以上をもって、救済とする
凍乃莉にはわからないことだが、湖上には何やらやらなくてはならない事があるらしい。見たことも無い不思議な物体をいくつも使いながら、湖上は部屋の中をガチャガチャと弄り倒している。
「……まあ、これで大丈夫でしょ」
湖上がそう呟いて、手を止める。どうやら仕事は終わったらしい。何をしていたのかは気になるが、凍乃莉が知る必要のないことだろうから首を突っ込むつもりは無い。ただ己のかあさまが凍乃莉に用事があるのならば、それを遂行するまでである。
湖上の部屋に招かれた凍乃莉は、ベッドを背もたれに床にちょこんと座っている。その隣に、湖上も座った。てっきり彼は椅子に座ると思ったのだが。彼自身が思うほど、彼の心情は単純ではないのかもしれない。
「で。結局、どこまで知ってるの?」
「なにもかも──って言ったら怒るです?」
主語が抜けた話題。それでも意味は通るので問題は無い。彼が聞いているのは、単なる確認だ。
凍乃莉は名前も知らず、今は湖上だけが名前を知るあの少女の持つ、湖上麗という少年にまつわる知識を。彼女がどこまで持ち合わせているのか、という話だ。
「あー……」
「やっぱり嫌です?」
「いや、凍乃莉に怒ってるわけじゃないよ。ただその、覚悟はしてても実際に聞かされるとさあ、こう、思いのほかダメージがでかくて」
「そういうものです?」
呻きながら湖上が顔を覆う。やはり彼にとって、凍乃莉があの少女の知識を持ち合わせていることは厄介らしい。彼からすれば、凍乃莉が持つものがあくまで知識であって、そこに思いは介入しない事も引っかかるのかもしれないが。結局それは、凍乃莉にはどうにもできない事だ。
「でもワテクシだって最初少し驚いたです。だって、いちばん鮮明に残っている記憶が……知識が、あなたの事だったです。かあさまの両親でも、それ以外でも無かったです」
「それだけ恨まれてたってこと……?うわあ、それはそれでショック」
凍乃莉としては慰めのつもりでかけた言葉だったのだが、彼からすればそうでは無かったらしい。さらに体を丸めていく。
「わ、ワテクシはかあさまを悲しませたいわけじゃないです!」
「いや、どう考えたってそれは追い討ちかけに来てるって」
「違うです!う、上手く言えないです、でも、かあさまはあなたを恨んでたわけじゃないです。だって!」
叫ぶ。これを言ってしまっていいのかはわからないけれど。でも、言わなくてはかあさまが悲しんだままだと思ったから。少女は口にしたのだ。
「かあさまにとって、あなたは心残りです!だからワテクシが生まれたです!かあさまの役に立つためです!」
「……へ?」
「そもそもあなたはおかしいと思わないです!?だって本当に存在すらも消し去ってただ死のうとしてただけなら、ワテクシが生まれた直後に死ぬような生命にでもすればよかったはずです!でも、ワテクシはS-2-6として誕生したです。こうして今も生きているです!それこそが最大の証拠です!」
湖上が目を大きく見開く。信じられない、と顔に書いてあるかのようだった。
「こ、こんなところにいたらどうせすぐ死ぬから、とかじゃなくて?」
「だったら身体強化系異能者を作り出せばいいだけです。そしたら一瞬で死ねるです」
「……そう、だね?」
「そうです」
「でも、だからと言って俺の為って」
「逆に聞くです、かあさまがただの理想の具現としてワテクシを造ると思うです?かあさまは理想を己だと信じれるタイプです?──そもそも、いじめられっ子だったかあさまに、まともな味方があなた以外いないです」
「いや、親とか」
「親が信用できないのはむしろあなたです?」
やっと彼が黙りこくる。凍乃莉とは違う黒い瞳が戸惑うように揺れていて。自分よりも長く生きているのに、迷子の子供みたいな眼差しを凍乃莉に向けた。
