飛翔
端末に連絡しても反応が無いから、どうせならついでに呼び出してきてくれ、と研究員に雑に指図を受け、仕方なく湖上は廊下を歩いていた。監視カメラで居場所が分かっているのなら、わざわざ湖上を使わなくてもいいだろうに。いつかの盗聴器だか発信器だかが取り付けられていた時のことを思い出す。
研究員に指定された場所は、湖上が訪れたことの無い区画だった。歩いていても研究員含め誰ともすれ違わない辺り、そもそも使用頻度が低いのかもしれない。一体どれだけの広さがあるのだろう、とぼんやりと考えつつ、湖上は指定された部屋の扉を開けた。
「……すご」
そんな、陳腐な感想が思わず口から出てしまう程に。室内は、そうとは思えぬ様相を呈していた。
プロジェクターを使っているのだろうということはわかる、例えそれが現行よりも何世代も先の機種だとしてもだ。それにしたって、この満天の星空のクオリティーは凄まじい。申し訳程度に作られた、湖上が今立っている足場を除けば、そのまま星の海に吸い込まれてしまいそうだ。そして更にその光景を彩る存在として、研究員の探し人がいる。
頭上の光臨を黄金に輝かせて、少女が星空で遊んでいる。純白の翼がはためいて、人工的な夜の中、ふわりふわりと浮かんでいる。その姿はまさしく天使であり──二ッ葉初、だった。
「……ええ、と、その、初!」
夜の中の初が身に纏う神々しさは、初を人間とは思えないようにさせていて。どう声をかけたものかと悩んだものの、結局はいつもの通りにやることしかできなかった。
そんな湖上の声は、彼女に届いてくれたらしい。ふわり、と羽をはばたかせ、初が空から降りてくる。と、同時に背中の羽と頭上の光臨が溶けるように消えていく。ローファーが地面に着く頃には、いつも通りのワインレッドの外套を身にまとった初がいた。
「ごめんなさいね、はしたない所を見せてしまって」
「い、いやいや全然そんなことないから!む、むしろ綺麗でびっくりしたというか……」
「そうねぇ。確かにの満天の星空は美しいもの」
初が間違った受け取り方をしてくれて助かったかもしれない。追及されていたら死んでいた。誤解来るほど彼女は自身の状況を疎んでいると思うと、少々悲しいが。
「ほら、私が異能を本気で使うと、大変なことになっちゃうでしょ?だからこの部屋を借りて、久々に飛んでいたの」
「そっか」
周囲を見渡す。プロジェクターの投影によって実際のところはわからないが、この部屋は相当天井も高く、広いように見える。たしかに飛ぶことも可能だろう。
「それで、どうしたの?」
「えっと、研究員から呼び出しだって」
「あら?何かあったかしら」
「連絡した、って言ってたけど」
「あー……そうね、そうみたいね」
何故だか形容しがたい表情を浮かべながら、初が端末を見ている。なにかあったのだろうか。
「まあ、いいわ。もう少し飛んでからそちらには行きましょう。遠くの方に行っているから、麗ちゃんも星空をちょっとぐらいは見て行ったら?」
「……大丈夫なの?行かなくて」
「ええ。じゃあ、私はあっちの方で飛んでるから」
「別に、わざわざ遠く行かなくても」
何でこんなことを言ってしまったのだろう、と発言した後に思ったが。まあ、別に構わないだろう。遠くの方で飛んでいる初を眺めながら一人少しだけ星を見て、帰るというのもなんとなく気に入らないし。
「……そう?」
「まあ、一緒の部屋にいるのにわざわざ離れるのもなあって」
「麗ちゃんがいいならいいのだけど……」
丸眼鏡の奥の瞳が、こちらを案じるかのように見ていたが。ぷちり、と初が外套の留め具を外す。そして。
「──本当に?」
次の瞬間、そこに居たのは人ではなかった。
……いや、わかっている。幻想生命化というのは即ち、お手軽簡単に人間をやめてしまうタイプの異能なのだろうから。それでも、瞬間的に認識がズレる感覚は慣れない。
「だ、いじょうぶだよ」
以前見た時とは違って、あの来るもの全てを拒むかのような威圧感はない。だからこそ不器用に、彼女を肯定する言葉を口にする。
「無理、しないでね?」
「わかってるって」
初が脱いだ外套を片手にふわり、と羽ばたく。そしてそのまま、星空に手を伸ばす。当然、プロジェクターによる映像であるのだから、触れることはできない。それでも楽しそうに、初は飛ぶ。その様子を湖上は陸地に座り、ぼんやりと眺めていた。
「流石に疲れたから、もうおしまいにするわ」
思っていたより短い時間で、彼女は人間へと立ち返った。考えてみれば、あのような異能、消耗が激しくないわけがないのだ。
「結局、ずっといたのね」
「まあ、こんな満天の星空、中々見る機会無いしね」
そして、天使と化す異能者が夜空を舞う幻想的な光景も、だが。
「でしょう?だから、こうしてもらったの。ここ、元は暗之雲ちゃんが監獄に来る前に使われた場所だから、今は殆ど使ってなくて好き勝手していいって聞いたのもあるのだけど。その分、思いっきり好き勝手しちゃったの」
そう言って、初はいたずらっ子のように笑った。瞳の奥底に眠る濁った何かを、覆い隠すかのように。




