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18/42

最初から嘘だったなんて

昔、売れない舞台女優がいた。

美しい女ではあったが、コネがものをいう世界ではのし上がれなかった。ただ、小さな劇団で毎日懸命に稽古をしていた。地元だけならば、評判になるくらいの気立てのよい女性だったという。

あるとき、その女性は、とある政治家に見初められた。きっかけは、エキストラで出た大劇団の舞台だったという。

入れあげたその男は、金と権力にものを言わせてその女性を囲った。男には妻子がいた。けれど、大層その女性を寵愛して、本家には年に何日も帰らないほどだった。

誰もが、妾のほうを女主人として敬った。

それでもその女性は終生、どこか遠い目をし、慎ましやかに暮らしていた。彼女が愛した舞台、愛した町、そこに戻ることだけを願って。

女には一人娘がいた。香苗と名づけられた彼女は、母親ゆずりの可愛らしい少女だった。男は娘も溺愛した。その母親が死んでからは、本家に住まわせた。

父から気まぐれに与えられる窒息しそうなまでの愛情と、妾の子という周囲からの蔑みの視線の中で香苗は育った。

何一つ思い通りにならず、自分がすべて正しいと信じる父親の言いなりだった。

それを助けたのが、当時男の第三秘書だった紗枝の父、幸成だった。親の借金の代わりに中学生の頃から朝丘家に引き取られていた幸成は、秘書とは名ばかりで雑用ばかりに奔走させられ、都合が悪いことがあれば斬り捨てられる存在だった。けれど、幼い頃から香苗の世話係をしていた彼に、香苗は心を許していた。そして、幸成も香苗の存在に自分の不遇を癒されていた。

そんな二人が恋に落ちたのは必然だっただろう。

香苗が16歳のとき、二人は自由になりたくて逃げた。

まずは、香苗の母が帰りたがっていた山奥の故郷に、そしてそこの人々の助けを借りて海外に。男の、手の届かない地で10年を過ごした。生きるために大変な苦労をしたけれど、幸せな日々を過ごした。

けれど、子供ができたことがわかったとき、二人は帰る決意をする。二人がいたのはアジアの貧しい国。内戦が始まるとの噂もあった。ここでは子供は育てられない。だから・・・と。

隠れるように帰った母国では、幸いなことに、男がもうあきらめていた。羽ばたいた小鳥を未練がましく探すことを恥だと思ったのだ。もはや徹底的にその存在を無視していた。

そして、二人はあの山奥の村で、新しく戸籍を作った。なるべく、男の目にとまらぬように。

そこから何故、二人がこの街に出てきたかは不明。ただしこの街は幸成の故郷。幸成を朝丘に売った両親はそろって死亡。親戚もない。けれど、何か惹かれるものがあったのかもしれない。


そう、締めくくられた報告書に、紗枝は呆然とした。


(なに・・・これ・・・)


「親父からは何も聞かされてなかったんだろうが、これが真実だぜ。お前は、あの朝丘昌直の実の孫なんだよ」

「・・・え・・・だって・・・お母さん・・・お母さんは、誰も親戚がいないって・・・」

「駆け落ちしたんだからそれも当然だろう?」

「だって・・・こんな、こんな嘘みたいなことって・・・、ま、漫画じゃあるまいし」

「だが、事実だ」

「・・・・・・・・・そんな。お父さんは何も・・・」

「お前のために言わなかったんだろ。朝丘の血を引いているなんて誰かに知れたら、あの家につかまっちまうからな。こんなことがなければ一生胸に閉まっていただろうな」

「こんな、こと・・・」


こんなことってどれだろう、と紗枝は思った。

頭が鈍い音を立ててしか動いていない。ぐちゃぐちゃで何もわからない。


「社がお前を見つけなければ、ってことだ」


びくり、と紗枝は肩を跳ね上げた。社の名前が怖い。

これ以上、何かを知りたくない。・・・傷つきたくない。

けれど、祭は残酷にすべてを突きつけてきた。


「あいつは、朝丘の持つ土地が欲しかった。そもそも朝丘のじじいが頷かなければ、開発なんてできやしない。行政の許可が下りないからな。だが、社は蒜生の直系ってことで、じじいには快く思われていない。まあ、政治家どもにしてみれば、蒜生は目の上のたんこぶのようなもんだからな」


