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語られた真実

「初めは、朝丘の隠居じじいが無茶な条件をふっかけてきたことだったんだ。俺たちの会社は建設業っつっても、今は開発がメインでな。再開発や新地開拓で必要な土地の買収も手がける。委託を受けたり、自分たちでその後の開発計画を進めたり、いろいろだな。今回は後者で、結構でかいプロジェクトだった。その成功のためには朝丘がもつ土地の一部が必要だったんだ」

「そこでお祖父さんが引き出したのが、家出した娘を探すこと・・・ですか?」

「そうだ。だが、娘がすでに亡くなっていたのはすぐに分かった。ただ、娘には一人娘がいて、それなら会ってみたい、と。俺は最初、じじいも気が弱くなっていて、ただ会いたいだけなのかと思った。それくらいなら協力してやってもいい。それで事が上手く運ぶならと、そう思った」

「・・・・・」

「じじいが、結びたい縁談のために孫娘を探していると確信をもったのは、お前の居所をつかんでからだった。さすがに俺も見ず知らずの子供を利用するのは気が引けて、あきらめようと思った。けれど、玲人は納得しなかった。ここまで探して、みすみすあきらめるのか、と。それに、お前たちは借金もあるようだったし、朝丘の孫だと明るみに出れば貧しい生活をしなくてもよくなって却って知らせてやるほうがいいんじゃないかと言われ、結局、俺も頷いた。勝手すぎる考えだよな。何をどういったって自分たちに都合のいいようにしか解釈しなかったんだ」


そうして、社は紗枝の前に現れた。


手元に置き、紗枝を朝丘に見せられるだけの女にしつけようとしたわけだ。


「あいつらが・・・、劉盛会のやつらに狙われていたのは・・・?」

「それは本当に偶然だ。祭のところで少し揉めていることを小耳に挟んでいたくらいで、俺は何も関与していない。恩を売るのに都合がいいと思わないでもなかったが・・・」

「そう・・・ですか・・・」


ほっとしたのと、落胆したのがない交ぜになって、紗枝は息を吐いた。

分かっていたことだけれど全部仕組まれていたことは鈍い胸の痛みを再発させた。

紗枝はぎゅっと膝の上で指を握りこんだ。


「けどな、俺がお前に・・・」

「わかってました」


まだ社が何か言いかけているにもかかわらず、紗枝は口を開く。社が黙り込んだ。


「祭さんが教えてくれました。社さん、困っていたんだって」


朝丘という権力者に振り回されたのは社だ。気が引けたという社のその言葉だけでもういい気がした。


「人って追い詰められると、本当はしたくないことだってやってしまう。仕方ないって言いながら、自分を守ろうとする。そういうこと、よくあるじゃないですか。だから、もういいんです。社さんは優しいから気にしているんだろうけど。でも、今までだって信じていたのに裏切られる事だって何度もあったから、大丈夫」


“仕方ないじゃないか!そうしないと俺の命が危なかったんだ!”


紗枝の家に借金を作った銀行員は、自身も借金の返済ができなくて顧客を何人も悪徳金融に差し出していた。

電話越しの、悲鳴のような声の言い訳を、紗枝は今も覚えている。

紗枝は無理やりに笑顔を作った。


「もう、いいです。だって社さんと一緒にいて楽しかった。初めてのことがたくさんで、本当に楽しかったんです。だから、ちっとも不幸なんかじゃなかった。却って感謝してるくらいです」


楽しかった。それは真実だ。

けれど・・・何故か胸の痛みがどんどんひどくなる。

ちゃんと笑えているのか不安になるくらいに。


「もう気にしなくていいです。私もたくさん迷惑をかけてしまいました。・・・でも、嬉しかった。社さんが話をあわせるためでも私と同じ趣味の目線に立ってくれて。可愛いって言ってくれて。すごいなって褒めてくれて、本当に嬉しかったんです。ありがとうございました。だから、もういいです」


