全てを精算したいです
そして次の日。
「・・・うわ・・・」
久しぶりに戻ってきた社の部屋は、惨憺たる有様だった。いたるところに服が散らばっている挙句、飲みっぱなしのビール缶はテーブルの上に積み上げられているし、何かを探していたのか引き出しがあきっぱなしのうえ、中身が床に散乱している。
ここのセキュリティが万全でなければ、空き巣に入られたと勘違いするほどだった。
「・・・ひどい」
もう関係ないのだから、と紗枝は当初見ぬふりをして自分の荷物だけを片付けることに専念した。
祭が「あいつだってそこまで薄情じゃねえだろというとおり、紗枝の持ち物はそのままで捨てられてはいなかった。
ただ、片付け終わってしまえば、祭が迎えに来てくれるまで暇だったので、ついついリビングの片づけを始めてしまったのだ。
せめて、缶だけでも。
(なにか沸いたら嫌だし・・・)
しまってあったはずのゴミ袋を取り出し、手際よく缶を拾うと、ついでにテーブルも綺麗に磨く。
ふきんを濡らそうとしたら、流しも洗い物で埋め尽くされてめちゃくちゃになっていたので(棚中のコップとグラスが山になっていた)洗っておいた。
だが、ふう、と一仕事終えて息を吐くと、紗枝はまた悲しい気分に襲われた。
あの日も、こんな風に台所を片付けた。何も知らないまま。その日以来、紗枝の新しくできていた日常は壊れてしまった。
強引に連れ出した祭を恨む気はない。
あのまま、何も知らなければ、ある日突然放り出されて困ってしまうところだったはずだ。
しかし、その一方で、そこまでひどいことはしなかったのではないかと心のどこかで思う。
優しかった社なら。あのパーティーでの騒ぎのあとも、普通に接してくれていた社なら。
そうやって、善意で解釈しようとして、いつも間違えるのに。
(・・・・そういえば、私のクマ・・・)
あの日、リビングに置いておいた紗枝が作ったくまがいない、と今更気がついた。ついでにマフラーも。
よく考えれば、ソファに座っていたあの大きなくまのぬいぐるみもなかった。
リビングを一周してみるが、どこにもない。社がどこかに片付けるということをするとは思えないのに。
すぅっと胸に冷たいものが突き刺さった気がした。
「・・・捨て・・・られちゃった・・・かな?」
別に社がああいったものを好きじゃないのなら、そのふりをする必要がなくなった以上、処分してしまうのが当然だろう。あんなものを家に置いておいたら、人格が疑われてしまう。
紗枝はうつむいて、ぎゅっと唇を噛んだ。
そのとき、かしゃん、とドアの開く音が小さく聞こえた。
紗枝は慌てて首を振って、精一杯明るい表情をつくる。
「祭さん、すみません。お手間を取らせて・・・」
「いや・・・これでいいんだろ?」
リビングの入り口に立った人影はすっと一枚の紙を差し出した。紗枝はどこか痛いような気持ちで近づき、それを受け取る。
手の中の書類には、貸担保書と書かれていた。
「・・・はい」
欲しかったものを取り返してもらったのに、頷く紗枝は複雑な表情しかつくれなかった。
「もう意味はねえもんだ。破るなり燃やすなり、好きにしろ」
「すみません、祭さん。本当に・・・・」
「・・・帰るぞ。荷物持ってやるから、貸せ」
「あ、大丈夫です。自分で持てますよ」
紗枝は荷物を詰め込んだボストンバックを抱えた。社からもらったものは置いていくつもりだったので、たいした量ではない。
それより気になるのは。
「あの、大丈夫でしたか?」
「何が?」
「社さん、怒ってなかったですか?私、勝手なことばかりお願いしてしまって。結局、何の役にも立てなかったのに、都合よく家をかえしてもらおうなんて、虫がいいのはわかっています。社さんにしてみれば、本当に無駄骨だったのに・・・」
先を歩く祭の手がぴくりと動いたのが見えた。そして背中が怒ったような口調で言った。
「お前、馬鹿だろ」
「?何でですか?」
「利用されてたのを知って、何でそんな風に言うんだ?そういうのはお人よしって言うんじゃねえ。馬鹿って言うんだよ、本当の馬鹿だな」
「ひ・・・ひど・・・っ」
