勿体ぶったことだけ言うならお引き取り願います
“社を信用するな”
祭の言葉が、頭から離れないまま数日がすぎた。
どうせまた祭の社に対する嫌がらせだろうと思うのに、彼の表情が笑えないくらいに真剣すぎていたのを思い出すと、どうしてもその言葉を拒絶できない。
確かに、今までのことを思い起こしてみれば、何か不自然な気がしないでもない。
最初のころから社は親切すぎたし、それに、紗枝の質問に答えてくれないことも多い。
その理由を最初のころは気に留めていたはずだったが、一緒にいるうちに全く気にしなくなってしまっていた。
(だから・・・社さんはいい人だから、ほっとけなかったって・・・そういうことだって)
何度も何度もそうやって自分に言い聞かせるのに、飲み込んでしまった魚の小骨のように、ちくちくと紗枝の胸を小さく刺激する。
けれど、社に尋ねるのも失礼すぎる。
「・・・紗枝」
「はい!」
そんなことを思っていたときに社に呼ばれたものだったから、紗枝はびくっと全身を緊張させた。リビングの彼を見れば、ソファに座ったままちょいちょいと手招きをしている。
紗枝はエプロンをはずしながら社の傍に寄っていった。
「なんですか?」
「お前、何か俺に言いたいことでもあるのか?」
「え・・・っ?」
鋭い指摘に紗枝の頬がぎくりとひきつる。
それを見た社が、鋭い瞳でまっすぐに紗枝を見上げてきた。それを怖いと思ってしまうのは、彼に対してやましい気持ちがあるせいだろうか。
「言いたいことがあるなら、言え」
「や・・・やだ、何もないですよ」
紗枝は笑ってごまかそうとしたが、両手で頬を包まれて顔を固定されて逃げられなくなった。
「この間、祭と帰ってからだな」
「・・・っ・・・」
「やっぱりあいつか」
祭の名前に息を呑むという分かりやすい反応をしてしまった紗枝に、社がちっと舌打ちをする。
「何を言われたんだ」
「た、大したことは・・・。ちょっとからかわれたりしただけです、よ?・・・その、祭さんって、社さんと仲悪いわけじゃないんですね。ちょっと心配していたからよかったって・・・」
「紗枝」
話の途中で社が真剣な声を出す。なんとかごまかしたかった紗枝は、彼の表情にぎくりとなった。
“裏切られたくなかったら、社を信用するな”
あのときの、祭と同じ顔。息を呑んでしまうほど真剣で、どこかぞくりとさせる鋭さがある。
「祭に、何を、吹き込まれた?」
ゆっくりと尋ねる声音が低く冷たい・・・気がした。
「あ・・・の・・・」
「祭は、何を言ったんだ?」
拒絶を許さない口調はまるで詰問だ。紗枝の体に震えが走ったそのときだった。
ピンポーン、とこの部屋の前に備え付けられているブザーが鳴った。
階下に訪問者があるときとは違う音に、二人ともが不審そうな表情を浮かべる。つまりこれはエレベータを上がってこられた、親しい人間の来訪ということだからだ。
しかし、玲人は携帯に電話せずに訪問することはしないし、それ以外の人間にはカードキーを渡していない。だから社が帰ってきたときに鳴らすくらいのものだったのだが。
「相模さんが、何かあったんでしょうかね?」
「いや、あいつが勝手に来ることはない」
「でも、急ぎの用事とか」
「・・・・。ここで待ってろ。絶対に出るんじゃないぞ」
社は立ち上がると、逆に紗枝をソファに座らせた。社の顔つきが一気に緊張したものになり、雰囲気がぴりぴりとしたのが分かった。
「やしろさ・・・」
よからぬことだろうか、と紗枝は怯えた声を出したが、社は振り返らずにリビングを出て行った。
