要なのですが、よろしいですかエル皇女殿下」
「ダメっていう理由がないわね。フフン……けど、触る場所はちゃんとあたりさわりのないところにしなきゃだめよ?」
メイが「無論、おっぱい一択ですね先生!」と、あたりもさわりもする提案をした。
却下である。
「失礼します」
僕は眠る女王の右手にそっと触れた。
違和感を覚える。
温度感が無いのだ。冷たくも温かくもない。触れている感触こそあるけれど、人体なのかすらあやふやに思えた。
難病の治療か。
獣魔大森林の長――ルプスの腐敗病を癒やした経験が生きるはずだ。
あれは呪いで根源を除去して完治したけど、応急処置的に健康な状態にするのは有効だったし。
同じアプローチでやってみよう。
ニュクス女王の右手を握り「戻れ」と念じる。
期間はおよそ一年間。
健康な元の状態にもっていけば、きっと目覚めるはず……だった。
手応えがまるでない。
僕のスキルをまるで受け付けていない感覚だ。
少し時間の加速を増やしてみたけど、三年戻しても何も変化が起こらない。
十年戻す。二十年戻す。
効果なし。
これ以上やったら、女王が幼女になりかねない。
存在する前にまで時間を遡ったら……想像したくないな。
僕の「時間」スキルはレベル65。効果範囲が拡大し十年単位で時間を操作できる。
だからこそ、扱いは慎重に。
僕は女王の手を離すと首を左右に振る。
「申し訳ありません。僕のスキルでは治療できませんでした」
メイとシャチ子が「「なぬっ!?」」と声をハモらせた。女王を復活させられると僕よりも確信してたっぽいな。
チェーンは「こりゃまいったな」と、眉尻を下げる。
エル皇女はといえば――
「フフン……そう……けど勘違いしないでちょうだいね。アビス侯爵が選んだ王国最高の治癒士でもダメだったんだから。君のスキルが悪いわけじゃないの」
結果に皇女は納得……いや、諦観していた。
むしろ失敗した僕を気遣うなんて、人間が出来ている王女様だ。
エルは突然、懐からナイフを取り出した。
「急に刃物を出すなんて、いったいどうしたんですか?」
「念のため見せてあげるわ。無理っだってこと」
皇女は刃を逆手に構えると――
「お母様……ごめんなさい」
言うなりいきなり女王の喉元に刃を突き立て振り下ろす。
止める間もなく――
刃はぴたりとニュクス女王の肌に触れたところで「停止」した。
「な、なんてことするんですか皇女殿下!」
「見てのとおりよ。誰がやっても同じなの。傷つけようとしても無理。フフン……外科手術も受け付けないわ。母上は眠れる無敵状態ね」
「だからって実の母親に刃を突き立てるなんて……」
「こうでもしないと、母上の現状を理解してもらえないのよ。だから君も諦めなさい」
僕「も」か。
他の治癒士と同様に。
きっと「も」の中には皇女自身が含まれているんだ。
エルの手からナイフが落ちる。葉に滴る朝露のようにナイフはニュクス女王の身体の上を、滑ってベッドの脇に転がった。
同時にエルは涙する。
それさえも、ニュクスの身体の上を流れて落ちる。
「母上……どうして何も言ってくれないの? 目を開けてくれないの? もう何度も朝が訪れたのに、おはようって言ってくれないの? ねえ……母上……母上……」
小さな肩を震えさせベッド脇にうずくまるエル。
チェーンがそっと肩に手を添えた。
「セツナならいけるかと思ったんだが……すまん」
「神託も……ダメなのよね?」
「ああ……女王がどうすりゃ目覚めんのか……おれらにもわからん。力になれなくてごめんな。けど……こいつらの力になってやってくれねぇか?」
エルが顔をあげて立ち上がる。
