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入れ替わりの真実 1

双子の過去の話に移ります。

今日も騒々しい訪問者を見送って、ずっとほったらかしの仕出し帳に目を通していたときだった。

ばん、と勢いよく襖が開いて、紗枝は目を見開いた。


「・・・ま、祭さん」

「よお。何やってんだ、お前」


ずかずかと入ってきた祭からはお酒の匂いが強くした。


「その、お店の帳簿を・・・あ。あの。おかえりなさい」


それにむせそうになりながらも、紗枝はぺこりと頭を下げる。すると紗枝の前に座った祭が手を伸ばしてきたので、ついびくりっと肩をすぼめてしまった。

それを見て、祭は手を引っ込める。気まずい沈黙が落ちた。


「ごめんなさい・・・」


紗枝とすれば何も本意ではない出来事だったが、それでも今までの手助けを棚に上げて怯えてしまうことには申し訳なさから謝罪をしていた。

祭が黙ってそっぽをむいた気配がしたが、顔が上げられなくてうろうろと畳をみていると、不意に祭の手から血が出ているのを知った。


「っ祭さん、血が・・・!」

「ん・・・ああ、開きやがったか」


祭はさして気にした様子もなくぷらぷらと手を振っている。紗枝は慌ててその手首を掴んだ。


「止血しますから。・・・ひどい傷じゃないですか」


紗枝は、非常用にと部屋に備え付けられている救急箱をひっぱりだした。あまりやったことがないのでてきぱきとはいかなかったが、なんとか包帯を結び終える。


「できた。どうしたんですか、こんなひどい怪我を・・・」

「ああ、ちょっと劉盛会の残党と揉めてな」

「りゅ・・・」


その名前に紗枝はぎくりとなる。借金をふくらませた闇金融のやくざだ。上納金をごまかしていたことを知られ、解散寸前に追い込まれたと聞いていたが。


「だ、大丈夫なんですか・・・?」

「たいしたことねえよ。もう少ししたら収まる」

「なら・・・いいんですけど・・・」

「怖いか?」


尋ねられ、紗枝は首を振ろうとしたが、結局素直に頷いた。


「まあ、ここにいりゃ、被害はねえよ」

「・・・あの、だから・・・お店はまだ駄目だって・・・」

「・・・ま、結果的にはそれが正しかったな」


祭のその言葉は嘘だと思った。祭もまた、優しい。

けれど、彼を好きになることは想像できなかった。


「あの・・・、怪我しているときにお酒飲んだら駄目ですよ?」

「かてえこと言うなって。それより、瑠璃の奴にずいぶんと懐かれたみてえじゃねえか」


口の端だけをあげる皮肉な笑みに、紗枝はどきりとした。

祭は気に食わなかったのだろうか。


「どういうことだ?」

「あの・・・瑠璃ちゃん、話してみたらいい子、でしたよ?」

「瑠璃ちゃん、ねえ。あのクソガキを随分可愛らしく呼ぶな」

「クソガキ・・・って。祭さん、瑠璃ちゃんと一度ちゃんと話をしてあげてください。言いたい事があるんですよ、彼女」

「俺はねえよ。ぴーぴーうるせえし」

「こ、今度は違いますから!瑠璃ちゃん、いろいろと反省したんです」

「あのガキが反省なんてできるわけねえだろ」

「そんなことはないです!」


祭があまりにも否定的なので、紗枝は声を荒げた

。確かに今までの瑠璃は素直じゃなかったし、敵対的でさえあった。

けれど、今は違うのだ。分かってあげて欲しかった。


「なんだ?やけに瑠璃の肩を持つな?」

「瑠璃ちゃんは変わったんです。それは私が保証します」


まっすぐに祭をみると、彼は面白くなさそうに鼻を鳴らした。


「瑠璃と俺がうまくいえばいいと思ってるんだろ、お前は」

「そ・・・れは・・・」


それは事実だった。


「そうすれば、お前が俺にちょっかいかけられることもねえしな。万々歳ってわけだ?」


だが、それは違う。祭はまるで紗枝が祭を嫌っているように言うが、そういうわけではない。

あんなことをされても、祭がどこかつらそうな目をしていたことを思い出すと、憎めなかった。


「あいにくだが、思い通りになんかいかねえよ。俺は瑠璃が気にいらねえ」

「何で、ですか?」

「・・・そうだな。あいつは俺たちの見分けがつかねえから」

「え?」


生意気、とか、わがまま、という言葉が返ってくるとばかり思っていたので、その答えに紗枝は一瞬反応が遅れた。


「前に、っつっても、結構前か。俺が社のふりをしたら、あっさり騙されやがった」

「祭さん、なんでそんなことを・・・」


同じことをされた紗枝は心底不思議そうに問う。

どうして祭はそうやって、人を試そうとするのだろうか。

見分けたら見分けたで、それは面白くなさそうに怒ったくせに。


「どうしてなんですか?」


返ってきたのは意外な答えだった。


「俺と社を見分けられねえってことは、俺を見てねえってことだろ。うわべだけみて、俺がいいって言ってるだけだろ?そんなやつ、信用できるかよ」


不愉快そうな祭は、不審に満ちた目をしていた。

底なし沼のような、闇がそこにはあった。


「別に組の奴らやクラブの女どもはどうでもいいんだ。俺の地位に従っているだけだからな。だが、私生活は別だろ。俺が祭だか社だか見分けられない奴が、俺の何を知ってるというんだ?そんな奴、傍に置く価値もない」


だから、紗枝は価値がある。見分けることができたから。

そう言われて、紗枝は戸惑った。


「それは・・・た、たまたまかもしれないでしょう!最近は真似する腕が鈍っていたんじゃなんですか?でも瑠璃ちゃんは・・・結構前じゃ・・・小さかったんだし、仕方がないと思うし・・・。今はきっと違うと思いますよ。瑠璃ちゃんはちゃんと祭さんを・・・」

「うるせえ。瑠璃の話はもういい」

「っでも・・・」

「あいつは小さい頃から俺たちを知っているだろう。それでも分からなかった。あいつに試したのと同じぐらいの年だって、分かる奴はいたんだよ。いまよりずっとそっくりな俺たちを見分けられた奴はいたんだよ。そいつはもう、この世にいねえけどな」

