自分がいかに流されやすいかを反省します
◇
「・・・んー・・・?」
まぶしさにもぞもぞと動いて、寝返りをうとうとした紗枝はごつんと何かにあたって、そのまま目を開いた。正確には開こうとした。
「・・・うん?・・・って痛ぁっ」
半分ほどまぶたを上げたところで、こめかみのあたりにずきんっとひどい痛みが走ったからだ。
「う、ううう・・・?な、なにこれ・・・」
がんがんと頭の中を混ぜられるような奇怪な痛みに、紗枝は文字通り頭を抱える。それからようやく、昨日のことを思い出した。
(最悪だ・・・これ、二日酔いってやつだ・・・)
父親に付き合った缶ビール程度ではなったことはないが、さすがに昨日は調子に乗りすぎたようだ。美味しい飲み物には裏がある・・・と紗枝は、高級なワインを今更ながらに恨んだ。
「いたい、いたい、いたいよぅ・・・」
「・・・るせえな・・・なんだ・・・?」
ベッドの上で丸まっていると、頭上から寝起き特有の低い声が降ってくる。
それにぎょっとして顔を上げようとするのに、また頭が痛んで、目に涙が浮かんだ。
「・・・なんだ、この塊・・・。あ?何、お前丸まってるんだ?」
むくりと隣で起き上がった気配に、紗枝はますますぎょぎょっとしながらも、顔は上げられない。
「・・・頭・・・痛くて・・・」
「ああ、二日酔いか。結構飲んでたからな」
あくびの音がして、大きな手のひらがぽんぽんと紗枝の肩を叩いた。
「じっとしておけ。薬頼んでやる」
「・・・はい・・・」
その後社はペットボトルの水を持ってきてくれたり、額を冷やしてくれたりとかいがいしく面倒をみてくれた。
しばらくしてようやく頭痛の治まってきた紗枝は、「すみません・・・」と小声で謝る。
普通の声を出すだけでも頭に響くからだ。
「ホントにご迷惑おかけして・・・」
「いや、飲ませた俺が悪かった。結構平気そうにしていたから、ついな」
「そんなに飲んでましたか?その、あんまり記憶がなくて」
「ああ、途中から明らかに言動がおかしくなってたから仕方ないな」
「へ・・・っ?」
社の爆弾発言に紗枝は体を起こしかけ、だが、すぐにベッドに戻ってうめいた。
「うううっ」
「大人しくしていろと言っただろう」
「すみませ・・・でも、いったい、わたしは、なにを…」
「いつ頃かは覚えてないが、急に笑い出したかと思えば、そのまま寝る支度をすると言い出して。歯磨きをしながら、着替えようとして、何もかも中途半端のまま洗面所でダウンしていた」
「う・・・っ」
今度のうめき声は頭が痛かったからではない。完全に生き恥をさらしたことを知ったからだ。
それをまさか放っておくわけにもいかず、社が最後まで着替えさせ、髪をといてやって、ベッドまで運んでくれたらしい。
紗枝はもう穴があったら入って、そのまま埋まりたい気分だった。
「ごめんなさい、本当にごめんなさい」
「面白かったから気にするな。お前はいつもしっかりしているが、たまには羽目をはずしたっていいだろう」
ぽんぽんと頭を撫でられても、いたたまれなさはまったく薄らがない。
「すみませんすみません、もう、本当にすみません・・・」
「起きると元通りなんだな。甘えたがりなのは、酔っているときだけか」
「・・・はい?」
「いや」
くすりと笑われて、紗枝は眉をよせた。それだけでも頭が痛い気がしたが、ここは放っておいてはいけない気がした。
「えっと、まだ何か・・・?」
「別に何もしてないが」
「でも今、変な単語聞こえてきたような・・・」
「そうか?」
しかし、社は答える気がないようで、ふらりとどこかに行ってしまう。スマホを持っていたから、誰かに電話するのだろうか。
ぼうっとそんなことを思っていて、ふと気がついた。
(・・・この部屋、ベッドこれしかないじゃん)
そもそも、社が隣で寝ていたような気がする・・・いや、気がするではすまない。確実に、紗枝の隣で起きたではないか。紗枝が寝返りをうとうとしてぶつかったのは、社だった。
「ええ・・・っ、あ、いたぁっ!」
「何をやっているんだ」
大声をあげてしまい、自分の身を苦しめた紗枝の前に、いつの間にか社が戻ってきていた。
その手には氷の入ったグラスがある。
「ほら、これも頭に乗せておけ」
「どうも・・・。違う、社さん、ね、こ、ここ・・・」
「は?猫?」
「ねこじゃなくて、社さんが、えっと、こ、ここで・・・そ、その。ね、寝てませんでしたか・・・?」
「ああ」
さらりと答えられて、紗枝は瞬間パニックになる。
「え、あの、まさか・・・ずうずうしくも、わたし・・・」
「ああ、別にダブルだからそんなに狭くもなかっただろ」
「~~~~っ、いたたたっ」
「お前は。さっきから何をやりたいんだ?」
またしても悲鳴を上げようとして頭痛をこさえた紗枝に、社から呆れた声が落ちる。
紗枝は二重の意味で涙目になりながら、社を見上げた。
「な・・・んで、ソファでも・・・いえ床にでも転がしといてくれれば、よかったのに・・・。そもそも何でダブルベッド・・・」
「なんでだろうな」
「えっ」
そこに質問返しされると思わず、紗枝は素っ頓狂な声を上げた。
(なんでとは?なんで?)
