108.ありがとう
「め、メイですが!?」
「すみません。あの……ここはどこで……私は……私の名前は……」
声色も顔つきもシャチ子だけど、口ぶりと表情は別人だった。
怯えるようにキョロキョロして、抱きつくクラゲ少女に困惑する。
「メイのことを忘れましたか?」
「忘れる? いえ、知らないんです。ああ……私はいったい……」
「あなたはシャチ子で海魔族一の剣士でしたから! そして、メイのお姉ちゃん的なポジションです! 思い出して!」
「……?」
クラゲ少女が泣きながら僕に訴える。
「先生! ちゃんと戻してください! 元に戻して! シャチ子を元のシャチ子に戻してください!!」
記憶までは戻せない。消えてしまった。最初からなかったように。
今のシャチ子はシャチ子であってシャチ子ではない。別人だ。
どうしてだろう。ずっと死者蘇生だけは避けてきた。
無意識のうちに。
こうなることを恐れていた自分がいる。
天の世界で教えられるよりもずっとずっと以前から、僕は知っていたような気がする。
「ごめん……メイ。シャチ子はこれ以上、戻せないんだ」
「そ、そんな……バカなぁ……」
メイの身体からフッと力が抜けた。
シャチ子は申し訳なさそうに眉尻を下げるとメイの頭を優しくなでる。
「お嬢さん。私もどうしていいか……わからなくて」
エビルが嗤う。
「さあ魔王の『器』よ。どうしますか? 私が憎くはありませんか?」
「うっ……うう……シャチ子を……よくも……よくもおおおおおおお!」
クラゲ少女は記憶を無くした女剣士を背に庇い、触手ツインテールを展開させた。
普段はぷにぷにでしなやかなそれが、黒いトゲで覆われた茨の鞭状に変質する。
これまでの旅で何度も見てきた黒い何か。
呼ばれ方はそれぞれだけど、穢れだったり負の力だったりというもの。
「メイッ! それ以上いけないよ!」
「先生……こいつは……殺さなきゃ……生かしておいちゃいけないやつだから」
少女の瞳に光は無い。
怒りに打ち震えるメイを――
「わかりませんが、私のことで怒ってくださっているんですよね。いけません。お嬢さん」
シャチ子が膝を折って目線の高さを合わせると、そっと背中側から包むようにメイを抱きしめた。
黒いトゲは消え去り元通りの触手ツインテールになる。
「シャチ……子?」
「殺すとか、生かしておいちゃいけないとか、哀しいことを言わないでください」
「シャチ子ぉ……」
メイの大きい瞳から涙がぽろぽろと落ちる。
エビルががっかりしたように肩を落とした。
「ハァ……余計な真似をしてくれますね」
僕は女剣士に代わって剣を突きつけた。
「観念しろエビル。貴様の企みもここまでだ」
「なぜですか?」
「なぜって……赤い霧のテロは失敗したし護衛を殺して一人ぼっちじゃないですか?」
「貴方が防ぐことは想定内。それに護衛ではありません。生け贄ですよ」
エビルが通真珠を取り出した。
白い貝殻で作ったような宮殿や、青で塗られた舗装路の美しい町並みが映し出される。
「海魔国の様子です。各所にリンクさせた通真珠をばらまいておきました。見えますか魔王の『器』よ」
死屍累々だった。
白壁はまだ流されたばかりの赤い血で濡れている。
王宮のような場所では巨漢のシャチ海魔族が、兵士たちの槍に全身を貫かれて仁王立ちしていた。
何が起こったんだ!?
「海の底の泡状空間内にある国ですからね。換気機構に赤霧の発生装置を取り付ければ、呼吸する者みな私の支配下となるのです」
メイが動かなくなった。
惨劇を目の当たりにして声も出せない。
シャチ子も巨漢のシャチ海魔族を見て、涙を落とした。
「なぜか……悲しくて心が痛いです……私は私がわからないのに」
エビルが自国民を殺したのか?
