少女願いて曰く-4
「かあさまー!遅いですー!」
「ごめんって」
可愛らしく頬を膨らませた少女が、またくっつき虫になってしまった。……いや本当に、何故ここまで好かれているのだろうか?不可解すぎる。
「ねえ!佐藤……だっけ?おねーちゃんは桐子ちゃんのおねーちゃんだからね!わかってる!?」
「どうでもいいです」
「どうでもよくなーいー!」
「お、落ち着いて、二人とも」
また少女が桐子に喧嘩を売りに行ってしまった。松太郎といる時も些細な言い争いが絶えない桐子だが、この少女相手だと更に加速してしまうようだ。正直、湖上には手に負えない気がしてきたのだが、誰か代わってくれないだろうか。
「かあさまー!ワテクシ、こんなちっこいのどーでもいいです!そんなことよりワテクシとお話すーるーでーすー!」
「桐子ちゃんには桐子ちゃんってお名前があるんだけどー!?」
「ワテクシ、ちっこいのがおまえのことなんて一言も言ってないです!」
「むー!?」
「あはは……俺、飲み物取ってくるね」
とはいえ代わりの人員なんてそう簡単に見つかるはずもなく。故に湖上は、単純な手段として一時的にその場から逃れようとした。
「ワテクシもついてくです!」
「桐子ちゃんもー!」
まあ秒速で失敗したのだが。二人揃ってちょこちょこと湖上の後ろを着いてくる。その様子だけならばかわいらしいが、当事者にはなりたくなかった。
なおそこまでして何故遅れを取りたくないのか。何について遅れを取りたくないかは考えたくないので思考を放棄した。
「俺、ミニキッチンにインスタントコーヒー作りに行くんだけど。桐子ちゃんは自販機行った方がいいんじゃないの?」
「……の、飲むもん」
「ワテクシ知ってるです!自販機に缶コーヒーってのがあるです!」
「缶コーヒーは缶コーヒーって名前の飲み物であって、コーヒーとはまた別物かなあ」
「そ、そうです!?」
「あれ甘いんだよ。だから俺は1人でミニキッチン行ってくるから、二人で自販機行っておいで」
「……桐子ちゃん、自販機行く」
「子供扱いしないで欲しいです!ワテクシはコーヒー飲めるです!」
「本当に?」
湖上が再度問いかける。うぐぐ、と暫く考え込む素振りを見せた後、意を決した様子で少女は言葉を口にする。
「飲めるです!かあさまについてくです!」
「と、桐子ちゃんも!」
「無理しなくていいからね!?桐子ちゃん本当に飲めないでしょ!?」
あげは曰く、コーヒー牛乳も飲めないらしい桐子が普通のコーヒーを飲めるとは思えない。湖上が慌てて止めると、流石に桐子本人も厳しいことがわかっていたらしい。大人しくとぼとぼと、自販機の方へと向かっていった。
その小さな背に、なんとなく哀愁が漂っているように見える。なんとなく哀れだが、苦手な物を無理矢理飲むよりはマシだろう。
「邪魔者はいなくなったです!行くです!」
「んー桐子ちゃんを邪魔者呼ばわりはやめておこうねー」
「どうしてです?だってあいつはワテクシとかあさまを離そうとするです。邪魔です!」
「いや君にとってはそうなのかもしれないけど……俺にとってはそうじゃないかもしれないよ?」
「?逆に聞くです。かあさまにとってあのちっこいのは邪魔じゃないです?」
「いやーそんなこと」
ミニキッチンへと足を踏み入れ、インスタントコーヒーを手にかけた時。投げかけられた問いに反応して振り返り、余りにも澄み切った疑うことを知らない眼を見てしまった。
湖上の言葉が喉奥に留められる。……今、自分は何を言おうとした?背筋がすっと冷え切る。いくら会話の流れとはいえ、それは──それは、気持ち悪い。
「どうしたです?ワテクシ、かあさまを困らせてしまったです?」
「……え、あ、う、ううん。大丈夫だよ。それよりも、他人に向かってそんなひどい言葉使っちゃだめだよ」
「事実なのにだめです?」
「だめ。人間は、そういう事は時と場合を選んで然るべき相手にだけ使うものだから」
「人間、面倒です」
少女がぶすくれたようにそっぽを向く。……まあ、湖上の知っている彼女の創造主は、控えめに言って毒舌吐きかつ会話内容の九割が愚痴と逆ギレだった為、少女のそれはかわいいものと言えなくはないのだが。比較基準が底辺なだけだろう。
「……一応二人分作ってるけどさ、本当に飲めるの?」
