20 どこまで……?
いつも敬語のイクスが、初めて私に対して素の口調で話した本音。
苦しそうなその声に、私の胸も痛くなる……って、……ん?
『嫌い』『他の男が好き』?
え……今、私……イクスにそう思われてるの!?
嫌ってるから避けてると!?
あっ! だからメイは私の気持ちはイクスに気づかれてないって言ってたのか!
バレてないのは嬉しいけど、そんな誤解をされてるのは困る!!
「ちょっと待って。
私、イクスのこと嫌ってなんかいない」
「……なら何でこっち見ないんだよ」
「それは……」
恥ずかしいからだよ!!
照れてるんです!
「…………嫌いじゃないなら、他に好きな男が……」
「いない!!」
私は思わずバッと顔を上げた。
その誤解だけはしてほしくない。
深い緑の瞳と間近で目が合う。
イクスの身体が一瞬で強張ったのがわかった。
その距離は想像していたよりも近く、少し背伸びでもしたなら唇に触れてしまいそうだ。
「他に好きな人なんていないし、イクスのことを嫌ってもない」
「……俺を気遣ってるなら……」
「気遣って言ってるんじゃない!
イクスだから……こんなに近い距離でも、嫌じゃない……」
「こんなに近い距離……?」
「…………」
「…………」
イクスはまるで信じられないものを見ているかのように私を凝視したあと、突然力が抜けたようにその場にゆっくりとしゃがみ込んだ。
なぜか頭を抱えている。
「イクス……?」
私も同じようにしゃがみ込み、その顔を覗こうとすると突然イクスが小さく叫んだ。
「いや!! 近いだろ!!
あの近さはダメだろ!!」
「え?」
「なんで拒否しないんだよ!
あのままでいたら危険だろ!
顔を殴るなり、体を押すなりして逃げなきゃダメだろ!」
「……それ、やった本人が言う?」
「……い、いや。俺もまさかあんな近かったなんて……。
必死すぎてよくわかってなかったけど……」
なぜか顔を青くして焦っているイクス。
勢いであの体勢になったものの、その距離感に気づいていなかったらしい。
普段冷静なイクスらしからぬ行動に、思わず笑ってしまった。
「大丈夫よ。言ったでしょ?
あの近さでもイクスなら嫌じゃないって」
「…………」
イクスは私の言葉を聞いて目を丸くしている。
青かった顔色が、だんだんと赤くなっていく。
かわいい……。
胸をギューーッとつかまれて苦しいくらい、イクスを愛しく感じる。
丸く見開かれていたイクスの瞳がゆっくりと細められ、いつもの色気ある強い瞳に変わった。
真っ直ぐに見つめられて、心臓が大きく跳ねる。
気づけば私の左頬にイクスの手が添えられていた。
長い指先が優しく私の耳や髪に触れている。
イクスの顔が、さっきと変わらないくらいの近さにまで迫っていることに気づく。
一気に身体中の体温が上がってしまったみたいだ。
胸が熱い。手が震える。声が出ない。
イクスの指が私の耳を撫でたと同時に、かすかに聞こえるくらいの声で彼が囁いた。
「……なら、どこまで近づいていい?」
深い緑の瞳から目がそらせない。
どこまで……って……。
これ以上近づいたら……。
頬に添えられている手にグッと力がこもったのが伝わってくる。
イクスの鼻先が私の鼻を軽くかすめていく。
もうすぐで唇が触れてしまう……ぎゅっと目を瞑ると、イクスがピタリと動きを止めた。
………………あれ?
恐る恐る目を開けてみると、イクスは頭を下げた状態でプルプル震えていた。
私の左頬に当てられていた手は、いつの間にか私の肩へと移っている。
え? なに?
訳がわからずその状態を見守っていると、突然顔を上げたイクスがまたまた小さく叫んだ。
「あぶねぇ!! ちょっ……なんで止めないんですか!?
あの状態で目を瞑ったらダメです!!」
「……なんで?」
「なんでって……え?
