少女願いて曰く-1
「おねーちゃんっ!」
「桐子ちゃん」
ぴょこ、と曲がり角から白い少女が顔を出す。包帯の下の赤い瞳が、きらきらと輝きながら湖上を見ていた。
「おねーちゃんも実験帰りー?」
「そうだよ」
「じゃあ桐子ちゃんと一緒だねー!」
そんな会話を交わしながら、中央棟の廊下を二人で歩いていく。現在のような状況は特段珍しいわけでもなく、それなりに起こる話である。この場所が行う実験はものにもよるが、概ね便宜上の時間割りに則って行われているのだ。故に湖上達以外にも、実験帰りらしい者達がちらほら歩いている。
「今日飲んだお薬ねー、すっごく苦かったの」
「そっか。大変だったね」
「そう!お砂糖入れたりとか、練乳に混ぜてみるとか、もうちょっと甘く出来ないのー!?って言っても無理ですしか言わないしー!」
「……薬って、変に練乳とかに混ぜたらかえって苦味が際立たない?」
「大丈夫!い~っぱいかけるもん!」
湖上の脳裏に練乳:薬=9:1、という最悪の絵面が思い浮かぶ。絶対に口にしたくない。そんなものを食べるぐらいならば、コーラで錠剤を十錠一気に呷るとかの方がまだマシと思うのは湖上だけだろうか?
「おねーちゃんはそういうのないのー?」
「うーん……一度に沢山錠剤を飲むのはやっぱり大変かなあ。でも、だからと言って液状のものを大量に飲まされるのも辛いよね」
「だよねー。桐子ちゃんもそれは嫌ー!」
話しているうちに、湖上と桐子はI配属の教室へと辿り着く。湖上達を感知した自動ドアが、いつものように無音で開いた。
「あら、お帰りなさい」
「ただいまー!」
「ただいま」
『おかえりー』
初と静からそれぞれ反応が返ってくる。それ以外の面々は、各々好き勝手にしているようだった。あげはが端末を眺めていたり、松太郎が眠っている樹懸をつっついていたり、いつものように暗之雲が絵筆を振るっていたり。
「お薬、すっごく苦かったのー!」
「あらあら」
「あんたいい加減慣れなさいよ。何年ここにいるのよ」
「無理なものは無理なのー!」
何気なく湖上の隣に座った桐子が、他の面々にも薬が苦かったとこぼしている。それに対しあげはが、相変わらず素っ気ない態度をとっていた。
「あげはちゃん。誰だって苦手なものは苦手なのよ?」
「それにしたって、毎回騒ぐからうっさいって言ってんの」
「なーなー、起きねーの?」
「……」
後ろを振り返れば、未だ眠りこけている樹懸の頬を松太郎が指で押し込んでいる。……ここまで好き勝手されても起きないということは、相当深く眠っているのだろう。あの、かの高名な顔にペンで落書きするやつ、とやらをやっても大丈夫なのではなかろうか。まあ肝心のペンを持っていないのでやれないのだが。
「……あれ?」
今この場には、I配属の面々が全員集合しているというのに。何故か自動ドアが、いつもの調子で音もなく開いた。連絡の殆どを研究員は端末で行っているし、形式上とはいえ現在は授業中の為、他に訪ねてくる人がいるとは思えないのだが。なんて、思考を回す時間すら、湖上には与えられなかった。
何せドアが開いた途端──目にも留まらぬ速さで、水色の塊が飛び出してきたのだから。
「っ!?」
「見つけたです!」
水色と青が入り交じったメッシュのショートボブの、湖上よりは少し年下かといった風貌の少女が、勢いよく湖上に抱き着いた。髪と同じく水色の瞳を爛々と輝かせながらこちらを見つめて、口を開く。
「会いたかったです!かあさま!」
親との再会を無邪気に喜ぶ子供のように。まるで場にそぐわない言葉を、彼女は言った。
かあさま。なるほど世間一般的には母親を指す言葉である。ところで誰のことだろうか。かあさまと呼ばれるべき人が、この場にいるとは思えないのだがか?混乱する湖上を他所に、少女は一人熱を上げていく。
「ずっと、ずーっと探してたです!近くにいるのなら言って欲しかったです!これからはずーっと二人で居られるです!ワテクシは嬉しいです!」
そう言って、そのまますりすりと頬を湖上の腹に押し付けてくる少女に。湖上の混乱は最高潮を迎えた。つまり。
「……お、おおお俺は産んでないよ!?」
「そもそもおねーちゃん子供産めないでしょ」
とんでもない発言をしてしまっても、仕方が無いと思う。ここぞとばかりに桐子が冷静にツッコミに回っているのは何となく少し癪に障るけれど。
「?そうです。でも、かあさまはかあさまです」
「お、俺子育てとかした事ない!……ないよね?」
「無いでしょ。ついに頭が手遅れになったの?てかそいつ、あんたの知り合いじゃないの?あんたの交友関係やばそうだし、こんなのが一人ぐらい紛れててもおかしくないでしょ」
「俺なんだと思われてるの?!」
「……うっせえな。寝てるんだけど」
さりげなくあげはに酷いディスり方をされていたり、樹懸が睡眠妨害を訴えているが、放置。そんなことより今はこの少女を引き剥がす方が重要で……
「力つよ?!」
「ワテクシはすごいからです!」
「そっかー!とりあえずお、俺から!離れて!」
「嫌です!もっとかあさまにくっつきたいです!」
少女が更に湖上に抱きつく腕の力を強めていく。どう考えても華奢な少女が出して良い筋力では無い。つまりなんらかの身体強化系の異能なのだろう。ちらりと見えた肩には、Sの文字を戴いていたようだし。
