彼女が悪女になったわけ
誤字・脱字、設定のミスはご了承ください。
―まだ、私が幼くて、何も知らなかった頃。
「絶対に私があなたを救ってみせるわ!」
「そんな…。無理する必要なんてないわよ」
「いいのよ!私がそうするって決めたんだもの!約束ね!」
私は無邪気にもそう言った。
なんの根拠も自信もない口約束だったけど、私にとっては自分のすべてをかけてでも守るべき、大切な約束だったんだ。
例え、悪女と呼ばれても。
* * * * *
エリザベス・ミラーには、婚約者がいた。鮮やかな金髪に、綺麗な青い瞳。見た目だけならどんな芸術家が作った作品よりも美しい、この国の第一王子、ビル・キリシアンだ。
そう、見た目だけなら。その中身は、短慮で思考するということを知らない、典型的なバカ。周りの者たちからも、「バカ王子」と言われる始末だった。
しかし、仮にも彼は第一王子なのだ。一応、第二王子はいるにはいるが、このキリシア王国では基本長男が家を継ぐこととなっていた。それは王家も同様だ。
いくらバカ王子とはいえ、滅多な事をしないかぎり王になる、はずだった。
「はぁ!?」
その日、真っ青な空がまぶしい中、エリザベスは思わず淑女あるまじき声を上げる。しかし、普段なら咎める周り者たちも今回ばかりは何も言わない。
「…ごめんなさい。わたくしの耳がおかしくなったのかもしれません。もう一度おしゃっていただけませんか」
聞き直すエリザベスに、エリザベスの父親は苦々しげな表情のまま、先ほどと同じ内容を口にする。
「…ああ。お前の婚約者である第一王子が、竜を討伐するために無断で騎士団を動かしたそうだ」
二度目を聞いても話の内容は変わらない。エリザベスも父同様に苦々しい表情になる。
正直、ツッコミどころしかない。
そもそも、騎士団を動かすためには現陛下の許可が必要だし、騎士団を動かした理由が竜を討伐するためだなんて、突飛にもほどがある。
「…なんでいきなり殿下は竜を討伐するだなんて?」
父はさらに顔を歪めながら、
「聞いた話では、なんでも殿下が懇意しているアーニャ・ラベリーにそそのかされたらしい」
アーニャ・ラベリーは、エリザベスやビルが通っている学園に平民でありながら入学してきた少女である。貴族令嬢たちの中では珍しい、短めのピンクブロンドの髪と大きな青い瞳が特徴的な愛らしい容姿をしていたはずだ。
「…アーニャ・ラベリーですか」
「確か、最近何かと噂になっていたな」
別に平民だからといって、何かあるわけではない。学園の平民の生徒の数は少ないが、それでもまったくいないというわけではない。
だが、アーニャ・ラベリーは違った。彼女は何を思ったのか、学園に入って早々エリザベスという婚約者のいるビルに近づき、つきまとっていたのだ。
それだけなら、さして問題にはならないが、一番の問題はビルの彼女に対する扱いだった。
始めのうちは、ビルも彼女を歯牙にもかけていなかったが、だんだんと彼女にほだされていったのだろうか。終いには、よく親密そうにしているところを見ると噂になっていた。
もちろん、エリザベスだって、何もしていなかったわけではない。何度も苦言を申し入れた。しかし、ビルの態度はすべてつれないものだった。
「殿下はどうなるのですか」
とはいえ、もう終わってしまった事は仕方がない。大事なのは今後の処遇だ。
「それなんだがね。一応、竜は討伐できたらしい。騎士団からは何名かの死者が出たが。その竜は、近隣にたびたび現れては人を襲うことがあったらしく、情状酌量の余地があるだろう」
その言葉にエリザベスはほっと息をつく。
騎士団を無断で動かした上、死者まで出せば極刑だってありうる。いくら王族とはいえ、どこまで配慮されるかはわからない。
ビルに恋愛感情を持っているわけではないが、これでも長年のつきあいだ。目の前で処刑されるのは目覚めが悪い。
