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感情行ったり来たりが忙しいです

「はあ・・・」


ようやく笑いが収まって何気なく振り返ったら、先ほど差し出したおにぎりを一つ食べ終わっている社がいた。紗枝用の大きさだったので、ほんのニ、三口で食べてしまったのだろう。

親指についた米粒も食べ、ふっと笑みを浮かべる。


「この間も思ったが、紗枝は料理が上手いな」


嫌味のない笑顔と言葉に、照れがかあっと頬を薄く染めた。


「え・・・えっと、ただお豆入れて、だし入れて炊いただけですけどね。そんな、おいしいって言ったら社さんがくれたお重の方がよっぽどおいしいですよ。あれをいつも食べている人に出すなんておこがましいっていうか・・・」

「ああ、あれか。まあ、あの店も利用するといえば利用するが・・・、俺は基本的にはコンビニ弁当だぞ」

「へ?」

「ああいう店だと面倒だし、コンビニの方が好きなときに食べられて便利だしな」


(ええええ~~?)


何故、こんな高級マンションに住んでいて、しかも社長で、秘書は男だけど超美人なのに(いや、これは関係ないけれど)、食事がコンビニなわけ?と紗枝は間抜けにもぽかんと口を開けるはめになった。

というか社がコンビニなんて似合わなすぎる。いや、この場合買いに行かせているのかもしれない。

しかし、玲人にもコンビニはあきらかにミスマッチだった。

・・・きっと誰か違う人が調達しているのだろう。

そうに違いない。でも社長がコンビニ弁当ってなにか悲しくならないのかな、その人。いやいやいや・・・

半ば無理やりに納得して、紗枝は違うことを口にした。


「でも、体に悪いんじゃないんですか?」

「まあ、接待やら何やらでそれなりにいいモンも食っているからな。気にする程じゃない。それに体が丈夫なのは取り柄だしな」

「・・・でも、あんまコンビニはよくないと思いますよ。ああいうのって、味付け濃いし、いろいろ入ってるし。将来体にガタがきたときに困っちゃいますよ。生活習慣病ってコンビニに頼ってる人だと若いうちから始まるっていいますから」

「・・・っ・・・」


社さんも気をつけてくださいね。そう言った紗枝の言葉に、社は妙な顔をした。吹き出すのをこらえたみたいに見える。けれど紗枝には、よく理由がわからなかった。


「な、なんですか・・・」

「いや・・・、・・・別に」


警戒する紗枝に対して、彼はお茶を飲むことでごまかした。そしてグラスを置いて一息つくと、今までとは一転した真面目な声で尋ねてくる。


「それよりも。敬語はやめたんじゃなかったのか?」

「え?」

「俺にはそんな価値はないんだろう?」 


社は椅子の背に腕をかけて斜に構えた風体だった。だが、紗枝を責める雰囲気はみられない。むしろくつろいでいるようでさえあった。


「あ・・・のときは・・・。ごめんなさいっ!」


だから紗枝も素直に謝れたのかもしれない。

社がもっと怖ければ、きっと声が出なくなっていただろうから。


「社さんはお店を奪わないって何度も言ってくれたのに、それをちっとも信じなくてごめんなさい。ひどいことを言ったのも、本当にすみませんでした。さっきも言ったけど、人をその人と関係がないところで判断するなんて最低です。本当に、最低でした、私」


こうやってまた、社と話してみれば、やはり社は紗枝が憎んだ人種とは違うことが分かる。

だからこそしっかりと社を見つめ、紗枝は自分の思いを伝えた。


「相模さんに言われたから、こうやって思ったんじゃないです。きっかけは確かに相模さんだったけど、でも私なりに考えて、やっぱり社さんは私が知ってる社さんが本当だと思ったから。だから、社さんのことを信じます。信じなくて、失礼なことばかり言って、本当にごめんなさい。こんな私に、お金を貸してくれてありがとうございます。本当はとても困っていたし、どうなるか怖かったんです。けど、強がるしかなくて・・・でも、実際はすごくすごく助かったんです。社さん、本当にありがとうございます。ありがとう、ございました」