そういえば、この辺りの政治家はこぞって蒜生に上納しているという噂があった、と紗枝はぼんやり思い出す。


「社は蒜生の跡目からは完全に外れているが、まあ、あいつが蒜生の人間ということに変わりはない。しかも、俺と双子だしな。じじいには気分が良くないだろうよ。良くないからこそ、あいつに無理難題をふっかけたんだろうがな」

「無理難題・・・?」

「ああ。朝丘香苗の子供を見つけて来いってな。そうしたら、土地を売ってやるって」

「―――っ」


血の気の引く音がはっきりと紗枝には聞こえた。

分かっていたけれど、改めて言われるのは、また胸をゆっくりと切り裂かれるようだった。


「じじいはプライドが高いんだよ。今更出て行った娘の消息を追うなんてことは許せない。自分のとこの人間を使うのも、下手な噂を立てられたくないからできない。だから、社にやらせようとした」

「・・・・な・・・んで、今更・・・そんなことを・・・?」

「ああ、何でもじじいのとこの手元にはもう男孫しかいなくて、困ったみたいだぜ」

「困った・・・?」

「朝丘があそこまで力を持ったのは、なんつーか、直系の女がいてこそなんだよな」

「どういう?」

「片っ端から娘や孫を送り込んで、親戚になって権力をにぎるんだってよ」

「つまり、偉い人と結婚させてその子供に継がせるってことですか?」

「そうだ。結構えげつないぞ。隣の地盤で従兄弟どうし、とか当たり前だもんな。まあ、とにかくあのじじいはそうやってのし上がってきたわけだ。今度もそうやって関係を結びたい相手が出てきた。でも、もう女がいない。全部嫁がせちまったからな。それで・・・」

「それで、今更ながらに女孫が欲しかったと・・・?」

「そういうわけだ」


勝手な言い分に紗枝は怒りで震えが走った。ぎゅっと膝の上の拳に爪を立てる。

その様相を祭は気づいてきたが、かまわずに話を続けた。


「社の存在はちょうどよかったんだよ。あいつもじじいが約束を守るかは半信半疑だったと思うぜ。けど、他に手がなかったから、お前を探して、それで見つけた」

「・・・・・・・」

「あいつはお前のことを調べてあげていた。劉盛会のことは本当に偶然だったんだが、あいつにとったら都合よかっただろうな。助けてやってお前の信用を得ることもできたし・・・」

「もう、いいです」


それ以上聞きたくなかった。全部嘘だったことを、いちいち口にされたくなかった。


「要約すれば、社さんが、最初から私を騙すつもりだったということでしょう?」


だから自分で言う。けれど、ぎりっと胸が痛んだ。紗枝は奥歯をかみ締めて、それに耐えようとした。


「・・・まあ、あいつの真意は知らねえけど」


今更フォローしようとする祭が可笑しい。

ここまで種明かししておいて。


「いいです。祭さんはだから忠告してくれたんでしょう。信用するなって」

「社が赤の他人を家に住まわせるなんて気味が悪かったからな、興味があって調べたら・・・こういうことだった。早い段階から知っていたが、俺は最初のころは紗枝に興味があんまなかったし、別に義理もねえかな、と」


祭ははっきりとかつての心情を言う。

正直な冷たい本音の吐露に、紗枝は笑いたくなった。


祭は、素直だ。


「けど、会ってみたらおもしれえし、結構気に入ったからほっとくのも可哀想になってな。俺は情が沸いた相手には結構優しいからよ」

「・・・・・・そうですか」

「なんだ、その信じてなさそうな返事は」

「いえ、信じてますよ。ただ、祭さんらしいと思って」


気に入ったら助ける、気に入らなかったらどうなっても知らない。

そのはっきりとした性格までもが、なんだか今は救いだった。人を信じられない今は。


(社さんは・・・嘘、だったんだ・・・・)


