21 ごめんなさい……
イクスを部屋に放置すること数十分……。
空いている部屋で心を落ち着かせていた私に、「今イクス卿が出て行かれましたよ」とメイから報告が入った。
向かった方向から、おそらく訓練場へ行ったとメイは予想している。
私が枕を叩いて暴れるのと同じで、イクスは走ることで発散させてるみたいね……。
何かあるたびに走りに行ってる気がするわ。
「リディア様もだいぶ落ち着かれたみたいですね」
「うん……。この紅茶のおかげかも。
ありがとう、メイ」
メイの淹れてくれた紅茶はとても甘くて、口に入れるたびにふわっと花の香りが漂ってくる。
美味しくて温かくて、緊張していた心もリラックスできた。
「それで、ルイード様にはっきりとお伝えするのですか?」
「うん。いくら猶予期間とはいっても、私は一応まだルイード様の婚約者だから。
そこをハッキリさせないと、前には進めないわ」
「もうほぼイクス卿には伝えているようなものですけどね……」
「う……。だって、イクスってば変な誤解をしていたんだもの」
「それはリディア様も同じでしたよ?」
「え?」
思いも寄らないメイの言葉に、食べかけていたクッキーが口からポロリと落ちた。
メイはそのクッキーをさっと拾い、何事もなかったかのように話を続ける。
「イクス卿がサラ様のことを好きだと、ずっと誤解されていましたよね?」
メイにそう言われ、私はサラに関するイクスとの会話を思い返してみる。
好きな相手が私だとも知らず、「私とその好きな人、どっちが大事なの?」って聞いたこともあったわね。
「イクスは今でもサラと結婚する気はあるの?」って聞いたこともあるわ。
「本当だわ……私って、最低ね。
ずっとイクスにこんな思いさせてたなんて……」
イクスに他に好きな人がいると誤解された時、すごく嫌だった。
でも、自分はずっとそう誤解してきてたのか……。
イクス……ごめん……。
「大丈夫ですよ。きっと今頃は、イクス卿も舞い上がっていてそんなこと忘れていますよ」
「舞い上がって……!?」
舞い上がっているイクスなど想像できない……が、もしそうなら嬉しいと思ってしまった。
そんなことがあってから数日……私は窓際に椅子を運び、雨の降る外を眺めながら1人でぼんやりしていた。
あの次の日から、イクスはカイザと一緒にまた王宮騎士団の訓練に参加する事になったため、ずっと会えていない。
話をしたいと思っているルイード皇子にも、連絡できていない状態だ。
良い話ならともかく……悪い話なのに、お時間作ってくださいとは言いにくいしなぁ……。
また皇子から来ていただくのを待つしかないのかな……。
まだ昼間だというのに、雨のせいで外は薄暗くどんよりとしている。
静かな部屋にポツポツと聞こえる雨音は嫌いじゃない。
目を瞑って窓にあたる雨音を聞いていると、突然部屋をノックされた。
「リディア様。ルイード様がお見えになっております」
執事であるアースの声に、危うく椅子から転げ落ちそうになった。
背もたれをガシッと掴み、バランスを崩した身体を支えると、「すぐに行きます」と返事をした。
ルイード様が来た!? ちょっと……待って。
待ち望んでいたんだけど、急すぎて心の準備が……。
緊張で少し震えながらも、急いで立ち上がり部屋を出て応接間へ向かった。
皇子のいる広い応接間に入ると、前回と同じように窓際に立っているルイード皇子が視界に入る。
私と目が合うと、いつものようにニッコリと微笑んでくれた。
お会いするのはピクニックの日……皇子に告白された日以来である。
「リディア……少し空いてしまったが、元気だった?」
「ええ。ルイード様もお元気でしたか?」
「ああ。……本当は何度も来ようと思っていたのだが、どうしても彼には会いたくなくてね。
今は王宮騎士団の訓練に参加していると聞いて、やってきたんだ」
ルイード皇子はさっきまでの私と同じように、窓の外を見ている。
……そ、その会いたくない彼って、やっぱりイクスのこと……よね。
なんだか最近さらに険悪な感じになっているような気が……。
すごく言いにくいけど、でも言うしかない!
