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攫われましたが言うことは聞きたくありません

「紗枝、寝ているのか?」


軽く扉を叩く音に、紗枝は答えなかった。

自分の部屋より大分広々とした部屋の隅で毛布に包まったまま黙って丸まっていた。

はあ、とため息がドア越しに聞こえた。


「リビングに飯、置いておくからな。いい加減食えよ」


従うものか、と心の中だけで返事をする。それが届いたのか知らないが、また社の吐息の音がして、それから足音が遠ざかっていった。

紗枝のハンストはもう2日目になっていた。


あの夜。

連れてこられたこの場所は、紗枝が今までに見たことがないくらいに高級なマンションだった。

エントランスには受け付けの人がいたし、その床は磨き上げられた白い石に覆い尽くされていた。ホテルのロビーのようにソファも緑も置いてあって、広々として、優しいオレンジ色の明かりに照らされた空間に状況も忘れてぽかんとしてしまった。

だが、受付の男性の「おかえりなさいませ」という声に正気に戻され、いたたまれなさに頬を染めた。なにせ、移動はまたしても社の腕に抱えられてだったから。

降ろせ、と紗枝が小声で社に主張したが、あれだけ怒鳴っても暴れても無駄だったものがそれくらいのことで聞いてくれるわけがない。

彼は何も気にした様子なく、受付の人が何かのカードで開けてくれた奥のエレベーターに乗り込んだ。


「ちょっとここ何?ていうか家に帰してよっ」

「・・・・・」

「帰してってば!こんなどこか分からないとこに連れてこないで!」

「・・・・・」

「社さんっ!」

「俺のうちだ」


非難するように名を呼ぶと、ようやく社が口を開く。

それと同時に、チンと軽い音がしてエレベーターは目的階に着いたようだった。

そしてまた唖然。


(ドアが一個しかない?)


エレベーターを降りたら一本の広い廊下。黒くぴかぴかとした廊下に続くのはたった一つだけのドアと、人の背丈ほどの窓だった。

ここに来てようやく社が紗枝を腕から降ろした。

途端、紗枝は逃げ出そうとしたが、やすやすと社の片腕につかまり、彼の体の左側面に思い切り押し付けられた。


「うーーーっ」

「・・・強情だな」


ぽつり、とため息まじりに呟かれ、ドアの鍵を開けた彼にそのまま中へ連れ込まれる。紗枝はか細くて小さな女の子じゃないのに、社にかかれば荷物同然だった。

ぼすん、と降ろされた先は革貼りのソファ。隣にスーツを着崩しながら社が座る。逃げられなかった。


「何か飲むか?・・・酒以外は水しかないが」

「いりません。帰ります」

「かくまわれていろ、と言っただろうが」

「意味がわかりません。誘拐の間違いじゃないですか?」


紗枝がにらみつけると、社は眉をしかめる。


「どうしてそんなにも聞きわけがない?」

「いきなりこんなところに連れてこられて聞き分けがいいわけないでしょう!何の説明もないのに!」

「説明ならした。あの店よりもここにいるほうが安全だからだ」

「その意味がわかりません!あそこは私の家なんですよ?大体、あなたの傍にいるほうがよっぽど危険じゃないですか!」

「俺がお前に何かしたことがあったか?」

「な・・・!しししたじゃないですかっ!さっきっ!あんな・・・っ」


社の返答に、金槌で頭を殴れたようなショックが紗枝を襲った。確かに大人の社にとってはどうでもいいことなのだろうけれど。

紗枝にとっては、たった一度のファーストキスだったのに。

別に、夢見て取っておいたわけじゃない。

ただ、機会に恵まれなかっただけで。

けれど、せめて好きな人としたかったと思っても罰はあたらないだろう。

それが、もはやヒトですらない疑い濃厚な相手とだなんて。

思い出すとまた、涙がでてきそうになった。

それを隠したくて紗枝は必死に瞬きを繰り返し、ぎゅっと眉を寄せた。


「・・・もしかして、したことがなかったのか?」


嘘だろう、と言いたげな社に、紗枝は一瞬で頬を朱に染めた。その理由は羞恥だったのか怒りだったのか。

わからないけれど、思い切り手を振り上げていた。

小気味のよい音とともに、紗枝の手のひらに鈍くしびれた感覚があった。


「な・・・んで・・・避けないんですか・・・」


動揺のせいで、自分でもぎこちなく、緩慢な動きの平手だと分かっていた。

だから社は簡単に避けるだろうと。

けれど、彼は微動だにせず、紗枝の手を掴むそぶりもみせなかった。

社はわずかに赤くなった頬を指先でこすり、それから瞳を伏せた。


「・・・その、悪かったな」

「・・・・・」

「あの場をうまく収めるにはあれが一番てっとりばやい言い訳だったんだ。俺個人のことで、本家に迷惑をかけるわけにはいかないからな。奴らは目で見たこと以外を信じない。だから・・・」