紗枝は唇をかみ締めた。あまりに強くかみすぎてじわりと血がにじむ。あまりにいろいろなことがショックだった。


「紗枝、こら、口をあけろ」

「・・・・・・あ・・・」


祭がそう忠告しなければ、唇を噛み切っていたかもしれない。ごしごしとぬぐえば、薄く血の色が手の甲についた。

それが心の傷から出た血のようで、紗枝は泣かないように目頭に力を入れた。

これくらいで、泣かないと。もう、二度とあんな人のために泣かない、と。


「・・・・・お前、泣きたいときは泣けば?さっきみたいに」

「泣きません」

「意地っ張りだな」


けれど表情が歪んでいるのに気がついた祭が、ぐいっと紗枝を自分の胸に引き寄せる。


「おら、こうすれば見えないだろ。泣け」 


紗枝をコートの中に抱きこんで、ぽんぽんと頭のてっぺんを撫でる。


「泣きません・・・ってば」

「ガキがいつまでも意地を張るな。苦しいだけだろ」

「泣かない、って・・・」

「泣けばすっきりする。抱えてたって何も変わらねえんだ。洗い流しちまえ」

「だ・・・から、泣、かない・・・」

「裏切られて悔しいんだろ。そういうときは泣いてもいいんだ。そうしたらまた前を向ける」

「・・・・っ」

「紗枝」

「・・・・ぅ・・・・」


もうだめだった。

堰を切ったかのように涙があふれてとまらなかった。

冷たく悲しい想いが胸を覆い尽くす。

けれど、撫でてくれる祭の手が温かかった。

こうやって慰めてくれる人がいることを今は感謝しなければいけない。

そう思い至ったのは、泣きつかれてすっかり目尻が腫れたころだった。


「・・・ごめんなさい・・・」

「案外よく泣くなあ、お前。ちょっとなら胸も貸してやろうと思ったんだが」


びしょびしょだと笑った祭は、意地悪な顔つきだったけれど、もう一度紗枝の頭をぽすぽすと撫でる。 


「す、すみません・・・。あんまり、わーわー泣いたことって記憶になくて・・・」

「溜め込んでるから、一度泣くと止まらないんだろ。素直にそのときそのときで泣きゃいいんだ」

「・・・だって、迷惑じゃないですか」、

「ばーか、ガキは気をつかわなくていいんだよ」

「子供じゃないですよ」

「18なんてガキだっての。・・・んで?これからどうする?」


不意に真剣な表情になった祭に、紗枝は首をかしげた。


「これから・・・?」

「そうだ。社んとこに戻るか?」


はっと現実を突きつけられて、紗枝はとっさに首を振っていた。

社に会いたくない。いや、それ以前に彼の思い通りになんてもうなりたくない。


「だよな。じゃあ・・・」

「家に、帰ります」

「あのよ、お前んち、社に差し押さえられてんじゃなかったっけ?」

「差し押さえ・・・?え、ただ担保って・・・使っていいって・・・」

「担保なんて差押みたいなもんだろ。あそこにいたらすぐに社につかまるぞ」

「社さんに・・・・」


ぞっとした。財産のすべてをほとんど彼が握っている事実に、今更ながらに気がついたからだ。

どこにいても社の手の上ということか。

だが、青ざめた紗枝を覗き込んで、祭が思わぬ提案をしてきた。


「俺んとこ来るか?」

「え?」

「まあ、蒜生の本家だけどよ。あそこならあいつも勝手にできねえぜ?」


驚いている紗枝に、祭が目を細めた。

そして、紗枝の首の後ろに腕を回す。触れそうなくらい近くに顔を寄せられて、ぎくりとした。


「あ、あの・・・」

「安心しろ、俺たちは一般人には手を出さないからな。つうか、俺の客なら丁重に迎えられるだけだ。お前はただ守られてりゃいいよ」

「・・・で・・・も・・・」

「それともやっぱりやくざの総本山には行きたくないか。俺のことも、嫌いか」


瞬間、祭がつぶれそうに悲しそうな顔をしたので、紗枝はすぐに否定してしまった。

確かに、紗枝だってやくざは怖いし嫌いだが、でも、祭本人を嫌ってるわけじゃない。


「違いますよ!祭さんがやくざとかそういうのは何も考えていなかったし!大体、いつもそんなこと考えてなくて、忘れてるし!今はただ、祭さんにそこまでしてもらうのは悪いっておも・・・っ?!」


