耐性
それは、本当に。あまりにも発生確率の低い偶然だったのだ。歩いていて誰かに会うことはそれなりにあるが、通り過ぎようとした目の前の扉が丁度開く、なんてことはあまり無い。しかもそこから出てきたのが、知っている人物となれば尚更だ。
「げほっ、がっ、あ゛ー……つら」
湖上が出会ったのは、壁に手をつき、青い顔で咳き込み、掠れた音を漏らす松太郎だったのだから。
「ま、松太郎!?だ、だだ大丈夫!?え、ええっと多分実験だよねってことは異能薬物だからと、桐子ちゃん!」
慌てながらもどうにかこうにか対処案をひねり出し、端末で桐子に連絡しようとすると、松太郎の弱々しい腕がそれを制止する。
「い゛、や……それじゃ、意味ねーから……」
「意味、ないって、どうい……」
途中まで言ってから、湖上は松太郎の言葉の真意に気がついてしまう。……予測が、当たっているとするならば。湖上に出来ることは何も無いのだろう。
「──ッ!?れ、い、ごめ」
松太郎が掠れた声で何かを口走り、よろよろと動きながらも確かに、部屋の中からビニール袋を取り出す。おぼつかない手つきでどうにか開こうとしている様子に、意図を察した湖上は手を添え、ビニール袋を開いて、片手で松太郎の前に差し出した。
「げえっ、があ、ごぼっ、う゛ぇー」
びちゃびちゃと嫌な音をたてながら、松太郎が嘔吐する。その背中を、もう片方の手でさすった。
松太郎は以前、I配属が薬物で大惨事になっていた時もその場にいて逃走しなかった面々の中でただ1人だけ生き残っていた。それ程までに薬物への耐性が高いのなら、一般的な風邪薬や頭痛薬などはまるで効かないに違いない。おそらく強力な薬も、この場所の技術力ならば容易に作成可能であろう。しかし、ここは監獄と呼ばれてしまうような悪意の極まった場所なのだ。そんなものを作るより、一応薬の作用を持つと判明でもした異能薬物を投与する、なんてことがあってもおかしくない。
「……ごめ、ん」
「気にしないで」
一通り吐いて少し楽になったのか、気持ち先程よりは辛そうではなかった。それでも未だ顔色は悪く、体は壁に預けられている。ビニール袋を縛り、実験室らしき室内を見渡して見つけたゴミ箱に放り込む。衛生的にはよろしくないだろうが、どうせ監視カメラか何かで行動を把握しているのだし、手間をかけて分別しに来れば良い。
「こんなになるなら、薬飲まなければいいのに」
「……それだと、長引くから」
「でも長引くより体に悪そうだよ、それ」
「そう、かあ」
顔を青ざめさせ、自力で歩くことすらままならそうな現状でそのような事を言われても、説得力に欠ける。彼はきっと静にも気が付かれずにこのままある程度復活するまで待って、教室へ戻るつもりだったのだろう。むしろ湖上が来た事は誤算だったのだろうが、見つからなかったらそれはそれで大惨事だろうに。
「松太郎!」
聞きなれない、切羽詰まった声が廊下の奥から聞こえてきた。見れば、いつものマスクを外し、桐子を抱えた静が走ってきている。完全に撒けていないじゃないか、と非難するような視線を松太郎に送れば、彼はバツが悪そうに視線を逸らした。
「……麗も!教えてくれたっていいんじゃないかなあ!」
「いや、俺桐子ちゃん呼ぼうとしたら止められたんだって」
「えー……麗、俺の味方してくれねーの」
「松太郎何馬鹿なことしてるのー!?ほら、桐子ちゃんが」
「ストップ桐子ちゃん、多分これはもう放っといた方が治るの早いと思う。それに……」
味方、ねえ。随分と、という黒々とした感情を押し殺して、ひとまず静から降ろされた桐子を制止する。それよりも大分ご立腹らしい静を鎮める方が重要だろう、と。鉄面皮の迫力が平常時の5割増はマズイ。
「まーつーたーろーおー?」
「ひえっ」
「松太郎がんばれー」
桐子が静に触れたままということは、静が声に出して説教が可能という状況である。まあこの状況では、マスクをつけたままでも説教を始めそうではあるが。こちらの方が異能による被害は出ないため安全であろう。松太郎の心の安全はともかくとして。
「なんでいつもこんな無茶するの?いくらすぐ治るからってここまでしなくてもいいでしょ?こう、市販薬とか」
「だって、売ってるやつだと大量に飲まされるし、オーバードーズっぽくなるし」
「たしかにオーバードーズは辛いけどさ、シンプルに今みたいにやばい体調不良になるのは見てるこっちも辛いんだよ?それに、市販薬は飲まなくてもいいからせめて何もしないで本当にやめて」
「ほら静だってオーバードーズは嫌なんだろ……何もしないのは長引くんだよ」
ところでさらっとオーバードーズをしたことがあるのが前提かのような会話が買わされているのだが、気のせいだろうか?湖上の認識が間違っていなければオーバードーズなんてやる機会が頻繁にあるものでもないと思うのだが。いや監獄の状況を考えれば有り得なくもないのだが。
「桐子ちゃんが破壊すれば済むってわけじゃないの、難しいねー」
「そうだねー」
「桐子ちゃんは全部破壊しちゃうから、異能薬物は効かないでしょ?だから、松太郎みたいな感じに薬は飲んでないの。松太郎の状態もよくわかんないや」
「俺もわかんないよ、ずっと外にいたし」
そしてこれからも、わかることは無いだろう。余程のことが無い限り。
「あー!もー!俺は松太郎の体を心配してるのにー!体大事にしてよー!」
「だって」
松太郎が湖上と桐子の方へ助けを求めるかのような視線をなげかけてくる。そんなことをされても困るだけなのだが。湖上にだって、大した助け舟は出せない。
「……症状の、程度によるんじゃない?」
「程度?」
「流石にただの風邪で使う必要は無いけど、発熱だとかには使っていいと思う。松太郎の言う通り、市販薬をオーバードーズレベルで飲むのも体に悪いでしょ」
「それは、そうだけど」
湖上が口添えできるのはこの程度だ。湖上には医学の専門的な知識はない、ただの素人判断しか行えず、口もさして立つ方ではないのだから。
「いいだろ?異能薬物の副作用は大したことないんだし」
「……まあ、たしかに目眩と頭痛と瞬間的に発熱時に近い状態になる時もある、ぐらいかもだけど」
「俺がオーバードーズしてんのも気分良くねーだろー?」
「それを言われると弱いんだよなあ……わかったよ、本当に酷い時だけだからね?」
どうやら、静の方が折れたらしい。一応これにて一件落着と言うべきか。
──結局、異能薬物を使って治した時どこまで酷くなるのか、正確なことは静に伝える気がないらしい。何故なのか、理由は定かではないが。
どこまで中身が幼子同然なのか、予測のつかない少年の碧い瞳を見やる。貸しひとつだ、と。