このままだと泣いてしまいそうで、それを避けたい紗枝は勢いよく立ち上がった。

もういいのだ。

納得させた自分をどうか追い詰めないでほしい。


「この服借りてもいいですか?いらないでしょうけど、家に帰ったら洗濯して返すので・・・」

「俺は資料にあったお前の店を見てみようと思った。そのときは会うつもりはなかった」


話は終わりだと打ち切ろうとしたのに、社は淡々とまた語り始めた。

けれど、紗枝に無理に聞かせようとしているわけではない。現に、彼は立ち上がったままの紗枝を留めようとはせずに、斜め下をまっすぐ見つめ、両手の指を組んでいた。


「ただ、どんな奴か見てみようと思って。俺はまだ迷っていた。幸せそうに暮らしているのなら、それを奪うのはやめたいと。不幸だったらいい。そんなことを思っていると、なかなか足が向かなくて、あの日あの辺りをうろついていた」


どうしようと、紗枝は戸惑った。

このまま出て行っていいのだろうか。

けれど、結局社を無視することはできなくて、その場に立ち尽くしていた。


「そうして、ある店の前で足を止めた。店の看板は見てなかった。ただ、ウィンドウを見て、つい足を止めてしまったんだ」


紗枝はウィンドウの中をじっと見ていた社を思い出した。あのウィンドウからは店の中は見えない。だったら何故、じっと見ていたのだろうと・・・疑問に思った。


その答えを待って社を見下ろしていると、不意に彼が顔を上げ視線があった。

ぎくりとして視線を逃がそうとする前に、社が自嘲を唇に浮かべる。


「ここからは、祭も知らないことだが、俺はお前に嘘をついていたわけじゃない。黙っていたことはあっても、嘘はついていないんだ」

「え?」


意味がつかめなくて尋ね返すと、社は再び床に地面を落としてしまった。


「お前に会ったとき、言ったことは嘘じゃない。・・・・・・・・俺は、本当に・・・その、ああいうものが好きなんだ」

「・・・え?」


今度は信じられなくて尋ね返すと、うつむいている社の耳が赤くなっていた。紗枝がお店で彼の趣味を見抜いたときと同じ。


「え・・・っと、それ・・・冗談ですか?」

「何で今、この状態で冗談を言わなきゃならねえんだよ」


ぶっきらぼうな口調に、一切騙すとか、からかうとかいう雰囲気はなかった。


紗枝はぱちぱちと目をしばたいて、それから何故か自分が焦ってしまった。


「え、だ、だって・・・あの、おっきいくまとか、枕にしてませんでした?」

「ああ、それが何だよ?」

「何って、だってそれって好きなものに対してする態度じゃないっていうか・・・扱いがどうでもいいっていうか・・・」

「お前・・・、じゃあ俺にあのくま抱えて寝ろと?」

「えっ、そこまでは言ってませんが・・・飾っておく、とか」

「うるせえな。そこにあると触りたくなんだよ。けど、そのまま持ってたらおかしいだろ。枕くらいなら、見られてもぎりぎりいいかと思ったんだよ」

「・・・あの、私、社さんがぬいぐるみとか好きだと思ってましたから、その図を見てもひきませんけど?」

「お前じゃねえ。俺の中の許容範囲だ」

「はあ・・・」


よく分からないが、とりあえずぬいぐるみ抱えて寝るのは社的にアウトなのだろう。

まあ、紗枝だって無類の可愛い物好きだが、誰も見てないのは分かっていてもちょっと抵抗がある・・・かもしれない。ましてこんな共同生活では多分・・・いや、絶対できない。


(あ、社さんの気持ち、わかった、かも)


想像だけで、何となくそこらへんがむずかゆくなってくる。

はあ、とため息をついている社の前、床にぺたんと座り込んで、紗枝は彼を覗き込んだ。


「そのつらさ、分かります。こう、もどかしいんですけど、できないんですよね?」


そう言うと、社は驚いた顔をして、その後で苦笑した。


「まったく・・・お前は」


社はくしゃくしゃと紗枝の頭を撫でた。


「お前だけだよ、そうやって何の含みもなくそんなこと言うのは」

「そうですか?確かに社さんのイメージとはちょっと違うかもしれないけど、でも変じゃありませんよ。大体、世の中は時々刻々変化しているんです。かつては隠れ住んでいたオタク派が堂々と世にはびこるようになったじゃないですか。世の男性は大抵、可愛いもの好きなんですよ。フィギュアが認められるなら、ぬいぐるみだっていけます!流れはきてるって思うんですけど」