近すぎだろう。

むぐっと口をふさがれた瞬間に、思ったのはそんなことだった。


「ま・・・つりさ・・・?」

「やっぱりお前いいな」


紗枝の両頬を手で挟みこんで固定したまま、祭がにいっと笑った。背中がなんだかぞわりと震えた気がしたのは本能か。


(というか、今何を・・・なに・・・を?)


その導き出したくない答えを紗枝の脳が拒絶している間に、固まっている紗枝に祭は笑う。 


「やっぱり社には、もったいねえよなあ」

「まつ・・・っ?」


唇が重ねられるのは分かったが、避けようがなかった。完全に体格も力も祭が数段上で、かつ狭い車内だ。


「・・・んや・・・・!」


引き離そうと必死になったが、やはり無意味だった。

ぐちゃりと響いた水音に、紗枝は真っ赤になる。いくらシールドの仕切りがあるといっても、運転手がいるのだ。しかもここはどこかの駐車場で・・・。

逃げる紗枝の舌を執拗に祭は追いかける。嫌だと首を振ろうとしても、それは徒労に終わり、呼吸困難に胸をあえがせるしかない。

勝手な男は、じわりと涙を浮かべた紗枝が抵抗をやめると、途端に優しくなった。そのほうが苦しくないと知って、紗枝は角度を変えられた口付けを大人しく受け入れた。


「・・・ぅ・・・・ふ・・・・」


どれくらいかは知れないが、ようやく離れてもらえたときには、息が絶え絶えだった。

頬を紅潮させている紗枝の唇の端から飲みきれずこぼれた唾液を、祭は舐めた。顎の先から、首筋まで。


「・・・っいた・・・!」

「ん?ああ、つけられたことねえのか」


ちくり、と鎖骨の辺りに走った痛みに、紗枝が眉を寄せると、祭は可笑しそうに笑った。


「大切にされてたもんな」

「・・・なに・・・?」


ぼそりと呟かれた言葉はよく聞き取れなかった。けれど、祭は教えてはくれなかった。

代わりに。


「俺のもんだって印だ」

「え?・・・ええ?」


紗枝はぺたぺたと痛かった部分をさぐったが、キスマークがわかるわけもない。それより問題は。


「祭さん!!今、いま、じょ・・・冗談にもほどがっ!」

「冗談じゃねえけど。俺、お前狙ってるし」

「ひ・・・っ」


いつものにやり笑いで終わるかと思えば、案外真剣な表情で返されて、紗枝はびくっと身を震わせた。


「よし、じゃあ、うち行くか。うちは広いからな。急な来賓でも大丈夫だぜ?あ、迷うなよ」

「いいい行かな・・・おおお降ろして!」


どう考えてもこれは狼の巣にいくうさぎではないか。

いくら紗枝が馬鹿でもそれくらいは分かる。というか怖い。本当に怖い。


「駄目だ。俺が決めた。おい、出せ」

「そ・・・お、降ろしてください!」

「安心しろって。強姦(レイプ]は趣味じゃねえから。紗枝がいいって言うまでは手はださねえよ」

「いま!今、無理やり・・・!」

「んなもん、挨拶だろ、挨拶」

「そんな馬鹿な・・・」

「大丈夫、大丈夫」


祭は嫌がる紗枝の肩を抱いて、ぐしゃぐしゃと頭を撫でた。

最初、身を硬くしていた紗枝だが、どうしてこの人悪びれないんだろう、と段々気が抜けてくる。


そういうところがうかつだったが、そうじゃなくても結局祭の思い通りになることは変わらないのだから、悩み続けないほうが幸せなのかもしれなかった。



怖い、というのがはっきり言って初めて来たときの率直な感想だった。

どこまで続くのか目を疑ってしまうような長い塀の向こうに、ようやく見えてきた大きな瓦屋根の門。

門前に巨木があって、その向こうに見えた完全なる日本家屋は料亭のような立派なものだ。

車を降りるにもちゃんと外から開けてくれ、「おかえりなさいませ!」と直立不動の彼らに恭しく頭をさげられる。

砂利の敷き詰められた庭の敷石を通り(しかもこれが長い)玄関に行くと、夜中というのに、これまた何人もの舎弟が出迎えてくれた。

どこをみてもはっきりいって人相がいいとはあまりいえない。

そんな彼らがずらりと膝を折って出迎えてくれたのだから、

紗枝はもちろんびびりまくった。


「そう緊張するなって。今は親父もいねえし、くつろいでくれてかまわねえから。あ、こいつが紗枝な。今日からここに住まわせる」

「は・・・じめまして・・・」


ぺこり、と頭を下げると、まるで時代劇かのようにざっと全員が平伏した。

それも怖い。

極道は完全なる封建社会なのだと、祭に教えてもらいながら案内してもらった客間は15畳くらいあった。


「広い・・・」

「まあ、世話係はすぐに探してやるから。うちの若いのじゃ、さすがに嫌だろ」

「世話係って・・・」


そんなものいるのか、と紗枝は目を丸くする。

なるほど、この環境で育てば、片付けられない社みたいな人間ができるのもわからないことはない。

そんなことを思って、ずきりとまた胸が痛んだ。


(ていうか、若いのって、祭さんだって若いと思うけど。おかしいの)


