残響-1
「おい、餡条サン」
「……ええ、と。悠堂、くん?」
裾をちょいちょいと引っ張られ、振り返る。するとそこ(、同じS配属であるが、クラスは異なる少年がいた。長い前髪で目元を完全に覆っている小柄な彼は、たしか悠堂游とかいう名前だったはずだ。それで異能は──餡条械がそこまで思考を巡らせた辺りで、彼が再び口を開いた。
「寝てください」
「は?」
思わずきつい口調の音が漏れた。開口一番、大して関わりのない少年に言われたら誰だってこうなるだろう。なんだったら命令口調で言われているのだから、餡条の反応も不自然なものとは言えないはずだ。そもそも、どうして餡条に寝てほしいと思っているのだろう。特に関わりの無い同配属に、そのようなことを言う動機など無いはずだ。
「いいから、寝てください」
「え、だからなんで」
「アンタ立派に寝不足なんですよ、突然倒れられたらS3の奴らも困るでしょうし」
「……」
ものの見事に図星を突かれた。何故知っているのだ、と思考が焦る前に記憶が答えを指し示す。
思い出した。悠堂游、異能は妖怪サトリの幻想生命化──つまり、読まれたのか。いやしかし、サトリと称される妖怪は一般的に心を読むものでは無かったか?だというのに、どこから漏れた?……ああ、もしや「そもそも読心ですらない」のか。だとしたら厄介だ、心の底から相手をしたくない類だ。
「あーうん、わかったからさ?うん、寝る寝る」
「今すぐに、寝てください。今日はもう終業済みですから、仮眠程度でもいいので寝てください」
「はいはい、わかってるってー」
得体の知れない知覚系の異能者なぞ、やりづらいことこの上ない。しかしそれもまた一興か、などと考えながらも自室へと足を向ける。ぼうっと、脳に流し込まれる視覚情報を流し読みしながら廊下を歩き、自室の前にたどりつく。
……ヘッドセットの観測器が告げる、自身を追尾する動体反応はとても見なかったことにしたかったのだが。部屋の前までついてこられては、問い質すほかない。
「ねえ……なんでついてくるの?君の部屋こっちだったっけ」
「違いますね。ちゃんとアンタが眠ってくれるかどうか監視しとかないと。上っ面の言葉だけじゃあ信用できねえ」
「……なんでそんなに俺に構うのかなー?俺の記憶している限り、悠堂くんって他人にむやみやたらに構うタイプじゃなかったと思うんだけど。てかもしかしてその口ぶり、俺の部屋にまでついてくるつもり?」
「そのつもりですがなにか?そこまでしないとアンタ寝ないでしょう」
「はあ……」
ほとんど接触のない相手に、何もかもが見透かされていて落ち着かない。遠目から見ている彼の普段の行動からして、ろくすっぽ会話もしたことが無い他者の部屋に、入り込むような真似はしないという餡条の予測も、居心地の悪さに拍車をかけている。
暫くの逡巡の後、彼が退く気が無いことを悟った餡条はしぶしぶと扉を開けた。当然のようにその後を悠堂もついてくる。少しは遠慮をするとか無いのだろうか。
「他人がいるところで眠るの、好きじゃないんだけど」
「大丈夫ですよ、そんなことが気にならないぐらい今の餡条サンは疲れてますから」
遠回しに退出を要求してみるも、さらりと見当違いの答えを当たり前と言わんばかりに返してくる。
……なんだか妙な相手に絡まれてしまった、ということにしておこう。これ以上相手をすれば、無駄な体力を使うだけだと切り捨てる。とら早々に思考を切り替えた餡条は大人しくジャケットを脱ぎ、ネクタイを解いた。ヘアゴムを外せば、まとめていた髪もぱらぱらと肩へと落ちていく。申し訳程度にそれらを傍らにまとめると、そのまま布団の中へ潜り込んだ。