「…まぁ、殿下は廃嫡されるだろう。お前との婚約は白紙になって、新たな次期国王との婚約になるか…」
「それでも構いません」
エリザベスとしては、今後どうなるかはさして問題ではない。
話も終わりかけ、そこでエリザベスはふと気付く。
「あの、お父様。殿下の処遇はわかりました。では、アーニャ・ラベリーはどうなるのですか」
その問いに、父は表情をなくす。
「…たかだか平民が次期国王に近づき、国家転覆とも言えることを吹き込んだ罪は重い。なにより、今回の騎士団では死者を出している。国民にも示しが必要だ」
「…そうですか」
自然と、エリザベスの顔に影が落ちる。
つまるところは、処刑だ。
* * * * *
今世紀最悪の悪女、アーニャ・ラベリーの処刑当日。
その日も、会場の雰囲気とは裏腹に驚くほど綺麗な青空が広がっていた。
見るも殺風景な会場の入り口から、薄汚れた服を着せられ、縛られたままの一人の少女が連れてこられる。たくさんの人々に埋まった会場の絶えることのなかったざわめきが、ぱっと止んだ。
粛々と歩く少女は、やがて処刑台に立つ。
その途端、なんのきっかけになったのか、会場から堰を切ったような罵声が飛び始めた。
「この悪女が!」
「地獄に墜ちろ!」
しかし、少女はうつむいたまま微動だしないでいた。
やがて、処刑の時間がやってきた。
「何か、言い残すことはあるか」
その言葉に、アーニャ・ラベリーはずっとうつむけていた顔を上げた。
「…なら、二つだけ、いいですか」
その顔は薄汚れ、以前のような輝きはないが、今から悪女として処刑されて行くには、あまりにも清々しい表情だった。飛び交っていた怒声が、一瞬止む。
「まず、一つ目に」
アーニャは王族などの座る席に目をやりながら言う。
「私の謀に巻き込んでしまったエリザベス・ミラー様を始めとする方々に謝罪を申し上げます」
いきなりの悪女の謝罪に、周りの者たちは目を白黒させる。
そんな周囲の様子に構わず、アーニャは続ける。
「それから、もう一つ」
アーニャはそっと、息を吐く。
「厚かましいのは承知しております。ですから、これはできればのお願いなのですが…」
そう言って、その顔に懐かしがるようで、寂しげな慈悲のこもった微笑みを浮かべる。そこには、世間から悪女と言われるようなものは一切ない。
「…先日倒された竜の住んでいた場所の近くに、ある一つの村があります。その村には、一人の竜の巫女と言われる、いえ言われていた少女がいると思います。…その子に一つ、伝えてくれませんか」
慈しむように、一つ一つ言葉が紡がれる。
「約束、守ったよって」
* * * * *
甚大な被害を出しながらも、なんとか竜の討伐を終えたすぐ後のこと―。
「やっと終わりましたね」
「ああ、そうだな」
アーニャの言葉に、ビルがうなづく。その顔には、濃い疲弊が表れている。
倒された竜を横目に、彼はくるりと振り返り、アーニャの顔を正面から見つめた。
「…これで、お前の悲願は叶ったか?」
アーニャはこの言葉にびっくりしたような顔をするが、すぐにいつも通りの笑顔で、
「…なんのことですか?私はただ、竜を倒せたらかっこいいなって言っただけで」
「誤魔化さなくていい」
アーニャの言葉を途中で遮りながら言う。
「お前が私に近づいたのは、この竜を倒すためだろう?」
しばらく黙っていたアーニャだが、ふと表情を落とすと、
「なーんだ。気付いてらっしゃったんですね。バカ王子だなんてあだ名、あてにするもんじゃないな」
「確かに私はバカ王子だが、バカであることと、有能であることは矛盾しないからな」
残念そうに言うアーニャに、ビルは勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
「で?どこまで知っていらっしゃるんですか?」
「言うほど知っているわけではないな。ただ、お前が竜を倒したがっていること以外に大したことは」