そんな風に頭の中のツッコミを切り替えたとき、「失礼します」とふすまが綺麗な所作であけられた。

お茶を運んできてくれたのは、前に一度会ったことがある大森だった。


「あ・・・」


ここに来て、祭以外の知り合いを初めて見、紗枝はほっと息を吐いた。それで、どれだけ自分が緊張していたのかを知る。

「夜分でしたので、このようなものしかご用意できず申し訳ありません」

そう言って差し出されたのは、お茶とどらやきだった。

というか申し訳ないのはこっちだ。夜中にいきなり押しかけてきたのだから。紗枝が恐縮しきっていると、大森はちらりと祭へ視線をやった。


「何だ?」

「さきほどからお電話が」

「・・・ま、順当だよな。相当苛立ってんじゃねえか?」

「いかがなさいますか?」

「いい。出る。大森、紗枝を見ていろ」

「はい」

「ま、祭さん・・・っ」


彼らが何を話しているかはよく分からなかったが、

しかし、突然彼と二人きりにされても困る。

紗枝はすがるように祭をみたが、彼は「すぐ戻る」と言ってひらひらと手を振っただけだった。

ふすまが閉められ、後ろには一部の隙もなく正座をしている黒スーツの男性。

これが重くなくてなんだというのか。


「・・・・・あ・・・あのう・・・」

「はい、何でしょう」

「えっと・・・、これ、食べてもいいですか?」

「どうぞ」

「いただきます・・・」


沈黙を何とかしたくて話しかけたが話題がなかったので、どうでもいいことを聞いてしまった。

聞いた手前、あまりお腹はすいていなかったが、どら焼きを食べる羽目になる。それも食べてしまうとまして手持ち無沙汰だった。


「私、大丈夫ですから。あの、大森さんもお忙しいでしょうし・・・というか夜半ですし、もう、お仕事の時間じゃないし・・・」

「申し訳ありません。若に言われているので、お目汚しでしょうがご勘弁を」

「お目汚しなんて、そんなとんでもない!ってあの、・・・若って?」

「祭さんのことです。社さんがいらっしゃるときは、若では混乱してしまいますので」

「あ・・・お二人ともそう呼ばれていたんですか?」

「いえ、というか・・・はい。そうですね」


途中で否定から肯定に意見が変わったとしか思えない大森の口ぶりに、紗枝は首をかしげた。


「大森、ごまかし方が下手だな」


すると突然ふすまが開いて、祭が部屋に入ってきた。ぱっと大森が頭を下げる。


「とんだ失礼を」

「別に何も思っちゃいねえよ。あのな、紗枝。若って言い方は後継ぎにしか使わねえんだよ」


祭はどかりと紗枝の前に胡坐を組んで座り、胸元からたばこを出して咥えた。すると大森がすっとライターの火を差し出す。

見事な連携プレーに、紗枝はきょとんとしてしまった。やっぱり何か世界が違う。

祭は一応紗枝がいないほうに紫煙を吐き出すと、指に煙草をくゆらせたまま、さらりと初めて知る事実を告げた。


「で、中学まで跡目は社のはずだったわけだ。だから、昔に若、と呼ばれてたのはあいつなんだよ。そのことをあいつにも俺にも思い出させたくないわけだ、こいつらは」

「・・・えええっ?」


社が後継ぎのはずだった、という事実に紗枝はこれ以上なく目を見開いた。