「・・・え?」

「知りたかったんだろ?いいぜ、教えてやる。社が何でこの家の跡目から外れたのか」


誰かから聞いたのだろうか。

それとも、うっかり話をしかけてしまったことを律儀にあの彼が報告したのだろうか。

どちらにせよ、紗枝の胸が嫌な音を立てたのは間違いがなかった。

知りたいのに聞きたくない。祭の様子はあきらかにヤケであり、自分が聞いていいのか心の準備ができていなかった。


「祭さ・・・」

「俺が全部ぶっこわしたんだよ、あいつの数少ない大切にしてたもの」


祭が口先だけで笑いながら言った。

瞳が明らかに笑うときとはかけ離れた様子で。


「そいつの名前は、玉城美江子。俺と社の2つ年上の幼馴染で、社の初恋の相手だよ。美江子のせいで、あいつは全部なくしたんだ」


◇◇


“それ”は二人が中学2年の冬まで遡った。


「・・・ばーか、中坊相手に高校生6人がかりで勝てねえのかよ。情けねえな」


祭は喧嘩ばかりを繰り返す、血気盛んな不良だった。

その頃は祭も社もまだ鬼火は使えず、ただの人と同じでありながら、極道の妖の末裔という肩書きだけはたいそうなものだった。


結局、学校というものには馴染めなかった。

周りの目は大人も子供も冷たくて、常に仲間はずれだったし、すぐに周りの不良グループに目をつけられた。

応戦していくうちに喧嘩はどんどん強くなったが、周りに残ったのは祭の下についた不良だけだった。

それは社も同じだったが、社は群れるのを好まなかったから、もっとずっと一人だった。


「・・・お前、またやったのか?」


いや、群れるのを好まないというよりは、社は喧嘩そのものが好きではないようだ。

だから、すぐに暴力を振るう人種とはそりが合わなかったのだろう。

帰り道の土手で祭を見つけた社は、嫌そうに眉を寄せていた。

帰る家は同じなので、祭は大概そんな社と並んで歩いた。

顔も背丈も全く同じ。

まだ祭の顔に傷はなく、親でさえ騙そうと思えば簡単に騙せた。


「うっせえよ。あいつら、俺が一人になったところにいきなり絡んできやがってよ」

「そりゃ災難だったな。だが、あんまり無差別にすんなよ。俺にまでとばっちりがくる」

「まあまあ、そりゃ宿命と思ってあきらめろって。・・・ん?お前、また髪切ったの?」


自分と長さが違う社の髪を見て、祭が尋ねた。


「悪いか?」

「悪くはねえけど、お前、こないだ切ったばっかじゃん?」

「お前が真似したからな」

「いいじゃねえか。見分けがつかなくて」

「だから、それが迷惑なんだ」

「あっそ。んじゃ、俺も切ろっと」

「祭!」


そんなやりとりはいつものこと。祭の楽しみは、社のふりをして社の人間関係を混乱させることだったからだ。

社として軽く女の子とつきあって、後始末を頼んだことさえあった。

とにかく、かたっぱしから社の嫌がることをしてみたかった。


この頃、弟であるというだけで差別されている反発心が、親だけでなく社にも向かっていた。

だから、澄ました顔をした社が困るのが、ストレスの解消法だった。


「なにしたら、あきらめるんだよ。いっそ坊主にしたら、真似しないか?」

「うーん、坊主は嫌かもなあ」

「じゃあ、そうしてやる」

「馬鹿、せっかくお前は俺に似てイケてる顔してんのに、坊主じゃもったいねえだろうが。やっぱ坊主はもてねえぜ?」

「双子なんだから似てて当たり前だろ。つか、もてなくていい。女ってうるせーし」

「美江子だって、坊主は好きじゃねえと思うけど」

「・・・美江子はなんの関係があんだよ」