確かに、23時近い訪問者は普通でない。まして、心当たりなくセキュリティーの万全のこの場所まで来るということは、何かが異常な事態が起こったのかもしれない。紗枝の体にぶるりと震えが走った。
ほんの数十秒の時間が、何十分にも思える。ソファの上でぎゅっと手を握り締めてた紗枝は、だが、やがて聞こえてきた声にほっと息を吐いた。
「帰れ!」
「うわ、あぶねえなっ。手、挟んだらどうするんだよ。俺が怪我したらお前がやべーぜ」
「今更俺を疑う奴がいるかよ」
「わかんねーだろ、俺が気にくわねえって奴らも・・・」
「くだらんこと言ってねえで、帰れ」
リビングから廊下をのぞくと、玄関のドアを挟んで攻防をしている兄弟がいた。
「お、紗枝。元気だったか?」
「紗枝?出てくるなと・・・」
祭がまず紗枝を見つけ、それに社が振り返る。その隙に祭がするりと玄関に入り込んできた。
「邪魔するぜ」
「おい!人の家に勝手に上がるな」
「まあまあ、いいじゃねえか。ほら、お前が好きな虎屋の大福持ってきてやったし」
「いるか、そんなもん」
「ここの店の大福は美味いんだぜ。甘いものが苦手な俺でもこれだけは食えるからなー。紗枝も食いたいだろ?」
「祭!」
社の静止をさくっと無視して、リビングまで侵入してきた祭は、その入り口にいた紗枝に紙袋を渡した。
「茶ねえの?俺、ほうじ茶がいいんだけどな」
「え・・・、ふ、普通の日本茶しか・・・」
「ねえのか。じゃあまあいいや。それでいいから出してくれよ」
「は、はい」
言われるままに、紗枝はキッチンに向かった。
逆らえないのは、欠片も悪びれない態度のせいだろうか。
「祭、誰が好き勝手していいって言ったんだ。てめえに出すものなんて何もねえんだよ。とっとと帰れ!」
社がリビングで怒っているのを聞きながらも、どうせ帰らないだろうと紗枝はお湯を沸かす手を止めない。
「まあまあ。お前のとこならって、ようやく1時間だけでも自由時間奪ってきたんだからよ。くつろがせろって」
「実家でくつろげ」
「それがよー、瑠璃の奴が押しかけてきやがって、とてもとても」
「いいじゃねえか、瑠璃をかまってやれば」
「冗談言うなって。これ以上あいつに振り回されてたら身がもたねえよ。知ってるか、あいつこないだ、俺がかけたカードの上限額ぎりぎりまで買い物したんだぜ。ありえねえだろ。あいつに貸したカードの上限500だぜ?何で、車も買ってねえのに2日で500万も使えるんだ。そんで、カードが使えねえって俺に怒るんだぜ?」
しかし、リビングから聞こえてくる会話に、湯飲みを持つ手が滑った。慌てて掴みなおすものの、どういうことだと、紗枝はこわごわ振り返る。
祭は絨毯に胡坐を掻いて直接座り込んでいたが、取り立てて怒っている様子も焦っている様子もなかった。
だが、それより次の社の台詞に度肝をぬかれる。
「お前、カードに上限なんてつけてるのか?蒜生の跡目がせこいことするなよ。金なら有り余っているんだろう」
(せ、せこいって・・・社さん・・・)
そんな馬鹿な、と紗枝は湯飲みを握る力を強くした。
「無制限にしたら、いくら俺でも破産するぞ。あいつは何をやらかすかわからん」
「派手好きだからな。仕方ないだろ」
「それに、ガキにあんま金を持たせているとあぶねーしな。あいつは何でも首を突っ込みたがる奴だから」
「まあ、それは言えるかもしれないが」
(おおおおかしくないですかっ?なんで500万までのカードだったら、大丈夫だと思うの?それもめちゃくちゃ犯罪に巻き込まれる大金じゃないんですかっ?)