「支配した人たちになにをした!?」
「私は何もしていませんよ。ただ、隣人肉親他人関係なく殺し合えと命じたに過ぎません。老若男女……赤子さえも母親の手で殺していただきました」
吐き気を催した。
意味がわからない。
「なんで……そんなことを?」
「海魔族が死ねば死ぬほど海魔王の力は強まります。死に方が悲惨であればあるほどにね。そして、生き残った者へと莫大な力となって受け継がれる。今や、この世界で『器』の権利を有するのは、現在の『器』たる彼女と私のみ。私が彼女を倒せば……海魔王になれるのです」
エビルの全身からどす黒い気配が立ち上った。
獣魔大森林でも砂の海でも王城の地下深くでもみた、負の力。
海魔神官はそれに侵されている。呑まれている。
シャチ子ならきっと、これ以上の問答は無用と斬るはずだ。
「おっと、私を殺しますか? そうなると彼女の『器』は私で満たされます」
「お前は死ぬのが怖くないのか?」
「死こそが救済ですから。大いなる母の元へと還るために、これまで苦しみの生を務めてきました。さあ、どうします? 私を殺してくれますか少年?」
一瞬、エビルにワイン商人の顔が重なった。
選択肢は二つ。
エビルを倒してメイの「器」を負の力で満たすか――
メイがエビルに倒されて「器」を失うか――
どっちもごめんだ。
どこで間違った。僕らは何を間違えた。
他に方法が思い浮かばない。
頭の中が真っ白になった。
瞬間――
エビルの胸を黒いトゲが貫いた。
メイの触手だった。
「おお……ついに私の……夢が……叶います……ありがとうございます」
血とともにどす黒い何かを吐きながらエビルは満足げに微笑む。
僕らは……負けたんだ。エビルの思い描いた通りになってしまった。
糸の切れた操り人形のように、海魔神官だったモノはぐったりと動かない。
一撃で致命傷。急所を貫いた。
メイが触手から負の力を取り込む。
止めなきゃいけない。
触手に手を触れ「戻れ」と念じた。
手のひらが血まみれになる。カミソリを鷲づかみにしたようなものだった。
「先生……戻しちゃダメ……です」
「メイ!? いけないよ! やめるんだ!!」
少女は儚げな表情で首を左右に振った。
「闇は『器』に還ろうとします。メイにも止められないです。だけど、この世界を……メイに優しくしてくれた先生とみんなのいる世界を……メイは守りたいから」
嫌な予感しかしない。
触手はもうとまらない。僕はメイを抱きしめる。
「メイ! お願いだから諦めないで!!」
「ずっとずっと、先生に拾っていただいた時から今日まで、メイの人生はバラ色でしたから」
「これからもバラ色でいよう」
「メイは……ご一緒できません。器に満ちた負の力が溢れて、大好きなものを全部壊しちゃいます」
「僕が止める。メイが壊したものなら全部治すから。戻すから」
「人の命は……戻せないですから」
メイの視線がシャチ子に向けられた。
ああ、もう。
女剣士で海魔将軍の娘のシャチ子はいないんだ。
「メイが海魔王になっても、元のメイに戻すよ!」
「そうしたらエビルも戻ります。エビルの中の闇が戻ってきたら、もっと酷いことになるって……感じますから」
メイの触手がそっと僕を引き剥がした。
あらがえなかった。
独り、メイは天を仰いでぽつりと呟く。
「海魔王の衝動。破壊の力をメイはメイに向けます。きっと……こうするために神様はメイを『器』にしたのでしょう。メイが全部……持っていきますね」
「やめて……メイ……お願いだから……」
「先生。とっても楽しかったです。これからも笑顔でいてください。シャチ子を……赤ちゃんになっちゃった、よちよちなシャチ子を……頼みますね」
最後まで自分のことよりも、傷ついた誰かのことを想い願うなんて……。
メイは微笑んだ。
「ありがと……先生」
そして――
黒い闇の力が彼女の胸元で小さく爆ぜると、空間を切り取るように呑み込み……。
クラゲ少女はこの世界からちり一つ残さず、完全に消滅した。
憎しみと破壊と負の連鎖の力、その根源たる「器」を道連れにして。
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