白金髪を揺らして「そう……ね。プリムちゃんの神託の導きを無碍にはできないわ」とチェーンに応えた。
皇女が僕らに向き直ったところで――
メイの触手ツインテールが僕のお尻をきゅっとつねった。
「先生! エルは泣いていますね!」
「ああ、わかってるよ」
今の僕には女王を治せない。
けど、僕のスキルを使って原因を探ることはできるかもしれない。
「エル皇女殿下。僕と取り引きをしませんか?」
「フフン……王族に取り引きを持ちかけるなんて不遜すぎない?」
「僕らは王家の書庫で調べ物をしたい。殿下は女王陛下を目覚めさせたい。もし、女王様を復活させることができたら、書庫を開放して欲しいんです」
皇女は「そんな約束して大丈夫なの?」と首を傾げる。僕は頷いて返した。
「困った時はお互い様ですから。そこに身分も立場も無いと僕は考えます」
なにもせずとも調べ物はさせてくれそうな流れだったけど、メイは乗らずに逆らった。
エルを助けたい。
涙を見せた彼女を救いたいのは僕も同じだ。放っておいて先に進むのは、心残りにしかならない。
今日まで僕らが進めたのも、みんなに助けられてきたからだ。
ここまでたどり着けたのは、目の前で困っている誰かに手を差し伸べてきたからだ。
シャチ子は少し不満そうだけど「メイ様の望みとあらば」と承諾する。
チェーンが「そっか」と、あくび混じりに背伸びした。
「さてっと……話はまとまったな。んじゃ、おれは神殿都市に戻るぜ。しっかりやれよセツナ」
「もう帰っちゃうんですかチェーンさん?」
「プリムが寂しがるしな。仕事も溜めてらんねぇ」
聖女は二人で一つだ。
と、チェーンが僕に詰め寄り上から顔をのぞき込む。
「いいか青少年……おれがおまえを男と見込んで頼む。エルの力になってやってくれ」
「は、はい!」
筆頭メイドが翻って、今度は皇女の頭を優しく撫でる。
「セツナはそこいらのガキとはひと味違う。おれとプリムが保証する。使ってやってくれ」
「フフン……同じ歳なのに子ども扱いしないでちょうだい。けど……ありがとねチェーン。あなたとプリムちゃんの紹介なら、信頼……できるし」
筆頭メイドは白い歯を見せて頷くと、メイの元へ。
「メイはちゃんとセツナを掴まえておけよ? 結構モテるから油断すんじゃねぇぞ」
「も、もちろんです! 先生が人気なのは誇らしいですが! 先制パンチですね!」
「その意気だ」
続けてシャチ子に向き直る。
「おいダチ公。困った事があったら教会経由で連絡よこせよ?」
「うむ。世話になった」
バトンタッチするようにシャチ子とチェーンは互いの手を合わせてパンッとならした。
その名の通り、僕らと皇女を繋ぐとチェーンは独り女王の寝所を後にする。
ぴんと背筋を張って歩く姿は、素直に格好いいと思った。
シャチ子が「寂しくなる」とぽつり。メイがシャチ子の胸をバインバインと触手ツインテールで叩いて揺らす。
「ずっと大人しくしてましたけど、これからはちゃんと会話に参加ですから! 休めると思うなシャチ子よ!」
「クッ……チェーンに任せて省エネしていたこと、見抜いておられましたか」
なんとなくシャチ子が大人しくしていたのって……チェーンに任せてたからなのか。
エル皇女が宣言する。
「プリムちゃんの紹介なら、三人ともお茶好きでしょ? 詳しい話と……それから三人のことも訊かせて」
「僕らのこと……ですか?」
「ええそうよ。王家の書庫を見せてあげるかどうか、私自身も判断基準が欲しいわけ」
「わかりました」
「決まりね。フフン……じゃあ見せてあげるわ。王家のティータイムというものを!」
「「おおっ!?」」
と、メイとシャチ子が期待で瞳を輝かせた。
話の続きはお茶菓子と一緒に……となりそうだ。




