うっかり
世間一般的なお昼時からはズレた時間。形式上の時間割をさして考慮してくれないタイプの実験に呼ばれており、昼食を摂れていない湖上は見てしまったのだ。
「それカップ麺!?」
「ああ?そうだけど」
ラウンジ併設の簡易キッチンで、樹懸がカップ麺を作ろうとしている所を!
それを見た湖上は、思わずキッチンへと駆け込んでしまったのだ。そんな自分を、樹懸が怪訝そうな顔で見てくるが関係ない。そんなことよりもカップ麺の方が遥かに重要だ。
「多分購買に行ったら売ってるよね!?俺も自分の買ってくるから一緒に作ってもいい!?」
「何がしたいんだよお前。1人で作れねーのか」
「いい?!」
「好きにしろよ」
「よーし!」
不可解という感情を隠そうともしない樹懸を尻目に、湖上は現状可能な限りでの最高速度で購買へと向う。何だか周囲から視線を感じる気がするが気のせいだろうと流して。辿り着いた購買で一番オーソドックス(推定)なカップ麺を手に、これまた可能な限りの速度でキッチンへと戻った。
「早くね?そのヒールでなんでこんな早いんだよ」
「そりゃめっちゃ頑張ったからね!」
「はあ。ほら作るぞ」
聞いておいて興味は無いのか、樹懸は雑な対応で終わらせる。湖上が期待の眼差しを向ける中、電気ポットを手に取る。
「ええ、と。たしかコーヒーとかと同じようにお湯沸かせばいいんだよね?」
「カップ麺に書いてあるから、ちゃんと量見ろよ」
「おー本当だー!」
カップ麺の蓋を見れば、分数や作り方がざっと書かれている。なるほど作り方を覚えていなくともさっと確認してさっと食せる。流石カップ麺。
「……女装野郎、もしかしてカップ麺作ったことないのか?」
「食べたこともないかな」
「うっわマジかよ」
「食べる機会無かったんだって、仕方ないでしょ。……えーっと、320ml必要だって」
「自分でやんなくていいのか、お前」
「お湯沸かすのはコーヒーでよくやってるから新鮮味ないし」
「……」
目を輝かせてカップ麺を見つめる湖上に、樹懸が何を思ったのか定かではないが。無言でいつも身につけている白手袋を外して、水道の蛇口を捻った。
「あれ、取るんだ」
「料理用のやつならまだしも、布製のやつつけて料理してんのってなんか微妙じゃね?」
「まあ……そうだね」
湖上の知る限り、樹懸の白手袋は樹懸がうっかりで異能を発動してしまった時用の保険だったと思うのだが。まあしかし、そう簡単にうっかりはやらかさないだろう。少なくとも静並に制御が出来ないというわけでもないらしいし。
「あっ」
「えっちょっ、なにその不穏な『あっ』は」
機嫌よくカップ麺のパッケージを隅から隅まで見ていたというのに、樹懸が不穏な声を出したのだ。嫌な予感が脳裏を過りながらも、いやまあそんなことは無いだろうと楽観を抱いて樹懸へ視線を向けたのだが。
ポットを構え、樹懸がフリーズしていた。
「樹懸何異能発動してんの!?」
「お、落ち着け女装野郎、俺の異能は生物にしか発動しねえからただ発動しただけだろ、多分」
「やっぱ異能発動してるじゃん!てかただ発動しただけとかあるの!?」
そもそも湖上が初めて樹懸の異能を目撃した時、対象は植物だった時点で発言に誤りがある。そして、ただ発動しただけで何も起こらない、ということがあるのかどうかまではわからないが。なら何故樹懸はここまで動揺しているのかということになる。
「…………無い」
「ほらあ!絶対何か毒生成されちゃったでしょ、どーすんの!?」
「いや、つっても異能発動できる対象あったか?」
樹懸が目を逸らしながらも、もっともな事を言う。そう、たしかに樹懸はこれといって異能の対象物になりうるだろうなにかに触れていないどころか、ポットにしか触れていないのだ。強いて言うなら、蛇口を捻る際に手に水が触れていたかもしれないが……
「……樹懸、ポットの中、見てくれない?」
「マジで言ってんのか?」
「マジで言ってる」
「……」
諦めたのか、樹懸がポットの蓋を開ける。しかし、彼の表情は特に変わらなかった。
「なんも変わってないぞ?つか、水ん中に毒作れるとは思えねえんだけど」
「ちょっと、俺にも見せて」
樹懸から差し出されたポットの中を覗き込む。たしかに、パッと見はただの水だ。しかし、問題はそこではなかった。
「樹懸」
「なんだ」
「中身溶けてるよこれ」
「……は!?」
そう、ポットの内側が明らかにえぐれ、へこみ、溶けてきているのだ。おそらく運悪く、生成されてしまった毒が生物に害を催すものと言うよりかは、塩酸のようなシンプルに物体に危害を与える方向性の物だったらしい。
「なんでだよ!?」
「多分、水道水だってろ過はされてるけど、微生物を全て取り除けるわけではないから……それの体内に、毒が生成されたんじゃない?」
「あー……?」
わかっているのかわかっていないのか、微妙な返事をこぼす樹懸。しかし、問題はそこでは無いのだ。やってしまった事は最早どうしようもない。誠に残念ながらカップ麺より優先すべき事がある。
「どうすればいいんだろうね?これ」