跡を継げないから、家を出たのだとばかり思っていたのだ。すると、くっくと祭が笑う。


「まあ、驚くよな、そりゃ。普通こんなおいしい地位手放すとは思えないからなあ。手放したってよりも俺がぶんどったって言い方のが正しいか」

「若」

「なんだよ、本当のことだろう。あいつ、やる気なかったし」


呆然としたままの紗枝に、祭は楽しそうな表情で教えてくれた。


跡目は長男が継ぐと厳格に決まっている。

そうでなければ、能力で争ってしまうから。双子は生まれた順に跡目かどうか決められた。

だから、先に生まれた社が跡目だった。

同じだったはずなのに、二人は分けられた。

社は、この家を継ぐから、堅実な名を貰った。祭は、枷なく、この組のために豪快に生きればいいと、派手な名をもらった。


「俺が社の名前を馬鹿にしたこと、お前怒っただろ?」


そんなことがあった。確かに、紗枝は社のために、怒った。祭が、ひどいことを言ったと思って。


「けどな、俺はあいつがうらやましかった。祭って、派手で明るいってイメージだろ。けどな、祭なんてすぐ終わっちまうんだよ。華やかだが、短い。それってつまり、俺には派手に暴れまわって太く短く生きろって意味だろ。鉄砲玉みたいに、あいつのために、組のために派手にぶちまいて死ねってそういうことだろ」

「そんな、そんなつもりじゃきっと・・・・」

「そうです、若。親父さんはそんなことは決して」

「うるせえよ、お前ら。別に親父がどういうつもりだったかなんて今更どうでもいい。腹黒狸が教えてくれるわけもねえしな。要は、俺がどうとったかってことなんだよ」


恫喝するような低い声に、紗枝も大森も言葉を失った。


「だから俺は名前の通りに好き勝手にしてやった。社が窮屈そうにしているのを見て笑ってやった。けど、ちっとも満足なんか得られなかった。社は俺に、いつも遠慮していた。あいつが俺をそれなりに扱ったんだったら、違ったのかも知れねえ。だけどな、同情されるのが一番に腹が立った。何よりやる気のないあいつが、俺が手に入れられないものを持っていたあいつが、いつでも譲ってやろうって気概が許せなかった。だから、あいつから何でも盗ってやった。あいつが怒るまで、何度も何度も」

「・・・っ」

「ひでーだろ。俺だってひでーと思うぜ?」


祭はどこか痛いかのように笑う。紗枝は言葉がなかった。


「あいつは、少しずつ俺より何かが優れてた。勉強でも、運動でも、喧嘩でも。でも一つだけ、俺が勝っていたものがあった。何だと思う?」

「・・・・・」

「悪知恵だよ。中学のころなんか、最低だったな。ありとあらゆる嫌がらせして、社を追い詰めて、よく喧嘩してた」


何気ない会話の中で社が学生時代にろくな思い出がないといったことを紗枝はふと思い出した。

祭と喧嘩ばかりしていたというのは、祭と一緒に他の誰かと喧嘩をしてたのではなく、祭相手に喧嘩していたということだったのだろうか。


「何も見てないようなあいつを困らせてやるのが楽しくて、珍しくむきになって俺に殴りかかってくるあいつと闘れるのだけが、憂さ晴らしだった。我ながら歪んでたな。まあ、あれはあれで楽しかったからいいか」