「別に、言っただけだけど。俺らに一番近い女だから。何、むきになってんの?」

「なってねえよ」


社は無表情になって、前を向いた。

それが彼なりの照れ隠しと知っている祭はひそかににやにやと笑う。

隠したがっているようだけれど、結構前から社が年上の幼馴染を好いていることを知っていたのだ。


ただ、彼女は祭にとっても幼馴染で、そう邪険にできるほどどうでもいい存在じゃなかったから、手を出したりしなかった。二人でいると、邪魔をしたりはしたけれど。


「私がどうかした?」

「「うわ!」」


すると突然、ひょいっと横から覗き込まれて、祭も社も驚いた声をあげた。


「まあ、仲良しさんね。よくそろってるわ」


うふふ、と笑う髪の長い女性は、おとなしい顔立ちだが、優しい雰囲気をもっていた。海外からのお客を迎えることもある蒜生家には、そのたびに和装でよく呼ばれている。大和撫子、と外人には大評判なのだ。


美江子は、蒜生に使える運転手の娘だった。

住み込みなので、本家の離れに父親と住んでおり、年が近い子供同士、小さい頃から、3人でよく遊んでいたのだ。


「二人の姿が見えたから、駅から走ってきたの」

「脅かすなよ」

「気づかれなかったのなら、大成功ね。・・・あら、祭くん、泥だらけ。また喧嘩したの?」


そんな美江子は、絶対に二人を間違えなかった。

何も言わなくても、かならず当てる。

騙そうとしてもいつも失敗する。


「・・・いつも思うけど、美江子はよく当てられるよな。なにが違うわけ?」

「そりゃ、祭くんが小さい頃からよく騙してくれたからよ。悔しいから、一生懸命観察して、分かるようになったの」

「そんなんでわかるもんかねえ?」

「人の癖ってなかなか消えないものよ」

「ふうん。あ、それよりさ、社の奴が俺と同じにしたくないから坊主にするって言ってんだけど、どう思う?」

「社くんが坊主?え、本当に?」

「・・・別に、ほんとうにやるとは言ってない」

「嘘つけ、さっき本気だったくせに」

「言ってみただけだ」

「なあ、美江子は坊主なんて野球部みたいで嫌だよなあ?」

「え?そうね、嫌じゃないわよ・・・それにきっと社くんなら似合うと思うけど。でも、今のままのほうがいいかな?社くん、その髪型似合ってるよ」

「べ、別に褒めてくれなくていい!」

「あ、社が照れた」

「照れてない!」

「素直じゃねえなあ」

「ふふふ」

「うっせえ!先に帰る!」


夕暮れどき、社が一歩前を早足で歩くのを、祭と美江子は笑ってみていた。

それが一番穏やかな日常だった。

けれど、ある日。


「なー、社。宿題見せ・・・なにやってんの?お前」


祭がノックもせずに社の部屋に入ったとき、社は面倒くさそうにシャツの袖のボタンと格闘していた。その傍に置いてあるのは真新しい黒いスーツと濃紺のネクタイだ。


「親父が新しいスーツ寄越したから、袖通してんだよ。明日・・・なんだっけ?ああそうだ、市長主宰のパーティーについて来いって。いきなり言われてもって感じだよな?」

「・・・・へえ」

「え・・・お前も、行くんだろ?」


祭が平坦な相槌だけを返してきたので、社は手を止めて怪訝そうな顔で振り返った。


「知らね。親父、俺には何も言ってなかったし」

感情のこもらない声でそれを否定し、祭は表情を曇らせた社に近づいた。

そして、テーブルに置いてあったスーツの上着を手にとる。


「すげ。ブランドもんじゃん。成長期なんだから、どうせすぐ着れなくなるのに。さすがだよな。こんなの俺、着たことねえよ。いいよな、前もお前、どっかのホテルのパーティー行ったじゃん」


