虚栄
「先輩」
「あっ縁ちゃんじゃーん。って、その腕、大丈夫?」
実験帰りに購買へ買い出しに出向いていたら、お世話になっている先輩に出会った。いつも通りのバイザーを身につけ、露出した口元は緩く笑っている。
彼に指摘された本来なら腕があるはずの場所は、遺肢瓦縁の視界でぷらぷらと布を揺らしていた。左肩から先が、実験で切り落とされてしまったからだ。
「大丈夫ですよ、慣れてますし。それに今日は利き手じゃない方ですから」
「そっかー。それならいいけどさー」
治癒異能を必要とせずに、自力で欠損さえも治癒される縁の体は。ある意味当たり前だが、とんでもない気軽さであちらこちらを切られ、抉られ、ズタボロにされる。
「でも辛いなら言ってねー?こっそり治癒異能の子を連れてきてあげるからさー」
「本当に大丈夫ですって。もう、慣れちゃいましたし」
嘘だ。あんなもの、一生慣れるわけがない。今目の前で会話している彼だって、そんなことは知っているだろう。具体的に餡条がどのような目にあってきたのか、縁にはわからないが。五感の一切を失った彼の苦しみは、縁とはまた別のものであるのだろうし。
「それに、私が傷ついてれば、葉澪がまだ生きてくれようとしてくれますから。私を助けるために」
「……そっか」
歪な関係性であることは自覚している。それでも、あんなにも自己を省みない彼女が、たかが自分の腕やら足やらの1本2本で動揺してくれるのだ。葉澪の自傷とは違い、傷跡すら残らないというのに。それを安いものだと思ってしまうのは、縁も監獄に毒されてしまったということか。
「……カゴ、自分で持てますから」
さりげなく、餡条が縁の持つカゴに手をかけていた。本当に、気を使わなくて良いのに。
「遠慮しないで。なんなら部屋まで着いてってあげるからー」
「そこまではしなくて大丈夫ですから。……でも、ここではお言葉に甘えさせてもらいますね」
「ふふーん。いいってことよー」
調子よく餡条が笑っている。本当に、おちゃらけているように見せかけてきちんと気遣いができる人だ。
「……さっきの口振りだと、葉澪ちゃんは変わりない感じー?」
「はい。目を離すとすぐ太もも切ってて」
「あっちゃー。現実でやりたくなっちゃうの、やっぱりまだ治んないかー」
葉澪のことは、餡条にも伝えている。N37の始番号にも相談はしてみたのだが、如何せん彼女自身その手の対処には向いていないと自覚しているらしく、話を聞くことぐらいしかできないと言いきられてしまったのだ。故に、こうしてたまたま知り合った餡条に色々と頼っているのだ。
「うーん、もうちょっと色々探してみよっかー?」
「お願いします。私にはその……厳しいので」
「まー仕方ないよー誰だって苦手なものはあるって」
「でも先輩だって好きなわけじゃ」
「俺はネットで上辺だけさらってるだけだから大して苦痛じゃないよー」
葉澪の自殺願望をどうにかこうにか現実に向けさせないように用意した物語達。は、縁の習性というかなんというかからすれば……地雷でしかなく。いや別に読めない訳では無い、読めない訳では無いのだが。拒絶反応が、出るのだ。
「いや本当にすみません、私がNL地雷のクソ腐女子のせいで。先輩だって少女小説の類いは好きじゃないでしょう?」
「積極的には読まないけどねー、読んだ瞬間爆発四散したりはしないかなー」
「……すごいですね、先輩。私だったら耐えられません」
「縁ちゃんが地雷多いだけじゃないかなー」
それはそうかもしれない。
「というか、先輩。またそんなものばっか買ってるんですか」
何となく居心地が悪くて、露骨に話題をそらす。縁の指摘した通り、餡条のカゴにはゼリー飲料やサプリなど、栄養補助食品が大量に詰め込まれていた。
「もー話そらそうとして向かうのそこー?ひどくなーい?」
「いや、どう考えたってこんなに買う必要があるものとは思えないんですけど」
「ほら俺成長期だからー?いっぱい食べるのー!」
「これ以上大きくなる必要ないですよ」
相変わらずの態度で、誤魔化される。……彼がこの手の食品を好む理由を、縁だってまるで知らない訳でもないのだ。
異能【電界接続】。インターネット等電子機器由来の電気信号を一切機器を通さずに受け取り、更には操作をも行える異能。その副作用は、五感の一切を失うこと。餡条曰く、厳密には五感は生きているが受け取る機能が壊れている、という表現が正しいらしいが。結局結果は変わらない。
失った五感を、彼は異能を用いて補完しているそうだ。目元を常に覆い隠すバイザーは、その為に身につけているのだと言っていたっけ。しかし、それも十全ではないらしい。
「えー!」
「今のままでも十分大きいですから。というか、大きくなりたいなら普通の食事を摂ればいいじゃないですか」
「……縁ちゃん知ってる?味覚が無いと食事の楽しみが十割減なんだよー」
餡条が、茶化したように口にするが。その声音は、どことなく乾いて聞こえた。
詳しいことは縁も知らない。が、味覚と嗅覚をほぼほぼ再現出来ていないらしいのは事実のようだった。その証拠のように、縁は餡条がまともな食事をしているところをほとんど目にしたことがない。
「そりゃあ、そうでしょうけど。体に悪いですよ?」
「……知ってるよー」
「今度葉澪も連れて食堂に行きましょうよ」
「えー」
「葉澪も全然部屋から出てこないんですよ、ついでです、ついで」
「むー……わかったよー」
渋々従った振りをしつつ、彼がカゴに追加したサプリに。なんとなく、縁は約束が果たされない気がした。