スケールの違いにくらくらとしていると、「おい、茶わいてんじゃねえの?」と祭から指摘の声が飛んだ。
見れば確かにお湯が沸いている。
紗枝が気を取り直して日本茶を用意し始めると、また二人が後ろで帰れだのなんだのと揉めていた。どうやら祭はこの間、大森に預けていたカードキーのデータを盗んで勝手に入り込んできたらしいと知る。
(・・・それにしても、るりさん、か。祭さんくらいになるとすごい人と知り合いなんだな。・・・あれ、でもガキって・・・)
また謎が増えた、と思いながらも、結局紗枝は祭にお茶を出して、3人で大福を食べた。
食べ終わってからも祭は帰る気がないようで、ごろごろとテレビを見ている。
社はもう完全にあきらめたのか、祭の存在を無視してパソコンで何かを始めていた。
いや、いつもは自分の部屋でやるのに、うるさいリビングに居続けるのはやはり祭を意識してのことだっただろう。
紗枝はもう一度洗い物を終え、所在無くダイニングテーブルにいる社の反対側の椅子に座った。祭のそばにいくのはできれば避けようと思ったのだ。
ピロロロ、と遠くで着信音が鳴ったのはそれから少ししてからだった。
「ん?俺じゃねえぜ」
「・・・俺だ」
社はひどく不機嫌そうに椅子を立ち、祭をジロリと並んでから自室へ戻った。
すぐ戻ってくるかと思えば、なかなかそうでもない。
どさどさっと結構大きななだれの音がしたから、おそらく探し物でもしているのだろう。
書斎だけは紗枝は手が出せないので、あの部屋ははっきりいってごみ溜めのようになっている。
(ああ・・・、今度一緒に掃除しよう)
そっとため息をつくと、不意に照明がさえぎられた。見上げれば、祭が傍に立っている。
「な・・・!」
「ほらほら、そう警戒すんなって。にしてもあいつ、仕事忙しいのか?」
祭はそのまま紗枝の隣の椅子に腰掛けた。
紗枝はできる限り椅子の端まで下がって、祭を見る。
「・・・わかんないです。でも最近は早く帰ってきているから、前ほどじゃないと思いますけど・・・?」
「そりゃ、可愛い幼な妻が家にいるなら、早く帰るだろ」
「誰が幼な妻ですか!」
「10も離れてりゃ、十分に幼な妻だろ?」
「“妻”って方に文句言ってるんです!変なこと言わないでください!」
「やっぱ紗枝はおもしれえな」
またからかわれたと気づき、紗枝はむっと唇を閉じた。
反応すればするだけ祭を喜ばせるだけだからだ。
「人のことからかうために来たんですか?随分お暇なんですね」
だが、そんな嫌味を言うと、不意に祭の表情が変わった。
「馬ー鹿。気になっているんじゃないかと思ってな」
「気に・・・って何をですか?」
「俺の言ったこと」
「・・・っ」
紗枝はぎくりと身をすくめた。つまり祭はあの言葉の意味を教えに来てくれたのだろうか。
「気になって仕方がないってところだな」
「・・・べ、別に、私は社さんのこと、信じてますから」
それは半分本当で、半分嘘だった。
本気で信じていればこんなに動揺したりしない。祭の言葉なんかで。
「あっそ。じゃあ知らなくていいのか。社の真実」
「・・・・・・いいですよ」
「教えてほしいって顔をしているくせに」
「っしてません!」
紗枝がにらむと、祭はくっくと笑った。
「そう怒るなよ。じゃあ、意地っ張りの紗枝にヒントだけやろう」
「いらな・・・」
「まあまあ」
紗枝の拒絶を手で制した祭が、もったいぶった口調で告げた。
「紗枝の母親の旧姓は、朝丘香苗。ヒント終わり」
「・・・・だからなんですか」
そんな調べれば分かるだけのこと、と紗枝は半眼になる。
またからかわれたと知り、金輪際、祭の言うことなど気にするものかと心に誓った。
「いい加減にしてください」
「お前わかってないな。これは結構・・・」
「何を話している」
祭がまだ続けようとしたところへ、低く響く声が割り込んだ。
「お、終わったのか。お前、忙しいみたいだな」
「関係ないだろ。それより今何を・・・」
「何もしてねえよ。する前にお前、戻ってきたからなあ。もう少しゆっくりしてればよかったんだよ」
「な、紗枝?」と祭が手を伸ばしてくる。それを社が掴んで引き止めた。
「祭・・・」
「まあ、それはまたってことで。今日はもう帰るさ」
社が思い切りにらんだが、祭はそれを受け流して立ち上がった。
「二度と来るな」
「そう目くじら立てるなって。どうせ、数日中に外で会うだろ。紗枝も、な」
「・・・お前・・・」
