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可愛いは正義、ですが、振れ幅が広いです

18歳はまだ未成年として扱われている世界線です。


「よかった。どうぞ、お入りください」

「ああ・・・」


本当にためらいがちに、男は店へ足を踏み入れる。紗枝はそんな彼にカウンターにあった椅子を差し出した。

紗枝お気に入りのそれは、背もたれに葡萄の細工が入っていて、足も先がくるんと丸まっている可愛らしいものだった。


「少しだけお待ちいただけますか?あ、もしなにか気になるものがありましたらご自由にご覧ください」


窓にブラインドを下ろし、紗枝はお茶を入れに奥の簡易キッチンに向かった。

お湯が沸く間にそうっと店を覗き込むと、大きな体を所在なさげに椅子に収めていた彼が、やがて興味深そうにきょろきょろとし始めるのがわかった。そしてカウンターに置きっぱなしだった紗枝手作りのぬいぐるみをじーっと見つめている。

くすくすと笑って、紗枝は桜茶を彼の下へ持っていった。


「どうぞ、お手にとってごらんくださいね」

「・・・いや別に・・・」

「遠慮されなくていいんですよ?あ、これどうぞ」


紗枝はお盆に載せたままお茶を彼に差し出した。


「うまいな」


一口すすった彼が、少し驚いたようにそう言った。


「ありがとうございます。父が好きなもので、淹れ方を研究したんです」

「そうか。•••いい娘さんをもって、お父さんも嬉しいだろうな」

「え、あ・・・ははは。そ、そうだといいんですけど」


急に臆面もなく褒められたので、紗枝は照れてしまった。

その照れ隠しに、先ほど彼が凝視していた猫のぬいぐるみをちょいちょいといじる。

我ながら良い手触りだ。

いや、毛並みの布は既製品だけども。

そんな紗枝をじっと見つめる視線に、すぐ気がついた。

何気なく紗枝は尋ねる。


「お客様は、ぬいぐるみがお好きなんですか?それともお人形の方が?」

「ぐ・・・っ!」


だが、彼は途端にむせこんだ。紗枝は慌ててタオルを取って引き返す。

一番上にあったものを持ってきたが、今は紗枝しか家にいないのでよりにもよってくま柄のピンクいタオルだった。

子供っぽいな、とは思いながらも、それを差し出すと彼はかすかに眉を寄せた。


「申し訳ありません!大丈夫ですか?」

「大丈夫だが・・・」


まだかすかに咳をしながら、彼は戸惑った様子で服に飛んでしまったお茶を拭いた。


「本当にすみません。そんなに驚かせるつもりで聞いたわけじゃないんですけれど」


ウィンドウをあんまりにもじっと見ていたから、と付け加えると、彼はぽろりと湯飲みを落とす。

しかし咄嗟の反射能力が素晴らしいらしく、床に落ちる寸前で救出がなされた。


「すまない」

「あっ、ありがとうございます」


また落とすといけないからだろうか。

差し出された湯飲みを、あまりに素晴らしい反応に感心、いや感動していた紗枝は、手に猫をにぎりしめながら受け取ろうとした。

すると必然的に彼の手とそのふわふわな塊がぶつかることになる。

ぎくりとしたように彼が突然手を引いたせいと、紗枝がきちんと受け取っていなかったせいで、湯飲みは再び床に吸い込まれていった。

カッシャン、と簡単に湯飲みは砕けた。


「す、すまん」

「いえ、私こそっ」


二人して慌てて膝を折って、欠片を拾おうとする。お互いの指先が触れるのは必然だった。


「ごっ、ごめんなさい!」


紗枝はぱっと手をひっこめた。女の子と手をつないだことは(つながれたことは)数知れないけれど、付き合った経験もない紗枝は、男らしい骨ばった指に必要以上にびくついてしまったのだ。