大体昨日いきなりホテルに泊まると言われた身としてはなんのことだか、もう色々さっぱりわからない。
社は少し答えを待った後で、何も答えない紗枝になんだかつまらなそうに言った。
「空いてたのがここしかなかったんだ」
「あ、そうですか」
ごく普通の答えに、それすら思いつかないポンコツの頭を殴りたくなる。
「そもそもなんでわざわざ泊まったんですか?夜景はそりゃ、綺麗でしたけど。別に宿泊しなくても」
がんがんする頭では思考などできなくなり、ストレートに尋ねると、社は首をわずかに傾けた。
「さあ、なんでだろうな」
「は・・・?」
いや、あなたが、全部勝手にやったことだよね?!と紗枝はポカンとする。
「俺もここまでするつもりは、もともとなかったんだがな」
さっと紗枝は顔色を無くした。ここまで?それってどういう?という言葉が喉に張り付く。思わず自らの体を見下ろした。
すると紗枝の勘違いに気がついた社が心外そうに言った。
「おい、言っておくが何もしてないぞ」
「そそそそうですよね!知ってます。知ってます!社さんはいい人だし、そもそも私相手に・・・そんなバカな」
ちょっと疑った自分が恥ずかしい。何を自惚れているのか。
紗枝はもそもそと布団の中にもぐって丸まった。
「もう、もう、自分が自己嫌悪です・・・」
「言葉がおかしいだろ」
「なんで飲んじゃったんだろう」
「その場に流されやすいからだな」
「うううっ」
うまいぞ、と言われてつい飲む!となった自分を殴りつけてやりたい。大体法令違反である。
「危機感持った方がいいぞ」
「え、ソレ、社さんが言います?」
「馬鹿、俺だから何もなくてすんだんだよ」
「・・・こんなことするの社さんだけですけど」
「どうかな」
「そうに決まって、い・・・っ」
つい起き上がって抗議しようとしてしまい、ぐわんぐわんとなった頭を抱えて、紗枝はさらにベッドに沈み込んだ。そんな紗枝の頭を社はさらさらと撫でる。
「大人しくもう一度寝てろ。そのほうが薬も効く」
「・・・え・・・でも、社さん、お仕事じゃあ・・・」
「ああ、ちゃんと考えているから気にするな。とりあえず寝て、少しは動けるようになれ」
「すみません・・・」
確かにこのままでは社も身動きが取りにくいのだろう。別に置いていってくれて構わないとは思いながら、社がそうするともなんとなく考えにくかった。
言われるままに、紗枝は目を閉じた。すぐにとろりと睡魔が襲ってくる。
「・・・・・・・さて、次はどうするか・・・」
「ぇ・・・・」
しばらくしてから社が何か呟いた気がした。
しかし、頭に温かな手のひらの感触を感じながら、紗枝はいつの間にか完全に眠ってしまっていた。
◇
「なんで、てめえがここにいんだよ・・・?」
肩を抱いている社の腕が、苛立ちに震えたのを紗枝は直に感じ取った。
「いいじゃねえか、面白そうだったし」
にやにやと笑って紗枝たちの正面に立つのは、濃紺のスーツにワイン色のシャツを合わせて着崩している祭だった。
相変わらず、顔はそっくりなのに、雰囲気は似つかない。
隣の社の不機嫌もあいまって、紗枝は苦笑いを浮かべた。
一度眠ったら本当に大分すっきりして、昨日着てきてた服に着替え、帰ろうとした矢先、祭が突然訪問してきたのだ。
「ざけんな。誰もてめえに用はねえんだよ。俺は玲人に連絡したはずだが?」
「その玲人が大森んとこに連絡してきたんだよ。どこぞの馬鹿社長のペット迎えに行けってな」
祭はそう言って、彼の後ろに立つ黒スーツの男性を親指で指す。
紗枝がそちらに目を向けたのを知ると、大森と呼ばれた彼は小さく会釈をした。
祭よりも背は低いが、体格はがっちりとしていて、顔つきも一切の甘さを削いだ凛々しい人だった。
見た目の年は2人より上で、見るからに実直そうな印象をうけるが、不思議と怖いとは思わなかった。
それにしても。
(・・・ペット・・・)