祭がにやっと笑った瞬間、紗枝には社がたじろんだように見えた。けれど見つめる先の社は結局顔色一つ変えておらず、ただ無言で祭を玄関に引き連れていく。
紗枝も見送ろうかと思ったが、「そこにいろ」と言われて浮かした腰を再び下ろした。
玄関で何か話している気配は確かに感じたが、すぐに社の「とっとと帰れ!」という怒鳴り声が聞こえ、それからばたんっと大きな開閉音が聞こえた。
「・・・社さん?」
「くそ、あいつ・・・」
リビングに戻ってきてからの社は不機嫌で、紗枝もびくついてしまうほどだった。
「お前、本当にこのあいだ何もなかったか?」
「こ、このあいだ・・・?」
「あいつに送らせたときだ。大森がいるからと安心してたのはやはり間違いだったな」
「え・・・」
ぎくっと紗枝の四肢がすくむ。そういえば、祭がきて中断されていたが、そんな詰問を受けていた最中だった。
「やはり何かあったのか?あいつは手が早いんだ。どこか触られたか?」
けれど、社の心配はどこかずれていて、そのことに紗枝は肩の力を抜いた。
やはり社を疑ったことなど知られたくない。
「大丈夫です。・・・あ、頭突きしちゃいましたけど」
「頭突き?」
「ちょっとからかわれて、つい手が出て。それをつかまれちゃったから・・・。あ、す、すみません」
しかし、こんなことは言わなくてもいいことだったと、言っている途中で気がついて紗枝は恥ずかしくなった。
そんな紗枝を見て社は吹き出し、そして紗枝の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「よくやった」
「え?」
「あいつもそんなことされたのは初めてだろうよ。頭突きとはな・・・」
可笑しくてたまらないとばかりに、社が口元を覆っている。肩が震えているのを見、紗枝はどうしようと戸惑った。
「あの~・・・社さん、そんなに・・・笑わなくても」
「ああ、悪い・・・くくく・・・っ」
「そ、そこまでおかしいですか?」
「いや・・・偉かったな」
「なんか、やっぱり馬鹿にされてます?」
むっと紗枝が頬を膨らませると、まだ笑いのとまらない社が紗枝の頬をふにっとつまんだ。
「な・・・にしゅる・・・っ・・・」
変な声になったことに紗枝は慌てて口を閉じる。恥ずかしい。すると、社がこつんと額をくっつけてきた。
「!!!!?」
途端息を止め、彼を押しのけようとする紗枝をまた笑って、社は離れると同時に両手もはずしてくれた。
そのまま真っ赤になった紗枝は逃げようとして、つい後ろに転びかける。社が片手で背中を支えてくれなければ間違いなく後頭部を打っただろう。
けれど、礼を言う前に紗枝は首を振った。
「ああああんまりちかづかないでくださ・・・っ」
「紗枝、その反応は止めとけ。祭じゃなくてもからかいたくなる」
「え・・・っ?」
「あんまり隙を見せんなよな」
元通り椅子に戻らせてもらった紗枝のこめかみに、一瞬だけ柔らかなものが触れた。少し湿った感触のそれが、社の唇だとわかって、またしても転げ落ちそうになる。
今度は社がひょいと腕に抱き上げて助けてくれた。俗に言うお姫様だっこというやつだ。
「ちょっと・・・下ろしてください!重いし!」
「ほっせえ体しといて何を言ってる。大体前もしただろ」
ホテルでのことを思い出し、紗枝はかあっと茹で蛸のようになった。
「いまは酔っ払ってないし!」
足をばたつかせる紗枝だったが、社はまったく動じた様子がなかった。社にして見れはただからかっているだけなのだろうが、こめかみへのキスといい、子ども扱い女扱いがやたら気恥ずかしかった。
「せっかくだからベッドまで運んでやる」
「だからっ、いいって!だいたい大福食べたしもっかい歯磨きしないといけないんだから!」
「おまえってほんと、面白えこと言うよな」
「なにも面白いこと言ってない!」
結局、社に洗面所まで運ばれて途中で寝ないか見ててやると観察されてしまった。もちろん涙目であっち行って、とわめいたが、無駄だった。
何で意地悪するんだ、やっぱり社は祭と兄弟だ、とぶつぶつ言い続けたが、社は笑うだけで答えてはくれなかったし、むっとしてもくれなかった。
一人だけ辱めを受けて、うううっと赤い顔で唸る。
紗枝はそういうところがからかわれる原因と気がつかないままなので、いつまでも不幸なのだった。
◇
そんな日から数日がすぎたある夕方。
