好意
昼食後のデスクワークは、何故こんなにも湖上を眠りへと誘おうとするのだろうか。傍らにコーヒーを置いて、どうにかこうにか眠気を晴らそうとちまちま口に含んではいる。だが、カフェインは湖上を見放したらしい。眠気は強くなる一方である。……いっそ、諦めて昼寝でもした方が良いのかもしれないというところまで思考がたどり着いた昼下がり。湖上の眠気は、一瞬で消し飛ぶこととなった。
インターホンが、鳴ったのだ。様子見のように、1回。そして、ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポン
「うるさっ!?」
人の耳によく届くように作られた音が、湖上を襲う。なるほど実際にやられる側になって初めて気がついた。確かにピンポン連打は迷惑行為である、と。ところで、自室として宛てがわれているこの部屋には、インターホンはあれどカメラはついていなかったりするのだが。
「誰がやってんの!?」
『……』
つまり、相手が沈黙という手段を選んだ場合は誰がやっているのか、扉を開けるまで分からないのである。まあ十中八九樹懸の仕業だろうが。仕方ない、開けてやろうじゃないか。折角眠気を吹き飛ばしてくれたのだし。それに、部屋から全く出ていない訳では無いからメイクも服装も整え済みだ、問題ない。と、湖上は扉を開けたのだ。
「おねーちゃーん!遊びに来ーたーよー!」
「ぐえっ」
「邪魔するわよ……言っとくけど、あたしは止めた」
桐子が湖上に飛びついてきた。いくら桐子が小柄とはいえ、飛びつかれたらそれなりの衝撃はある。桐子の後ろで、あげはが面倒くさそうに突っ立っていた。
「ピンポンいっぱい押すの、とっても楽しいねー!」
「そっかー……。うるさくてびっくりしちゃうから、今度からはやっちゃだめだよ」
「自業自得でしょ」
あげはの言葉で思い出す。そういえば、樹懸が桐子に何かを吹き込んでいた気がする。たしかに自業自得だが。だからと言って、まさか湖上がとった手段と同じものを取るとは。……まあ、いい。樹懸のことよりも、今は現状へ対応することが重要である。
「あのねあのねー!桐子ちゃん、テミヤゲ持ってきたのー!」
「そっかーすごいねー桐子ちゃーん」
思わず棒読みになる。桐子が持ってくる手土産、という時点で嫌な予感しかしないのだが。一般的に他者の家へ上がり込む時などに持参されるものは、菓子が定番であり──それなりに甘党である桐子が持ってきたそれを、甘いものがあまり得意ではない湖上が食べられるのか、という。
「あたしがちゃんと見張ってたから、そんなやばいのは持ってこさせてないわよ」
「あげはそれどういうことー!?」
「あんたに選ばせたらクソ甘党セレクションになるでしょ」
「そんなことないよーあげはだっていつも美味しそうに食べてるでしょー」
「あたしも世間一般的には甘党の分類だっての。参考にすんな」
「えー」
あげはの発言が本当なら、いくらか湖上は救われるのだが。そして、桐子はそれなりどころかかなり、レベルだったらしい。なるほど次から警戒度合いを引き上げよう。
「ほらーこれー!」
「単なるクッキーよ。見たことあるでしょ」
桐子が手にしていた紙袋から取り出したのは、湖上も食べたことがあるメーカーのクッキーである。なるほどこれは湖上も食べたことがある、好物とまではいかないが普通に口にできる甘さのはずだ。
「本っ当にありがとうあげは」
「そんなに?」
「ねーおねーちゃん、飲み物あるー?」
心の底からあげはに感謝を伝えている間にも、桐子は早速上がり込んでいる。
「……お茶、はあったような。コーヒーはあるよ」
「えー!ジュースはー?」
「さっき買ってきたんだからいいでしょ。湖上、牛乳とガムシロはある?」
「そうだけどさー!」
「ミルク、ポーションのやつはあるよ。ガムシロップとか角砂糖とかは無い」
「じゃあコーヒー、ミルク入れたやつ」
「わかった」
桐子の後をついていくように、あげはも部屋に上がり込む。あげはのオーダーを聞き取った湖上は、いそいそとコーヒーを準備し始めた。
「うわ、あんたそんなんまで持ってんの」
「えっ、お客さんが来たらこういうのでもてなすべきじゃないの」
「そうだとは思うけど……あたし手動で豆挽くやつなんて全然見た事ない。後あんたが持ってるイメージがない」
「えー」
棚から取り出したコーヒー豆を挽きながら、電気ポットで湯を沸かし始める。ある意味、湖上の休日のルーティーンである。
「コーヒーかっこいいけど、桐子ちゃん苦いの苦手だから飲めないの」
「まあ、仕方ないよ」
「子供舌」
「しょーがないじゃん子供なんだから!あげはだってミルク入れなきゃ飲めないでしょー!お砂糖も欲しいぐらいでしょー!おねーちゃんは何にも入れないのに!」