少しずつ、少しずつ、道は違ってきていた。

同じときに生まれて、外見だってそっくりなのに、ほんの少しの差が埋められない境遇の違いを生んだ。

祭はそれに憤っていたし、社はそれに心を痛めていた。


どちらかといえば社はこの世界における向上心が低かった。ぎらぎらと上を目指すような、人を従えることを喜びとするような、そんな欲は皆無に近かった。


その点でいえば、社は極道向きじゃなく、祭のほうが向いていたといえる。

けれど、どれだけ皮肉なことだろうが、決まっていることは変わらない。


「・・・・・お前が行くか?俺は、別に政治家とか興味ねえし、立食も好きじゃねえし」


罪悪感からだろう、社がぽつりとそんなことを言った。

それが、余計に祭を惨めにさせると知らないのだろうか。

祭はこれ以上ないくらいの笑顔を浮かべて答えた。


「は?なにそれ?そういうの、一番むかつくんだけど?」

「・・・・・悪い」


テーブルの上に腰をかけて、祭はそこに置いてあったネクタイをくるくると指先で回す。社はもう黙り込んでいた。


(むかつく)


その態度はますます祭の怒りを深くした。

いっそ、社が「お前が下だ」とはっきりしてくれれば、潔い祭の性格なら正々堂々と喧嘩でもして、それで負けて、引き下がれたかもしれないのに。

潜在的になら社の方が強いのだが、社は甘いところがある。祭を、弟を従わせるためなどに、決して本気は出さないだろう。だから、そんな勝負はできないのだ。

社はむしろ進んで負けそうだから。

それじゃ、意味がない。

考えるだけでも、祭はイライラしてきた。

何で、こいつが先に出てきたんだろう、と。

ぱしっとまだ透明な袋に包まれたままのネクタイを祭は握りしめた。


「・・・ま、でもお前がせっかくそう言ってくれてんなら、変わろうかな」

「・・・祭・・・」

「組の会合とかじゃさすがにまずいけど、どうせただの挨拶回りでちょっと顔出すだけだろ。うまい飯も食えるし、ラッキー」


入れ替わりがばれない自信はあった。

ただでさえ、彼らの父親は、女房が病で亡くなって以来、家庭を顧みない男だったから。

組の人間だって、お互いのふりさえすれば、まず二人の区別がつけられない。


「祭・・・本当に・・・」

「何だよ、やっぱり惜しくなったのか?」

「違う・・・けど、ばれたらやばいぞ」

「ばれねえよ。そんなヘマしたことないだろ」

「・・・本当に、そうしたいのか?」

「お前から言ってきたくせに、なに、それ。譲る気ないのに、かわいそうだからちょっと言ってみただけってことか?」

「そういうつもりじゃない」


祭が笑みを消して見遣ると、社はその視線をまっすぐに受け止めて言い切った。

やましいことなど、何もないと言いたげに。


「・・・じゃあ、いいだろ」


だから、祭のほうが視線をそらせてしまった。

社が時折見せるゆるぎない面が、苦手だった。

煮え切らなかったり興味をもたなかったり、そういうところでいらいらさせられるのに、ここぞというときは、何のためらいもなく自分を主張できるから、

完全に社が嫌いになれない。


「いいけど、一応用心しろよ。親父にばれたら半殺しだぜ?」

「そんときゃお前も一緒だよ。まあ、安心してろって、相棒」


祭はちゃかしたように、親指を立てた。すると、社も仕方ないとばかりに笑う。


「完璧な“社”を演じてやるよ。みせらんねーのが残念だけどなあ」


秘密めかして、二人で笑った。

これはただの思いつきだった。

ただ気まぐれを起こしただけだった。

ただ、それだけのつもりだった―――・・・・。




その日。祭は社として出かけ、社は祭として家にいた。


「・・・ったく、ねえと思ったらあいつが取ったのかよ」


祭の部屋で、なくなったとばかり思っていた本やCDをいくつも発掘した社は、ふと外から聞こえる喧騒に眉を寄せた。表ではない。裏口のほう、離れから聞こえてきていた。

それが気にかかって、社は美江子の家に向かった。

呼び鈴を鳴らすが、返事が返ってこない。

確かに運転手である玉城は、父たちと出かけているのだからいないし、休日だから美江子だって出かけているかもしれない。

けれど、なにかひっかかかった。


「美江子?いないのか?」


ドアに手をかけると、がらり、と横に滑った。

鍵はかかっていなかったようだ。

そして一歩中へ足を踏み入れてすぐに異変に気がついた。

何人もの人間が土足で踏み入った跡があったからだ。


「・・・んだ、これ・・・っ」