「……ねえ」
「どうしたです?白くてちっこいです」
「おねーちゃんは桐子ちゃんのおねーちゃんだよ!?」
中々にひどい形容詞で桐子を表した少女に、これまた的外れなツッコミが重ねられてしまった。先程は唐突に真人間側へ回っていたというのに。やはりボケに回るというのか。
「そうなんだです。でもかあさまはワテクシのかあさまです」
「おねーちゃんは桐子ちゃんのおねーちゃんだから、あなたのお母さんじゃないのー!」
「なんで俺が桐子ちゃんの姉ってのが前提なの!?」
桐子も少女も、完全に平行線で口喧嘩が始まってしまう。なお、少女は湖上にくっついたままとする。どうして離してくれないのか、そもそも少女は何者なのか。まるで何も分からない。
「ていうか誰か助けてよ!」
「だからかあさまはかあさまです」
「おねーちゃんは子供いないのー!」
「めんどくさい」
「……寝かせろって言ってるだろ。つか、このアホを止めろ」
「アホじゃねーし!」
振り返りもせずあげはと樹懸からはすげない返事をされた。しかし、初には届いてくれたらしい。初が、こちらに近寄ってくれたのだ。
「……佐藤ちゃん、であってたかしら」
どうやら初は、彼女のことを知っていたらしい。その名に反応した少女が、初へと顔を向けた。
「?ワテクシは佐藤って呼ばれてるです。でも今忙しいです。ちっこいのがかあさまは自分の姉って言ってるです。おかしいです。だってかあさまは男性です」
「あなたがそれ言うの!?」
「?かあさまは男性でかあさまです。普通です。おかしいのはちっこいのです」
「違うよー!?」
己の立場を全力で棚に上げた少女によって、まるで噛み合わない会話が交わされる。どうしてこんなややこしい話題の渦中に自分がいるのか、これが分からない。ここまでがっつり抱きつかれていなければ、逃げていたのだが。
ところで、湖上よりは確実に年下とはいえ、比較的年齢の近い少女に密着されているという状況を誰かどうにかしてくれないだろうか。湖上だってこんな姿でも一応立派な十代男子なのだが?
「佐藤ちゃん。麗ちゃんが困ってるから、離してあげて」
「……れい?かあさまのことです?」
「な、名前も知らないのにかあさまって言ってたの!?自分のかあさま?なら名前ぐらい知ってるでしょー!?」
「名前を知らなくてもかあさまはかあさまです。当たり前です。何を言ってるです?」
「……麗ちゃん、佐藤ちゃんと知り合いなの?」
「いやそんなことはないけど。知り合いの知り合いとかすら、こんな子いないと思う」
少なくとも湖上には、自分とさして歳の変わらぬ少女に母親と呼ばれるような心当たりは無かった。あるわけが無い。正真正銘、少女と湖上は初対面のはずである。
しかし、その否定は少女にとっては気に食わないものであったらしい。一気に腕に込められた力が強くなった。
「痛い痛い痛い!」
「かあさまひどいです!たしかにワテクシはかあさまには初めて会うです。でも、それでもかあさまはかあさまです!」
ギリギリと肋骨的なものが悲鳴をあげている気がする。が、そんなことはお構い無しに……むしろ、気にする暇すら無い素振りで、少女は湖上に訴える。その様は、発言内容が矛盾していようとも、冗談と一蹴するには余りにも切実で。
「初は、この子のこと知ってるの?」
「佐藤ちゃんが監獄にやってきた時、色々あったの。そこに幻想生命化の子が関わっていたから、ちょっとだけ話は聞いたことあるんだけれど──」
そう、初が口を開いた時。
「いぎゃああああああああああああ!?!?」
威勢の良い悲鳴が、教室内に響いた。
「お、おおおおおおお化け!?」
「……ごめんね松太郎。俺には何も見えないから、なんとなく居そうなとこの重力を強くすることしかできないや」
「うっわマジで幽霊じゃん……」
「っひ」
松太郎が涙目で静にしがみついている。あげはも少しだけ目を見開いていて、そして聞き間違いでなければ樹懸が悲鳴を飲み込んだ気がした。その三人の視線はある一点を見ているが……湖上には静が言うように、何かがいるようには見えない。
「な、なんで浮いてんだよ透けてんだよ足ないんだよやめろよおおおおおおお!」
「『お化けのアイデンティティ全部失えってか』って大分愉快ね、こいつ。幽霊ってこんなんなの?」
「あげは、位置教えて。仕留めるから」
「いややめなさいよ。いくらあんただからって……ていうかだめでしょ、普通に考えて」
「お、お化け……!?お化けがいるの!?見えないよ!?」
「ワテクシはかあさまを探してただけです!悪くないです!人間はかあさまに会いたいものです!」
湖上には姿の見えないお化け、とやらのせいでどんどん場の収集がつかなくなっていく。
見えない者は湖上、静、桐子、といったところか。共通点が見えそうで見えない。などと湖上がかえって冷静に思考している間にも、静がマスクを外して話すせいでただでさえ制御ができていないらしい異能により、教室内に惨事が起こりつつあるのもあり、騒がしさは増していく。
「あら、化野ちゃん。やっぱり灯乃ちゃんに言われて探してたの?お疲れ様」
そんな中、初がただ一人、あまりにも通常運転でお化けに対応してるせいで、妙にその場から浮いていた。
本編に入り切らなかった補足
暗之雲は見えてないので何してんだこいつら、と思っている。