「・・・おい、そこと同列に語るな」


力の入った解説は、しかし、社にはお気に召さなかったようだ。


「社さん、オタクの人たちに対して偏見持っちゃいけませんよ」

「・・・・・・・・。ああ、どうせまともな奴から見れば、俺も同じ部類だよ」


けれど、紗枝が諭すと、半ば自棄になったようにそんなことを言い出した。


「まともって?何がまともな世の中かなんてはっきり決められませんよ。だったら、好きなものは好きでいいじゃないですか」

「その言葉、だな」

「え?」


困った紗枝がいつもの持論を展開すると、急に社が笑ったのでびっくりしてしまう。


「その言葉が新鮮で、嬉しかった」

「うれし・・・?」

「一度目は偶然だった。お前の店だと知らずに、ウィンドウを見て足を止めた。目にとまった、それだけだ。何を考えていたわけでもない。ただ・・・迷っていた俺には、あのウィンドウが楽しそうに見えたんだ。馬鹿みたいだけどな」


そうしたらお前に怒鳴られた、と懐かしむように、社は目を細める。紗枝は慌てて頭を下げた。


「すみません!あのときは、誤解して・・・」

「いいや、当然だ。お前が出てきたときに、初めてあの店がお前の家だと知った。あのときは焦ったな。まだ会う気はなかったのに」


逃げ帰ったのは、紗枝が怒鳴ったからじゃなく、自分の都合のためだったらしい。

そう思うと、やっぱり少し寂しかった。

すべて仕組まれていたことだと分かっているけれど、それでも。


「じゃあ、何日か後に来た時は、もう決めていたんですか?」


紗枝を利用することを。


「・・・いや。あれは、ただお前を見に行っただけだ。まだ、どうするかは決めかねていた。借金があるとはいっても聞けばそれなりに繁盛しているようだったし、ただ、劉盛会と揉めていることもその段階で知ってはいたから」


だが、暇を見つけて昼に行ってみれば定休日で、無駄足だった。

定休日とか基本的なことに無頓着なのが社らしい。

すぐに戻るのがしゃくで、そこでまたついウィンドウを見ていたらしい。

そうしたら、紗枝に見つかったというわけだ。


「初対面にも関わらず、店に連れ込まれたときは驚いたな」

「あ、あれは・・・だって、社さんに怒鳴ってしまったことを申し訳ないと思って、なんかお詫びしなきゃって思って。それに、社さん、たぶんうちのお店で売ってるようなものが好きなんだろうな、って思ったからちゃんと見て欲しかったし」

「その段階でばれてたか?」

「うーん、私と似てるなって思ったんです。近くで見たいんだけど、気恥ずかしい。触りたいんだけど、仕事のふりしてないと視線が気になる。だから、他の人がいると、宝の山の中でもおどおどしちゃうんですよね、私。それに似てるなって」

「・・・そうか」

「ああでも、普通の人には気づかれないと思いますから!安心してください!」

「・・・ありがとよ」


励ましたはずが、社は何故か微妙な表情を一瞬浮かべてそう言った。


「まあ、それはそれとして。そのときもお前、言っただろう。好きなものを好きと言って何がいけないんだ、と。見ず知らずの、それもどう見ても怪しい奴にそんなこと言うなんて思ってもみなかった」


確かにあの時も言った。

そして社はあの時も、こんな風に楽しそうに笑っていたはずだ。


「そのとき、お前のことが気に入ったんだ。その駆け引きも何もないまっすぐさと必死さが気に入った。だから、利用するのはやめた。あんな腐った家に利用されるのは忍びないと思ったから」

「え?」

「いや、正確にはやめるつもりだった、か」

「どういうことですか?」


社の言っていることが良く分からない。首をかしげていると、社は苦笑した。


「・・・お前と初めて話したあと、お前の店に通っていたのは監視したかったわけでも懐柔したかったわけでもなくて、劉盛会の動きがよくねえってことを聞いていたから見張っていたんだ。あいつらとはうちの社員も何度か煮え湯を飲まされていたし、蒜生の傘下ってことで、俺にも一応手綱を引いとく義理もあるしな。まあ、一番は店を続けさせてやりたかったからだが」