紗枝の言葉を聞き、社はその切れ長の目を見開いた。

深く頭を下げた紗枝を見つめたままの長い沈黙のあとで、ふーっと長いため息をつく。

その音に紗枝はびくっと一瞬身をすくめたが、続けて出た社の声は苛立ったものでも嫌味なものでもなく、ただ静かだった。


「・・・お前は・・・根が本当に素直なんだな」

「え?・・・素直、よりも気が強いって、よく言われます・・・けど?」


首をかしげると、社は一度視線を伏せ、それからその黒い瞳で紗枝をしっかりと捕らえた。


「あのな、お前は・・・」


ピルルルピルルル。

彼が何かを言いかけたところで、突然呼び出し音が鳴り響く。ちっと舌打ちをして社は脱ぎ捨てたスーツから携帯電話を取り出した。


「何だ。・・・・ああ、だからすぐ戻ると言っただろう。・・・ああ、わかった。だから、わかったと言っているだろうが」


相手は玲人なのだろう。男にしては少し高めの声がわめいているのが漏れ聞こえてくる。

着替えに戻るだけでどれだけ時間かけるつもりなんですか、何一人だけ余裕かましてやがってるんですか、とまさに鬼気迫る迫力。

なのに、社は「もうすぐ戻る」と一方的に通話を切ってしまった。本当に玲人に対してぞんざいな扱いをしているようだ。


「だ、大丈夫ですか?すみません、お引とめして」


むしろ紗枝のほうがおろおろとしてしまうくらいだった。


「いや、お前と話ができてよかった。だが、とりあえず戻らないとあいつが発狂するな。この残りもらっていっていいか?」

「あ、じゃあホイルに包みますね」

「頼む。俺は着替えてくる」


数分後、新しいスーツに着替えた社におにぎりを渡し、紗枝は玄関までかいがいしく見送った。


「お仕事、がんばってくださいね。いってらっしゃい」


そう言うと、社はまたしても驚いた顔をして、それから今度は奇妙な表情になり、ぽんぽん、と紗枝の頭を二度軽く叩いた。


「いってくる。お前は夜更かしするなよ」

「い、いくつだと思っているんですかっ!」


子供にするような注意は気恥ずかしくて、紗枝が怒ったように言うと、半ば背を向けていた社が振り返った。


「そういえば、リビングにおいてある紙袋はお前にやる」

「はい?」

「ただここにいても暇だろう?時間つぶしに使え」


そう言い置いて、今度こそ社は玄関の向こうに姿を消した。残された紗枝が、言われたとおりに大きな2つの紙袋の中身を見れば、そこにはふわふわした布地や毛糸、綿、リボン、レース、ボタンなどがわんさかと入っていた。その中に、紗枝の裁縫道具も見つける。


(社さん・・・とってきてくれたんだ)


ほわっとなんだか胸の中が温かくなった気がした。


(うん、やっぱり社さんはいい人だよね。よかった)


紗枝は、紙袋を膝の上に抱えながら、嬉しそうな笑みを浮かべた。



再び会話を始めた次の朝、安心してしまったせいか紗枝はすっかり寝坊してしまった。

9時を過ぎた時計に、社は仕事をしているのに、と気まずい気持ちでリビングに出れば、ソファで眠っている社を見つけた。

高そうなスーツの上着をソファの背に引っ掛け、転がって書類を読んでいるうちに眠ってしまったようだ。

床にばらばらと紙が散らばっていた。


(今日は、お仕事いいのかな・・・?昨日遅くまで帰ってこなかったみたいだし)


とりあえず散らかっている書類を拾い上げテーブルに置いた後、毛布をかけようとする。そこで、社がぱちりと目を覚ました。

そして突然毛布を抱えていた紗枝の腕をぐいっとひっぱって、自分の下に押さえつける。

ピタリと喉元に掌を押しつけて無表情で覗き込む社の瞳の中に赤い色が見えた。


「・・・っ、や、しろさ・・・っ?!」


先日の恐怖を思い出して、紗枝は体を硬直させた。すると、はっとしたように社が表情を取り戻し、その手を離した。


「・・・・・・紗枝か」


すぐに紗枝の上から退いた彼は、ふいと視線を外し、気まずそうに髪を掻いた。それから再び戻ってきた瞳はいつもと同じ黒。はあ、と一つ大きく息を吐き、紗枝の頭へ手を伸ばしてきた。おそらく撫でようと思ったのだろう。