何も良くないと思う。いつもならそう突っ込む。

けれど、今回は何も言えなかった。


「あいつが俺を見るのが楽しかった。ただ、それだけだった。・・・あれがあるまでは」


祭の顔つきが、歪んだ瞬間を紗枝は見逃さなかった。泣きそうに、見えた。本当に、泣きそうに。 


「若、もう夜も遅いです。お話はほどほどに。香具谷さんだってお疲れでしょう」


すると大森がすかさずに言葉を挟んできた。


「あ、はい」

紗枝を振り返られ、咄嗟に頷いてしまう。

大森の瞳が、話させないでほしいとそう望んでいたように見えたからだ。

すると、祭がふっとあさっての方向を見て、それからにぃっといつものように笑った。


「ま、そんなこんなで、いつの間にか俺が跡目になってたってわけだ。わかったか」

「は、はい・・・」


ぐりぐりと頭を撫でられて、紗枝は無理やり顎を引いた。

なんの説明にもなっていなかったが、それをあえて知りたいとは思わなかった。


「じゃあ、風呂に入って来い。用意しておいてやったから。なんなら一緒に入ってやろうか?」

「結構です!!」

「冗談だろ。怒るなって」


軽口を叩く祭に促されて、紗枝は離れの風呂に案内された。その間、あいかわらず祭がからかってきていたが、紗枝は上手く笑えているかよくわからなかった。

明るい表情を見せるこの人の裏側の闇に、飲み込まれてしまったようだった。



祭はそれからいろいろと紗枝のために動いてくれた。

社が用意した病院からまた父親を動かして(しかもこれは社のふりをしてやったらしい)、父親を盾にとられないようにしてくれた。

お店のほうもなんとかしてくれるとのことだ。

もともと劉盛会のことは、祭側の問題だったので、そのあたりの詫びも含めて、と言われた。若い衆(年上の人をそう呼んでいいのかはわからなかったが、他の呼び方を教えてもらってないので仕方がない)を連れていれば、外出も許されたから、ようやく1ヶ月以上ぶりに父に会えた。

父は初めて本当のことを話してくれた。

それは大体報告書どおりのことで、確かに母はあの朝丘の血を引いているらしい。

父親が前に「もし金持ちになれたら・・・」と切り出そうとした話は、あの家に引き取られたいのならそう言えということだったようだ。

それも社が、このまま黙っていて貧しい暮らしをさせ続けるのがいいのかはわからない、と幸成に言ったからそうだ。

社が本当に自分を都合よく使おうとしていたのだとまた自覚させられて、ひどく胸が痛む結果とはなったけれど。

それよりも問題は、父親の病気のほうだった。

なんと、手術が必要なくらいの大病だったことが今更発覚したのだ。

とはいえ、社が黙っていろと言ったわけではなく、これは幸成が紗枝に心配をさせたくなくて言わなかったことで。絶対に来るな、と言われていたのは、手術が無事終わるまで来るなということだったらしい。幸い、成功率が高い手術だったので、何事もなく終わっていた。


「何で言わなかったの!?」


目を吊り上げる紗枝に、幸成はぺこぺこと謝っていた。

最終的にもしも、がなくてよかったと泣き崩れる紗枝の頭を撫で、父親は笑った。


「大丈夫だよ、腕のいい医者を紹介してもらったんだから」

「・・・・え?」

「この前の病院にもそのために来たんだ。手術費も貸してくれて、いつでもいいと。彼はとてもいい人だね。あんなにいい人がいるなんて、思ってもみなかったよ。母さんが、どこかで力を貸してくれているのかもしれないね」