「気になってしなくたっていいだろ。金はこっちが払ったんだし。損してねえんだから、あいつだって気にしてねえよ。お前が気にする必要なんてこれっぽっちもねえ」
はき捨てるような言葉は苛立ちにまみれていた。何故怒られるのかが分からなくて、紗枝はおどおどとしながらも尋ねかける。
「あの、やっぱり社さんと揉めたんですか?だったら私がちゃんと謝りに・・・」
「いい加減にしろ!」
怒鳴られてびくりと足が止まった。
「馬鹿じゃねえのか!自分がどういう状況にあったのか、考えてみろよ。ぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ他人のことばっか気にしてねえで、怒ればいいだろ!何でお前はいつもそうなんだよ!」
突然の激高に、紗枝は反応できずに、ただ立ち尽くしていた。すると、すぐに怒鳴ったことを後悔したのだろう。
くそっと小さく舌打ちして、詫びの代わりのように紗枝の腕からボストンバックを奪いとった。
「さっさと行くぞ」
「・・・・・」
「紗枝?」
しかし促しても動こうとしない紗枝を不審げに振り返る。それで、紗枝は確信を持った。
「・・・・社・・・さん。どうして、ここに?」
彼は、驚いたように目を見張った。
それもそのはずだ。彼が着ていたコートは祭のものだったし、前髪を下ろしているから、よく近づかなければ目の傷だって見えないのだから。
「・・・何故?」
何故ばれたのか、と社は尋ねかけた。邪魔そうに、前髪を掻きあげる。確かに、傷はなかった。
「あ・・・の、匂いが・・・ちがうから。それに、話し方とか雰囲気とか、なんか・・・違うって・・・」
つけているコロンの香りが少しだけ違っていたのだ。それは最初に違和感をもったけれど、社が祭のふりをする理由はまったくなかったし、紗枝に会いたいとも思わないだろうから、気にしていなかった。
だが、「他人のことばかり・・・」と言ったその怒り方が、祭とは違うと思ったのだ。
祭は、紗枝が言いたいことを言わないとか、うじうじしているのに怒る。
けれど、他人のためを思って動く紗枝に呆れはしても、それを怒りはしないはずだ。
別に傷つきたければそうすればいい、てめえの勝手で関係ない。そういう人だと思っている。
怒るのは・・・。
「どうして?社さん」
紗枝の笑ってごまかしてしまった昔のいじめの話に、ひどく不愉快そうな感情を示した社のほうだ。
「・・・祭が、そのままならお前に会わせねえっていうから」
視線をあわせていたくないとばかりに、社はふいとあさっての方を向いた。
「祭さんが・・・?」
「俺もどの面下げてお前に会えばいいのか分からなかった」
紗枝はなんと答えていいのか分からず、ただ、うつむいた。
すると、社は紗枝がポケットに入れた書類をするりと取り上げてしまう。そして、突然びりっとそれを引き裂いた。
「な・・・っ」
驚いて目を見張る紗枝の前で、2つに裂かれた書類がひらりと床に落ちる。
「なんで・・・」
「お前はお人よしすぎる。俺がこうしなきゃ、変な義理を感じて破りそうにもない。それで、またつけこまれるんだ」
苛立ったように言ったあとで、社ははっと口をつぐんだ。
「・・・俺が言う台詞じゃないがな。いい加減、賢くなれ」
そしてふいとまた背中を向けた。
「悪かったな。これで、お前は自由だ」
「・・・っ・・・!」
「祭が約束を反故にしそうだったら、言え。それくらいは罪滅ぼしでなんとかしてやる。お前が信じるか信じないかは知らないが」
社はそのまま玄関を出て行こうとした。
その瞬間、紗枝の体は勝手に動いていた。
「待って・・・っ」
社の腕に取りすがった紗枝を、社がひどく意外そうに見下ろした。
「あの、あの・・・私、ごめんなさい!社さんの、役に・・・た、たてなくて・・・」
「お前はまだそんな馬鹿なことを・・・」
「どういう経緯でも、あのとき社さんが助けてくれなかったら・・・どうなってたか分からなかったから・・・ありがとうございました。そのお礼もできないままで、ごめんなさい。ちゃんと、祭さんに借金返せたら、い、いつになるかわからないけど、そうしたら、社さんにも合わす顔ができるかもしれ・・・」
「っ!お前、今なんて・・・っ」
