偽物
視線を感じる。主に胸部に。
「あー……えっと。どうしたの?松太郎」
形式上の授業が始まる前から現在まで、見つめられ続けて流石に湖上の方が根を上げた。しかも湖上の前の席に座っていると言うのに、完全に体ごと後ろを向く形でそのような事をされれば、居心地が悪いのは当たり前である。それも、何故かピンポイントに胸元にその視線は向けられているのだから。いくら湖上が男だからと言って、なんとなく微妙な気持ちになるものだ。
「なんか……違くないか?麗」
「えぇ……なんか、って言われても。特に心当たりは無いんだけど……」
至極真剣な顔でそう問われても、本当に湖上からすれば心当たりがないのだ。松太郎に会うまでの間に、特別変なことも起きていない。しかしそれでも松太郎は納得がいかないらしく、暫く湖上を見つめて首をひねっていた。
「ああ!」
「えっ何!?」
だん、と机を思い切り叩きながら立ち上がるというオーバーアクションに、当の松太郎より湖上の驚いた声の方が教室内に響きわたる。そんな湖上を他所に、松太郎は湖上の胸元を指さした。
「今日の麗、いつもよりおっぱいがでっかい!」
「──ッ!?!?!?」
「ゲホッゴホッ」
疑問が解消され、スッキリとした表情をうかべる松太郎。しかし現場は対照的に、一瞬で地獄絵図と化した。
おそらく絶叫しかけたのだろう静は、己の意志を伝えようと端末を手に取るも、派手な音を立てて取り落としている。樹懸はタイミングが悪くジュースを口に含んでいたようで、盛大に吹き出してむせている。流石に松太郎の大声は集中していても聞こえてしまったらしい暗之雲の手から、筆がぽとりと落ちた。当事者である湖上も、完全なる処理落ちを決めている。そしてただ1人、桐子だけが不思議そうに首を傾げていた。
「みんなどうしたんだ?」
どうやら全く己の発言のやばさに気がついていないらしい松太郎が、桐子と同様に首を傾げている。
「お、おおお前が女装野郎にセクハラ発言……セクハラだよな?まあとにかくんなこと言うからだよ!」
「……」
「おい無口のっぽ!女装野郎!しっかりしろ!」
『ま、まままtたrgjおおi』
「静、どうしちゃったの?」
「お前は何も知らなくていい!」
『おおiphsdzxclo』
完全にパニックに陥っている静を見て、湖上はどうにか処理落ちから復活した。人は自分よりも動揺している人物がいると、逆に平常心を保てるというアレである。……しかし、これは真実を告げていいものなのだろうか。
「えっとね、松太郎。俺今日寝ぼけてたのかボケてたのか、いつものじゃないパッド入れてきちゃったみたいで」
「ぱっど?ってなんだ?」
『pしゃasgulifd』
「女装野郎お前一回黙れ!」
「だよねー」
「これ、なんて書いてあるのー?」
「俺にもわかんねえや」
桐子と松太郎が、無邪気に静が取り落とした端末を眺め、首をひねっている。相変わらず静はまだ混乱しているようで、意味不明の文字列がずらりと並んでいた。かなりひどい絵面である。
暫くして、どうにかこうにか静は落ち着いたようだった。周囲を見渡せば、暗之雲も平常運転に戻ったようである。いつも通りに筆を振るっていた。
『ごめん、取り乱して……(〃ノдノ)』
「俺そんなにマズかったのか……」
『松太郎。今度、その辺について色々勉強しようね』
「お、おう?」
「ねーねー、ぱっどってなんなのー?」
「樹懸、答えていいのかな俺」
興味津々といった様子で桐子がこちらに近づいてきて、問いかける。助けを求めて樹懸に話しかけると、樹懸がため息をついた。
「いいんじゃね?」
「やったー!」
「パッド、って言うのはね。胸が膨らんで見えるように入れるものなんだ。俺男だから、胸はないでしょ?だから必要なの」
「おねーちゃん、胸ないの?」
「……おねーちゃんじゃないからね」
「?」
桐子は明らかに疑問符を浮かべている。これは、実演してみないと伝わらないかもしれない。そして伝われば、おねーちゃんと呼ばれなくなるかもしれない、と湖上は淡い希望を抱いた。故に指定制服のボタンを少し外し、タートルネックに手を突っ込んで、ごそごそとパッドを外してみたのだ。外したパッドは、なんとなくパニエの隠し収納に片付ける。
「ほら、こうしたらわかるでしょ?」
「……うっわマジで乳ねーじゃん」
「ほんとだー!?」
「すっげー!平らだな!?」
「……桐子ちゃんと松太郎はともかく、樹懸は俺の事なんだと思ってるの?」
松太郎と桐子が驚きの声を上げる中、樹懸がぼそっと失礼なことを呟く。もしかして彼まで信じていなかったのか?たしかに元々湖上はさして体格がいい方とは言えないが、だからと言ってそこまで華奢でもないと思うのだが。と、樹懸に対してぶつくさ考えていた、その時。
「おいしょ、わー!本当に平らだねー!」
「と、桐子ちゃん!?」
桐子が湖上の膝の上によじ登っていた。その上、真っ平らとなった湖上の胸板を、何故だか撫でている。……どういう状況なのだろうか、これは。立場が逆なら容易にセクハラで訴えられそうな絵面だが、あいにく加害者は少女、それも幼い外見であるが故にスキンシップで収まりそうである。まあ実年齢を加味すると一発アウトな気がするが……この場所で、その辺の法律は生きているのだろうか。
『……麗。その、そういうことは、やめた方がいいと思うよ?』
静がかなり、話しずらそうに端末に文字を表示させる。よくよく見れば、ピアスまみれの耳が真っ赤に染まっていた。
「えっそういう、って?」
『多分自分で思ってる以上に、麗って女の子にしか見えないから。その、突然ぱ、……詰め物についてとか、そういうのは、あの……というか、人前でぬ、脱がないでほしいというか……』
「あー……うん、ごめん。気をつける」
取り敢えず静が思いの外、そういうものに対して耐性がないということはわかった。この場にいるのが実質児童と、おそらく十代男子としては一般に近いのであろう樹懸であるが故に、余計に際立つ。湖上も湖上で、その辺大分ズレている自覚はあるのだ。
「おねーちゃん、これ普段のやつじゃないってことはー、他にも色々あるのー?」
「……たしかに何個か買って、試してたりしたから持ってるけど。流石に静がかわいそうだからやめてあげて?」
「?静、大丈夫かー?」
『だ、大丈夫だよ松太郎!』
「?」
「どうすんだこの状況」
「あはは……」
桐子を膝の上に乗せたまま、湖上は曖昧に微笑んだ。