「の、飲めるです。大丈夫です!」
抽出された黒い液体に、少女が若干顔をひきつらせながら言う。……逆に砂糖とミルクを入れずに、早々にリタイアさせた方が残飯処理が楽かもしれない。この少女は、コーヒーにそれらを入れる事を知らなくてもおかしくはないのだから。
「えっと、たしかお砂糖と牛乳を入れると甘くなるです、入れるです!」
「そうだねー」
目論見失敗。最近こういうことが多い気がする。ちょこちょこと少女が動き、それらを探しているのを眺めながら。これもうコーヒーとは呼べないだろレベルに入れてしまえば飲むだろう、という投げやりな思考へと行き着いていた。
「できたですー!でも、かあさまはこんなちょっとでいいです?」
「うん」
別にこれはカフェインの摂取の為に飲む訳では無いので、少しぐらいはミルクを入れる。ブラックはブラックで良いものだが、たまにはこういうのも悪くは無い。出来上がったコーヒーやらなんやらを運びながら、ラウンジに戻ったのだが。
「おねーちゃん達おーそーいー!」
「しょうがないです!ちっこいのとは違ってかあさまとワテクシは作ってたです。ボタン押しただけの分際に言われたくないです」
「むー!」
「だから積極的に喧嘩売らないでよ!」
どうして湖上一人で年下と年下(実年齢は年上)の喧嘩を止めなくてはならないのか!誰か助けて欲しい。湖上の手には余る。
具体的にはS2側の人材として有明がいて欲しいが……彼女も大概ボケ側な気がする。そうなるとやはりあげはか。いやあげはは面倒くさがって湖上を見捨てそうだ。
「……お、おおおいしいです」
「無理しなくていいからね?シュガースティックとミルクも持ってきたから」
「ジュースおいしー!」
湖上が机の上にそれらを転がしている間にも、今度は桐子が少女を煽っている。だから何故そうも仲が悪いのか。少女があからさまに苦味に顔を歪めているのだから、少しは放っておいてあげようとかいう慈悲は無いのか。……無いからこうなっているのだろうな。
「かあさま!ワテクシはコーヒーが飲めるです!」
「そうだねー」
「で、でもたまにでいいです。ワテクシ、大人だからたまに飲むがいいです」
「苦いから飲めないだけでしょ」
「チャレンジすらしてないやつに言われたくないです」
「はー!?」
放置してこの場から逃げ出したい、と何度目かの欲求が沸き上がる。しかし現実はどうしようもない。逃げようとしても追われるだけだろう。
「飲めないってわかってるから飲むのやめるってできる方が大人だと思うんだけどー!?」
「えっ、そうです?かあさま」
「えっ……まあ自己判断できる方が大人ってのは、間違ってないんじゃないのかなー」
「ほらー!あなたのかあさまがこう言ってるんだから、桐子ちゃんのが大人ー!」
「かあさまがそう言うのなら、認めるです」
妙な沈黙を挟んでいるが、いつも通りの主張を桐子が行う。それに対し少女は妙にあっさりとしていた。自分の発言に、そこまでの影響力は無いと思っているのだが。この少女にとっては違うのかもしれない。なにせ、彼女にとって自分は「かあさま」らしいのだから。
「……かあさま。ワテクシ、欲しいものがあるです」
しばらくそのまま和やか……和やか?に談笑していたのだが。少女が突然、予兆もなく場の空気を読まず神妙に口を開く。
それは、今までの調子とは違い妙に切実そうで。似合わない真剣な少女のまなざしに、さしもの桐子も口を噤んだ。
「なにが、欲しいの?」
この少女に、湖上が与えられるものがあるとも思えないが。それでもできる限り穏やかに、問いかける。湖上の柔らかい態度を見ても未だ安心できないのか、緊張した面持ちのまま少女は口を開く。
「……名前が、欲しいです」
名を捨てた──親から名を与えられなかった少女が、懇願する。鋭いはずの水色の瞳を不安げに揺らす。薄い唇とその中の舌を不格好に震えさせて、それでも少女は願う。
「人間は、生まれた時に親から名を授かるそうです。でも、ワテクシはもらえなかったです。だから」
「ワテクシに名前を、ください、です」
名無しの少女は、そう言って残酷な言葉を口にする。きっと世界でただ1人だけになってしまった、■■■■の名を呼べる者に。名が、欲しいと。