「あ、あの、ルイード様! 私、ルイード様にお話があるのです。
この前の……」
「待った!!」
ルイード皇子が右手をバッと上げて、私が話すのを制止させる。
かなり慌てたのか、窓際の壁に寄り添っていたはずの皇子の身体は一歩前に乗り出していた。
「ちょ……ちょっと待って。
それ、もしかして、返事をしようとしてる?」
「はい……」
「それはもう少し時間をかけて考えてって……」
「はい。ですが、私は……」
「ま、待って! ……ごめん。聞きたくない」
皇子は左手で自分の目元を隠してしまった。
今皇子がどんな顔をしているのかはわからないが、その泣きそうな声に胸が締めつけられる。
告白された時にも感じた、小さな違和感。
きっとルイード様は私のイクスへの気持ちに気づいてる。
だからあの時、あんなにも苦しそうに伝えてきたんだ。
もし自分だったら……。
イクスに断られることを想像するだけで、この世界が真っ暗になってしまうような恐ろしい感覚が走る。
とても耐えられそうにない。
でも、自分は今からルイード様にそんなひどいことを言うつもりでいるのだ。
胸が痛い。苦しい。
恋愛なんてよくわかっていない時は、振られる方だけがツラいのだと思ってた。
振る方だって……相手を傷つける方だってこんなにツラいのに。
涙が込み上げてくるのを、必死で我慢する。
……ダメだ……私が先に泣いてはダメ……!
唇をグッと噛みしめていると、片手で顔を覆ったままのルイード皇子が静かに呟いた。
「……やっぱり遅かったかな。いや……。最初からもう……」
「……え?」
「ごめん。君の前では強くて頼りになる男でいたかったのに、これじゃ昔の弱い自分のままだ」
ルイード皇子はそう言うと、顔に当てていた手をゆっくりと下げた。
窓の外に見える薄暗い空みたいに、皇子の顔も曇っているのがわかる。
「……大丈夫。ちゃんと聞くよ、リディアの気持ち。
実は、今日言われるかもしれないと思ってた……」
ツラいはずなのに、私に笑顔を向けてくれる皇子の優しさに涙がこらえきれない。
ポロ……ポロ……と少しずつ涙が頬をつたっていく。
「ルイード様はどうして……いつもそんなに優しいのですか……」
「それだけ君が大切だからかな」
「……!!」
優しく見つめてくるネイビーの瞳は、いつもの宝石のような輝きはない。
……ごめんなさい。ごめんなさい、皇子。
「……わ、私……ルイード様の気持ちに……お応えする事はできません……」
「……うん」
「私、イクスのことが好きなんです……」
「うん。知ってる」
ルイード皇子は優しく微笑んだまま、私の言葉を聞いてくれている。
なぜこの人はこんなにも温かい人なのだろうか。
「ご、ごめんなさ……」
「謝らないで」
優しく、だけどキッパリと皇子が私の言葉を止める。
ルイード皇子は視線を私から外し、静かに話し出した。
「今リディアにツラい思いをさせているのは、俺だ。
君が苦しむとわかっていたのに、自分の気持ちを伝えてしまった。
君を諦めないために、どんな事もすると……本気で邪魔してやろうとも考えていた」
「…………」
「……他のヤツらにはできたのに、彼にはできなかった。
権力で無理矢理奪うのではなく、君自身に選んでもらいたかったんだ……。
そんな理由で君を苦しめた。謝るのは俺の方だ……」
「ルイード様……」
ルイード皇子はまた目元を手で覆い、顔を見えなくしてしまった。
手が震えているような気がするが、なんて言葉をかけたらいいのかわからない。
少しの沈黙のあと、ルイード皇子が口を開いた。
「君に幸せになって欲しいと思っているのに、その気持ちは確かにあるのに……ごめん。
幸せになれって、心から言ってあげられない……。
情けない男でごめん……」
声が震えている。
初めて聞く皇子の悲壮な声に、また涙が溢れてくる。
「情けなくなんか……」
「ごめん。もう、1人にしてほしい」
「……!」
皇子は片手で目元を隠したまま、懇願するようにボソッと呟いた。
「……し、失礼いたします」
そう言ってお辞儀をしたあと、ルイード皇子に背を向けて扉に向かう。
部屋から出て行く時にも、皇子がこちらを見ることはなかった。
パタンと静かに扉を閉めると同時に、涙がどんどんと溢れてくる。
ごめんなさい。
ごめんなさい……ルイード様。
涙をぬぐいながら、私は自分の部屋へと戻って行った。




