給餌
中央棟のとある一室の前に悠堂游は立っていた。悠堂にしては珍しく、切実な心境で祈りを捧げつつインターホンを押した後、相手が解錠する前に端末に短文を送る。
『服、着てるか?』
『着てるよ~?別にそんなこといちいち確認しなくていいと思うけどなあ』
はっきり言ってこの言葉は信用できないが、確認しないよりかはマシだと己に言い聞かせて。実質約一名の私室と化している調理室に入室──しようとして後ずさった。
「どしたの?ゆーど」
「裸エプロンは服を着ているうちに入らねえよ!」
「?」
紫のメッシュ混じりの黒髪を持つ、金縁の丸眼鏡を身につけた少女、景山由は心の底から意味がわからないと首を傾げている。
「きょとんとするな、指定制服着てこい!」
「え~なんでえ?今日休みの日なんだから何着てたってよくなーい?」
全力で目を逸らしながら叫んだ悠堂の抗議も、彼女には聞き入れられない。わかってはいた事だが、彼女の中での正論で返される。
「お前私服着て来いって言ったら、絶対ノーパンノーブラぶかぶかTシャツ1枚で来るだろ」
「ゆーどすごーい!その通りだよー!あ、もしかして異能使ったー?」
「こんなの異能使わなくてもS1ならみんなわかるっつーの!」
景山は無邪気に賞賛しているが、景山の着衣嫌いはS1の中では有名な話である。何せ放っておくと教室内で脱ぎ始めるのだから。……というか、悠堂の用事は彼女とただ話すだけ、なんてものではないのだが。
「いいから着ろ!」
「む~……ねえ、この上からいつものニット着たら許されたりしない?てゆーか、別に私は気にしないけど、私は裸エプロンにニットで自分の部屋に指定制服取りに行くことになるんだけど、いいの?」
どうしてそう、微妙な点をついてくるのか。
「………………もういい、ニットを着ろ、それでいい」
「よっしゃ交渉成立!」
やはり持っていたらしい、景山は最早彼女のトレードマークと言える紅藤色のニットを部屋の奥から掴み、羽織る。
「よーしこれでおっけ~!あ、中入るー?」
「別にいい。用事はすぐ終わるからな」
「ゆーどの用事?」
「ああ。明後日以降のどこか一日、俺の影に潜ってていいぞ」
「わーい!……いや、ゆーどがこゆこと言うってことはなんかよっぽどだよね!?私に何をやらせるつもり!?」
異能【潜影】。影に潜り、人間には出せない速度で障害物を無視して移動できる異能。この異能を持つ景山は、異能の副作用なのか単なる趣味嗜好なのか定かではないが、何故か他人の影に潜ることを好むのだ。
そしてS1の中では、彼女に己の影を差し出すことは、彼女に対する取引材料として機能する。だが悠堂は今までほとんど彼女との取引を行ってこなかった。
故にこそわかりやすく脅える景山の様子を見て少々楽しくなりつつも、悠堂は要求を口にする。
「明日でいい、できれば昼飯として洋食フルコース二人前を作ってくれ」
「フルコース……それも明日ぁ!?おおう、ゆーどってば、中々に重たいの要求してくるね〜?」
「そうでもなきゃ、丸一日プライバシーを投げ捨てねえよ」
「も〜、ひどいな~。私は別にプライバシーを侵害してるつもりなんかないのに〜。で、メインの希望は?苦手なものは?」
文句を垂れつつも、詳細の確認に入る。流石は調理室を私物化している少女だ。料理の腕だけは信用が置ける。
「特に無い、強いて言うなら栄養バランス重視で頼む。あとできれば完成した料理は俺の部屋に運んでくれると助かる」
「りょ〜か〜い!引き受けるね〜!でもねゆーど、言っておくけど私はご飯を食べるのが好きなのであって、作るのはそんなにだからね~?」
「でも影に潜りたいんだろ?」
「うん。だからがんばるよ~ゆーどの影に潜るのは貴重な機会だしっ!」
明後日以降の自分がとんでもない目に合うであろうことを予想しつつ、悠堂は調理室を出た。明日のアイツの反応が楽しみだ、と少しだけ口角を吊り上げて。
■
「餡条サン」
「あっえっと……うん?」
まるでいつかの再演かのように、餡条械はとても楽しそうな悠堂に腕を掴まれた。嫌な予感がする。普段の彼の行動は、正直言って自分に対する愛憎が入り交じりすぎて一周回って自分の利益になるものが多いのだが、今回は普通に酷い目に合う気がする。可能ならば即座に逃げ出したい。今すぐ端末で一を呼び出したい。
「ついてきてください」
「……拒否権は?」
「真内兄は買収済みです」
「一くんなんで買収されちゃったかなー!?」
口ではそう言いつつも、あの少年は簡単に買収されるから仕方ない、と内心納得する。しかし、根回しをした上で悠堂が己を誘うなぞ、本格的に嫌な予感がしてきたのだが。
