106.シャチ子の秘密
『シャチ子は本当に国に戻るというのですか?』
『他の者には務まりませぬ。どうかお許しください』
『許すもなにも!? メイのため……なのですよね』
『必ずや吉報を持ち帰ります』
『寂しくなります』
『…………はい』
二人の歌が宮廷内のどこからか聞こえた気がした。
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月明かりの照らす夜。
城の練兵場で一心不乱に剣を振るう。
今は素振りを続けて、戦いに備えるだけだ。
海魔族との交渉に僕とメイは向かえない。
そもそもメイを海魔族から守るため。当人が戻ってしまっては元も子もない。
穏健派だって味方とは言い切れなかった。
メイを閉じ込めることで抑止力として、自陣営の優位性を保つ手駒として保有してきたんだ。
シャチ子とともに僕が海魔国に行くことも考えた。
けど――
メイを一人にしてしまう。
「切っ先が定まっていないぞセツナ様」
不意に響いた声に手を止める。
虎口から人影が姿を現した。シャチ子だ。
「メイとはもういいんですか?」
「挨拶は済ませた。永遠の別れでもあるまいしな」
「そういうのフラグを立てるっていうんですよ」
「た、立ててなどおらぬぞ!」
声を上げてシャチ子が迫る。月光を抜くと剣を返した。
「私から一本取ってみろセツナ様」
「急にですね」
「メイ様を預けるのだ。卒業試験といったところだな。今回は腕を……自身を犠牲にせずに勝ってみせよ」
力量差は天と地ほどだ。
「わかりました。やってみます」
「良い返事だ。さあ、打ってくるがいい!」
剣と刀が火花を散らし、甲高い金属音が夜の庭に響いた。
月下に閃く白刃に惑いながら、僕は懸命にシャチ子に追いすがる。
一時間剣を振るいっぱなしで、結局一本も取れなかった。
「ハァ……ハァ……」
「まったく。この程度で息が上がるとはだらしない」
「すみません」」
「力を使って戻したらどうだ?」
「それじゃあ持久力はつかないかもしれませんから。むしろ進めます」
戻すのではなく、この経験を「進める」ことで修練することもできる。
しばらく試すことができなかったけど、今ならできそうだ。
シャチ子の指導をイメージして素振りをし、その反復をイメージして感覚のみを「進め」る。
剣を振るうと――
風に舞う木の葉を両断する、鋭い一撃が出た。自分で放った感覚がなくて、打った僕自身がびっくりだ。
「ほほぅ……まるで私の一太刀のような鋭さだな」
「お手本があればこそです」
「手本……か。私はセツナ様に示せただろうか」
「この旅の間、たくさん教えてもらいました。ちょっとお酒やごちそうにだらしないところはありましたけど」
「一言多いぞ」
刀を収めたシャチ子はやれやれと笑う。
月を見上げた。
「メイ様の居所は月が知らせてしまう。一生涯逃げ続けるわけにもいかぬからな」
「そうですねシャチ子さん」
「天の世界から帰ってきたセツナ様の発案ではないか」
「あっ……確かに」
今の状況を作り出したのは僕だ。
神にも神のスキル持ちにも頼れないなら、それ以外の手段を講じる。
天の世界に昇ったからこそ、決心が付いた。
シャチ子がじっと僕を見据える。
「旅立つ前に……折り入って話がある」
「なんですか?」
「警戒するな。以前、少しだけ話したことの続きだ」
大きな胸を上下に揺らし、深呼吸で息を整えるとシャチ子は語り出した。
「イールカ家の者には魔王の『器』が継承できない。覚えているか?」
「ええと、守るため……なんですよね」
「野心あるものが護衛にはなれぬからな。だが、それは表向き……」
「裏があると?」
女剣士は深く頷いた。表情に暗い影が落ちた。
「継承できぬからこそ『器』の力に魅入られることがない。もし……海魔王が暴走した時には、その首を刎ねるのが私の役目なのだ」
息を呑む。
シャチ子がメイのそばから離れない理由は、守るため……じゃなかったんだ。
「メイを殺すためにそばにいたんですか!?」
「声が大きいな。まあ、今更誰に聞かれたところでだが……事実だ。私が『器』の持ち主を殺せば、次は海魔族の他の誰かに『器』が継承される。リセットがイールカ家の役目だ」
「メイは……知らないんですよね」
「伝えてはいない。今宵も……お伝えできぬままだ。それが心苦しい」
胸に手を当てシャチ子は目を伏せる。
「じゃあ、海魔国行きの大使になぜ?」
「私しかおらぬこと。それにもう……メイ様を守る力を持った……真の守護者がここにいる。私は偽りの楯。場合によってはメイ様に刃を向ける暗殺者だ。そばにはいられぬ」
「そんなことないです。話せばきっとメイだってわかってくれます」
「無論だ。優しく聡明な方だからな。すべてが終わった時に打ち明け、判断を仰ぐつもりだ。だからこの先……メイ様を頼むぞ」
「その言い方、本当にフラグですよ」
「ははは。かもしれぬ」
女剣士は月を見上げて力なく笑う。
その表情がいつになく儚く見えた。
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