相変わらず玲人は紗枝に辛辣なようだ。
見下したような玲人の目つきを思い出して、紗枝はむっとする。そして社も別の意味で眉を寄せていた。
「あの野郎・・・」
「社長、早く出社してやれよ。あいつ、相当キレてたぞ。お偉いさんとなんかあるんだろ?ついでに何勝手なことやらかしてくれてんだってすげえ口調で言ってたぞ」
だが、紗枝は祭の言葉にはっとなる。
そうだ、やはりずるずると流されてはいけなかった。
玲人の怒りも当然である。
「うるせえ、てめえには関係ないだろうが」
「や、社さん!そんな大切な・・・、こんなとこでぐずぐずしてないで、早く行って下さい!」
慌てて社の腕をつかみ、早く動けと促した。
「そうだぜ、紗枝はちゃんと家まで送ってやるよ。俺が」
「・・・ざけんな、そんなことさせるか」
「親切心で言ってやってんだよ。紗枝を一人で帰すのはさすがにまずいだろ」
「てめえに預けるくらいなら、俺が連れ帰る」
しかし、社は祭の提案を跳ね除けると、「来い」と紗枝の手を掴んで歩き出そうとした。
「それじゃまずいから玲人に頼んだんだろ?」
「てめえに預ける方がそれより最悪だ」
「社さん、お仕事行ってくださいよ!私、ちゃんと帰れますから」
「いい。来いって言ってるだろ」
「困ります!こんなことになったの、私のせいじゃないですか!それなのに、これ以上迷惑かけられません」
「迷惑とかそういうことじゃなくてな」
「社―、紗枝が気にしてんじゃんかよ。大人しく会社に行ったほうがいいんじゃねぇの?」
「黙ってろ!」
「いえ、今回は祭さんの言うことが正しいと思います。社さんはちゃんと会社に行って下さい。お願いします」
「おお、紗枝は大人だな」
ぺこりと頭を下げると、祭の楽しそうな声が聞こえてくる。そして、社の思い切り不機嫌な声も。
「こいつの肩持つのか?」
「そ・・・肩をもつとかもたないとかじゃなくてですね、ほんとに!これ以上私のせいでご迷惑をおかけするわけにはいきません。相模さんにも今以上に顔向けできません。だから・・・」
「ほら、紗枝を困らせるなって」
「てめえは関係ねぇだろ!おい、迷惑じゃねえって言って・・・」
またイライラと口を開く社だったが、そこに静かな声が割り込んだ。
「社さん、私がついておりますので。祭さんを野放しにはいたしませんよ」
大森だった。はっきりゆっくりと話す声は重みがあり、それでいて控えめな印象を受ける。
「相模の坊ちゃんにも頼まれておりますし、無事にお嬢さんを送り届けます。どうぞ、ご安心ください。それとも私では心もとないでしょうか?」
にこりともしない大森は、言い切った。
それには社も異を唱えられなかったようだ。
「いや・・・、お前については心配などしていないが」
「では、社さんはご自分のお仕事を全うしてください。お嬢さんがご心配なのは拝察いたしますが、余計な気をつかわせては却って可哀想ですよ」
「・・・・・」
大森が諭すように言う。すると、社はバツが悪そうな表情になって、ちっと舌打ちをした。
「わかった。お前に預ける、大森」
「かしこましました」
「紗枝」
「は、はい!」
急に大人しくなった社をぽかんと見つめていた紗枝は、突然振り返られてびっくりする。
そんな紗枝の両肩に、社は手を置いて言い聞かせた。
「大森はいいが・・・祭が何を言っても無視しろよ。いいな?」
「ったく、何だよその言い草は」
「家に着いたらすぐ連絡しろ。分かったな」
「はい、わかりました」
「やだねえ、過保護で。構いすぎは嫌われるぜ?」
「じゃあ、大森、頼む」
祭の嫌味はさらっと聞き流して、社は大森だけに後を頼んで自分は先に出て行った。
「・・・あいつ、人のこと完全に無視しやがって。かわいくねえな」
「なあ」と同意をもとめる祭に、紗枝はあいまいな表情で対応した。
社は紗枝が祭と話すことを望んでいなかったし、自分は社の味方だからだ。
すると、祭がじっと紗枝を見つめてくる。