ガチャリと玄関のドアが開く音がして、紗枝は首をかしげた。時計をみれば16時半をすぎたところ。社が帰ってくるには早すぎる時間だった。事前に何の連絡もなかったはず。
エプロンで手を拭いて、紗枝は不思議そうに玄関に向かった。
「おかえ・・・・・?」
「嗚呼、あなたがいるとあの人が寝ぼけた生活したくなるのもわかりますね」
けれどそこに立っていたのは、長身の男性ではなく、目線のほぼ変わらない男性だった。
「・・・・相模さん」
「それにしても随分懐いたものですね」
あいかわらず冷たい視線で紗枝を見つめているのは、気後れしそうな美貌。けれど、辛辣な口調にはむかっとさせられる。祭にも言われたが、玲人に言われると何だか胸の内がざわっとする。
「何ですか、社さんならいませんよ」
「いるわけがないじゃないですか。先ほどまで僕と共にいたのですから」
心底馬鹿にした言い方に、紗枝は来なきゃいいのに、とイラついた。それを深呼吸で必死に抑えて、「じゃあ何か御用ですか?」と尋ねた。
「用があるから来たんですよ」
「・・・・じゃあ、どうぞ」
探し物か何かかと思い、紗枝が体を端に避けると、玲人はふうっとため息をついた。
「この家に用があるのではありません。僕が用があるのは君です」
「私・・・?なんのですか?」
警戒心も露に尋ねる紗枝に、玲人は面倒くさそうな表情をつくった。
「来れば分かります。社長がお待ちですので、お付き合いください」
「は、ちょ・・・!」
「大人しくついて来てください」
玲人がぱちんと指を鳴らすと、後ろに控えていた2人の黒スーツが紗枝を両側からつかんだ。
「ちょ・・・、ついて来るっていうか、これ、誘拐じゃないっ!」
「誘拐?飼い主にお届けするだけですから、誘拐なわけがないでしょう」
「飼い・・・、だいたい社さんから何も聞いてないし!」
「あぁ。アホかと思ってましたが流石に相手は選ぶんですね。大丈夫です。社長は説得済みです」
「説得ってなに?!ちょっと、私まだ行くなんていってないけど!」
「別に君の意志を聞いているわけではないので、ついていきたくなかろうが関係ありません。連れて行け」
「ちょっと、やだ!やだってば!」
抵抗は屈強な男たちの前では無意味で、紗枝はエプロン姿のままさらわれた。
◇
連れてこられたのは以前社に連れてきてもらったホテルとよく似た高級ホテルだった。
「・・・ここは・・・?」
「あなたに説明しても仕方ありませんが、とある大物の後援会主宰パーティーです。まあ、地元の名士たちを集めた慰労会というところでしょうか。こちらへ。社長がお待ちです」
促されるままに従うのは、もう抵抗する気力がないからだ。
散々暴れたが、黒スーツのボディーガードにはまったく通用しなかったし、呆れ果てたといわんばかりの玲人の視線がむかついて仕方がなかったのもある。
社のマンションから連れ出されたあと、紗枝は広いサロンにつれてこられて、髪をアップにされ、くるくる巻かれ、メイクもされたあと、赤いドレスに着替えさせられた。はっきりとした真紅のドレスは体のラインが出るものであったが、それがやけにぴったりで驚いた。
何故、と尋ねれば、玲人が“この間社長に服を買ってもらっていたでしょう”と肩をすくめて答えてくれた。そういえば、店員にサイズも測られたような気がしないでもない。
胸元にドレープをあしらい、左の膝下だけ何層ものフレアができているドレスは、色からしても派手だし、負ける気がしたが、鏡をみれば紗枝によく似合っていた。
紗枝を磨き上げてくれたスタッフからも、ほう、とため息が漏れたくらいだ。
“本当に、孫にも衣装ってやつですね。腕がいい職人がすれば”
玲人はあいかわらず憎まれ口だったけれど。
「・・・っ、きゃ・・・」
しかし、ピンヒールはいただけない。前に社に貰ったものだってこんなに細くなかった。
またしてもホテルのふかふかの絨毯に躓きかけ、隣にいた玲人にとりすがってしまう。
掴むところがなかったので、彼の襟元とネクタイをぐしゃぐしゃにしてしまう。
「・・・何をやっているんですか」
はあ、と心底呆れた声をあげた玲人だったが、それでも紗枝を支えてくれた。あまり体格が変わらないはずなのに、まったく揺らがない玲人の体に意外性を覚える。
(綺麗でも男の人なんだなあ・・・)
謝りながら体勢を立て直すと、ぶつぶつ文句を言いながら乱れてしまったネクタイを整えている玲人の鎖骨のあたりにふと見慣れぬものを見つけた。
(・・・傷・・・?)