「コーヒー牛乳すら飲めないやつに言われても、痛くも痒くもない」
「うっぐぅ」
湖上からすればコーヒー牛乳など、甘すぎて飲めたものでは無いのだが。まあ味覚は人それぞれである。
「というか……なんで、来たの?」
「んぇ?遊びたかったからだよ?」
「休日だから遊び相手いなくて暇ってことよ」
「あー……」
そういえば、世間一般的には休日は休日として機能しているのであった。あいにく様、ここ1年ほどはあまりそのような余裕は無かったので。すっかり忘れていた。
──ところで、湖上にとってクラスメイト……クラスメイト?が自室、もしくは自宅にやってくるという経験は。初めてだったりするのだが。実家に学友を呼んだりしたら、世間一般的にはドン引きも良いとこらしいと早々に気がついたが故だ。つまり、実際友人を家に招いて何をするべきなのか、湖上にはまるでわからないのだ。
「……うわっ、なんかめっちゃ高そうな味がする」
「そんなに高くないよこれ。普通のやつだよ」
「信用出来ない」
来客用の机や椅子なんていう物は無いので、床に座って食べることになってしまうのは申し訳ないが。桐子とあげはの手土産であるお菓子と、桐子のジュース、湖上が淹れたコーヒーを並べて。なんとなく、お茶会のような雰囲気にはなったが。これならば、ラウンジでも良い気がする。
「おいしー!」
「湖上、気をつけないとこいつ全部食うから」
「俺はちょっと貰えれば十分だよ」
しかしそれでも、桐子は楽しそうにお菓子を頬張り、ジュースを飲んでいる。まあ、楽しいならばいいのかもしれない。湖上も良い気分転換と言えなくも無いのだから。なお進捗からは目を瞑るものとする。
「おねーちゃん、クッキーおいしい?」
「うん、おいしいよ」
「良かったー!」
そこからは、ある意味普段の調子と変わらなかったと思う。桐子が何かを言い出したら、あげはがツッコミを入れたり。湖上に桐子が絡んできたり。教室にいる時と同じものが、自室で展開されていると思うと少し不思議な気持ちにはなる。それも、休日に、普段あまり見かけない私服姿で、だ。そういう意味では確かに、このようなことをしたくなるのかもしれない。
「ふーん」
「えっ何どうしたのあげは」
「いや、あんたも楽しそうに感じるんだって」
「俺をなんだと思ってるのさ……」
「ヤバいやつ」
「おねーちゃんはやばくないよー!?」
「はいはいあんたは黙ってて」
いや本当になんだと思われてるのだ。湖上だって普通に楽しければ楽しいと感じる。人間なのだから、当たり前だろう。桐子も湖上側について援護してくれているが、あげはに一蹴されてしまった。
「てか、あんたも謎よね。よりによってこんなんに懐いてんの」
「だからあげはの中の俺はどんだけやばいの……」
「おねーちゃんはこんなのじゃないもん!かわいくてかっこよいおねーちゃんだもん!」
「うわあ」
「引かないでよ!?桐子ちゃんが俺を褒めてくれてるのに!」
あげはが心底不可解そうに桐子と湖上に視線を向けている。心外なのだが。やはりそんなに自分は溶け込めていないのだろうか。もう少し努力をすべきなのかもしれない、例えば女装のクオリティを上げるとか。
そんなくだらないかもしれないけれど、楽しいやり取りは。湖上の自室で暫く続いた。
「前、あたしがあんたに桐子が懐いてんの謎って言ってたでしょ」
後日、たまたま桐子が不在だった時。いつかのように突然背後に現れて、あげはがそんなことを言い放った。
「お、驚かさないでよ……言ってたけど、それがどうかしたの?」
突然背後から声がするのは普通に心臓に悪い。頼むから普通に声をかけられないのだろうか。びくびくしながら湖上が振り返ると、あげははある意味いつも通りのしかめっ面で、湖上の苦言をスルーする。
「あいつって、ああ見えてそんなに他人にべったりじゃないのよ。それなりに距離は置いてる。あたしあいつと何年か一緒に居るけど、あそこまでべったりなのは初めて見た」
「……あげはも、そうじゃないの?」
「あたしは別。つまり、あたしが言いたいのはあそこまで懐かれてんのなんなの?って話。なんかしたの?」
そう問われても、湖上にも分からない。湖上にだって、あの外見上は年下の少女のことは不可思議の塊である。以前観数にも似たようなことを言われたが。わからないものはわからないし、心当たりが無いものは無いのだ。
「さあ?というか、俺からすれば本当に好かれてんの?って」
「好意に自覚ないの程々にしてくんない?かなり好かれてるってさっきっから言ってるでしょ」
「そうだけど……それは、ないでしょ」
湖上の立場からすれば、そう言わざるを得ないのだ。なにせ、それが真実だったとしたら──愚かにも、程がある、と。




