ぷくぷくに甘やかされています
「あの・・・でも、ですね」
それから数日。新たな悩みが紗枝を襲っていた。
「何だ?」
「・・・あの、ケーキは好きなんですけど・・・。毎日はさすがに・・・。美味しいんですけど、でも・・・」
何故か社が毎日8時くらいに帰ってくるようになったと思ったら、必ずケーキを持って帰るようになったのだ。しかも、どれも有名なお店のものばかりだ。
「気に入らないのか?」
「いえ、美味しいですよ!すっごく!でも、ですね・・・毎日はさすがに、食べすぎかと・・・」
むっとしたような表情をされて、紗枝は慌てて首を振る。お土産が嬉しくないわけではない。しかし、こう毎日毎日ケーキを食べていると、体重が心配になる。しかも、この家に来てからまともに動いた記憶がないのだ。
そう伝えると、社は一瞬虚を突かれた顔をして、その後で黙り込んだ。
「そのぅ・・・ケーキってお祝い事があったら食べるもので、毎日食べなくてもいいかなって。社さんが買ってきてくれるのは、すごく嬉しいんですけど。社さんもお忙しいだろうし、そんな気をつかってくれなくても・・・」
「・・・・喜ぶかと思ったんだが」
「ええ、だから嬉しいです。ホントに嬉しいんですよ!でも、このままぷくぷくにはなりたくないっていうか・・・せめて!せめて、運動をさせてください。外をちょっと走るくらいでもいいです。一応、家の中で腹筋とかしてますけど、こんなに食べていたら、追いつくわけもなく・・・もう転がり落ちるかのように太ります。それはちょっと悲しい・・・」
「そうか・・・」
何事か考えていた社は、しばらくして一人で頷いた。
「わかった。来い」
「は・・・?」
そして紗枝の手を引いて突如、家を出る。今まで強固に紗枝を家から出そうとしなかった彼だけに、その行動に驚いて、紗枝はただ目を丸くするしかなかった。
「あああの、いいんですか??」
「ああ。祭が動いているしな。もう、大分平気だろう。それに、外にいくわけじゃない」
「え?じゃあ、どこへ?」
尋ねる紗枝の目の前で、社は地下1階のエレベーターボタンを押した。そして着いた先は・・・。
「プール・・・ですか?」
どう見てもガラスの向こう側に広がるのは、室内プールだった。唖然とする紗枝を尻目に、社はカウンターに座っている男性と話をしている。何だ、ここ、とくらくらする頭を抱えていると、社が紗枝を呼びつけた。
「紗枝、ジムとプールとどっちがいい?」
「は?ジム・・・?」
「お前泳げなかったか?」
「いえ、結構泳げますけど・・・」
「じゃあ、プールでいいか」
かしこまりました、というにこやかな男性の声を聞いたと思えば、またしても社に手をひっぱられて、奥のドアをくぐってしまう。
「あの、社さん?」
「ほら、水着選べ」
「いや、あの、だから・・・ここ、なんですか?」
さくさく進められるのを、紗枝はさえぎり、ようやく尋ねることに成功した。
「見て分からないのか?」
「分かりますよ!プールでしょう!じゃなくて、なんでこんなところにこんなものが・・・ここ、マンションでしたよね?」
「共用施設でプールとフィットネスジムがあるんだ。24時間解放している」
「・・・は・・・」
ぽかん、としてしまうのは紗枝が根っからの庶民だからだ。贅沢すぎる施設についていけなくても許して欲しい。
「ここは、ホテルですか・・・」
「そうだな。そんなコンセプトで作らせた」
「・・・作らせたって・・・」
「言っていなかったか?ここは俺の持ち物なんだが。担当したのもうちの会社だしな」
「はあぁぁ?」
てっきり賃貸だとおもっていた紗枝は顎が抜けそうに驚く。一体どれだけ金持ちなんだ、この人、とびくびくしてしまうのも仕方がない。
(まさに住む世界が違う・・・)
はあ、とため息をついていると、社が怪訝そうな顔をした。
「どうした?ジムのほうがよかったか?」
「いいえ、そういうことじゃあないんですけど・・・」
「そうか?なら、さっさと着替えてこい。運動したいって言ったのはお前だろう?」
「そ・・・うですけど・・・」
(でも何か違う・・・)
外を走りたいってそれくらいの軽い気持ちで言ったのに、何かここは高級スポーツクラブのようで気が引ける。そもそも住人でもないのに。
そう訴えると、社は呆れたような顔で言った。
「ここに住んでいるんだから、お前だってここの住人だろう。これからは、好きに使っていいぞ。ただし、コンシェルジュに言ってからにしろよ」
「こんしぇるじゅ・・・?」
「玄関のカウンターにいる総合案内係だ。蝶ネクタイをしているからすぐに分かる。部屋からフロントに電話したら、部屋まで迎えに来させるから。あとはそいつがすべて手配する。さすがにお前一人でふらふらさせるわけにはいかないからな」
「はあ・・・」
もう紗枝の常識ではよくわからない事態になっているが、こういうものかと無理に納得して紗枝は頷いた。人付きではあるが部屋から出てもいいと言われたのが、なんだか嬉しかったのもある。
「えっと、とりあえず好きなときにここに来てもいいってことですか?」
「ああ。できれば、俺がいるときの方がいいが、そういうわけにもいかないしな」
「社さんもこういうところに来るんですか?」
「暇があるときだけだが」
それで納得する。社はすごく引き締まった体をしているけれど、忙しいようなのにどうしてだろう、と不思議に思っていたのだ。
