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こんな夢みたいなことあるんですか


「こら待て」


けれど腕をつかまれて、間抜けにも後ろに転びそうになる。

取り返そうとしたが、社の力は強くてとても抜けない。


「な、なにするんですかっ?離して下さい!」

「お前は本当に・・・予測のつかないことばかり言う」


社がため息をついた。


「う・・・。その、忘れてください」


それにやっぱり言わなければ良かったとひどく後悔しながら、紗枝はやっきになって腕を振った。


「出て行きますから、それで許してください。きれいさっぱり何にもなかったってしてください」

「嫌だ。許さない」


けれど、いままでは頷いていてくれたはずの社が急に態度を翻したので、びっくりして動きを止めてしまう。

そんなにも気に食わないことだったかと、ショックで泣きそうになった。


“気に入った”と言ってくれたから、少しくらいはいい感情をもってくれていると、そう思っていたのに。

けれど良く考えたら、やっぱり逆らったりしていたし、祭について出て行ったり、社を信じなかったり、たくさん煩わせていた。当初のかすかな“気に入った”という感情はきっと今はもうないのだ。

かえって・・・。


「・・・っ・・・」


紗枝の瞳にじわりと涙が浮かんだ。


「・・・なんで、お前はそうやって悪いほうに考えるんだよ」


すると盛大なため息が頭上から落ちてきて、同時に背中と腰に腕が回された。加減した力で引かれ、ぽすんと社の胸にやわらかく額がぶつかる。


「まったくわけがわかんねえ。好きなら出て行かなければいいじゃねえかよ。もう、いい。お前は変なことばかりに気を回して意地を張るから俺の好きにする。紗枝、お前はここにいろ」

「・・・・・・や・・・です」


嬉しいのか悲しいのか分からない、衝動的な強い感情がせりあがってきて、紗枝の喉を苦しくさせた。

それから逃れたくて首を振る。

それなのに、社の声は穏やかで、優しく聞こえた。


「何でだ?」

「・・・どうしてか、わ、わからないから・・・やしろさん、何で・・・そんなこと、いうの・・・?」

「わかるだろ。気づいてないの、お前くらいだぞ。あのな、俺が好きでもない奴と暮らすわけがねえし、どうでもいい奴なら祭に横槍入れられても怒らねえし、ぶちきれるまで必死こいて助けるわけねえだろうが」

「え・・・?どういうことですか?」

「この期に及んでわかんねえのか、わかりたくねえのか・・・。あー、結局言わなきゃなんねえのか。くそ・・・、俺も好きだって言ってんだよ。結構前からお前のことが好きになってんだよ」

「・・・ふえ?」

「何でわかんないんだ。祭にはすぐばれたのに」

「へ?え?好きって・・・」


ワンテンポ遅れてようやく社の言葉が脳に到達し、紗枝はいまにも爆発しそうなくらいに首まで真っ赤になった。


「なななななにいって・・・っ、じょ、じょうだ・・・っ」

「冗談でも嫌がらせでもないから安心しろ」

「わ、あ、え、えー、ええ?」

「とりあえず落ち着け。何にそんなに驚くんだ?」


頭を撫でられ、パニックのあまり、されるがままに社のシャツにすがる格好になる。

そこで一度大きく深呼吸した紗枝は、ようやくまともな言葉を発することができた。


「・・・えっと、社さん、あの、それってほ、ホントウですか?」


おそれ多い感じがして、ホントウ、と変に上擦ったイントネーションになってしまったが。


「本当だが?何をそんなに疑う?」

「だ、だって、やっぱり、私なんかどう考えても、社さんに好きになってもらう要素がないので・・・」

「お前はまた・・・。自分を卑下するなと俺は何度言えばいいんだ?」


社が思い切り呆れた、いやむしろ少し怒ったような声で言った。そういえば、振り返ってみれば彼が憤ったり苛立ったりするのは、大体が紗枝の自虐や自己嫌悪のときだった・・・気がする。