ぞっとして社は、家を飛び出した。

そして裏口で、不審な車を発見する。

車に乗り込もうとしていたのは、外人で、社を見つけるとちっと舌打ちをして、慌てて乗り込んだ。


「美江子!?」


その後部座席に美江子の姿があった。見間違えるはずがない。

美江子は眠っているようだった。

社が近づこうとすると、シルバーの車は、急発進をした。

社は近くにあった自転車をひったくって、車が通れない道を先回りした。

その甲斐あって、社は車が交差点を出る前に飛び出すことができた。

社の姿を認めると、車は急停止をする。

さすがに停まりきれずに自転車ごと飛ばされたが、受身はとってすぐに起き上がった。


「ってめえ!美江子をどうするつもりだ!どこのもんだ!?」


運転席の窓をがんっと叩くと、その窓が開いて、ピストルが目の前に突きつけられる。

さすがに社も息をのんだが、相手は社を認めると、はっとしたようにそれを引っ込めた。

社はその隙に開いた窓から拳銃を奪おうとする。

何語かよくわからない言葉で後部座席にわめいていた男が、勢い余って引き金を引いた。

サイレンサーのおかげで暴発音は響かなかったが、硝煙と共に、社の腕に赤い傷が刻まれた。


「・・・っ!美江子を返せ!」

「―――――!」

「――――!」


まくしたてられる言葉のなかで、ヒルキという音を認識できた。Son、とも聞こえたから、英語だったのだとようやく気がつく。

すると突然、運転席のドアが開けられ、勢いよく横から殴られた格好となった。

ついでに掴んでいたはずの運転席の男が、手を振り払ったので、社は後ろに転んだ。

まだ、中学生の彼は、体格的にも力でも劣っていた。


「く・・・っ」


それでもすぐさま立ち上がって、今度は後部座席のドアに手をかけた。それでも車が走り出そうとする。引きずられそうになったところで、“NO!!”という鋭い声が飛んだ。


車は急停車し、突然ドアが開くと、美江子を外に放り投げた。

それを受け止め、社の手がふさがったのを見ると、一気に駆け去っていった。

美江子を抱え、道路に座り込むことになった社は、車の消えた方角を唖然としてみた。

いったい、どういうことなのだか分からない。

けれどそれよりも、美江子の様子が気になった。


「美江子?おい、美江子!」


ぺちぺちと頬を叩いても美江子はぐったりとして動かない。嫌な予感に唇に手をかざしてみると、息をしていなかった。


「おいっ!美江子!くそ・・・!」


知識としてしかない人工呼吸を慌てて開始する。これでいいのか不安になりながらも、何度か続けていると、不意に美江子のまぶたがぴくりと動いた。


「美江子!気がついたか?!」

「・・・・・・くん・・・?泣・・・てる・・・の・・・?」


ぼんやりとした様子で、美江子は手を伸ばしてきた。

言われて初めて、社は自分の視界が歪んでいることに気がついた。


「な、泣いてねえよ!それより、早く医者にみせねえと・・・」


手の腹でぐいっと目をこすり、それから美江子を背負った。そんなに大きくもない美江子は、軽々とおぶえた。


「・・・わたし・・・・どうしたの・・・かしら?」

「いいから、しゃべるなよ!田和原のおっさんに見せるまで、寝とけよ」

「ごめん・・・ね・・・。重くない・・・?」

「重くねえよ。大人しくしとけって」

「・・・うん・・・ごめ・・・ね」


美江子が背中に体重を預けてきたのを知って、社は走るスピードを上げた。早く家にたどりつきたかった。


結局、あれは蒜生家を訪れた際に美江子に一目ぼれしたアメリカ企業の馬鹿三男坊が、いつまでたってもなびかない美江子に対して強行手段に及んだということだったらしい。

お粗末な誘拐劇は準備もずさんだったらしく、クロロフォルムの量を間違えて、美江子は仮死状態になってしまったのだ。

蒜生本家の息子である社(相手には祭と説明しているが)に怪我を負わせたとのこともあって、その三男坊は厳正に処罰されたとか。


それにしても助かったのは、相手が社の顔を知っていたことだ。おかげで、命の危険は回避できたし、早々に美江子をあきらめてくれた。

美江子は数日入院して、すぐに元気になって家に戻ってきた。

父親と一緒に菓子折りを持って、助けてもらった礼を厳粛にも入れていた。もちろん、祭に。

けれど、社はそれでもよかった

ただ、美江子が無事だったのならそれで。


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