「・・・・・・・もう、いいです・・・」


言い訳を始める社に、紗枝はうつむいた。ひどく胸が痛んだ気がしたからだ。

策略のためだと、何の意味も最初から持ち得ないものだと再び思い知らされたくはない。

紗枝は無意識のうちに、手の甲で何度か唇をこすっていた。それを社が見咎めたことも知らずに。


「それは、もう済んだことだからいいです。こんなことで、いつまでもわめきたてるほど子供じゃないつもりだし」

「・・・紗枝・・・」

「別に、あなたほどの人が私なんかをどうかしようなんて思わないでしょう。そんなうぬぼれは抱きませんよ。そうじゃなくて、あなたはやくざなんでしょう?だからあ、あんな風に人を殴ったり・・・も、燃やしたり。私、暴力は大嫌いです。暴力を振るえばかならず自分にかえってくる。だから、あなたの傍にいるのは危険で嫌です」


自分でもびっくりするほど冷たい声が出た。

淡々とした言葉がやけにすらすらとでてくる。

紗枝の心は先ほどまでとは違い、とても落ち着いていた。


「やくざなんて、野蛮で暴力的で人を追い詰めて苦しめて、社会の迷惑じゃないですか。だから大嫌い。それにあなた、その、あ、あやかし……なんでしょう?」


あやかし、という言葉を使う時、恐怖が先行した。

妖。ほかに実際に見たことなどあるわけもなく、ただ、いる、とだけ伝えられる存在。

太古には人を襲い食料としていたとさえ聞く畏怖の存在。

社の赤い瞳を思い出すとゾッと、背中が冷たくなった。

コワイ。カカワリタクナイ。

ヒトの本能にまで染み込むいわれのない恐怖感。


「あなたとは住む世界が違うんです。お願いだから私に関わらないでください」


ぞわぞわと這い回るような寒気に襲われながらもまっすぐに社を見ると、彼は無表情だった。

それに一瞬呑まれる。けれど、紗枝はごくんと唾液を飲んで、きっぱりと言った。


「たとえまだ店が危険だろうが、あなたの世話にはなりたくありません。帰りたい。帰してください」

「・・・・・・・・そうか」


その言葉に頷いてくれたのだとほっと息を吐く。

しかし、社は突然思いもよらぬ行動に出た。


「仕方ない。なら、お前の価値観どおりに動いてやるよ。やくざもお前の言うところの妖も人の言うことなんて気にしないもんらしいしなァ」

「痛・・・!」


ソファに転がった紗枝の上にのしかかった彼が、ぎりっときつく手首を握り締めてくる。

その力の強さに、壊されるのではないかと震えが走った。

脳裏に、先ほどの社の暴力がよみがえる。

怖い。けれど、怖いからと負けたくない。

生来の負けず嫌いが頭をもたげた。

瞳が獣のようにぎらつく社を、必死でにらみつけた。

しばらく、相手の瞳に写るお互いの姿を見つめていた。

先に目をそらしたのは社のほうだった。


「・・・結局、お前も・・・か」


吐息にまぜられた言葉は、紗枝には聞き取れなかったけれど、しかし、何故か寂しげな響きだったような気がした。

だが、再び瞳を合わせた社は、額が触れそうな間近で冷たく言い放った。


「そんなに無理やりがいいなら命令だ。ここから出るな」

「な・・・!」

「お前が拒否しようがなんだろうが、関係ない。俺が決めた。お前はここにいろ」

「そんなの承知するわけが・・・ひっ!」


びりっと布の裂ける音がして、着ていたシャツのボタンが弾け飛んだ。紗枝の喉からひきつった声が漏れると、社はその喉に軽く歯を立てた。

びくん!と紗枝の体が震える。

殺される?!と本能が訴えた。


「いっ、や・・・っ!」

「いいな?」


耳元に承諾を求める声が吹き込まれる。

鼓膜を震わせる低い声と、耳にかかった熱い他人の吐息に身をすくめた。小刻みに震えていると、ついでとばかりに紗枝の耳朶を濡れた感触が食んだ。


「っ、や・・・いやだ・・・っ」

「だったら頷け。ここにいるな?」


それでも紗枝は首を振った。こんな卑怯に、脅すような方法に屈したくはない。

それに社は本気じゃないだろうと高をくくっているのもあった。

だが。


「お前は本当にガキだな」


紗枝の思考を見透かしたように、社が笑った。

ちっとも楽しそうじゃない、ガラス玉のような冷たい目のままで。


「男はな、理由なんかなくても、抱けるんだよ」

「―――!?」


強引に膝を割られ、男の片足を挟みこまされる。

厚手のジーンズ越しにも内腿に自分と違う体温が伝わってきた。その異様に思える感覚にぞっとする。


「早く頷かないと、止まらなくなるかもしれないぞ。何せ俺はお前の大嫌いなやくざってやつだしな」


脅迫めいた台詞を社は淡々と口にする。

社は無表情でしかなく、さらにぞくっと背筋が震えた。

頭の上で両手をまとめて押さえつけられ、空いた手で胸に触れられたときに、紗枝の矜持は完全に崩れた。