気がつくのが遅いと言われればそうだが、いつも社は紗枝を認めてくれようとしていたのだ。


「お前に注文があるとしたら、まずその自己評価をもう少し上げることだな」


社が紗枝の顔を覗き込んで、自信にあふれた瞳で紗枝を捕らえる。


「どうせお前のことだから、ふさわしいとかつりあうとかそんなくだらないことを言い出すんだろ?だったら最初に言ってやる。俺が選んだんだ。お前や世間とやらがどう思っていようが関係ない。これは俺の問題で、他人には何も決めることはできないのだからな」


そのまっすぐな視線とあまりの堂々とした意見に、紗枝は何を言っていいのかわからなくなった。

言い切られるとそれでいいのかと思ってしまいたくなる。

何より嬉しいし信じたい。

だが、まだひっかかっていることがあった。


「あの・・・、でも、社さんは・・・美江子さんが好き・・・だったんじゃないですか?」

「あ?美江子?そういや、さっき話してたな。祭からも聞いていたのか?」

「えっと・・・はい。勝手に、とは思ったんですけど」

「祭は当事者だ。あいつが話したことを俺が文句いう筋合いはない。で、俺が美江子を好きだったからどうしたって?」

「・・・すごく、好きだったって・・・聞いたんですけど・・・」

「すごくかどうかは知らねえよ。まあ、あの頃なりに好きだったとは思うが。穏やかで優しい奴で・・・しきたりに逆らって馬鹿やっても後悔しないくらいには好きだったかもしれないな」


そう語る社こそが、優しい目をしていて、すぐ近くでそれを見た紗枝が戸惑ってしまう。

戸惑いを通り越して、悲しくも感じ、嫉妬めいた感情も浮かぶほどだった。


「社さん・・・今もその方のことが好きなんじゃないですか?」

「今も?」


けれど、紗枝の指摘を社は笑い飛ばした。 


「もう、15年ちかくも前のことだぜ?」

「でも・・・っ」

「てか、さっき言ったじゃねえか。美江子は祭が好きだったって。自分を振った女のことをいつまでも好きでいるほど愚鈍じゃないつもりだが」

「でも、祭さんだけじゃなくて社さんもすごく美江子さんの思い出を大切にしてる」

「そりゃ・・・、あいつがもういないからな。今も生きていたら、笑い話になってるし、そんな感情とっくに忘れてると思う」


俺たちがあいつを忘れちまったら駄目だろ、と静かな音が振ってきた。その表情は、いとおしげなものに思えて、やっぱり紗枝はどうしていいのか分からない。 

社の気持ちは、本当はどこにあるのだろう。


「私・・・美江子さんと、似てますか・・・?」

「ん?」


「祭さんが、言ってました。顔は全然似てないけど、美江子に似てるな、って。社が気に入ったのもそんなとこだろうって。・・・祭さんを見ていると、私に美江子さんと同じところを求めてるっていうのがわかりました。きっと美江子さんが好きなんだろうなって。社さんも・・・祭さんと同じですか?だから、す・・・っ、気に入ったって言ってくれたんですか?」


自分で好きとは口に出せずに、最後もごもごと口ごもってしまった。

社は目を見張ったあとで、少し考え、それから紗枝の額を指ではじいた。


「いた・・・っ」

「馬鹿。美江子とは全然似てない」

「へ・・・」

「美江子は大人しい女だった。こうと決めたら頑固なところはあるが、間違っても娑婆の人間じゃないと知った後で俺の胸倉つかんで怒鳴りつけたり、若頭の祭ににらみあいの喧嘩売ったりはしなかった」