こんな漫画みたいなことって結構ありうるんだな、と紗枝は焦る頭で思う。


「すみません、すみません。すぐに片付けますから」

「いや、俺が悪かった。怪我をするから触らないほうがいい。俺がやる」

「そんな。お客様に片付けさせるわけには・・・」


紗枝を制しようと先に欠片を拾い始めた彼を、紗枝は仰いだ。

だが、そこでぎくりと動きを止める。

サングラスで見えなかった瞳も、これだけ近ければ見える。色ガラスごしに見えた瞳は切れ長く、どこか怜悧な印象をうけた。

本能的な部分にぞくりと震えが走るのがわかった。

紗枝が怯えたのがわかったのだろう。

彼は右手中指でサングラスを押し上げ、顔を隠す様に紗枝から視線をはずした。

その様子を見て、紗枝ははっと顔色を変える。

無礼を謝るつもりが、さらなる無礼を働いてどうすると思ったのだ。

見た目で人を判断してはいけないと、子供の頃から厳しくしつけられたのに。

何より、そうされるつらさを自分は一番良く知っているのに。


「あの!箒もってきます!お客様は座っていてください」


紗枝は身を乗り出して彼を正面から覗き込んだ。ぎょっと男性が驚くのが分かる。

それを気にしない強引さで、無理に彼を立ち上がらせた。


「ちょっとこれ、持っていてください」

「え・・・おい・・・」


握り締めていた猫のぬいぐるみを彼に押し付けて、紗枝はてきぱきと手際よく床の掃除を始めた。

小型の掃除機までかけて、欠片一つ残さない状態になってからまだ立ち尽くしたままの彼を振り返る。そしてびっくりしてしまった。


(え・・・・笑ってる・・・)


終始無愛想に見えていた彼が、手の中の猫を見て口元をほころばせていた。

心なしか頬も少し紅潮しているようにも見える。

たぶん、普通の人からみたら十中八九「似合わない」「頭おかしくなったのか」「残念の極み」という評価が返ってくるだろう。

何せ見た目は真っ黒のでかい男が、女の子が喜ぶようなぬいぐるみに笑いかけているのだ。

なにかやばい趣味としか思えない。

整った顔立ちゆえに、そのギャップに引く人は多いと思われる。

けれど、紗枝はそういうことに偏見はなかった。

似合わないというなら自分だって似合わないし、こういったもので心和ませてくれる男の人なんてむしろ同士として大歓迎する。


「気に入ってくれました?」

「・・・っ」


紗枝が嬉しそうに言うと、見られていたことに気がついたのだろう。

彼は途端に唇を引き結び、ぎゅっと眉を寄せた。

それから黙って猫を紗枝に付き返してくる。

紗枝はそれをやんわりと拒絶した。


「もしよかったらもらってください」

「いや。別にこんなものをもらっても・・・」

「それ、私が作ったんですよ」

「・・・君が?」


製作者の名乗りを上げると、いらないと拒絶を見せていた彼は驚いたようだった。

それからすぐに自らの失言に気がついて、詫びをいれてきた。


「その、すまない。批判するつもりは全くなかった。良い出来の作品だと思う。その・・・とても可愛らしいし」

「本当ですか?」

「ああ。本当だ。それにしても、これが君の手作りだとすると・・・ウィンドウに飾ってあった物も君の作品か?顔がよく似ている」

「はい、うさぎのぬいぐるみですね。あれは、飾り用に大きいやつを作ったんです。それに合わせて売れ残った布やリボンで洋服も作ってあげて」

「そうか。とても可愛らしかった。思わず足を止めてしまうくらいに。すごいな」


本当に感心したのだとわかる声音で褒めてくれるので、紗枝は照れくさくなってしまった。

かすかに頬を染めながら、ぺこりと頭を下げる。


「ありがとうございます」

「そうか。こういったものを手でつくることができるんだな。知らなかった」

「私は型から自分で作りますけど、今は手芸店に行けば、結構キットがそろっていますよ。もう布は切ってくれているし、ボタンも入っているし、あとは縫って綿を詰めれば出来上がりというお手軽なものも多いです。ご自分で作ってみてはどうですか?」