「……信じて、いいの?」
「むしろ信じてです。でなくてはかあさまが報われないです」
「ほん、とに?」
「本当です。頭からつま先まで全て、ワテクシはあなたの為に造られたです。あなたの為を思ってかあさまが作り出した、例外的な同族を失うことになったあなたへの、絶対的な味方です」
湖上の瞳をしっかりと見つめる。そうだ、そもそも凍乃莉がここに居て、湖上を慕っていることそのものが答えなのだ。
たしかにあの少女は自死を願った。湖上に救われようとも、結局それは変わらなかったから。しかし、全く変化が無かったわけではないのだ。自分を救ってくれた湖上への、自分以外の存在への情を。たしかに、抱くことができた。
だから少女は願ったのだ。たったひとりだけの、自分の味方になってくれた少年の安寧を。そうして凍乃莉は生まれたのだ。ひとりぼっちの彼に向けた、己の代替以上となりうる味方として。
「俺、あの子の事救っちゃったのに、救えなくて、無意味で──それでも、君をここに遺せるぐらいには、できたの?」
結局は異能によって作られた生命体に過ぎない凍乃莉には不可能であろう、複雑な表情を浮かべる湖上に。かける言葉は決まっている。
「できたです」
可能な限りの力強さを持って、凍乃莉は断じる。あの少女が生み出した絶対的な味方として、湖上を肯定する。己を捨て去ろうとした少女に、全てを捨てさせなかったこと。それは、誇るべきものであると凍乃莉は信じている。
「……そっかぁ」
ぐしゃりと顔をゆがめて。彼は、いびつな安堵の笑みを浮かべる。
結局の所彼にとっては、凍乃莉が生まれてしまった時点で彼女を完全に救えた訳では無いのだろうし。忘却という死を教え、実行させてしまったことは己のせいだと責めるのをやめることはないのだろうけど。どうやら、この事実は彼への救いになったらしい。
本当に大切な物を救えなかった彼にとっては。不完全な代償行為すらも、傷をなめてくれるらしい。
「それなら、良かったのかなあ」
「良かったです!だってワテクシがこうしてかあさまに会えてるです、ハッピーエンドです!」
凍乃莉は努めて明るく笑う。湖上があくまでその瞳に映しているのは、凍乃莉を通して見た彼女のかあさまであることなんてわかりきっている。それなのに、それについて考えてしまうと、なぜだか少し胸が痛んでしまうから。今は考えないことにしよう。表面上のハッピーエンドを謳歌しよう。
「……ありがとう」
「どういたしましてですー!」
お礼に返事を返して、暫く。湖上が突然、声を上げる。
「……って、あー!」
「どうしたです?」
「かあさまって、そういう!」
「ワテクシ最初っからかあさまはかあさまって言ってるです」
「いやこれは無茶だってわかんないってー!」
湖上がそのままわーわーと騒いでいるが、凍乃莉からすれば不思議でたまらなかった。だって、人間は己の生誕に必要不可欠な人間を親と、かあさまと呼ぶのだろう?だから凍乃莉もそれに倣い、かあさまの命を救い、かあさまが己を生み出す理由になった人をかあさまと呼んでいるだけなのに。
■
「結局、かあさまは桐子のことどう思ってるです?」
一通り湖上麗がかあさま呼びを抗議し終えたと判断したのだろう。凍乃莉が突然、そのようなことを切り出してきた。
「どうっ、て」
「好きです?嫌いです?」
凍乃莉は端的に問いかける。。彼女からすれば、己が味方すべき人間が抱く好悪感情を把握したいだけなのだろう。特にあの少女の記憶から判断すれば、そう考えてもおかしくはない。
「……さあ、どうだろう」
それでも湖上は、正確な答えを伝える気になれなかった。
……我ながら、白々しいと思ったが。己の声が明確な答えを口にするのを、他でもない湖上自身が聞きたくなかったのだ。




