残響-2
ここ数日、悠堂游は視線を感じていた。
悠堂の異能は分類上こそ幻想生命化に類するとはいえ、具体的な力としては知覚系としての側面が強い。故に、実のところその視線を向けてきているのが誰なのか、悠堂は予測どころか完全に特定している。視線を向けてくる相手も知覚系なのだから、向こうも悠堂が気がついていることはわかっているだろうに。一体何がしたいのだろうか。
だがしかし、それを言い出せるほど悠堂の精神は強靭では無かった。あの日、あの時。面白半分で手を出してしまった餡条械の素顔は、憎たらしい程『あの時』のままで。
それを思い出してしまうと、自分から奴の視線に応じることなぞできる訳が無かった。今もなお時折フラッシュバックする『あの時』の記憶は、悠堂にとってひどく強烈なものだったのだから。
しかしだからといって、教室と自室にいる時以外、常時視線を感じるというのは普通に居心地が悪い。自分は彼にもう用は無いというのに、一体何がしたいというのか。もし何かあるならいっそのこと一思いにやって欲しい。さりとて、自分から声をかえることも悠堂にはできない。直情的な思考と歪んで捻れた自尊心の狭間で頭を抱えながら、彼は今日もこの案件を保留にしていた。
諸々を放置した上でいつものように、端末を流し見しながら片手間に食べ物を口に運ぶ。そうしていつもの通り皿を空にして、食堂を後にしようと席を立ったその時。
「すみません、悠堂游さんですよね」
突然、聞き覚えのない声をかけられた。見上げると、いかにもインテリじみた四角フレーム眼鏡をかけた青年がそこにいる。こんな所ではなければ委員長タイプ、とでも称されていそうな男だ。
はて、何故こいつは自分に声をかけてきたのだろうか?疑問に思った悠堂は意図的にうっすらと異能を開く。流れ込んできたのは識檻家、夢、寝台に伏す童女、裏切り、N配属──
「弁解しておきますが、これは確定事象であるので私は悪くないです。文句は宵姫に言ってください」
「は?」
礼儀正しいその言葉を制する間もなく、悠堂の小柄な体の両脇に手を入れられ、スッと持ち上げられた。そしてそのまま、悠堂を抱えて食堂を後にしようとする。
「おいなんなんだよ突然!離せ!」
「私だって好き好んでこのような事をしているわけではありません。どうせ遅かれ早かれこうなるのですから、抵抗するだけ無駄かと」
「だから、どういうことだっての!?」
相も変わらず平坦な調子で彼は答えつつ、悠堂を抱え食堂から出ていく。どうにか脱出しようとじたばたともがくも、薬物で筋力が低下したこの体ではろくな抵抗ができない。
……というか、何故だか宵姫、という名前に対しどうにも嫌な印象を拭い切れないのだが。故に答えを探る為、首を限界まで回して前髪越しに男を睨みつけ覚る。そして、目当ての情報を得た悠堂は口を開いた。
「くっそお前宵姫ってあんの未来予知のガキかよ!マジで逃れられないじゃねえか!?」
「ですから、諦めてくださいと」
「嫌だまだ諦めるような時間じゃ無え!」
「手遅れかと」
「ちっ」
異能によると、こいつの名前は識檻唯継というらしい。曰く、他人の夢を見る異能を持っているとか。その関係で予知夢を見る宵姫と親しくしているようである。そしてこの奇行も、件の少女の夢が関係しているようだった。
一体S3の眠り姫は何を予知したというのか。道行は、進めば進むほど嫌な予感を増長させていくばかりで。こういう時力任せに抜け出すことが不可能な自分の体格への恨みが募る。
「着きましたよ」
識檻が穏やかに告げる。彼が悠堂を運んだ先は、先日悠堂が無理矢理押しかけた餡条の部屋だった。やっと識檻の腕から降ろされた悠堂は、半眼で状況を把握する。
「ちょ、ちょちょちょ宵姫ちゃん!?お、俺悠堂くんを呼ぶなんて聞いてないんだけど!?」
「うん。言ってないから」