「自分で?だが、俺は裁縫などやったことがないからな」

「じゃあこの機会に始めてみたらどうですか?」

「・・・才能がない気がする。細かいことは苦手だ」


彼は苦笑して、まだ手の中にあるぬいぐるみを見つめた。

その大きな手を見て、大雑把そうなのは見た目どおりなんだな、と思った。

それにしても話してみれば、まったく怖いことなどない。

むしろ褒めてくれるし、新たな発見をして不思議そうな顔をしているのはなんだか可愛いし、やはり、可愛いもの好きに悪い人はいないという持論は間違ってなさそうだ。

紗枝は嬉しそうに笑った。


「じゃあ、是非うちをご贔屓にしてください。お客様のお気に召すような品を仕入れてきますから」

「・・・な、なにを・・・」


焦った表情が面白い。今更取り繕えるわけがないのに。

むしろ、隠さないでいてほしかった。


「可愛いもの、好きなんですよね?こういうの好きな男の人の目線って厳しいだろうから、がんばります。だから今度、買いに来てください」


その言葉に彼は急激に真っ赤になって、ぱくぱくと口を開いたり閉じたりしている。

それからばっと口を手で覆って、一目散に逃げ出そうとした。


「ちょ、ちょ・・・っ!まってくださいっ!」


紗枝は慌てて彼の腕をひっぱった。そして全体重をかけて止めようとする。


「ま・・・ってくださいって!なんで逃げるんですか?!」

「放してくれ」

「私、なにか悪いこといいましたかっ?」

「・・・・・」

「なら謝ります!すみませんでした!」

「・・・君が謝る必要はない。とにかく放してくれ」

「謝らなくていいなら、なんで急に帰ろうとするんですか?」

「それを俺に言わせるのか?」


じろっとにらまれて、紗枝はその視線の鋭さにひるみそうになった。

けれど、ぶんぶんと首を振ってぎゅうっと手に力を込めた。


「わからないです。恥ずかしいからですか?でも、そんなの全然恥ずかしいなんて思わなくていいと思うし、むしろ私としては嬉しいっていうか」

「嬉しい・・・?」

「はい。私、こういう可愛いもの大好きなんです。だから、他の人も好きだとすごく嬉しいです。私が作った子を可愛いって言ってもらえるの、一番幸せなんです!」


それに、と紗枝は続けた。


「私、こんな外見だから、家の手伝いとして仕方なくやってるんだろうな、って言われちゃうんですよ。だから他のお店にいくのも恥ずかしかったり、初めての人から変に思われないかなってどきどきしたり。だから男の人の恥ずかしいっていうの、すごくよくわかります。けどそういうことも超えていいなって思えるお店が作りたくて。お客様みたいな方がふらりとでも足を止めてくださったから、その夢が一歩叶ったみたいで嬉しいんです」


だから店に招き入れたし、忌憚なく楽しんで欲しかったのだと真剣な瞳で言う紗枝に、彼はしばらく黙り込んだ後で軽く頭を掻いた。


「・・・とりあえず、手を放してくれ。その、腕に胸が・・・」

「―――っ!?!」


必死になるあまり、彼の腕を抱え込むようにしがみついていたらしい。

今度は紗枝が真っ赤になる番だった。

慌てて手を放したものの、彼の唇には困ったような笑みが刻まれていて、首筋まで熱くなる。


「ご、ごめんなさいっ!もう、ほんとにほんとにごめんなさいッ!!」

「いや?こちらとしては役得…っていうのもダメか。今はいろいろと面倒くさい世の中だな」


紗枝のあまりの慌てぶりに、彼は冗談めかして答えながら、くっと小さく声をこぼして笑った。

ぬいぐるみに向けていた慈愛にみちたものじゃなく、どこか意地悪そうなそれ。

けれどやはり紗枝をどきりとさせた。

不意に、彼の顔がちゃんと見たいと思った。


「・・・・・・あの、失礼ついでにお願いなんですが・・・」

「ん?」

「サングラス、取ってくれるとか・・・しないですよね?」

「これ・・・か?」

「あ、駄目ならいいです!同じ趣味だと知ったら親しみ沸いてきちゃって。それでお客様ってどんな人なんだろうって思って・・・すみません。詮索みたいなことを」

「・・・別に、かまわないが」

「え?」


思いがけず肯定の言葉が返ってきて、紗枝は却ってびっくりしてしまった。


「そこまで一生懸命に言われて、コソコソしてるのも、なんか馬鹿馬鹿しいからな」

「お客様?」

「社」


突然聞こえた、やしろ、という単語に、紗枝は首をかしげた。

しかし彼が「お客様という響きは気持ち悪い」と言ったのでそれが彼の名前なのだと悟る。


「社さん・・・ですか?」


おそるおそる口にすると彼―――社は、軽く唇の端を持ち上げた。

やっぱり優しいとは違う感じだったが、それはそれでかっこいい。これが大人の色気というやつかもしれない。

ぽけっと見惚れる紗枝にかまわず、小さくサングラスを畳む音がした。彼はそれを胸ポケットに無造作に突っ込んで、ついでにかぶっていたニット帽も取り払う。

柔らかそうな黒髪がぱさりと額に落ちた。

それをうっとおしそうに掻きあげる姿は、予想以上の美丈夫ぶりだった。

ただし、目つきがやはりきつい。まっすぐな意思の強そうな眉と、切れ長、奥二重の底知れぬほど黒い漆黒の瞳は怒っているのではないかと一瞬思うほどに、冷たい印象を受けた。