「俺のことはいいから、さっさと選べよ。水着くらい買ってやるから」
「ええ?別にいいですよ、そんなもの買ってくれなくて。自分で買います」
「いいから。・・・今、お前に太られるといろいろ困るしな」
「は?」
「・・・いや。必要経費ってことだ」
「何の必要ですか?」
「おら、さっさと決めろ」
紗枝の質問はさらりと無視されてしまった。こうなってはもう無駄だといい加減学習している紗枝はため息をついて、並べられている商品の水着を選ぶことにした。
「ねえ、お父さん。本当にお見舞いにいかなくていいの?欲しいものは?」
『ちゃんとこっちで用意してもらっているからいいぞ。それより紗枝、その・・・蒜生さんに迷惑をかけていないだろうな?』
「うん、大丈夫だと思う。ちゃんとご飯作ってるし、掃除も洗濯もしているし。最近はお弁当も持っていってもらっているんだよ」
『そうか、紗枝はしっかりした子だからな。心配はしてなかったが、これからもいい子にしているんだぞ』
「やだな、子供じゃあるまいし。それよりお父さんは体調どう?」
『ああ。随分よくなってきた。まだ検査結果が出ていないが、医者もな、回復が早いと言っていたし・・・』
電話の向こうで元気そうにしている父に安堵の息を吐きながら、紗枝はしばらくの間他愛のない話を続けていた。
「それにしても、お店はどうするの?いつまで閉めたまま?」
『・・・そうだなあ、うん。もう少し待っていろ。お父さんがきっとなんとかするからな。紗枝は気にしなくていいぞ』
「気になるよ。お客さんに忘れられちゃう。せっかくここ何年かは調子がよかったのに」
『ああ・・・うん、そうだな。紗枝が頑張ってくれたからな』
「べ、別にそういうことじゃないけど。あそこはお母さんのお店だから、ずっと続けていきたいし」
『・・・・・・・』
「お父さん?」
突然黙り込んだ父に、紗枝は不審そうに呼びかけた。すると、電話口から息を呑むような音が聞こえ、その後でおそるおそるというように尋ねられる。
『紗枝は・・・お父さんと一緒にあの店を続けたいか?』
「は、何言ってるの?当たり前じゃない」
『だけどな、ほら、紗枝だって、結婚したら家を出て行くだろう?』
「何言っちゃってるの?私まだ18だよ?それに相手もいないしさ」
『まあ、だが・・・いつかは』
「それに私、仮に結婚したってあの店を継ぐつもりだし」
紗枝は胸を張って、そう答えた。
「ずっとずっとあのお店を続けていくよ。お母さんのお店を」
『紗枝・・・』
「っていうか別に結婚しなくたっていいし。なんといってもお父さんの面倒みないといけないからね」
へへ、っと冗談めかす紗枝に、父はしばらく無言だった。
『・・・もっと、楽な暮らしができたとしても・・・か?』
「うん?楽な暮らしって?」
『その、金持ちになるとか』
「え、玉の輿とか?!ないない、そんなの。そんなお金持ちの人周りにいないから・・・っと」
父の突拍子もない冗談に噴き出したところ、そういえば、身近にいたなあと不意に思い出す。
(社さんはお金持ちだった。社長だし、マンションのオーナーだし、それに実家も老舗のやくざさんだし)
そう考えると祭もだ、と紗枝は笑う。
普通に生きていたらまったく知り合うはずのない世界の人たちだったはずだ。
今更ながらに数奇な運命に驚いてしまう。
「社さんは確かにすっごいセレブなんだよねえ・・・玉の輿ってのも分からないでもないかな」
『なにっ?紗枝、まさかそっちで何か・・・』
「ちょっと!なに誤解してるの?社さんに失礼でしょうが」
『いや、だが、・・・よく考えたら、年頃の娘を男の家に住まわせるなんて、いつ何時、間違いがおきても・・・』
「今更そこ心配するの!?お父さんったら、抜けすぎ。それに変な想像しないで。社さんはすっごく親切で、いい同居人です」
そりゃあちょっと手がかかるけど、と心の中でだけ呟く。それでも最近はマシになってきたのだ。
『そ、そうか。ならいいんだがな・・・うん。そうだよな、うん、うん』
何か無理に納得させているとしか思えない父の呟きに、紗枝はやれやれとため息をつく。
「とにかくこっちは心配しないで。お父さんは早く病気治してよね」
『ああ、わかった』
「早く治してまた一緒に暮らそうね。ちゃんと大人しく待ってるから」
『・・・・そうだな。ありがとう、紗枝』
「やだな、お礼なんていいよ。あ、そろそろご飯の支度しなくちゃ。じゃあね」
改まった言葉に照れくさくなり、紗枝はちゃっちゃと電話を切った。
「もー、お父さん変なこと言って。社さんに失礼だって。あんなカッコいい人が間違い犯すわけないじゃない」
同居初日にされたこともすっかりと忘れて、紗枝は父を詰った。
「それに玉の輿だって。何心配・・・この場合期待かな、してるんだか。そんな夢みたいなこと言ってないで、早くお店始めて、お金返さなければいけないっていうのに」
変なお父さん、と紗枝は息をついた。
それから最近帰りが早くなった社のために夕飯の支度にとりかかる。今日は、豚の角切りをじっくり煮込んだホワイトシチューにするつもりだった。
「あとは、おつまみ・・・っと」
昨日の残りのホタテでバター焼きか、それとも葉わさびの浅漬けか。最近野菜少ないから、いっそがめ煮でも・・・。
ふふふん、と楽しそうに献立を考える紗枝は、もはやすっかり主婦と化していた。




