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第九十話 一別

 そんなこんなで勘づかれつつも俺たちは夜中にこっそりと塹壕を抜けた

 本来は彼らを呼び出して対面で別れを告げるべきだったがドグとヤウンの様子をルイスに伝えたところ。彼は少し悩んだ後、置き手紙だけに留めて密かに抜け出すようにと諭された

 俺はあいつ等にキチンと別れを言えないのは残念だったが下手に引き留められたり、憲兵に通報されたりするようなことになると此方の身が危ないのでその意見には賛成だった。


 俺たちはバラト大佐のいる宿舎に一礼してドグとヤウン、ヌーベルへの感謝を述べた手紙を官品の便覧に書きつけて置いて来た。

 そうして夜陰に紛れて俺たちは塹壕から抜けて行った

 道中には歩哨が数人立っているだけなので此方も堂々と会釈をしてやり過ごしながら少し木々が鬱蒼としているところまで歩いてきた


「ここを越えればもう戻れないぞ」

 ルイスが俺たちに振り返りながら忠告する

 俺もヘレナも静かに頷いてさらに一歩踏み出そうとしたところで最後尾を歩いていた俺の背後からさらに地を踏み締めるような音がした。


 慌てて振り返るとそこにはヤウンがたった一人で立っていた


 しかし、彼は妙な雰囲気をまとっておりいつもの媚びるような笑みではなく仏頂面で腕を組んでいた。

「どこへ行くんです?」

 ルイスはヤウンの言葉には答えず慌てて剣を抜こうとするのを俺は手で制した

「なに、地元が恋しくなったのでね。久しぶりに故郷に帰ろうかと」

 俺の言葉にヤウンは表情を崩してニヤリと笑った


「故郷が恋しいとは随分と年齢に相応な事を言うんすね。いつもは老獪さすら感じるのに。ですが、これは脱走兵に身分を落とすと言う事ですよ?せっかく臨時とはいえ出世したって言うのに」

「俺の目的は出世ではなく、国の為に戦うと言う事だからな」

 ヤウンは組んだ腕を解いて腰に手を当てた


「国っすか?自分らが所属してるのは帝国っすよ?それ以外に国なんてないじゃないですか」

 彼の言葉はドンドンと低く落ち着いたものになっていった

 流石に近衛の出身なだけあって彼の忠誠は皇帝に注がれているようだった


「それがあるのさ。昔からこの地には国がある」

 ヤウンは静かに瞑目するとため息を吐いた

「なら、仕方ないっすね」

 そう言うや否や腰に背負っていたライフルをこちらに向け発砲してきた

 弾は俺の腕を少し掠ってあらぬ方向へと飛んでいった

 俺たち3人は散開して彼の周囲を囲った

「あら、ハズレか。抜き打ちは相変わらず上手くならんっすね」

 そう言って彼はボルトアクションを済ませると照準器に目を合わせた


「待ってくれ!戦いたくはない!大人しく見逃してくれれば……」

「バカな事言っちゃいけないっすよ。アンタらがしようとしている事はこう言う事っすからね。嫌なら大人しく脱走兵として憲兵に突き出される事っす」

 そう言ってもう一発弾を放った

 弾は正確にヘレナの脚を撃ち抜いた

「クッ」

 ヘレナは痛みに思わず腰を落とす

 そこを見逃さずにヤウンはライフルを横薙に構えてヘレナの方へ駆け出した

「クソッ!」

 俺は悪態を一つ吐いてライフルを構えてヤウンに向かって放った

 しかし、弾はヤウンの肩を掠めただけで向こうへと飛んでいってしまった

 ヤウンは速度を落とさずヘレナに肉薄する


 ヤウンがライフルを振り抜こうとした所で一発の銃声が響きヤウンはライフルを取り落とした

 俺が銃声のした方を振り向くと肩で息をしながら銃口から煙を出すハンドガンを構えたルイスがいた

「ぬぅ」

 ヤウンは血の滴る腕を押さえながら立ち上がった

「殺さないっすか?そんなことも出来ずに中途半端な意思で脱走なんてするもんじゃないっすよ」

 ヤウンはニヤリと不敵に笑うが俺はそんな彼を視界に収めないようにしてルイスに叫んだ


「ヘレナを抱えてくれ!このまま逃げる」

「あぁ」

 俺がライフルを構えてヤウンを牽制している隙にルイスはヘレナを背負って駆け出した。俺は彼らが森の中に消えていくのを見届けてからジリジリとライフルを構えながら下がっていく


「安心してください。自分は何も言いませんよ。なんせ、こんな事で足踏みしていてはいつか本当の戦場で野垂れ死ぬでしょうからね」

 そう言ってヤウンは腰を下ろして静かに笑いを漏らしながら俺の方を見つめていた

 彼の言葉を理解しながらも俺はライフルを手に森の中へ駆け込んだ


 その後は追手が来る事はなく。森を抜けて俺たちはカナリア本領へと戻っていった

 脱走は成功した反面俺はヤウンの言葉が小骨の様に心の奥に刺さったままだった

次回更新は土曜日の朝になるかと思います

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