社にとってもあの店が居心地のいい場所だったと、彼は教えてくれた。


「俺かどうか認識していたとは思えねえが、その間はあいつら大人しくしていたみたいだったな。ただ、まさか警察まで手を回すとは予想外だった」

「あの・・・っ、じゃあ・・・あいつらが、急に家に押しかけてきたのは・・・」

「悪かった。あの辺りは仕事が立て込んで、抜けることができなかったんだ。お前んとこ行っていた分のつけもあって。その隙を見たんだろう。俺もあいつらがしばらく姿を見せなかったから油断していた。怖かったよな?」

「いえ!それは社さんのせいじゃありませんから・・・」

「それにしても、もっと早くに俺に言えばよかったんだ。そうしたらあそこまで増長させなかったのに」

「だって、やくざですよ!社さんのこと、一般人と思ってたし。あ、いや、一般人ですけど・・・、それにたとえ知っていたとしても、あんな物騒なことに巻き込めるわけないじゃないですか」

「・・・そういうところが紗枝らしいというか。そんな意地張って、お前一人じゃどうやったって太刀打ちできないじゃねえかよ」

「そのうち手出しされたら警察に言おうかと」

「巡査丸め込まれててか」

「・・・それは、知らなかったので・・・」


いろいろ奥が深い、と紗枝は自分の世間知らずぶりを恥じた。

社が助けてくれなかったかと思うとやはり今でもぞっとする。


「まあ、それは過ぎたことだからもういい。とりあえず、そこで俺の方もお前ら親子をかくまう必要が出てきたわけだ。そうしたら思った以上にお前は何でもできて飯はうまいし、ああしろこうしろとうるさいこともあったが、お前を見てると家にいるのが楽しくなった」

「たのしかった・・・ですか?」

「ああ。誰かと生活するのが楽しいものだと思ったことなどなかったんだがな。俺は面倒くさがりだし、好き勝手にするから。でも、お前がちょこまかと動いているのを見ているのは面白かった」


そう言って笑う社の表情が優しくて、紗枝は思わず頬を染めてしまう。感情が行ったり来たりと忙しい。


「ほとぼりが冷めたら、親父と一緒に家に戻してやるつもりだったんだ。だが、玲人の奴がそれを勘違いしていて」

「相模さんがですか?」

「ああ。俺がいつものように怠慢で連絡をしないのだと見たのか、それとも気がついていたのか。朝丘に、お前のことを勝手に報告した。そうして、後援会の集まりに連れて行くと約束した。一度してしまったものを反故にするのはできない。痛くもない腹を探られることは避けなきゃならん。玲人はそれを分かっていた。・・・だから、せめてお前が恥をかかない程度にしてやろうと思った。あいつらは、自分たちの世界でしか生きていないから、違うものを認めようとしない。もうそれは分かっているだろうが・・・」

「はい・・・。社さんはそれがあったから、急にいろんなところに連れ出してくれたんですか?」

「そうなるな。最低限のマナーくらいは覚えさせないといけなかった。あと、服も選ぶ必要があった」

「そうですか・・・。何か不思議だったんです。何で急にって・・・。はしゃいで、馬鹿みたいでしたね」

「紗枝」


自嘲的に笑った紗枝は、ぎゅっと唇をかみ締めた。

そして捲し立てるように一気に話してしまう。


「でも、社さんと出かけられたの、楽しかったです。面食らってばっかで、ちゃんとお礼言っていたか分からないけど、すごく嬉しかった。ありがとうございました。あと、パーティーも、一生着れないだろうドレス着て、食べたことのないご飯も食べられて、貴重な経験でした。それに一応お祖父さんにも会えたし、生きてるって知れてよかったかな、って。だから、社さんには感謝してます」