「・・・な、なんですか・・・?」
「いや、あいつによく懐いてるな、と思って」
社と同じ声、同じ顔。
けれど、いつものように、心臓が跳ね上がるような、頬が火照るような、そんな感覚はない。
だから紗枝は冷静に返答ができた。
「懐いているという言い方はやめてください。私、社さんにはお世話になっているから、お邪魔になることしたくないだけです」
「・・・まあ、いい。ほら、行くぞ紗枝」
「ちょ・・・っ」
手を掴まれたのにはさすがに慌てたが。だが、そんな自分勝手な祭を止めてくれたのは、大森だった。
「祭さん、勝手な行動は慎まれますよう」
「なんだ、お前は社の味方か」
「無事に送り届けるとお約束しましたので。祭さんも、本気で社さんのお怒りを買いたくはないでしょう?あのご様子では、お嬢さんにこれ以上のちょっかいをかけると逆鱗に触れますよ」
逆鱗?と紗枝が驚くと同時に、祭がぱっと紗枝の腕を解放した。
「わかったわかった。俺も社に本気でキレられたくねえし」
その言葉の割に、祭は紗枝を振り返ってからかうような笑みを見せた。
「紗枝、知ってるか?あいつ、キレるとマジで手がつけられないから、気をつけろよ?」
「・・・・・・そうですか」
社に、祭の言を信じるなと言われている紗枝は、どうでもよさそうに返答をした。
「あ、お前信じてないだろう。これはマジな話だぜ。あいつ、キレたら俺よりよっぽどたちが悪いからな」
「そうなんですか」
「まあ、滅多にはキレないけどな。我慢強えし、大概溜め込むタイプだから、一度キレると半端ないんだ」
「はあ・・・」
一応聞き流しながらも、あまり社のイメージと結びつかないな、と紗枝は思う。
どうせまた祭の誇張なのだろうと結論付けた。
本当に、社に関して余分なことばかり言いたがる弟だ。
「紗枝、お前本当に社に洗脳されてんなあ」
「・・・洗脳って。失礼なこと言わないでください」
車の中でもそんな調子で話を半分にして聞いていたら、不意に祭がため息をついた。
さすがにその言い方には紗枝も反論する。
「社さんはいい人なんだから」
「劉盛会の奴らに騙されたってのに、よく人を信じる気になるな。単純なのか?騙されやすいタイプだな」
「社さんのこと悪く言わないで!」
紗枝がにらむと、同じく後部座席に座っていた祭が、肩をすくめた。
自分のことで文句を言うのではなく、咄嗟に社をかばった紗枝に呆れたのだ。
「あいつの何がそんなにいいのかね?」
「あなた、なんでそんなに社さんのことを悪く言うの?兄弟なんでしょう?」
「ん?別に悪くは言ってないだろ」
紗枝の非難を含めた問いに、祭はあっさりと答えた。その悪びれなさに、紗枝は逆に言葉を失う。
「何か誤解してるのかもしれないが、俺は別にあいつと仲が悪いわけじゃねえぜ?俺なりの親愛の情がこんなやり方なだけだ」
「・・・親愛?」
「おう。あいつ、いつもすました顔してるような奴だからよ。俺は正反対でかっとなりやすいんだが。だから、ちょっかいかけてあいつの焦った顔をみるのが楽しいんだ」
趣味が悪い、と紗枝は心の中で呟いた。そんなひね曲がった親愛の情ならいらない、と紗枝は思う。
多分社もそうだろう。
だから、うっとおしがられているのだ。
「なんだ、その顔は」
その想いがもろに顔に出てしまったのか、祭が紗枝の顔を覗き込む。妙な近さに紗枝はのけぞった。
「・・・普通です」
「いや、今、確実にうぜえって思っただろ」
「・・・私、兄弟がいないのでよく分からないだけです。ただ、もっと優しくしてあげてもいいんじゃないかなあとは思いました」
どうせばれてるか、と途中で開き直って、素直に言うと、祭が一瞬目を見張ってそれからくくっと笑い出した。
その笑い方は社にそっくりだと思って、少しどきりとする。
やはり、似ているところもある。
「おっ前、馬鹿正直な奴だな。おもしれー」
「そ・・・うですか?」