「知らねーよ!」
「いや樹懸が知らなかったら八方塞がりなんだけど!?今までにこういう事故起きなかったの起きてるでしょ!?」
「起きてねえよ!そう簡単に事故ってたまるか!」
こんな迂闊さで、今まで何も起きていない方が奇跡なのではないか。
「えっじゃあ今までシャワーとかどうしてたの?あれも水だよ!?」
「……だからシャワー浴びる前に簡易異能封じ使えって言われてたのか」
「ほら研究員の人も気がついてるじゃん!」
知らないのは当事者だけ、と。なんとも間抜けな話だがだからといって現状はどうにもならない。再びポットの内部を見れば、順調に内側は溶かされている。このままでは底が抜けるのも時間の問題だろう。
「樹懸これマジでやばい、どうしよ」
「最悪絵画世界にでも放り込んでおけばいいんじゃね?」
「あー……まあ、そうだけど。午前中教室にいた?」
「……」
「だめじゃん」
暗之雲はその異能の利便性からか、I配属の中では最も教室にいる確率が低いのだ。午前中いなかったからといって午後もいるとは限らない上、コミニュケーションを断っている暗之雲の連絡先など、はっきり言って知っていても意味がない。なにせ応じてくれないのが基本なのだから。それでも、と端末をちまちまと操作してはみたのだが。
「……一応今ダメ元で初に聞いてみたけど、やっぱりいないって」
「どうしろってんだよ」
「だからどうしようねって言ってるでしょさっきから!」
「じゃああの包帯女。あいつならできんじゃね?」
「桐子ちゃん、午後から用事入ってるらしいから……」
「詰んでね?」
ある意味いちばん簡単かつ根本的な対処となりうる存在が、今日に限っていないからこそ湖上はこんなにも頭を抱えているのだ。
「うっわマジで溶けてきた」
「まっ、き、きき樹懸耐えるとかできないの!?」
「たしかに俺は普通より毒効きにくいらしいけどこんなん無理だっつーの!死ぬ!そういうお前はどうなんだよ?!」
「いや無理に決まってるでしょ何言ってんの!?俺ただのちょっと遠くまで物が見えるだけの人なのに!」
「何やってんだ?てめえら」
湖上と樹懸が二人してパニックを起こしていると、簡易キッチンに第三者が現れたのだ。それも、湖上としては大分出会いたくない類の。
「N配属が何しに来てんだよ」
「散歩だ。あそこの鏡から出てきたんだよ」
そう言って沢谷が、ラウンジの一角を指さす。そう言えば、姿見があったかもしれない。なるほど以前男子トイレに出現した時のようなことをまたやっていたのだろう。しかし、常ならば視界にも入りたくない相手だとしても現状においては好都合だ。
「さ、沢谷さん!」
「ん?どうしたんだ湖上。あの話を受けてくれる気になったのか?」
「なわけないでしょ何言ってんの!?」
「冗談だ。それで、要件はなんだ?」
相変わらずの鉄面皮で、冗談なのか本気なのかわかりにくい発言をする沢谷に。湖上は現状を伝える。すると、沢谷は湖上の予想通りの行動を取った。
「事情はわかった。ならその電気ポットは自分が回収させてもらう」
「大丈夫なのか?お前、ただのガキンチョに見えるんだけど」
「失礼な、少なくとも自分の方がてめえより薬学には精通してんぞ……お、あったあった」
会話をしながらも指定制服のスカートの中をごそごそと漁っていた沢谷は、金属製のボトルのようなものを取り出す。
「寄越せ」
「あ、ああ」
腕まくりをしてから、樹懸から渡されたらポットを左手に、金属製のボトルを右手に構えた沢谷がシンクの前に立つ。そして、器用にポット内部の水をとぽとぽと金属製のボトルへと、一滴たらさず入れきった。お見事である。きゅ、とボトルの蓋を閉めつつ、沢谷が口を開く。
「ついでだから毒も回収させてもらうぞ。ああ、簡易キッチンの備品として新しい電気ポットの発注はしておくから安心しろ。I配属に弁償させたところで大した意味は無えからな」
「あ、ありがとう」
「半分ぐらいは仕事だからな、気にすんな」
そう言って、沢谷は去っていく。彼女の事だから、本命はきっと樹懸の生成した毒であって、事態の対処はついでに過ぎないのだろうが、対処をしてくれたこと自体は事実である。しかし、まだ問題は残っている。
「カップ麺、どうやって作ろう……あっ、俺の部屋の使えばいっか」
「あんの?」
「言ったじゃん、コーヒー作る時に使ってるって」
「俺にも使わせろ」
「あー……まあ、いいけどさ」
ポットを壊したのは樹懸だが、こちらは初カップ麺として便乗している立場である。他人をあまり部屋に入れたくはないのだが、まあ樹懸なら問題は無いだろう。先程の毒を回収していった少女とは違って。しかし、それはそれとして。
「樹懸、気になんないの?」
「は?何が?」
「さっきの毒回収してった女の子のこと」
客観的に見ればあの少女は、ひどく不可解で疑わしいものだろうに。彼はなんてことのないように言う。
「どうでもいい」
「そっか」
そういうところだよ、と言いかけた口を閉じて。当たり障りのない返事を口にした。