「・・・・・・」


母親のおかげ、といえば確かにそうだろう。頷きたくなんてなかったけれど。


「社くんとはうまくやっているかい?」

「・・・うん。すごくいい人。電話で何度も言ったでしょ?」

「そうか。ならいいんだ。うん、紗枝の顔を見ていればそれがよくわかる。よかったよかった」

「顔って?」

「とても健康そうになった。前は寝不足でくたくただったからなあ。それに少し綺麗になった気がするな」

「いろいろ、お世話してもらったの。髪、切りにいったりとか。ほら、前はぼっさぼさだったからじゃない?」

「へえ、本当に。これはまたしっかりと礼を言わないと・・・」


痛い、痛い、痛い。

社を褒めないで欲しい。あの人は騙したのだから。紗枝を、騙していたのだから。

あの優しさは全部嘘だったのだから。


「・・・お父さん、それじゃあ帰るね。今度来るとき欲しいものはない?」

「そうだなー、紗枝の作ったプリンがいいな。あれは、上手いから」

「わかった。作ってくる」

「気をつけて帰りなさい。くれぐれもご迷惑にならないようにするんだぞ」

「はいはい、じゃあね!」 


あれ以上、父の言葉を聞いていたくなくて、紗枝は病室から逃げ出した。

廊下に出た瞬間、涙が一筋零れ落ちた。


「・・・やだ、何・・・泣いてるんだろ・・・」


紗枝は慌てて頬をこする。するとその後姿に、声がかかった。


「もういいのか?」

「あ・・・っ、ま・・・祭さん」


振り返れば、祭が立っていた。父親を混乱させないために、社もどきの格好をしているので、一瞬社と見間違えそうになる。


「もういいのか?帰るか?」

「はい!ありがとうございました。帰りましょう」


また胸が痛い。それをごまかしたくて、紗枝は走り出そうとした。


「おい、病院で走るなよ。つうか、お前方向音痴だろ。一人じゃ駐車場にたどりつけねえって」


するとちょいと首根っこを掴まれて、静止させられる。そして、手首をつかまれて連行された。

“こら、迷うぞ”

同じことが、デパートであった。

思い出したくない。思い出したくない・・・けれど。祭を見ていると思い出してしまう。楽しかった頃を。あのまま信じていたかったと思ってしまう。

紗枝は、ぎゅっと祭の腕に自分からつかまった。


「ん?」

「お昼ご飯までに帰れますかね?」


何か、違う状況が欲しくて。馬鹿みたいとは思いながらも。


「何だ、腹減ったからか」

「え?」

「珍しいことするから、ついに俺に惚れたのかと」

「違います」

「めんどくせえなあ。まだ駄目なのかよ」

「まだって何ですか。何がまだ?」

「お前が落ちるのが、まだ」

「・・・落ちません。祭さんには感謝してるけど。大体、祭さん本気じゃないし」

「本気だぜ。俺はしたいことしかしないからな」

「それは私をからかいたいってだけでしょう。もう、動揺しませんよ。不意打ちどっきりにも慣れてきましたから」

「馬鹿だな、それが俺の術中だっての」

「攻略しました」

「んじゃ、ここで濃厚なの一発してやろうか?」

「・・・ぎゃーーっ!」


ぐいっと壁に押し付けられ、顔を近づけられて、紗枝は悲鳴をあげた。祭がくっくと笑う。


「こんなくらいで焦っといて攻略したとか言うなよ。おもしれえなあ」

「ひ、ひど・・・」

「悪かった悪かった。詫びに飯でも食って帰るか?何でも奢ってやるよ」

「あ、マック行きたいです!」

「・・・ああ?」

「ああいうジャンクフードがやたら恋しくて・・・駄目ですか?」

「まあ、駄目ってことはないが・・・。お前、やっぱり変」

「何でですか!」

「おもしれえからいいけどな」


祭はよくそんなことを言う。とにかく紗枝を面白い、と。

珍獣扱いは複雑な気分だったが、馬鹿にされているわけではないようなので、もう聞き流すことにしている。

でもとりあえず、祭が今回「変」と言った理由はわかった気がした。

黒塗りの車はマックのドライブスルーに合わない!

そう叫ぶと、祭は大爆笑していた。



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