「・・・う・・・。ご、ごめんなさい」


過去の恥をあげつらわれて、紗枝は小さくなる。

すると社がうつむいた紗枝の頭をくしゃくしゃと撫でた。


「でも、そこが紗枝らしいところだろう?」

「私・・・らしい?」

「ああ。たとえば、イメージや立場に関わらず、偏見なく人を見るところ。俺だけじゃなくて、祭のこともどういう世界の人間か知っててそれでも普通に接していられる。そのかわり、気が強くて、自分が正しいと思ったことは曲げない。どんな相手でも。無謀すぎるところはさすがに心配になるが。あとは、お人よしで人のことをまず優先したがる。面倒見がよくて、素直。・・・ああ、あとすぐに照れて赤くなるところかな。普段は落ち着いて見えるだけに、おたおたしているときが面白くて、一番可愛い」

「・・・かわっ・・・?」


慣れない評価に紗枝は首まで真っ赤になる。


「確かに美江子も俺たちと普通に接してくれる数少ない人間だった。だが、美江子は大人びていて、不平は言わないまますべて受け入れて、いつも微笑んでるような奴だった。だから、お前と美江子とは違うんだよ。全く別で、お前のお前らしいところを好きになった」


言葉がない。

最初、好きだというのには抵抗があったようなのに、一度言ってしまえば踏ん切りがついたのか、社はあっさりとその言葉を繰り返した。


ぱくぱくと口を開いたり閉じたりしている紗枝に、彼は「わかったのか?」と呆れたように尋ねてきた。

それに頷いていいのもかどうなのかもよくわからなくなるくらいに頭の中が沸騰している。


社がまたため息を一つ吐いた。


「わかった。今すぐ理解しろとは言わない。お前のいいところはそのうち分からせてやる。とりあえず、これだけは分かっとけ」

「・・・・?」

「俺はお前がいない方が迷惑だ。だから、俺のことが好きだというのなら、忘れろといった言葉を撤回しろ」


忘れろということは、何もなかったことにして欲しいということ。そんなに嫌だったのかと、結構ショックだった、と正直な心情を社は伝えてくれる。


「違います!忘れて欲しいというのは・・・社さんに罪悪感とか、嫌な思いをしていてほしくなくて。きっと昔つらかったこととか思い出してしまうんだろうなってそう思ったからで・・・」

「罪悪感を覚えるのは、特別な奴だからだろ。それくらい・・・、ああそうか。美江子のことがひっかかってそんなこと言ったのか。それはもう俺の中では割り切れていることだ。祭はまだだったようだが、俺の中ではとっくに整理がついていた。もう二度とあんなことにはなってほしくないが。ただ、それは美江子を思い出すからじゃなくて、そいつが大切だからだ」