「目つきが悪いだろ?にらんでいるつもりはないんだが」

「そんなの分かっています!びびってなんかいませんよ」


すこし怖いな、と思ってしまった自分をごまかしたくて、紗枝はむっと唇をとがらせた。

すぐに子供っぽい仕草だったと引っ込めたが、ばっちりみられていたらしく社はくくくっと肩を揺らして笑っている。

笑うと、親しみやすい印象にがらりと変わった。


「君は、思っていたよりも子供っぽいな」

「紗枝、です。香具谷紗枝といいます。今年、19になります」


君、という言葉に反応して、紗枝は自己紹介をしていた。社が名前を教えてくれたお返しでもある。


「紗枝・・・ちゃん?」


だが、ちゃん、をつけるときに、社は非常に奇妙な顔をした。なにか変な物を食べたときのような。今度は紗枝がぷっと吹き出す。


「紗枝でいいです。私、“ちゃん”って呼ばれた記憶は小学校の低学年くらいまでしかないから、気持ち悪いですし」

「いいのか?」

「はい。あとは紗枝様、お姉さま、王子、とか。まともなあだ名がないんですよ」

「王子?」

「ええ。私、女の子から見るとかっこいいみたいで。自分で言うと、なんだそれ、みたいな感じなんですけど。背も大きいし、可愛げもないし、まあ自然と男役っていうか。男子にも男女って言われてたくらいですから」

「そうか?紗枝は可愛いと思うがな」

「―――っ!?な、何を・・・言って・・・、や、やだな。お客・・・社さんったら」


さらっと爆弾発言をされて、紗枝は真っ赤になった。

挙動不審に視線をきょろきょろとさせた挙句、目に付いた大きなくまのぬいぐるみをぎゅーっと抱きしめた。

焦っているときの紗枝の癖だ。


「ほら、可愛い」


だが、背後で笑いながらまた言われて、ますます紗枝は赤くなった。

柔らかな毛並みに顔を完全にうずめる。

それを見た社は爆笑していた。


「面白いな、君は」

「・・・社さんは意地悪なんですね・・・」


目にうっすらと浮かんだ涙を指先でぬぐっている社を、紗枝はまた赤い顔で軽くにらんだ。


「どうせ、からかってるだけなのに馬鹿みたいだと思ってるんでしょう?でも、言われ慣れてないと・・・」

「ストップ。からかったのは確かだが、可愛いと言ったのは本心だ」

「また・・・!」

「だから本心だと言っている。紗枝は確かにほわほわというよりも凛々しいという表現が似合うさ。美人だからな。だが、凛々しいから可愛くないのか?可愛いっていうのは、行動で決まるものだと思うがな。紗枝はさっきから一生懸命で、そのくせ照れ屋だ。これのどこが可愛くないんだ?」


本気で首をかしげている社に、紗枝はふるふると震えてしまった。もちろん羞恥で、だ。


「・・・社さん、ホストかなにかですか?」

「いいや。どこを見てその発想だ?だったらもっと愛想がいいだろうよ」

「いえ、その口の上手さといい、その容姿といい・・・こう、媚びないタイプのホストでいけそうじゃないですか」

「紗枝は世間知らずだな。そんなに夜の世界は甘くない。あそこで生きていくのはかなり厳しいぞ。それだけでは食えない奴らも多いしな」

「そうなんですか?社さん詳しいですね」

「あ・・・いや。まあ、知り合いにいろいろいるからな」

「そうなんですか?お友達がそうだと、自然になってしまうんでしょうかね?それに社さん、もてそうだし。女の人の扱いにすごく慣れてそう・・・」


言ってから、紗枝ははっとなった。

今日初対面なのに、何を失礼なことを言っているんだと今更気がついたからだ。気が緩むとよく考えずに言葉を出してしまうのは紗枝の欠点だった。


「すすすみません!!失礼な口をきいてっ!」

「うん?」

「その、ホストとか社さんの悪口じゃなくて、ただ、格好いいから・・・すみません。ホント、さっきからご気分を害するようなことを・・・」


慌てて頭を下げると(すでに何回下げたことやら)、ぽんぽんとあらわになった後頭部を軽く撫でられた。


「褒められて悪い気がする奴はいないだろ」

「・・・え?」

「格好いいって」


うっと紗枝は詰まった。そんな手放しに褒めてしまったつもりはなかったが、それが本心なのは否めない。

なんかまた恥ずかしいことを言ってしまった・・・と紗枝は落ち込んだが、社の言葉によって浮上も早かった。


「俺も悪かった。さっきから散々情けない姿を紗枝に見せていたから、やり返そうと思ってついからかってしまった。もう、この話は終わりにする。それに、奇妙な縁ながら折角こうして知り合ったんだ。紗枝も細かいことを気にせずに話してくれ」