悠堂単体から逃げ出すことは容易いが、その後が面倒くさい。ここまで来ると抵抗した方が厄介なことになりそうだ。
「わーどこにつれてかれるのかなーきゃっきゃっ」
「笑えるぐらい望洋みですね」
うだうだと悩んでいるうちに、悠堂は餡条を引っぱっていく。さも、自分がついてくるのを当然だと言うように。自分の行いを餡条が肯定すると、確信しているかのように。
……こういうところが歪なのだ。多分、餡条は悠堂を利用するつもりしか無いことを、彼は理解している。と、同時に悠堂が餡条を真の意味で害する行動を取れない事を、餡条が知っていることまで含めて、彼は知っているのだろう。
だとすると、このちっぽけな少年を、餡条と渡り合えるようにした異能の力は偉大なものである。まあ、こんなことは推論に過ぎないし、今もあの少年はこちらを覚っているのだろうけど。
「……なんですか」
「いやあ、なんでもないよー?」
わざとらしく誤魔化して、作り笑いを浮かべる。その様子を苦い顔で彼は見ていた。
悠堂が餡条を連れていったのは、普段はあまり使われていない区画だった。どうやら空き教室を借りたらしい。それ自体は他の異能者も時折行うため、特段珍しくはない。
しかし、無機質な自動ドアの奥に用意されていたのは、珍しいと言わざるを得ない代物だ。そこにあったのは、SF的な内装とは相反する、純白のテーブルクロスがかけられた大きなテーブルだった。対角線上に一対の椅子が置かれているが、これまた内装に似合わず洒落たレストラン風のものである。
そしてテーブルの上には、それこそが正しい姿であると言わんばかりに、優雅で美しい洋食が湯気を上げていた。嗅覚センサーも、それが世間一般的に香ばしいと評されるものだも判断する。なるほど、何となく、彼の目的がわかったかもしれない。
「ご馳走しますよ。色々頑張って手に入れたんです、是非とも味わって食べてくださいね?」
味わって、を殊更強調して彼が言う。表情はわからずとも、声に滲む愉悦は露骨だった。
成程歓待に見せかけた拷問か、と餡条は思案する。もしくは、献身に見せかけた嗜虐か。いや、九割の善意と一割の悪意かもしれない。相変わらず、面倒くさくて哀れな男だ。しかし、悠長にそんなことを言っている訳にもいかない。
何せ、今の餡条械には味覚がないのだから。
厳密には、味覚を感知する機能も無くはないが、精度が荒すぎて使い物にならないのだ。その癖、歯にかぶせられたチップのお陰で、食感は比較的正確に知覚できると来た。
つまりこの状況は餡条にとっては、客観的に美味と判断できる物体を、食感しか感じ取れない状態で、延々と咀嚼させられるという拷問である。
「そうだねーありがとう……良く調達できたねー?こんなの」
取り繕う意味が存在するとは思えないけれど、一応取り繕う。どうせ向こうは何もかも覚っている。あの額の目が出ていなかったとしても、予防線は張るに越したことはない。わざとらしく椅子につき、ナプキンを手に取った。悠堂もまた、席に着く。
「うちのクラスに、料理が得意なやつがいるんですよ」
「そうなんだー。S1にこんなにすごいの作れる人いたんだねー」
「はい。若干条件が面倒ですけどね」
表面上は穏やかに雑談をしていようと、料理から逃げることは許されない。
品良くカトラリーで前菜のサラダを摘み、口に放り込んでみても、わかることは普通の野菜の固さであることぐらいだ。必死に味覚を脳内補完しようとしても、舌の上に味がしないことには変わりない。
見た目はこんなにも美味しそうなのに、実際美味しい筈なのに、美味しく感じない。
「飴沼が言ってたんですよ。餡条サン最近全然飯食ってないんだけどって、心配そうに」
「そんなことないよ。ちゃんと食べてるって。……まあ最近は監獄側から任務が多くて、ちょっと疎かになってたかもしれないけど。ていうか、悠堂くんって憂歌ちゃんと仲良いんだねー?」
「前に色々ありましてね。今は時々あって話す機会がそこそこあるんですよ」
「……話す?憂歌ちゃんとねー……」
「大丈夫ですよ、俺からは約束に違反しない程度でしか愚痴ってませんから」
「待ってそれもしかしなくても俺の悪口大会じゃないー!?」
とりあえず心の中のメモ帳に、今回の戦犯として憂歌の名前を記す。後である程度の事情聴取を行わなくてはならないだろう、というか手っ取り早くカメラをハッキングしてしまおうか。
「ハッキングはやめてくれません?」
「それが嫌なら、されても困らない内容だけ話してればいいと思うよー」
「……」
しかし、いつまでこんな茶番を続ける必要があるのだろう。悠堂だって、この状況の無意味さを存分に理解しているだろうに。