「紗枝、言いたいことがあるならちゃんと言え」

「いえ・・・、それだけです。ありがとうございますって、それだけです」

「・・・なんで、怒らない?俺は結局お前を利用したんだぞ?あの場に引きずり出した。お前は何も望んでなかったのに。その結果がこれだ」


社の口調が強まる。紗枝はジッと社の視線を正面から受け止め、首を振った。


「何度も言ったけど、私は結局社さんの役に立てませんでした。たくさんお世話になったのに、何も返せませんでした。そんな私が、何で社さんを怒る権利があるんですか?」

「権利?そんなものいくらでもあるだろ?たとえなくなって、俺はお前を騙して傷つけた。それで十分だろうが」

「私!別に傷ついてなんかいません!申し訳ないことをしたとは思いますけど、別に。別にっ、社さんのせいで傷ついてなんかいません!」


図星を指され、紗枝はそこで初めて声を荒げた。

勢いで立ち上がり、社を見下ろして、キッとにらみつける。初めて会った頃のように。


「社さん、嘘はついていなかったって言ってくれたじゃないですか!だったらそれでいいですよ!結果的にそうなっただけで、お祖父さんに会って別に私、何かに利用されたわけじゃない。それとも、嘘じゃないっていうのが嘘なんですかっ?」


社はその剣幕に一瞬言葉を失ったようだが、それから憮然と言い返してきた。


「嘘じゃない」

「なら、いいです。何も騙されていません。社さんはただ助けてくれた。それだけです。騙したなんていわないでください」

「お前は、何でそうも強情なんだ?」

「強情じゃないですよ。私が朝丘さんの孫だって、ただそれがわかっただけのことを何で社さんのせいにして怒らないといけないんですか?」

「っお前は!今日どんな目にあったのか忘れたのかっ!?」


しかし、言い返しているうちに、社の何かに触れてしまったようだ。突然怒鳴られて、その迫力に紗枝は硬直した。


「悪い・・・」 


すぐに社は謝ってくれたが、その表情は苦虫を噛み潰したようなものだった。

いろいろな感情が渦を巻いて、紗枝の目からはついにぼろぼろと涙が出てくる。

今日はもう泣けないと思うくらいさっき泣いたのに、まだ泣けたのが不思議だった。


「・・・泣くな。悪かった」


下から差し出された社の手を、振り払う。

そんなことができるとは思ってもいなかった。

社は拒絶された手を握り締めて、膝の上に置いた。


「けどな・・・・つらいんだよ。責められないのは。いっそなじってくれればいい。お前のせいだと言ってくれれば、俺だって謝れる。でも、お前にいいんだって言われれば、俺は自分を許せないこの感情をどこにもって行けばいい・・・?」

「・・・っ・・・」

「また、失くすところだった。一歩を間違えば、お前を失っていたかもしれない。俺がお前を朝丘の血筋だとばらしてしまったせいで。俺のせいで・・・」


苦痛に耐える声に、紗枝は一瞬、何を言っていいのかわからなくなった。

ここで社のせいじゃないと言っても、また堂々めぐりだ。

けれど、紗枝は社を責めたいわけじゃない。

ひどいのは、やっぱり直接手を出してきた彼らだ。


「・・・・・もし、今回のことで私に対して罪悪感を持っているのだとしたら、だったら、その償いは謝らないことにしてください。そうして、忘れてください。社さんが悪いと思っていること全部」

「紗枝・・・」

「優しい社さんにとってはつらいことなのかもしれないです。でも、私になじってほしいと思う原因があるのだったら、それを忘れてください。何もなかったんです。社さんは親切な人で、私はただの子供でした。それだけしかなかったんです」