だが、反射的に紗枝はびくりっと身をすくめる。

社の手が止まった。


「あ・・・、ご、ごめんなさい・・・」

「いや・・・」


沈黙が重たく場を支配した。何かを言わなければと思うのに、ドッドッドッと響く心臓の音だけを聞いていた。


「すまん。怖がらせたな」


社は左の掌で瞳を隠すようにしてから立ち上がった。

唇が失敗したとばかりに歪んでいた。

怖いものは怖い。だが、社にそんな表情をされると息が苦しくなった。

紗枝はせめて和ませようと、引き立った表情で明るく言葉をつむぐ。


「社さん、朝だからって、誰と間違えたんですか、もう。その、彼女さんですか?社さんのことだから、すごく美人なんでしょうね」


驚いた表情で社が振り返った。

そして無言でじっと紗枝を見つめる。睨まれるようなその視線に怯みそうになったが、絡んだ視線は意地で外さなかった。


「・・・馬鹿、そんな相手はいない」


それに社は呆れた声で対処してきた。

いつもの社だ、と思うと。ほっと息が漏れ、軽口が続いた。


「社さんに彼女がいない?その顔で?そんなわけがないじゃないですか」

「顔?別に人相いいもんじゃねえのはお前だってわかるだろ。いないもんはいないさ」


彼はふいと背を向け、キッチンで冷蔵庫から2ℓペットボトルの水をそのまま飲んでいた。

それが拒絶に感じられ、社に怯えたことを振り払いたい気持ちが強く湧き起こる。


「別にごまかさなくていいんですよ?社さんがモテるのはすごく、想像つきますから」


紗枝は同じ話題でまた絡んだ。

社の手が止まる。真意を探るようにまたじぃと黒い瞳がこちらを凝視していた。


「あの、社さん?」


さすがに嫌がられたのかと紗枝は謝罪を口にしようとした。

が、その前に社がぽつりと言った。


「ごまかしてない。大体、いま決まった女がいたら、いくら俺でも他の女を居候させないぞ」


至極真っ当な答えに、紗枝はぱちぱちと目をしばたかせる。


「あ・・・そうか。誤解されちゃうかもしれないですしね。でも、私なら誤解もされない気がしますけど。まあ、用心には越したことないですね」


なるほど、と頷く紗枝に、だが、社は眉をよせている。それから、空になったペットボトルで紗枝の頭をこんっと叩いた。


「おい、こら」

「えっ、痛っ。何ですか・・・?」

「自覚があるのかどうかはしらんが、自分を卑下するんじゃない。言っておくがお前、美人の部類だぞ」

「・・・・は?」


紗枝はぽかーん、と社を無防備に見上げた。

かっこいいはよく言われるけれど、それと美人は結びつかない気がする。

たとえば、美人というのは玲人のような顔を言うのであって・・・。うん、あれはかっこいいとは言わないでまさに美人、がしっくりくる。ちなみに玲人がどう思うかは知ったことではない。


「社さん、目がおかしいんですか?」

「あ?」

「痛っ!」


また、こんっと頭を叩かれて、紗枝は頭を腕でかばった。


「何するんですか!だって、玲人さんが傍にいてなんで、美人の基準分からないんですかっ」

「玲人?・・・ああ、アレは確かに受けがいいな」

「あの人と同じくくりの表現をしないでください。なんか惨めです」

「そうか?俺には、玲人なんて黒い狸にしかみえないけどな。あいつは笑っているほうが怖い。それに比べて、紗枝は裏表がなくてよっぽどいい」


鼻先が触れそうな距離に社の整った顔があった。

紗枝は慌てて後ずさる。距離感がおかしい。

先ほどとは違う意味で心臓がうるさくなった。


「え・・・と、褒めて・・・くれてますか?もしかして」

「もしかしなくても、褒めてるんだよ。前に言っただろ。紗枝は顔は美人だが、性格が可愛いと」


途端、紗枝は首まで真っ赤になった。


確かに、前にそんなことを言っていたような気がする。

あのときも口が上手すぎると思ったが。社の場合、真顔だからタチが悪いことこの上ない。


「や、社さん。そういうこと言うの、恥ずかしくないんですか・・・?」

「別に。思ったことを言って何が悪い。なんだ、お前は恥ずかしいのか」

「普通の人は恥ずかしいと思いますけど」


しゅうう、と音がしそうな位に熱を上げて、紗枝はうつむいた。すると頭上で社の笑う気配がある。


「ほんと裏表がないな」

「いや、それ馬鹿にしてますよねっ」

「してないが」

「どうせ、からかわれやすいですよ」

「からかってないぞ」

「………もういいです」


ふん、と、大きく顔を逸らすと、「褒めてんだけどな」と社の苦笑にまぎれた言葉が聞こえた。

それでも顔をそらしていると、がこん、と社が空になったペットボトルを投げ捨てた音が聞こえた。

社はそのまま紗枝がそろえた書類を掴み上げ、低い声で言った。


「そうだ、言い忘れるところだった。俺が寝てるときに足音立てずに近づくなよ」

「え?」


その中でいる書類といらない書類を分けているのか、ぽいぽいっと何枚かの紙を床に散乱させながら、紗枝の顔も見ずに言う。


「闇討ちかと思って燃やすとやばいだろ」

「は・・・」

「まあ、もうほとんどそんな寝ぼけ方しないと思うがな。一応、念のためだ」


絶句した紗枝に、社は自嘲的な笑みを見せた。

それから、もう紗枝のほうは見ずに書類片手に洗面所の方へ向かってしまう。やがてシャワーの音が聞こえてきたから、風呂に入ったのだと知った。その時点で、ようやく紗枝の金縛りが解けた。


「・・・べ、別に怖くないし・・・!」


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