滑らかなコーンスープも、上等なステーキも、なんの味もしない。餡条にとってはどろっとした汁と、軟らかい何か、でしかなかった。きっと普段の自分の食事に比べれば遥かに栄養はあるのだろうけど。だからといって進んで食べたくはない。気持ち悪い。
「どうですか?そこそこ良い牛肉を使っているらしいので、中々美味しいでしょう?」
「そうだねー」
悠堂はとても楽しそうに笑っている。つり上がった口角は、食事を摂る行為でも隠しきれない。……悪趣味と言うべきか、それとも生温いと言うべきか。まあ生温い方がえぐみが増す、という発想なのかもしれないけれど。
無論餡条にはこの肉の美味しさはまるでわからない。相も変わらず見た目だけはとても美味しそうだと言うのに。ナイフで切り分け、フォークで口内へ迎え入れ、咀嚼した途端にそれは味のしない何かと成り果てる。
主菜も無理やり胃へと流し込み、次に待ち受けるのはデザートだ。これまた美麗な造形の飴細工を施された小さなケーキに、食後の紅茶が傍に置かれている。
きっとかつての餡条械なら喜んで食べたであろうそれらも、今の餡条からすれば先程の肉と違いは食感ぐらいしかない。それでも、食べなければならないと、ちまちまと手をつけていき、やっとこさ皿を空にした時。
「ねえ、餡条サン」
横から、悠堂の声がした。椅子から降りたのを人感センサーで感知した時点で嫌な予感がしていたが、的中したらしい。自分の分のデザートを手に、傍に立っている。
「俺、甘いもの苦手なんです。よかったら、食べてくれませんか?」
「あー……いや」
これ以上拷問とでも言うべき仕打ちを受けるのは、正直勘弁願いたいのだが。きっと彼はそんなことまでも覚っている。覚って、知って、理解して、その上で下手を装って頼み込むのだ。拷問の、延長を。
「ほら」
愉快で愉快でたまらない、という様をカメラが捉える。高解像度で、状況を伝えてくる。悠堂は手にしていたケーキをテーブルに置く。そしてフォークで自分の分のデザートを一欠片削り、載せた。
「あーん」
恋人同士で行う様に、甘い声でフォークを餡条に差し出す。無論前髪に遮られて、詳細な表情はわからない。……が、少々癪に触ったので。
わざとらしく耳の前に垂らした髪をかきあげる。その上で、頭だけ動かして口を開け、悠堂の差し出すケーキを食んだ。
本来ならとても甘いであろうケーキの味など全くしない。咀嚼して、舌を動かしてわかることは不快に軟らかいことぐらいである。そしてそのまま、与えられるがままにケーキを貪った。繊細な飴細工をぱりんと歯で噛み砕き、軟らかなスポンジに唾液を練り込んで喉へと送り込む。そんな張り詰めた静寂は、やがて餡条が食事を終えることによって破られた。
「ご馳走様でした」
気障ったらしく舌で唇をひと舐めして、餡条は言う。そして、畳み掛けた。
「『美味しかった』?」
己が今、どんな表情をしているかまでは分からない。が、悠堂が苦虫を噛み潰したような表情を浮かべるような物と、内心であったようだ。
「アンタ……本当に、そういうところですよ」
「んー?」
「これ、多少ムカついただけで、アンタからすれば労働に対する正当な対価、なんでしょ?」
「まあ……俺の食生活がヤバいのは事実だし。それにこの食事、栄養バランスちゃんと考えてくれてるでしょー」
「……そうですけど」
そっぽを向いた悠堂が覚ってくれるかはわからないけれど、わざとらしくこう思うことにしよう。
先程も考えた通り、悠堂游という餡条に対する執着心の塊のような少年が、真の意味で餡条に危害を加えることなど到底不可能だ。できるならば、ここまで複雑怪奇なことにはならない。だからこそ、根本的な動機が自分のエゴを満たす為でも、必ず何かしら餡条の利になることを盛り込んでくる。餡条は彼を、そういう意味では中々に信頼しているのだから。
「それじゃ、俺午後は監獄側から任務入ってるから、行ってくるねー」
「……はい」
ひらひらと手を振って、悠堂の招いてくれた部屋を去る。
ちなみに本音の本音としては、多少は悠堂の欲を満たしてやらないと、今後の餡条の睡眠管理に揺り戻しが来そうだった為だ。餡条の健康状態的に、食生活より不眠の方が圧倒的に深刻なのである。睡眠の方に八つ当たりが来るのは勘弁願いたいのだ。
無論、餡条はその思考の合理具合には気が付かないし気がつけない。
本編に入りきらなかった補足
厳密には味覚も再現できないことは無いが、現実的なコストでは大雑把にしか味が再現できない為、無い方がマシレベルである。
餡条の諸々は無駄に変な機能が搭載されている為毒物の判定ができたりもする。




