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107.戻せない心

 シャチ子が旅立ち、僕らは見送った。


 人間の王国と海魔国、そして獣魔連合。

 三勢力の和平条約締結に向けて世界が動き出す。

 条約といってもゆるやかなものだ。


 互いの生存権を脅かさないこと。


 まずは対話する。すべてはそこからだ。



 一ヶ月が経過し、海魔国から使節団が派遣されることが決まった。


 シャチ子が父親の説得に成功した。

 穏健派代表の海魔将軍サカマタが、直々に王都にやってくる。


 会談の準備が急遽執り行われた。

 

 王城の広間に議場が用意され、あとは使節団を連れたシャチ子の帰還を待つばかり。


 僕とメイは王国側の席に着く。

 メイはシャチ子と別れてから、どこか元気がなかったけど――


「先生! シャチ子が帰ってくるのですね? メイは嬉しいのですが?」

「そうだね。一ヶ月は長かったかも」

「先生もシャチ子のおっぱいがなくて寂しかったですか?」

「誤解を招くようなことは言わないで欲しいな」


 議席の中央にエル女王。下座に獣魔族を代表して巫女服姿のフゥリィと獣魔族のお歴々。

 空いた上座に使節団を向かえる格好だ。


 衛兵が到着を知らせる。

 扉が開き、シャチ子を先頭に海魔族の代表たちが姿を現した。


 女剣士以外は全員ローブに身を包み、目深にフードを被っている。

 その体躯から背びれや甲殻といった特徴が、ゆるっとした服をまとっていてもよくわかる。


 使節団を迎え入れ、女王が席を立ち一礼した。


「よく来てくれたわね……フフン。歓迎するわ。それにシャチ子もありがとう」

「…………」


 シャチ子は応えない。


 様子がおかしかった。うつろな眼差しだ。


 不意に、使節団の一人が口の中に手をつきいれた。小瓶(?)を取り出し床に落とす。途端に、ものすごい勢いで赤い霧が吹き出した。


 ――間違いなく「良くない」ものだ。


 僕はとっさに飛び出す。

 自分自身の時間を「止め」る。


 たとえ毒の霧だろうと影響を受けることはない。

 ただ、戻したり進めるよりも止める制御は格段に難しかった。


 小瓶に向かって手を伸ばし、触れて時間を戻す。

 見る間に散布された赤霧が消えてなくなった。


「エル女王は下がってください! 獣魔族の皆さんも!」


 議場が騒然となった。

 が、女王は冷静だ。衛兵に指示をしつつ自身は奥の間へと待避する。


 フゥリィも「皆の者こっちじゃ。まったく、嫌な予感が当たったのぅ」と、同胞たちを退路に導いた。


 刺客が送り込まれてくる可能性も考慮しての「準備」済み。

 


 メイがシャチ子に問いかける。


「シャチ子! どうしましたか!? しっかりなすって!」

「…………」


 返答はなく、女剣士は月光を抜き構える。

 使節団の一人がフードを外した。


 その顔に見覚えがある。

 海魔神官エビルだ。直接乗り込んでくるのは想定外だった。

 緊張が走る。


 エビルが口角を上げた。


「やはり貴方に止められてしまいましたねセツナさん。この場を掌握できれば平和に終われたのですが……」

「さっきの赤い霧はなんですか?」

「アビス閣下の血とスキルを分析して再現したものです。ご本人は亡くなってしまいましたので、私の血から作りました。効果は御存じの通り展吸った人間を支配下におけるんですよ」


 身体検査をエビルがすり抜けてきたのも、衛兵に使ったからか。

 議場を占拠し人間と獣魔族の代表をまとめて……っていう算段だ。


「黒幕が前に出てくるなんて、余裕ないんですね」


 僕は腰の小剣を抜き構える。

 と、シャチ子が僕とエビルの間に割って入った。


「…………」


 うつろな眼差し。再会の言葉もない。

 操られている。


 けど、それがどうした。


 前回と同じじゃないか。

 触れて一ヶ月戻せばいい。


 今の僕なら一秒あれば十分だ。


 メイが後方で叫ぶ。


「先生! シャチ子をお助けください!」


 頷いて間合いを計る。


 この一ヶ月、シャチ子が留守の間、僕はひたすら剣を振り続けた。

 昨日の自分より少しでも強くなりたいと思いながら。


 それでも……怖い。操られていても月光を構えたシャチ子に隙は無かった。


 仕掛けるのは危険だ。先にシャチ子に打たせて一撃を浴びてでもチャンスを作る。

 こっちは触れさえすればいい。


 不意に――


 シャチ子は自身の首筋に月光の刃を当てた。


 何が起こっているのかわからなかった。


 刃を引く。

 赤いしぶきが議場の中心で華を咲かせた。


 エビルが連れてきた他の海魔族たちも次々と、自らの手で命を絶つ。


「直さないと……治さないと……戻さないと……」


 シャチ子の身体が膝からどさりと崩れ落ちた。


 すでに息絶えていた。


 死んだんだ。僕らの目の前で。


 止めることができなかった。


 エビルが両腕を天に掲げる。


「さあどうです? 死者すら元に戻せますか時間調律士?」


 僕はシャチ子の首に触れる。


 戻さないと。シャチ子はメイの……僕らの家族も同然なのだから。


「戻れ……戻れ……戻れええええええええ!」


 天の世界で神のような存在――青い玉に言われた言葉が脳裏をかすめる。


 死者は元には戻らない。


 見る間にシャチ子の身体は復元された。溢れる血は彼女の体内へと還り、閉じた目が開く。


 女剣士は蘇り立ち上がった。


 ははは……嘘じゃないか。大丈夫じゃないか。


 メイが駆け寄りシャチ子に抱きつく。


「シャチ子! シャチ子シャチ子シャチ子シャチ子! 大丈夫ですか?」

「……どなた……ですか?」


 女剣士はぽつりと呟いた。

お読みいただき、ありがとうございます!


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