「社さん・・・」

「大体、紗枝は変わっている。普通、俺のような人間がこういったものを好きだと知ったら気味悪がるぞ。これ以上情けないことはないのだから、弱みを握ったと思ってもっと強気でもいいのに」

「そんなことないです!」


ふっと寂しそうな笑みを見せた社に、紗枝は慌てて首を振った。


「可愛いもの好きに悪い人はいない、ってのが私の持論なんです!さっきも言ったけど、私だってこんな外見だから可愛いもの似合わないし。だけど、好きなものは好きなんです。だから、社さんが可愛いもの好きでも全然平気!むしろ仲間がいて嬉しいです!」


紗枝は抱えていたくまを社の目の前に差し出した。


「社さんのこと、外見だけ見て、その趣味まで決め付けちゃうような人たちの言う事なんて気にしなくていいですよ。好きなものは好き。それでいいじゃないですか」


くまのもこもこの手で社の頬をぴたぴたと叩くと、彼は目を丸くして、それから本当に嬉しそうに笑った。


「・・・まいった。まだ18の子供に諭されるとは」


くっくっくと、楽しそうな声がこぼれていた。紗枝はそれが嬉しくて、わざと気分を害した振りをした。


「子供じゃないですよ。もう高校はちゃんと卒業しているし」

「でも未成年だろう?そういえば、親御さんは?」

「え、えっと・・・、その、入院していて。だから、私がお店を開けないといけなくて」


ごにょごにょといろいろ不都合な部分を隠して、紗枝は言い訳を続けた。

そうだ、自分はしばしば成人近くに見られるからこんなことで追求されなかったのだが、自らばらしてしまっていては不審に思われても仕方がない。


「君が?一人で?」

「でも、父がいるときも全部家事は私だったし、お店もずっと手伝ってきていたし、もう18歳だし。だから、大丈夫なんです!」


なにが大丈夫なのかはよくわからないが、とにかく紗枝はそう言い張った。


「だが、なにかトラブルにまきこまれでもしたら・・・」

「いえ、そこはちゃんと対処できます。ホントにもう何年も手伝ってますから!」

「・・・そうか、すまない。余計なことに口を挟んだようだ」


瞳を伏せる社に、紗枝はぶんぶんと首を振る。


「すみません、確かに未成年しかいないお店じゃ不安ですよね。社さんの心配ももっともです」


だが、社は真剣な瞳で紗枝に告げた。


「違う。そういうことではなく、この辺りは・・・この辺りも何かと物騒なことが多いからな。女一人では対処できないこともあるかと思ったんだ。身の回りには気をつける方がいい。無理をして、店を続けるよりも自分を大切にしろ」


その言葉にぎくり、と紗枝は身をすくめる。

まるで、紗枝の、この店の状況を知っていての心配のようだ。

けれど彼は一般的な心配をしてくれるだけだろうと、紗枝は必死に自分を落ち着かせた。


「ありがとうございます。社さんは父と同じことを言いますね。でも、来てくれるお客さんがいる限りはできるだけお店を開けていたいんです。社さんだって、私が強引じゃなかったらお店に入ろうとしていなかったでしょう?そうしたら、社さんはいつまでも触れないままで、いつか可愛いものが嫌いになっちゃうかもしれなかった。そんなの嫌ですもん。もっともっとみんながこういうものに愛着をもってくれるといいなぁって思うんです」

「・・・紗枝は、本当に好きなんだな」

「はい。ファンシーファンがいっぱいになると嬉しいです」

「そうか」


社は、紗枝の手からくまを掬い上げ、初めて自分からぬいぐるみを抱えた。

見栄とか矜持とかを超えてそうしてくれたのだとわかった。


「確かに、可愛いな」

「そうですよね!社さんもそう思いますよね?この子、大きいから今一歩売れ筋よくないんですけど、顔は可愛いし、瞳はつぶらだし、手触りはいいし、で大のお気に入りなんです。でも高いから、お父さんがこれは駄目って言って、くれないんです。でも、もう、最後の一個になったら絶対お小遣いをはたいてでも買おうと思ってて、それぐらい私の中では大ヒットなんですけど」