そうですか、と相づちを打つアーニャ。
「こうしてお前の願いを叶えてやったわけだ。その理由ぐらい、教えてくれてもいいと思うけどな」
その言葉に、アーニャは少し思案するように虚空を見つめる。
そして、しばらくの沈黙のあと、足先で下にある小石を弄びながら、ぽつ、ぽつと言葉をこぼし始めた。
「私の住んでいた村の近くには、竜が十年に一度、やってきてたんです。―人を食べに」
「人を食べに、わざわざか?」
思わずオウム返ししてしまう。
ビルの問いに、アーニャはコクンとうなづいた。
「ええ。いつの頃からかは知りませんが。きっと、人の味を覚えてしまったのではないでしょうか。
とはいえ、知性ある竜ですから無闇に人を襲ったりはしません。ある程度、残すんです。将来、子を産ませるために」
「……」
「だから、私の村では『竜の巫女』という生贄を出すことにしたんです。十年に一度、ちょうど18になる娘を」
アーニャが、少し自嘲をにじませる。
「…その生贄に、私の親友が選ばれました。ナタリーっていう名前の、綺麗な子で。『竜の巫女』は、十年ごとに決まります。引き継ぎとかあるから、その前の『竜の巫女』がいなくなる数年前に次の巫女が決められるんです」
私が、六歳のときでした、とつぶやかれた声が空気の中に溶け込んでいく。
「『竜の巫女』は基本、一度決定したら変わることはありません。だから、私が代わりになれることもなかった」
一度言葉がくぎられ、うつむけていた顔が前を向く。さらり、と絹糸のような髪が流れた。
「だけど、私、約束したんです。絶対にナタリーのこと、助けるって」
今までぽつり、ぽつりとこぼされていた言葉の中で、この言葉だけは確かな強さを感じさせた。
「それが、お前が私を動かしてまで、竜を倒そうとした理由か」
「はい。私にとって、ナタリーはそれぐらい大事だったんです。例え、周りからどんな風に言われたって、そんなの些事ですよ」
そう言うアーニャの笑顔には、たった一点の曇りさえ感じない。
「それよりも、殿下こそいいんですか。こんな大事起こして、廃嫡は堅いでしょう」
今更ながら、心配するように言うアーニャ。
それが少し可笑しくて、思わず笑みが漏れる。
「構わないさ。そんなこと最初から承知の上だ。国王には私よりも弟の方が向いている。私は少々、情に流されやすいからな」
「今回みたいに、ですか?」
「ああ。しかし、私の心配をするよりも、自分の心配をした方がいいんじゃないか?お前はこのまま行けば確実に処刑だろう?」
逃亡の手助けならするぞ、と言うビルを見て、アーニャは意外そうな顔をする。
しかし、それを鼻で笑うと、
「心配には及びませんよ。幸い、家族もいませんし。最後の尻ぬぐいぐらい自分でします。私だってこうなることは、最初からわかっていましたから。
―私は、ナタリーさえ笑っていてくれたら、それでいいんですよ」
* * * * *
後日、王都からある村に、一つの伝言を持った使者がやって来た。
かつての『竜の巫女』の少女は事の顛末とその伝言に聞き、涙しながらつぶやいた。
「―ありがとう、アーニャ」
こぼれ話
アーニャがナタリーをあれだけ好きな理由ですが、昔、アーニャの家族が死んだときにアーニャは見事路頭に迷いました。そのときに、アーニャを助けてくれたのがナタリーというわけです。それ以来、アーニャはナタリーに恩返しがしたいと思っていました。ナタリーが『竜の巫女』に選ばれた時も自分が代わりになると直審判しましたが、却下されたため国を動かそうと猛勉強し、学園に入ります。学園に入る直前は、知人を頼ってそれなりの家に入れてもらうなど、ありとあらゆる手を使っていました。ついでに、竜のことはその地を治めている貴族は知っていましたが、見て見ぬふりをされていました。王子が調べてもわからなかったのは、これが理由です。
ちなみに、アーニャたちは16~18歳未満だと思って下さい。