そんなに笑われることだったかと、紗枝の頬がわずかに染まった。すると、隣から伸びてきた手に頭を撫でられる。
「気が強いくせに、素直か。まったく、珍しい人種だな。ああ、褒めてやってんだぜ」
「・・・あのっ、ちょっ!触らないでください!」
「祭さん、お嬢さん困らせないでくださいよ」
運転席の大森からも非難の声が上がる。
祭は肩をすくめで距離を取った。
「はいはい。優しく・・・か。今度会ったらしてみるか。余計気味悪がられそうだが」
(それは・・・確かに)
わしゃわしゃと髪を混ぜられて、乱暴な仕草に少し顔を歪める。やっぱり祭の性格どおり、豪快だ。
すると不意に祭が紗枝のほうに顔を寄せてきた。
途端に紗枝はぎくりとしてさらに身を引く。油断ならない。
「なっ・・・んですか・・・」
「ああ、いや。やっぱ社の匂いがすんな、と思って」
「匂い?」
くん、と毛先を鼻に持っていったが、よく分からない。煙草の匂いだろうか。
「シャワーも浴びてねえの?いくら冬とはいえ気持ち悪くねえ?」
「あ・・・、なんか途中で寝ちゃってたみたいで。それに起きてからもあ・・・」
頭痛くて、と言おうとしたが、その前にひゅう、と小さな口笛を吹かれる。
ん?と首を傾げれば、祭がにやにやとした笑い方になっていた。
「あいつも結構ひでえ奴だな。初心者相手に手加減してやんなかったわけだ」
「ちょっと近・・・、それに何を言ってるんです?」
内緒話のように紗枝だけに小声で吹き込んでくる祭を押しのけようとするが、結局うまくいかない。
何より、自分の言葉と祭の言っていることが食い違っている気がしてならなかった。
「何って。こんな真昼間からそんなこと言わせたいなんて、お前も大人になったなあ」
「はあ?」
理解不能とばかりにぽかんと口を開けた紗枝に、ニヤニヤと笑いながら祭が問いかける。
「まあ、初めては体がつらいっていうしな。それとも最初からよかったか?あいつうめーだろ?伊達に遊んでないし」
「あのー・・・まったく何をいっているか分からないんですが???」
「え、紗枝の初体験」
「はつたいけ・・・え?何の?」
「ん?お前、バージンじゃなかったのか?」
「・・・・・・・」
とんでもない台詞に瞬間、紗枝の思考がフリーズした。それから順に会話を巻き戻し、祭が言う意味を理解した瞬間、ぼんっと首まで真っ赤になる。ついでに手が出ていた。
「っ!!」
「うわ、なんだ!?」
顔を狙った凶暴な攻撃を受け止めて、祭が不思議そうに覗き込んでくる。その顎に、ごんっと頭突きしてやった。
「・・・って・・・!予想外なことしやがんな」
「何言ってるんですか!変な誤解しないでください!名誉毀損ですよ!訴えますよ!」
紗枝がわめくと、運転席にいた大森が赤信号で振り返る。
「祭さん、何しているんですか。先ほどご忠告申し上げたでしょう」
「何もしちゃいねえよ。むしろされたのは俺だっての。いいから、お前は運転していろ。誓って手え出したりはしねえっての」
「そのお言葉信じておりますよ」
けれど、祭がきっぱりと言うと彼は再び前だけを見て、運転に集中し始めた。それを見届けて、祭が金魚のように口をぱくぱくとしている紗枝を振り返る。
「・・・お前ら、昨日ホテル泊まったんじゃないのかよ?」
「そそそそれが、何だって言うんですか」
紗枝はうろたえまくりの様子で、祭から離れようとした。が、こそこそ話す彼がドア側に追い詰めるので、すぐに逃げられなくなる。
「しかもあの部屋、ダブルだろ」
「そ・・・うだったみたいですね、はい。それは今朝気づきましたけど」
「今朝?なんで?」
「だから、途中で寝てたって・・・」
「・・・何の途中?」
「や、社さんによると、歯磨きの途中・・・」
「はっ?」
思い切り唖然とした顔をされ、紗枝はびくりとなった。
「や・・・あの、昨日私ひどく酔っ払っていたみたいで・・・」