「いや・・・!嫌だ、嫌だっ!やめて、社さんっ!」

「やめて欲しいならどうするんだ?」

「・・・っ、うん・・・!いる、から・・・ここ、に」


涙がこめかみに伝っていくに任せたまま、要求どおり紗枝は頷いた。けれど社はさらに突きつけてくる。


「俺がいいと言うまでここから出るんじゃないぞ」

「・・・・っ」

「返事は?」

「・・・・やッ、・・・・っ・・・、は・・・い・・・」


耳の後ろを強く吸われて、その痛みにびくびくとしながら頷くしかなかった。


「約束を守らなかったら、連れ戻して、縛り付けて、本気でヤるからな。嫌だったらそんなことはするなよ。いいな?」

「う・・・・」

「お前が置かれてんのは甘い状況じゃないんだ。手ぇかけさせんな」


社の黒い目が蛍光灯を反射してぎらりと光る。その迫力に息を呑むことさえためらわれるまま、紗枝は首を縦に振っていた。


「・・・っはい・・・」

「よし」


満足げに頷いて、ようやく社が体の上から退く。

彼は、圧迫感がなくなっても動けずにいる紗枝の背に手を添え、そっと抱き起こしてくれた。

そしてぱさりと自分の上着を紗枝の肩に着せ掛ける。

思わぬ優しさに、のろのろと視線をあげると、紗枝の知っている社の表情があった。優しい人だと信じていた頃の。それも初めて会ったときの、どことなく戸惑った様子。


「・・・悪かっ・・・。いや」


謝罪を仕掛けて、結局止めた社は、黙ってガラス製のローテーブルの上にあったティッシュの箱を紗枝に差し出した。

だが、紗枝が動く気配を見せないと、自分でそれを取って紗枝の頬をぬぐった。

涙を拭けということだったようだ、と気がついたのは、ぐしゃぐしゃだった顔が乾いた頃だった。


「お前の荷物は明日取ってこさせる。今日は俺の服で我慢しろ」

「・・・・・・・・」

「もう、何もしやしない。だが、鍵がかかるほうがいいだろう?客間と呼べるものはあるが、布団はないし、掃除も・・・は、一応してあるのか?まあ、いい。寝室を貸してやるからそっちで寝ろ」


そう言われても反応できず、うつむいたままでいる紗枝の髪を社がそっと撫でた。その感触にびくりとして、紗枝は慌ててソファの端に逃げ込む。

ふ、と社は息を吐いて立ち上がった。そしてそのままふいといなくなると、しばらくしてタオルや服を持って戻ってきた。それを紗枝が身を縮めているソファの端と反対の側に置いて、脱ぎ捨てていたコートを羽織りなおす。


「風呂はこっちの廊下の奥。寝るなら、ベッドはこの左側の部屋だ。それ以外の場所には入るなよ。飯は食ったな?」

「・・・・・」

「腹減ってるのか?」


重ねて尋ねられ、紗枝は無言のまま首を振った。

「そうか」と呟いた社は、カウンターキッチンのほうを指して冷蔵庫を示した。


「喉が渇いたら中のものを勝手に飲め。俺は外に出てくる。とは言ってもこの近くだから、逃げられるなんて思うなよ」


ぴくり、と紗枝の肩が動く。しかし、それ以上動く気配のない紗枝に、社は嘆息した。それからまた、あの威圧感のある声で“命令”する。


「俺が戻ってくるまでに言われたとおりにしていなかったら、どうなっても文句言うなよ」

「・・・っ・・・」

「ガキはさっさと寝てろ。じゃあな」


言い捨てて彼はリビングから姿を消した。

音だけで、玄関からも出て行ったことを知る。

紗枝はようやく詰めていた息を吐き出した。それと同時にまた、瞳から涙があふれ出てくる。


(なんで・・・こんなことに・・・)


どこが悪かったのだろう。どうしてこんなひどい目にばかりあうのだろう。

ひとしきり泣いたあと、紗枝はぼんやりと視界に写る白い塊を見た。それは先ほど社が差し出してくれた社の服。綺麗にたたまれたそれらを見ていたらかあっと頭の奥が熱くなった。怒りからだったかもしれない。紗枝は唇を噛み、思い切りそれらをソファから払い落とした。


「・・・っはあ、はぁ・・・っ」


静かなリビングに、ただ荒い息だけが響く。それをしばらく聞いていて紗枝は不意に肩を落とした。それから自分が散らけたものを自分で拾い上げ、元通りに畳みなおす。それを借りる気にはならなかった。


(今日だけなんだから)


日常と同じ行動をして少し気が落ち着いた紗枝は、熱い自分の感情に言い聞かせた。すうっと大きく息を吐いて、それから吐き出す。

もう今日は遅い。だから、宿を借りるだけ。決して従順になるわけじゃない。

だからベッドも借りる気はなかった。さすがに毛布だけは奪い、それにくるまったまま寝室の床に転がる。明日になれば、また、家に帰れる。そう信じていた。



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