──本当に、眠るのは好きじゃないのに。
しかしそんな思考さえも一瞬で蒸散してしまうほど、あっけなく餡条の意識は夢の中へと落ちていく。寝不足というものは、特に最上級の睡眠薬として機能するのだから。
■
「……」
一瞬で眠り込んだ餡条を確認した悠堂游は、そっと餡条が常に身に着けているヘッドセットの電源を切り、取り外す。今の彼はそれだけで、悠堂が何をしても起きることができなくなる。
ヘッドセットの下にあるのは、悠堂にとっては見慣れた顔だ。すっと通った目鼻立ちに、それを彩る長い睫毛。監獄内でイケメンとして黄色い歓声を浴びている聖棺勇希に勝るとも劣らない美貌は、かつては数多の少女たちを虜にしたというのに。日頃の寝不足により目の下に隈をこさえて、しかしそれすらも分厚い機械の奥底に眠っている。いや、隠されているからこそ返って希少度は上がったのかもしれないが。そんな極上のかんばせを、今自分が独り占めしていると思うと、少し胸がすっとする。それこそが今一番重要な事だ。
天から二物どころか何もかもを与えられた、まさしく主人公みたいな男が、異能の副作用で五感を失い、悠堂と同じ地獄に堕ちてきたのだ。しかも、異能を使わないと五感が保てないが故に、寝ているときですら無意識に異能を発動してしまい、過剰使用で体調を崩してしまったらしい。
往時からは考えられない無様な有様を、たかが自分如きに指摘され動揺し、果ては目の前でこんな無防備な姿を晒すなど。これを愉快と言わず何と言おうか。口角が持ち上がることを自覚しつつも、取り繕う気はしなかった。
ふと、その額に手を当ててみる。それを左右に動かす動作を人は撫でると呼ぶが、こいつはそんな簡単なことすら実感することはもはや永遠に無いのだ。なんと哀れな生き物だろうか。
悠堂游は、こんな傍迷惑な力に目覚めたことを、初めて感謝した気がした。
「……ははっ」
かつての天才が、ただの秀才に過ぎなかった悠堂の手のひらで転がされている。その事実は、悠堂に仄暗い愉悦と少し油断をもたらすには十分だった。
どれぐらいの時間、そうしていたのだろうか。なんとなく端末を閉じたり開いたりを繰り返しているうちに、餡条が呻いた。どうやら目を覚ましたらしい。近寄って覗き込むと、焦点の合わない虚ろなチャコールグレーの瞳が眼窩に嵌っていた。その様が元来の作り物じみた美貌も相まって、等身大の精巧な人形のように見えて少しぞっとする。が、すぐに思い直した。額に目がある自分より、はるかにマシじゃないか、と。
暫く瞬きを繰り返していたその空虚な瞳をじいと見つめていると、不意に餡条が口を開いた。
「いるんだろう、悠堂」
清廉で、硬質で、相手のことを思いやる気が一ミリも感じられなくて。冷めきったその言葉は、それは悠堂がよく知る餡条械のものであった。その瞳には、当然のごとく悠堂は映っていない。
びくりと跳ねた体を取り繕おうとして、相手がそんなこと気付けもしないことに思い至る。そうだ、今こいつは余所行きの態度を装う余裕すらないのだ、と自身に言い聞かせた。そうでもしなければ、プレッシャーに壊れてしまいそうだったから。
忘れていたかった古傷が痛みを訴える。あの日あの時、自分を完膚なきまでに壊しやがったあの人が。目の前に、いる。何を忘れていた?何を勘違いしていた?
天才は死んでいない。五感を奪われ、代わりに歪な機械への感応を取り付けられても。それでもまだ、奴は──
「ヘッドセットをつけてくれないか」
上から目線の自信に満ち溢れた態度から目をそらし、ヘッドセットを彼に強引にかぶせる。そして、彼は脱兎のごとく逃げだしたのだった。