「ああ。玲人がそんなことを言っていたな。未成年に酒飲ませた挙句、ホテルに連れ込む色ボケ社長とか毒ついていたぞ。まあ、青少年条例とかにはひっかからない年でよかったな」
「色ボケ・・・っ」
何で社に似つかわしくない言葉なのか。
紗枝は絶句した。
しかし玲人にも誤解をされているとなると本当にいたたまれない。
世間様からはこんな自分とでもこうやってみられるのか、と社に申し訳なささえ募った。
「誤解ですから!」
とりあえず紗枝は目の前の社そっくりの男に主張した。
「誤解?」
「酔っ払って寝てしまっただけです。それを、何でそんな、そのっ」
「お前、マジで言ってる?」
「当たり前でしょ!なんで、そ、そんな、破廉恥なっ」
ぶんぶんと真っ赤な顔で頷く紗枝に、祭ははれんち、と変なものでも食べたかのような顔をした。
「・・・お前、記憶が飛んでんの?体がどっかあれとか」
「頭はまだ痛いですけど、後は何も。起きたら社さんが隣にいてびっくりしたくらいです」
「隣にいて・・・何もなかったって?」
「だからっ!何もなかったに決まってます!社さんはいい人ですから。何回も言わせないでくださいっ」
「・・・つか、いい人っていうか、それは・・・なんていうか、どっか欠陥あるんじゃねえの?」
「何を言っているんですか!面倒見させてしまって本当に申し訳なかったです」
「・・・・・」
紗枝の返答に、祭は完全に沈黙した。それからしばらくしてはあっと嘆息する。
「なるほど、社の手には余りそうだな。・・・いや、それとも・・・」
ぶつぶつと独り言を繰り返す祭に、紗枝はうろんげな視線を向けた。
「何なんですか、一体」
祭は一瞬何かを言いかけて、一度唇を引き結び、それから再び口をひらいた。
「・・・・いやー、天然記念物っているもんだと思ってよ」
「は?」
「やっべ、面白え。しばらくこのネタで引っ張れるな」
一瞬なにか違うことを言い掛けたのでは、と思ったが、祭が可笑しそうに言うのでそれは勘違いだったと結論付ける。
「ちょっと・・・なにを言っているんですか。私のせいで社さんに迷惑かけることだけは止めてくださいよ?!」
けれど、祭は笑うばかりで何も答えない。
紗枝は「やめてください」と何度も繰り返したが、やはり相手にされなかった。
結局紗枝が社のマンションに着くまでに言質は一切取れず、申し訳ない気持ちで最上階の部屋まで戻る。
「それでは失礼いたします」
紗枝に深く頭を下げる大森の隣で笑ったままの祭を見て、ため息をついた。
「・・・本当にやめてくださいよ、祭さん」
無駄とは思いながらも最後にそう呟く。
そして玄関をくぐろうとした紗枝の手を、祭がつかんだ。
そのまま大森を外に残して、自分も玄関に入る。
ついでにがちゃんっとドアを閉めた。オートロックなのでそのまま鍵がかかった。
「祭さん?!」
外で大森の慌てる声がする。突然のことにびっくりして抵抗もできなかった紗枝は、ただ祭の腕の中に収められていた。数秒遅れてそれに気がついて逃げようとするものの、祭が肩をつかんでいるせいで逃げられない。
「なにする・・・っ」
「しっ。騒ぐな。お前に一言だけ言っておくことがある。これは本気の忠告だ」
「え・・・」
しかし、祭の声の真剣さに紗枝は暴れるのを止めた。
伺い見れば、表情も打って変わって恐ろしいほど真剣だった。
「痛い目をみたくないのなら、あまり社を信頼するな。それだけだ」
本当にそれだけを言い置いて、祭はすぐに出て行く。
「何をしているんですか、あなたは!」
「おお、お前の焦った顔は久しぶりに見たな。成功成功」
「まったく・・・いつまで経っても人を驚かすのは変わりませんね」
「趣味だからな。んじゃな、紗枝」
ばたん。
大森をからかった様子で笑っていた祭が、扉の閉めるときには全く笑っていなかった。
それにぞっとする。
紗枝はしばらくの間玄関に立ち尽くし、呆然と閉ざされた扉を見続けていた。