あんなことしたら誤解される……」
「誰に? イクス以外の人にはしないけど」
「じゃあ……俺に誤解される……?」
イクスはしっかり会話しているものの、半分くらい理解できていないような顔だ。
私が言ってることも、自分で言ってることも、よくわかっていない。
いつの間にか敬語に戻ってるし。
ポカーンとしているイクスは、まるで頭の上に???マークが浮かんでいるみたいだ。
私だって恥ずかしくてたまらなかったはずなのに、イクスの訳わからん顔が可愛くて素直に言葉が出てきてしまう。
「いいよ。誤解しても。……誤解じゃないけど」
「……え? ……それってどういう意味……」
「さっきも言ったでしょ。
イクスなら嫌じゃないって」
「…………」
とうとうイクスの思考回路が停止してしまったらしい。
真顔で口を少し開いたまま、動かなくなってしまった。
ここまで言ったら、もう好きだと言ったようなものだよね……。
イクスと一緒にいると、自分の気持ちを正直にぶつけたくなってしまう。
……でも、その言葉だけはまだ待って。
ルイード様にきちんと伝えてから……ちゃんとしてから、言いたい。
「……リディア様。
どう考えても、俺……自分にとって都合がいい方向にしか考えられないんですけど……」
「ふふっ。いいんじゃない?」
「……いいんですか?
俺、期待するって言ってるんですよ?」
「いいよ」
私の答えを聞いたイクスは、何故かまたうつむきながら頭を抱え込んでいる。
どうにも今の彼の情報処理システムは正常に作動できていないみたいだ。
こんなに戸惑っているイクスはなかなか見れないので、正直見ていて楽しかったりする。
カッコいいイクスにももちろん胸はときめくんだけど、かわいいイクスの方がもっとこう……ぎゅーーーーっと胸にくるのよね。
好きな気持ちを伝えたくなったり、その身体に触れたくなったり、触れて欲しいと思ってしまったり……。
自分の頭を抱えているイクスの大きな手に、つい視線がいってしまう。
あの手にまた触れて欲しい。触れたい。
手を伸ばしイクスの手にそっと触れると、イクスがピクッと反応してうつむいていた顔を上げた。
慌てて離そうとしたが、その手を強く握られてしまう。
「……こういうのも誤解されるので、男にしてはいけません」
「……だからイクス以外にはしないってば」
「…………」
何故かイクスは顔を赤くしながらも、少し怒っているような悔しそうな……複雑そうな顔をしている。
そして「はあああああーーーー」と大きく長いため息をついた。
「なんなんだよ、これ。どんな状況なんだよ。
実は夢なのか? 自分に都合のいい夢なのか?」
私の手を握っているのとは逆の手を自分の顔に当てて、なにやら考え込むようにブツブツ言っている。
一体いつになったら理解してくれるんだろう。
……どうしたら、わかってくれる?
私はイクスに握られている手をチラリと見た。
そして、その手を持ち上げて自分の顔へと近づけると、その指にそっと優しくキスをした。
イクスの手がビクッと震えたのがわかった。
……はい。予想通り、イクスさん固まってますね。
よし。では今のうちに逃げましょう。
さすがに私ももう限界!!
これならさすがに理解してもらえたでしょ!
私はバッと立ち上がり、急いですぐ後ろにある扉を開け、放心状態のイクスをそのまま部屋に放置して廊下に飛び出した。
バタン!と扉を閉めて周りを見回すと、メイが少し離れた場所で待っててくれているのが見えた。
私に気づいたメイが、心配そうな顔をしながらこちらに走ってくる。
「あっ。リディア様! イクス卿は……?
大丈夫でした……か……」
メイは私の顔を見るなり、少し頬を染めて両手で口元を隠した。
嬉しそうな顔を隠しているつもりかもしれないが、バレバレである。
きっと私の顔が真っ赤になっているのを見ての反応だろう。
鏡を見なくても、自分の顔が赤いのがわかる。
「イクス卿にお伝えしたのですか?」
「んーー……。伝えたけど、言ってはいない」
「…………なるほど」
メイは一瞬上を見上げて考え込んでいたが、すぐにそう返事をした。
この説明で理解できちゃうんだ!?
さすがメイ……。
なんだか何があったのか聞きたいような顔をしているけど、ちょっと待って。
私も今はドキドキがおさまらなくて大変なんです……。