社の行為に紗枝は興奮して、ぐっと掌を握り締める。

すると社は笑って、そのくまを紗枝に差し出した。きょとん、とすると彼は「買う」と一言言った。


「え?」

「紗枝が話すのを聞いていたら欲しくなった」


そのときの社の顔がとても優しく見えて、紗枝はぱっと瞳を輝かせた。


「ありがとうございますっ!!」


礼を言い、だがすぐにはたと思い至った。


「あ、ちょっとまってください。新品がないか探してきます。私ついつい抱いちゃったし」

「いいや、これでいい」

「え?でも、せっかくなら綺麗な方が・・・」

「それはまた、別の客のためにとっておけ」

「そう・・・ですか?この子が気に入ったんですか?そうですね、微妙に顔も違いますし・・・すみません。じゃあ、リボンとかサービスします!どれがいいですか?」


社が頷かないので、紗枝はせめてもの詫びに、と明るい声を出した。


「紗枝はどれがいい?」

「うーん・・・社さんはレースとかに興味ないですか?なら、この濃紺のリボンとか、あ、ネクタイもかっこいいかも。社さん、スーツが似合いそうだから」

「俺に合わせなくていい。紗枝の趣味で」

「え?私だったら・・・うーん・・・やっぱり縁レースの、チェック柄かな」


なんだか試されているような気がして、紗枝は少し緊張しながら慎重にリボンを選んだ。

黄色に緑のギンガムチェック、リボンの縁には細編みのレースが付けられている。

振り返ると社がすぐに頷いたので、紗枝は大きなくまの首にリボンを丁寧に結んだ。

我ながら審美眼がある、と満足な出来になったところで、再び社に尋ねる。


「包みはどうされますか?大きいですから、形がわからないようにお包みして・・・」

「包みはいらない」

「へ?」


急に世間にカミングアウトする度胸がついたのだろうか、と紗枝が驚いていると、彼は「いくらだ?」とブランドものの財布を出しながら尋ねてくる。


「はい。この子は、1万2740円になります」

「は?安すぎないか?」

「ええ?えっと、特にブランドメーカーというわけではないので・・・輸入物だと小さくても何万もするんですけど、うちはそんな高いもの扱えないですし・・・」

「そうなのか」


なんだか不満そうな社に、紗枝はこの人お金持ちなんだろうな、と思うのと同時に、やっぱりうちみたいな店じゃつりあわないんじゃ、と不安になる。


「じゃあ、釣りはいい」


ぽいっと差し出された2枚の万札に、紗枝はきょとんとして、それからぶんぶんと首を振った。


「だめですよ!どれだけ適当なんですか!ちょっと待って下さい、いま・・・」

「いいと言っている」


社は強引に言い張り、飾り付けられたくまを持ち上げた。それから困って眉をよせている紗枝の腕の中にそれを押し付けてくる


「え?」


受け取った紗枝はきょとん、とした。


「やる。・・・いや、預っておいてくれ」

「は・・・え?え?」

「そうだな、先ほどの釣りは預り賃ということで頼む」

「社さん?」

「俺が来たらそいつを貸してくれ。家においておくわけにもいかんからな。その分紗枝がたっぷり可愛がってやれよ?」

「ちょっと社さん・・・!」

「っと、そろそろ時間が」


レジのためにカウンターの向こう側にいる紗枝の額を、社は指先で押した。

ふらり、とよろめいた紗枝に軽く笑い、サングラスをかけなおしてあっという間に扉のところにたどり着いていた。


「じゃあ、またな」

「待って!社さんってば、お釣り!」


紗枝は慌ててレジからお釣りを引き出して社の後を追ったが、彼は本当にすぐに姿を消してしまった。紗枝は片手にくまを抱えたまま、がっくりと肩を落とした。


「・・・自分勝手すぎるよ・・・もう」


というか、気障だ。紗枝が欲しいといったから、さらりとプレゼントしてくれたのだ。


「格好よすぎ・・・。最初はあんなに挙動不審だったのに」


ぶつぶつと文句を言いながら、紗枝は店に戻った。

さきほどまで社がいた空気の残り香に、胸がきゅうっとなったのは認めたくなくて、腕の中のくまをぐっと抱きしめた。

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