「報連相はしっかりやろうって俺言ったよねー!?」
「識檻はわたしが餡条にことの概要を伝えてなかったって。見たものの通りに行動するべきだもの」
部屋の中では件の眠り姫こと宵姫が眠たげな様子を隠そうともせずちょこんと居座っており、それに対し餡条がわざとらしく調子を乱す素振りを見せいていた。それだけならば愉快だったのだが、先日の一件と相殺することは叶わず、悠堂の溜飲は下がらない。
「宵姫。悠堂さんは連れてきましたから、もうこれで寝ていいですか」
「いいよ」
「よ、宵姫ちゃんもだけど識檻くん!?この状況に俺置いてくつもりー!?」
「そのつもり」
「諦めてください、ここまで確定事象ですから」
「おい……俺を持ち上げてここまで運んできた件についての謝罪は……?」
悠堂が全力でドスをきかせた発言を鮮やかにスルーして、宵姫と識檻はそそくさと部屋を出ていった。残されたのはベッドに腰かけた餡条と、未だ室内の入口で立ちすくむ悠堂だけだ。
「……」
「……」
暫くそのまま、お互いに無言だった。しかし、いつまでも沈黙の均衡を保っているわけにはいかないと、少なくとも餡条は思ったらしく。
「あー……ちょっと待ってね。折りたたみ式の椅子があったはずだから」
「……わかりました」
ぼりぼりと頭を掻きながら立ち上がった餡条は、クローゼットの中から宣言通り椅子を一脚取り出す。そして各部屋に備え付けられたデスクの延長板を立ち上げ、椅子をセットした。仕方なく椅子に座ると、餡条がのろのろと簡易冷蔵庫に向かっていき、麦茶の入ったガラス瓶と品の良いマグカップを取って戻ってくる。とぽぽぽぽ、と妙に気の抜けた音と共に注がれた茶を渡され、餡条自身は備え付けの椅子に座った。
「えーと……その……ごめんね?」
「何に対しての謝罪かわかりませんが、自分のクラスの後輩ぐらい、ちゃんと教育してください」
「彼女は教室に滅多に来れなくて、異能の都合上接触が多い識檻くんに世話を任せがちでね……正直どうしようもないというか」
「使えないですね」
「うう……」
内心ガクガクだが、何とか言葉を返せている。相も変わらず、土壇場で取り繕うことだけは一人前らしい、と自嘲する。ああ、だからこそ『あの時』平静を装うことはできてしまっていたのだから。……その後のことはもう、考えたくもないけれど。
「それで、俺はアンタに対して全く用が無いんですが?早く帰りたいんですけど」
「うっ……悠堂くん、やっぱ俺に対して当たり強くなーい……?」
「さあ、どうでしょうね」
「否定もしないか。うー……あー、もう」
あの餡条が決まりが悪そうに呻いている、それもたかが自分如きに対して。それを思うと仄暗い感情が沸々と沸いてきたが、やはり先日の件が脳裏を霞める。すると、そんな気持ちもまるで幻だったかのように霧散してしまった。本当にムカつく野郎である。せめて素直に愉悦に浸らせてほしい、そんな身勝手な感情を、好き勝手に抱いていた悠堂に。
「ごめんっ!悠堂くん!この前はあんなみっともない姿見せちゃって!」
ぱん、と手を勢いよく合わせて。懇願するような姿勢で。あいつは、餡条械はよりにもよってそうほざいた。
「は?」
嫌な予感がする。いや、既に可能性としては脳裏の片隅にあった気がするが、全力で目をそらしていた最悪のパターンを、今こいつは実行しようとしているような。思わずこぼれた声は、震えていなかっただろうか。どす黒い感情が、滲み出てはいなかっただろうか。
「いやーその、焦っちゃうとどうにもいけないよね。あんなきっついこと言っちゃって。悠堂くんもびっくりしちゃったでしょ?普段はこうは──」
「ふざけるな」
気が付いた時には悠堂は立ち上がり、餡条に詰め寄っていた。襟首を掴み、自分の側へと引き寄せる。今の餡条にとっての目と同義である、ヘッドセットに組み込まれた無機質なレンズがこちらを見つめている。そこに感情はないはずなのに、何故だか戸惑っているように見えた。