紗枝は涙をぬぐってまっすぐに社を見下ろす。

すると彼は笑いだした。乾いた笑いだった。


「・・・ある意味、一番残酷な罰かもしれないな」

「すみません・・・でも、私、謝っては欲しくないんです。社さんに、謝られると・・・苦しいから」


好きな人に嘘をつかれていたと何度も突きつけられるから。


「そうか」

「わがままでごめんなさい」

「いや。お前は一度としてわがままなんかじゃなかった」


社は何かを断ち切るように数回首を振り、立ち上がった。


「お前がそのほうがいいならいいんだ。忘れろというなら、忘れてやる。全部」

「・・・すみません」

「謝らなくていい。帰りたいだろ?家まで送ってってやる」

「・・・・・・・・・・はい」


頷くのに時間がかかってしまったのは、これで社とは終わりだからだ。

忘れてほしいと言ったのは自分なのに、胸がきりきりとする。


「何だ?お前の家なら管理させてあるから大丈夫だ」


それを社は不安だと勘違いしたらしい。ちょっとだけ笑って、紗枝の頭を撫でた。


「お前の上着は、ないか。ちょっと待ってろ」


彼は厚手のジャケットを紗枝に渡し、

自分は壁に掛かっていたコートを着込んだ。そして一緒に吊るしてあったマフラーをとる。自然な仕草だった。


「・・・それ・・・」

「ああ・・・。お前がつけてろ。寒いだろ」


そういって長い深緑のマフラーを紗枝にぐるぐると巻く。社のコロンと煙草の匂いがした。それは社がこのマフラーを使っていたという何よりの証拠で。


胸がまたきゅうと変な風に痛んだ。


「捨てて・・・なかったんですか?」


紗枝があの日置いていったマフラー。小さな手乗りのくまと一緒に捨てられたと思っていたのに。


「捨てる?何故?」

「何でって・・・だって、別に・・・使わなくていいのに。こんなの・・・よく考えたら、何であげたのかわからないし。・・・えっと、あのときは暇だったんです。そしたら毛糸が余ったから、だからつい手持ち無沙汰で余分なものを作ったから・・・全部つい、なんです。社さん、何でも買えるのに、私あのとき何考えてたんでしょうね?もっと、社さんにはふさわしいものがたくさんあるのに・・・」


今更ながらに恥ずかしくなって言い訳を始めた紗枝に、社は冷めた視線を向けた。


「何を選ぶかは俺の自由だ。ふさわしいとかふさわしくないとか、お前がどうこう言う問題じゃない」


紗枝はその思わぬ冷たさにひるむ。途端、体が動きを失ってしまった。

関係ないと切り捨てられた気がした。当然なのに。


「ほら、来い」


社が車の鍵を指に引っ掛けて、呼ぶ。

けれど、足が地面に張り付いたように動かない。

まるで嫌だというように。

決して社が怖いからではないことを紗枝は分かっていた。


(分かってる。これが、終わりってことなんだって、まったくの他人になるんだって・・・分かってるけど・・・)


「・・・紗枝?」


いつまでも動こうとしない紗枝に焦れて、社が戻ってきた。


「何か忘れた物でもあるのか?」

「忘れた・・・もの・・・?」

「探したければ探せばいい。とは言っても俺が滅茶苦茶に片付けたからな。探すの手伝ってやるよ。何だ?」


何を忘れたんだ、と社が尋ねる。

その言葉はすとんと紗枝の胸に落ちた。

ずっとずきずきとしている胸に。


(・・・忘れたのは、物じゃない。物じゃなくて、言い忘れ)


そうだ、本当にこれが最後なら。もう、たとえ見かけたとしても無視されるのなら。

完全な他人になって紗枝とのすべてを忘れてもらうのなら。

その前に、一度だけ言ってもいいかもしれない。

とても勝手で図々しいけれど、もう、最後だから。

あと少しだけのわずらわしさも許されるかもしれない。

言ったほうが、いっそ早く忘れたいと思ってもらえるかもしれない。


「あの・・・、社さん」


ごくん、と息をのんだ紗枝を、社は促すように見た。


「・・・・きです・・・」


最初蚊のなくような声しか出なかった。当然社は「え?」と聞き返してくる。


もういっそはっきり言ったほうが楽だと思って、紗枝は声の調節をせずに言った。


「社さんのこと、好きなんです!」


それは思いのほかに大きくなり、室内にその余韻すら残るようだった。その事実と、社がぽかんとしているのを認めて、紗枝は泣きそうなくらいに真っ赤になる。


「すっすみません・・・言いたかっただけなんです・・・これが最後だからって、あの、だから、社さんのこと好きになれるくらい、本当に楽しかったってそういうことで。本当に、ありがとうございました!このことも全部忘れてください!喜んで忘れてくれると思いますけど・・・」


マフラーに顔をうずめた紗枝は、何も言わない社に向かってぺこりと頭を下げる。


「あの、一人で帰れます。えっと・・・さ、さようなら!」


そして下だけを向いて、社の前を通り抜けようとした。とてもじゃないが、顔をみることはできない。



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