しかし、途中で社ががしっと紗枝の両肩をつかんだので、紗枝はそこから引き剥がされることになる。
しかも、社が怒っているようなので、ひどく落ち込んだ。
「ご、ごめんなさい・・・ずうずうし・・・」
「そうじゃない!祭に、何だって?」
「俺に借金返したら、だろ?」
突然割り込んできた声は、玄関の外にいた祭だった。
「祭・・・!どういうことだ?!」
「どういうもこういうも。紗枝に頼まれたんだよ。それよりコート返せって。まあ、交換してやってもいいけど」
「冗談を聞く気分じゃない。どういうことだ?俺には・・・」
「だから紗枝に頼まれたって言ってるだろ。俺はちゃんとタダで家を取り戻してやるって言ったぜ。それを紗枝が、どうしても借りをつくりたくないっていうからよ。お前にちゃんと自分で借金を返したい、必ず返すから金を貸してくれって土下座までされちゃあなあ」
「・・・紗枝、今の話は本当なのか?」
こんなところに祭がいた驚きで固まっていた紗枝だったが、問いかけられてこくんと頷いた。
祭に社が劉盛会に返した借金分、支払ってくれと頼んだのだ。すっきりと清算したいその一心だった。
けれど、社はひどくうろたえ、怒っているようだった。
「馬鹿野郎!何でそんなことを・・・」
「てめえには関係ないだろ。もう金は返したんだ。あとは俺と紗枝の問題だ」
「そんな金だったら受け取るわけがなかっただろ!てめえが詫び入れるって言うから・・・」
「ああ。だからお前にも迷惑かけて悪いとはちょっと思ったから、謝ったじゃねえか。ついでに上乗せもしてやっただろ。文句ねえはずだ」
「ふざけんな!そんなのは無効だ!」
「いまさらがたがた言うなよ。とにかく、紗枝に関してお前はなんの関係もなくなった。口を出すな」
そう言って祭は紗枝の肩をつかみ、自分の横へ引き寄せる。社が剣呑な表情になった。じわりと目の色が紅に染まる。
「ってめえ・・・!」
「社さんっ!?」
怒りに震えた社が、祭に殴りかかるのを見て、紗枝は悲鳴をあげた。その瞬間、ぴくりと社の動きが止まる。
応戦しようとしていた祭がその隙に、思い切りよく社を殴りつけ、がたんっと玄関の扉にに社が倒れこんだ。
「ま、祭さ・・・っ!社さん、大丈夫ですか!?」
すぐに起き上がった社は、口の中を切ったのだろう。吐き捨てた唾に血が混じっていた。ついでに頭を扉にぶつけたせいか、こめかみから血が滴っていた。
「遅くなったがこの間の礼だ。紗枝、来い」
「で、でも・・・」
祭は社に駆け寄ろうとした紗枝の腕をつかんで、引っ張った。すると反対側の腕を社がつかんで引き止める。
「離せ」
低くうなるような声で社は祭を威嚇し、そしてふらりと立ち上がった。
「そっちが離せよ。てめえは関係ねえって言ってんだ、ろ!」
祭がそんな社のわき腹を蹴った。「ひっ」と紗枝の引きつった声と同時に、社ががくんと膝をつく。
「・・・っぐ・・・」
「大分勘が鈍ってんな、社。インテリらしく、玲人と会社のことだけ考えてりゃいいだろ。こいつは、俺がもらってやるからよ」
「社さん!祭さん、なんでこんなこと・・・」
社が苦しそうで、紗枝は泣きそうになりながら祭を非難した。すると、祭も社と同じく赤に変化した底冷えをする瞳で、紗枝を見る。
「力関係をわからせとかなきゃなんねえんだよ。お前が誰のもんかってな」
「・・・まつりさ・・・」
「ほら、コレでお前を縛ってるもんは消えた」
先程社が2つに破った紙が、炎を上げ、一瞬で消し炭となった。ぞっと恐怖が襲い、体中に鳥肌が立った。
こわい。
青ざめた顔で見つめていると、すぐに祭はにやっといつもどおり笑う。
「大丈夫だぜ。こいつ、打たれ強いからよ。しばらくしたらけろりとするって」
「あの・・・・」
「荷物持ったんだろ。帰るぞ」
「社さんの手当て・・・を」
「ほっとけ」
祭はそう言い捨て、ひょいと紗枝を腕に抱えた。
「お前はあいつと関係ないんだ。気にしなくていい」
「祭さん・・・!あの、社さん!ちゃんと手当て、してくださいねっ!ほっといたら駄目ですよ!」
祭が降ろしてくれないのを知ると、紗枝は最後にそう叫んだ。
エレベーターのドアが閉まる寸前、社が何かを言ったように思えた。