「お前はあれを忘れたってのかよ?!俺はこんなにも苦しんで、辛くて、憎んで、やっとこさ立ち直れたと思った時には俺の額には三つ目の眼があって!俺の人生をぶっ壊したのはお前だろ?!他人の触れられたくない所を土足で踏みつぶして、馬鹿にして、その上でああ誰だっけ?しらばっくれるのも程々にしろよ?!」
「ちょ、ま」
「俺たちの界隈における百年に一度の秀才、いや天才。文武両道才色兼備の体現者サマが、まっさか覚えていないなんて。そんなゴミクズみたいな記憶力をお持ちなわけではないでしょうしぃ!?」
「お前、まさか」
「ああもしかして、俺みたいな凡人のことなんぞそんな天才サマの眼中には最初から入ってなかったと?俺だけがお前を見ていたと?お前はそう言っているのか、俺をそこまで無様な阿呆だと嘲笑いたいのか餡条械!」
途中から自分が何を言っているのかわからなかった。積年の恨みと悔恨を、黒くてドロドロしたかつての青春を叩きつけていたのだけは確かだったけれど。途中から両の目から何かが零れ落ちていた気もするけれど。そんなことすら、今の悠堂には知覚できなかった。
「ああそうだろうなお前からすりゃ俺なんぞ塵にも等しいだろうよ、だがそれでも俺がぶっ壊れたのは事実なんだ、この恨みも、この苦しみも本当のモンだ。だったら俺にだってこうして恨みをぶつける権利はあるはずだ、それを単なる努力不足だと、嘲笑と共に切り捨てるのが天才サマの役目だろ!?」
「……」
「ほうら、ここまで凡人のひがみを受けて何か無いのかよクソ野郎が!」
「……いや、俺だって俺が嫌いだからね。受け止めるしかないよ」
ぞっとするほど冷たいその声に、思考回路が凍り付いた。声音自体は昔の餡条とは比べ物にもならないぐらい柔らかいというのに、言葉の重みは遥かに増していて。静かに、されど確かな意思をもって彼は告げる。
「残念ながら俺は、君のことなんかまったく覚えてないよ。だってそんな人いっぱいいるし、むしろそんな人しかいなかったし。いちいち覚えてたらやってられないからね……大丈夫だよ、俺だって、そんなこと考えてる俺がめちゃくちゃ気持ち悪いから」
「……」
「大した欠点も無い完璧超人で?クールな合理主義者……本当、なんの漫画の主人公だよって話だ。そんなのさ、現実には必要ないんだよ。いても悠堂くんみたいに、被害者を産むだけだし。むしろ俺からすればね、今の方がよっぽど正しいと思うよ
「……」
「五感を奪われて、知覚できる全てを機械越しのそれに置き換えられて。ほら、欠点だらけでしょ?人間なんて、それぐらいでちょうどいいんだよ。完璧超人の主人公野郎は死んで、今ここにいるのは単なる一般人。誰も苦しむことはなくなったんだから」
「……」
絶句していた。
きっと、この阿呆は気が付いていないのだろう。いや、気が付くことさえ許されぬまま、この監獄で無様にのたれ死んでいくのだろう。だって、その考えは。いっそ笑えるほどに徹底的な思考回路は。
餡条械が嫌悪する、主人公そのものだろうに。
自分で自分が嫌いだと語るこの男は、どうしようもなくその嫌いな自分から逃れることはできないのだ。自分を嫌っている自分もまた嫌いな自分であり、変わることは許されない。最初感じた愉悦も哀れみも何も間違っていなかった。この男は正しく、地獄に堕ちてきたのだから。自分と、同じところまで。
「……アンタ、哀れですね」
「そう、なのかな」
「哀れで阿呆でみっともなくてどうしようもなくて、愉快です」
「そう、か」
「指差して、笑ってやりますよ」
くしゃり、と餡条は顔を歪めた。一色に塗り分けられない感情を湛えたその表情は、奇しくも餡条械にしては、人間らしく見えた。