ちらりと見えただけだったのでよく分からないが、古く引き攣れたような傷跡の一部のようだった。
「なんですか?」
ついじっと見つめてしまったらしく、玲人が嫌そうに声をかけてくる。それではっとして紗枝は視線をそらせた。
(事故・・・かな)
火傷とかではなく、肌が裂けたような跡。ちらりと見ただけであれほど大きいのならば、結構な跡なのだろう。
しかし詮索するわけにもいかないので、紗枝はただ「ありがとうございました」とお礼を言うだけにしておいた。
もちろん、盛大な嫌味を返されて、礼をいうんじゃなかったとすぐに後悔したけれど。
そんな気になるささいな出来事がありつつも、紗枝は無事に会場の外で待っていた社と会うことができた。紗枝を引き渡して玲人は去っていく。
一緒に行くのではないのか、と社に尋ねると、他の仕事があるから、と教えられた。
やはりいろいろと忙しいらしい。
社はまじまじと紗枝を見て、はあ、と一つため息をついた。
「え、変ですか?あの、私勝手に連れてこられて仕方なくここにいるだけなんですが。批判されても正直困るって言うか」
「いや、そういうことじゃない。よく似合ってる。やはり赤が似合うな。お前には」
揶揄う様子もなく、社は目を細めた。
「あの、これ社さんが選んでくれたって・・・ありがとうございます。なんか相模さんは気に入らないって言ってましたけど、大丈夫です?」
「あぁ…玲人はほっとけ。そもそも、俺は反対なんだ」
「へ?」
「なんでもない」
社がまた一つため息をついた。何の話だかさっぱりわからないが、玲人が説得というから本当は紗枝が来てはいけなかったのだろうか。
「えっと、あの、どうして私はここに?」
社は無表情でしばらく黙り込んで「すまん」と一言だけ言った。
「悪いとは思うが俺とコレに出てくれ」
そう言って社がホテルで一番広い会場を指差す。
「付き合いで出なければいけなかったんだが、まあ、連れがいないと何かと面倒でな」
苦笑する社の意図が最初つかめなかったが、なんだか周りからちくちくと刺さる視線に紗枝はようやく納得する。
確かに急激な成長を遂げている地元企業の社長かつこのルックスだ。それもこういう場ではできる限り猫をかぶっているようで、いつもの何処とない鋭さも影を潜めている。こんなパーティーで彼が一人きりでいたら、寄せられる秋波は並ではないだろう。
(そういえば、祭さんが・・・なんか社さんに市議の娘が一目でころっとたぶらかされたせいで親に結婚迫られたとかなんとかかんとか・・・)
あれから祭の誇張を差し引くと、市議の娘に一目ぼれでもされたということだろうか。
うーん、さすが、と一人で頷いていると、社がぽんと背中を叩いた。
「何をぶつぶつ言っているんだ。お前は基本立ってるだけでいい。俺が促した時だけ名前を言え。それ以外は喋らなくても笑わなくてもいい」
「え・・・そんな心配してたわけじゃ・・・」
「そうか?ならいいんだが。つき合せた詫びといったらなんだが、中は立食形式で結構本格的な料理が並んでいるから、好きなものを好きなだけ食べていいぞ」
「え?!」
「この間、お前と食いにいったレストランのシェフがここで昔修行していたくらいだから、期待しておけ」
「ほんとですか?うわあ」
「まあ、あんまりがっつくとさすがに目立つけどな。紗枝は案外、大食らいだからな」
「そ、そんな社さんに恥をかかせるようなことはしませんよ!」
きらきらと目を輝かせる紗枝に、隣にいる社がここに来て初めて口の端で笑った。
微笑ましいものでも見るようなそれに膨れはしたが、ついでにこの間立食でのマナーも教えてもらっておいてよかったとひそかに思う。
「じゃあ、悪いが、少し付き合ってくれ」
「はい!」
差し出された社の手を掴んで、紗枝は花がほころぶように笑った。
ニヤニヤして翻弄しようとする祭が実はお気に入りです笑
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