「社さん・・・」

「だからお前が俺にとって大切な奴なんだよ。・・・なあ、俺はいつまでお前にこっぱずかしいこと言ってなきゃなんねえんだよ。いい加減大人しく頷いとけ」


苦笑交じりの社の言葉に、紗枝も釣られてようやく笑った。やっぱり恥ずかしいんだ、と思って。


「ごめんなさい、社さん。忘れてくださいって言ったのなしにしてもらってもいいですか?」


そしてそのお詫びに紗枝はこだわりを捨てて、素直に自分の気持ちを伝えることにする。


「社さんのことが好きです。だから、社さんがいいなら、まだ、一緒にいてもいいですか?」

「ああ。そう言ってるだろ。お前はここにいろと」

「嬉しいです」


照れくさそうに紗枝は笑った。それから、一度ためらったが、自分からぎゅっと体を寄せる。


「すごく、すごく、嬉しいです」

「・・・可愛いな、お前は」

「かっ、かかかわいくはないですけど!!」


けれど、そんなことをしみじみ言われて、紗枝は慌てて逃げ出そうとした。

腰を掴まれていて言って以上離れるのは無理だったけれど。


「ああ、素直なのもいいが、恥ずかしがってんのがもっと可愛いかもな」

「や、や、社さんっ!面白がらないでくださいっ!」

「いいだろ、褒めてんだから」

「褒めてるようには思えません!」

「そうか?」

「そうです!」


きっとにらみつける紗枝だったが、しばらく視線を絡ませていると、不意に二人で笑い出してしまった。傍からみたら馬鹿みたいだと思う。


「あいかわらず、頑固だな」

「社さんが変なことを言うからですよ」

「まあ、とりあえず出てかねえなら座るか。部屋の中でずっと立ってんのもあほらしい」

「あ、はい。じゃあ、紅茶でも入れましょうか?」

「そうだな、頼む」


自然と、この部屋での“日常”の形が戻ってきた。それはとてもとても幸せなことで。くすぐったくてたまらない。ほんの少し前までは、暗くて冷たい胸のうちだったのに。


「ええっ!?」


しかし、ぐっちゃぐちゃのキッチンを見て、その浮かれた気分は台無しにされた。


「・・・ああ、そういえばそっちは掃除してねえ」

「なんで、食器洗い機があるのに、カップ割るんですか?ああっ、紅茶缶しけってる!蓋しなかったんですかっ?こっち、賞味期限切れてるし!こっちはかびてる!社さんッ!出してもいいけど、ちゃんと片付けてくださいってあれほど言っていたのにっ」

「はは、お前のその怒鳴り声は久々だな」


しかし紗枝が怒っても、社は何処吹く風だ。

むしろ楽しがって目を細めている。


「ああ・・・このへんは漂白剤につけないと・・・。掃除・・・あ、もう洗剤ちょっとしかない。ゴム手袋もない。はあ・・・」


思った以上の惨状に脱力した紗枝は大きなため息をついた。


「時々、社さんが一人で生きていけるのか激しく心配になります。確かに世の中は便利ですけど・・・」


とりあえず今使う分のカップだけ綺麗に何度も洗剤で洗って、紗枝はお湯を沸かした。もう、無事なのは前にデパートで配っていたのをもらったインスタントのパックしかない。まずくても不満は聞くまい。


「何が起こるかわからないご時勢、せめてある程度まではできないと。お仕事できても、このままじゃ駄目人間のレッテル貼られますよ」


それでも遠慮のない辛辣な言葉になるのは、すっかり安堵したせいだろうか。

くっくと社がカウンターの向こうで笑っていた。


「別にこのまま駄目でもいい」

「よくないですっ!」

「いいさ。これからは紗枝がいるし。面倒みてくれんだろ?」

「・・・そ、それは・・・」

「お前がいないと、こんな風に駄目になるから。だから、ずっと俺の傍にいろよ?」


かあっと頬が染まった。それはこれからも一緒にいることが望まれていると分かるから。


「そ・・・、でも、それなりにできないと困りますから!だっ、だから、明日一緒に掃除しましょう。掃除の仕方教えてあげます。それだったら、ちょっとくらい留守にしてても、帰ってきたときにこんな惨状になってなくて済むから」


素直じゃない答え方だったけれど、それが今の紗枝の精一杯だ。

社もそれを分かっていて、笑みを深くする。


「そうだな。毎回、お前に文句言われるのも、なんだしな」

「そうですよ」

「出てっても、ちゃんと帰ってくるんだろう?」

「・・・は、はい」


社の言いたいことがわかって、紗枝はまた顔を赤くする。

帰る場所はここだと。


するとそれに気がついた社が、紗枝の頭をぽんぽんと撫でた。

優しい手が、とても心地よい。


望んでもいない朝丘の血筋だけれど、紗枝は彼と出会ったその一点でだけは、自分の出生に感謝した。

そうでなければ、絶対に知り合うことのなかった人。


住む世界だとか、価値観だとか、たくさん違うことがある。似合わない、つりあわないと紗枝だって分かっている。

それでも社が選んでくれたのだから。それをもう否定したりしてはいけないのだ、たとえ紗枝自身であっても。


そう思えることが嬉しくてくすぐったい。


無理だと思うときがあるかもしれない。不安に思うことがあるかもしれない。でも、きっとこの先も、好きな気持ちに変わりはないと信じられる。

社の手が、頭を撫でてくれる限り。





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